「山陰出雲一人旅 2日目 (宍道~出雲市~旧大社駅~出雲大社~出雲市~松江)」[2015/9/4]
木次線をトロッコで完乗し、さらに出雲大社へ向かう私は宍道から
快速アクアライナーに乗り込んだ。
車内は混んでいて座れない。さっきゲリラ豪雨に巻き込まれたが天気は回復していて、
嘘みたいに晴れ渡った。絶好の旅日和だ。
・山陰本線 (アクアライナー) [宍道~出雲市]米子~益田間を走る快速アクアライナーは、昨日乗ったとっとりライナーと同じ気動車だった。
宍道で
対向列車の待ち合わせをしたが、隣駅でも対向列車の待ち合わせで数分停車し、
その次の駅でも特急待ちで停車した。快速らしからぬ鈍重な走りである。
車窓を眺めているうちに、列車は
出雲市へ到着。出雲市は出雲最大の拠点駅だ。
出雲市から公共交通で出雲大社へ行くには二通りあり、一畑電車か路線バスどちらかを利用すればいいが、
次来る一畑電車は30分以上後なので、とりあえず本数の多い
路線バスで大社へ向かおう。
さすが一大観光地の拠点だけあって、出雲市の駅舎は荘厳なつくりだ。
寝台特急「サンライズ出雲」の終点でもあり、寝台特急が発着する最西端の駅となっている。
北口バス乗り場で待つこと10分強、出雲大社へ向かうバスは定刻通りやってきた。
・一畑バス 出雲大社・日御碕線 [出雲市駅~旧JR大社駅]一畑バスの
「出雲大社・日御碕線」は、起点の車庫から出雲市駅を経由して出雲大社・日御碕へ向かう路線である。
この路線は国鉄時代に運行されていた大社線の代替を担っており、出雲大社と日御碕まで行く便は
1日13本出ている。
出雲大社止まりの
「出雲大社線」もあるが、こちらは「出雲大社・日御碕線」とは経路が違っていて、
旧大社駅の最寄バス停へ行ってくれない。この点、旧大社駅へラクに行きたい人にとっては少しややこしい。
鉄道だと駅から出雲大社へ向かうのに少し歩かなければならないが、バスは
大社の真ん前まで行ってしまう。
さらに鉄道だと遠回りになるし、一回乗り換えなければいけないし、本数もバスと比べると………って感じだ。
要するに、出雲市駅から出雲大社へ行くには
バスの方が遥かに便利なのである。
16時30分発の出雲大社・日御碕線バスは、出雲大社と日御碕を経由し、さらにその先の集落
宇竜まで行ってしまう貴重な便だ。
バスは発車すると市街を出て、ただっ広い田園をひた走っていく。黄金色に輝く稲が車窓に華を添える。
左が
出雲大社・日御碕線バスの経路(出雲市駅~旧JR大社駅)で、右が国鉄時代に存在した
大社線の鉄路である。
さすが鉄道の代替路線ということもあって、バスに替わっても道のりは限りなく忠実だ。
出雲市駅から20分経ったところで、宇竜行きバスは旧大社駅の最寄バス停に到着。
旧大社駅はバス停から歩いて数十秒のところにあった。
・旧大社駅出雲大社へ行く前に私が立ち寄りたかったのは、
旧大社駅だ。写真で見るのと実際に見るのとでは迫力が違う!
この駅は
国鉄大社線の終着駅であった。大社線の開業は
1912年で、廃止が
1990年。
廃止から既に四半世紀の年月が経っている。
出雲大社への参詣路線として賑わった大社線は、優等列車が乗り入れるほどの活気があったというが、
廃止直前には
1日15本の鈍行が走るだけのローカル線に成り下がっていた。沿線で過疎化が進行したためだ。
そんな悲壮の歴史を持つ大社線だが、旧大社駅を見るととてもそんな悲壮ぶりを感じさせない。
今建ってるのは
大正に建設された二代目駅舎らしい。今まで眼にした中でこれほど荘厳な駅舎があっただろうか。
駅構内も開放されているのでさっそく入ってみる。
廃止当時のまま出来る限り残されており、
当時の時刻表や運賃表も残っていた。
ホームもそのまま残っているようなので、実際に降り立って探索してみる。
長い廃ホームに蒸気機関車
D51がポツンと留置されていた。
ちなみにこの路線、廃止直前は
キハ40が走ってたそうだ。それも単行か二両で。
今の山陰本線と全く変わらないじゃないか。
旧大社駅を見た後は、歩いて出雲大社へ向かう。
・出雲大社神々の国といわれる出雲において、出雲大社は日本最古の歴史書に記されてるほど歴史の深い古社だ。
出雲に祀られている神々の中心であり、日本の国を開拓した
大国主大神が祀られている。
旧暦の
十月になると日本国の神々が出雲大社、つまり大国主大神の元へ集結し神議が行われるという。
このことから他地域では「神無月」と呼ぶ十月を、出雲では
「神在月」と呼ぶそうだ。
鳥居をくぐり境内へ入っていくと、参道は緩やかな下り坂になっている。通称
「下り参道」。
参道が下り坂なのも出雲大社の独自性で、全国でも珍しいという。
今日の参拝客はまばらで、境内はのんびりした時間が流れている。
出雲大社は
