鈍行列車一人旅

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本州最北端の終着駅、大湊へ

「三陸縦断作戦 1日目 (柏~水戸~竜田~原ノ町~相馬~亘理~仙台)」

[2015/4/7]

「行くぜ、本州最北端。」


木○文乃は、確かに可愛かった。しかし、あんな可愛い撮り鉄まずいねえべ(苦笑)。
ちなみに彼女は生粋の鉄オタで、調べた感じでは恐らく「乗り鉄」。
俺と、同じじゃねえか………。

さて今回、私は「3.11」で甚大な被害を受けた東北・三陸の地を経由して本州最北端へ向かう計画を立てた。
東京から多数の不通区間を経て、本州のてっぺんへ。その過酷な道のりの先には何が待っているのか。
3.11から既に4年の年月が経っているが、被害の爪痕は未だ残る。特に鉄道の被害は根深い。


幾多の不通区間を突破し、いざ、本州最北の地へ向かおう!



・計画~導入


さて、今回決行する鉄旅の最終目的地は、本州最北端の終着駅である大湊と、津軽半島最北端竜飛崎だ。
東京から列島の東海岸側に沿ってひたすら鈍行とバスを乗り継ぎ、二日目の夜に大湊へ到達する。
大湊へ到達した後は津軽線で竜飛崎へ向かい、復路は青森から東北新幹線で帰路を辿っていく。
全て合わせて二泊三日の行程。宿泊は、気仙沼と大湊のホテルでそれぞれ一泊となる。


・一日目:常磐線→仙石線→石巻線→気仙沼線

千葉北西から常磐線の中電で北上し、不通区間の代行バスを乗り継いで仙台へ。
仙台で仙石線に乗り換えて石巻へ行き、石巻線と気仙沼線のBRTを使って気仙沼へ向かう。


・二日目:大船渡線→南リアス線→路線バス→北リアス線→八戸線→青い森鉄道→大湊線

大船渡線のBRTで北上。盛で三陸鉄道南リアス線に乗り継いで、同線終点の釜石へ行く。
さらに釜石から山田線の不通区間をバスで突破し、宮古から北リアス線で久慈へ向かう。
久慈からは八戸線と青い森鉄道で野辺地まで行き、野辺地で大湊線に乗って終点の大湊へ到達。


・三日目:大湊線→青い森鉄道→津軽線→路線バス→津軽線→奥羽本線→東北新幹線

大湊から大湊線と青い森鉄道を使って青森まで行き、青森から津軽線で同線終点の三厩へ。
三厩から出る路線バスで竜飛崎を観光したら再び青森へ戻り、東北新幹線で帰路に着く。



今回の鉄旅最大の肝は、東北の一大幹線、東北本線を実質的に一切経由しないということだ(三セク区間を除く)。
出来る限り東海岸線に沿ったルートとしたが、その半分近くの区間は現在も不通となっており、
本数の少ない代行バスとBRTを上手く利用して先を進んでいくことになる。

本州最北端終着の大湊まで到達するのに、乗り継ぐ列車・バスの数は何と二十本を越える。
一泊二日到達にしてはなかなか手堅い数字だが、今回は地方交通線主体の行程だからやむを得ない。
急行や快速を一切使わない、純然たる鈍行(とバス)の旅となる。その道のりは予想以上に過密で少し心配だが、
時間通りに列車とバス(と私の身体と気力)が動いてくれれば到達出来るはずなので、気合い入れて行こう!


早朝5時、私はパンパンになった大型ザックを背負って家を出た。天気は今のところ霧雨だ。
常磐緩行に乗って、快速と接続する柏へ移動。今日一