夜20時まで開いているそうなので、時間を気にする必要もないだろう。
松並木の参道を真っ直ぐ歩いていくと、眼の前に巨大な本殿が現れた。
天皇陛下も立ち入ることを許されない、神の住まう世界だ。
本殿の前を抜けると
神楽殿に着いた。
神楽殿には本殿と同じく大国主大神が祀られていて、巨大な大注連縄がかけられている。
この大縄は出雲大社の名物で以前から知っていたのだが、肉眼で見ると巨大さに圧倒されるばかりだ。
「縁結びの神様」で有名な出雲大社は、近年はパワースポットとして女性に人気があるという。
大縄の下部に硬貨を投げつけてひっかけると願いが叶う噂が広まってるそうだが、
これは
デマらしい。縄の下には硬貨が詰まっているのが見えた。
とりあえず、このまま旅が何のことなく終えられることを願った(汗)
一人で参拝してるうちに時間が来てしまったので、キリのいいところで出雲大社を後にした。
・徒歩 [出雲大社~出雲大社前駅]大社入口から元来た道を戻り、一畑電車の
出雲大社前駅へ到着。
行きは路線バスに乗ったが、帰りは一畑電車に乗って出雲市へ向かおう。
出雲大社前駅モダンなつくりで駅横にはカフェもある。お洒落な感じだ。
駅舎の裏になんかスペースがあったので行ってみると、一畑電車の旧型電車が展示されていた。
一畑電車といえばこの電車が思いつくが、残念ながら既に引退済。
日本最古級の旧型電車で、映画
「RAILWAYS」にも出演した電車だ。昭和一桁生まれの古老である。
こんな味のある電車で旅が出来たらなと思うが、在来線で走ってるのは味気ないステンレス車ばかり。
かつて全盛期には、
吊り掛けを盛大に響かせて出雲の田園を走っていたんだろう。
旧型電車を観察した後、切符を買って川跡行き鈍行に乗り込んだ。
・一畑電車大社線 [出雲大社前~川跡]一畑電車は山陰地方で唯一のローカル地方私鉄だ。その歴史は古く、会社の創立は1912年にまで遡る。
略称は「ばたでん」。昔から地元の足として親しまれてきたばたでんは現在二つの路線を持っていて、
出雲市~松江しんじ湖温泉を結ぶ
北松江線と、川跡~出雲大社前を結ぶ
大社線が走っている。
ばたでんは
他会社の中古車を取り寄せ走らせていることで有名だが、
これから乗る車両は元京王の5000系。急行用に改造されたばたでんの花形車である。
ばたでんは基本ロングシートだが、急行にも使われるこの車両に限っては
セミクロスシートになっている。
出雲大社前から電鉄出雲市へ向かうには、まず大社線に乗って
川跡まで行き北松江線に乗り換える必要があった。
18時07分発の川跡行きはガラガラだ。ズラッと並んだクロスシートに悠々と座る。
列車は発車すると、のどかな出雲の田園をトコトコ走っていく。
途中で
鳥居がズラッと並んだ道路を見かけたが、アレは何だったんだろうか??
18時18分、列車は定刻通り川跡に到着となった。
・一畑電車北松江線 [川跡~電鉄出雲市]川跡から、間髪いれずに北松江線に乗り換える。乗り継ぎ時間は考慮されてるのでスムーズだ。
やってきたのは、ド派手なピンクの塗装の
「ご縁電車しまねっこ号」。
見かけが派手だが車内もピンクだらけで、男が乗るにはちょっと恥ずかしい電車である。
18時21分、乗り継ぎ客が乗り込んだのを確認してから川跡を出た。
たった四駅なのであっという間だ。10分強で終点の電鉄出雲市へ到着する。
列車を降りて、改札で駅員さんに切符を回収してもらおうと黙って差し出したら、
俺が
"隠れ鉄"だと察知したのかはわからないが、何故か切符をくれた!
別に要るって言ってないのにさ……w。おっちゃんのささやかな優しさに感謝。
時刻は夜19時を過ぎようとしている。夕飯の時間を設けていたので駅前から行ける店を探してみる。
結果的に行き着いたのは出雲市駅から徒歩で行ける
「羽根屋」。江戸時代創業の出雲そばの名店である。
私が注文したのは
「三色割子定食」。出雲そばの特徴は三段にきっちりと分けられたそばの漆器だ。
そばをだし汁につけず、
だし汁をかけて食べるのが面白い。普段食べてる安物とはわけが違う。
だし汁は上段のものを再利用するので、下段になるたびに味が染み込んで良い塩梅になってくる。
そばは薄味派の私にとって、出雲そばの食べ方は相性がいいと思った。
・山陰本線 (とっとりライナー) [出雲市~松江]あっバーローだ。出雲そばを食した後、出雲市駅へ戻り19時56分発のとっとりライナーに乗り込んだ。
まさかの
コナン列車で松江まで戻ったら、すぐに宿の元へ。
明日の山陰本線の道のりに備えるべく、早めに就寝。出雲は素晴らしいところだった!
寝床でこれまでの旅程を振り返ると、早くも大成功の予感に胸が高鳴る。
次回(最終回)!松江から
山陰本線をひたすら進み、終点の
下関を目指す!
- 関連記事
-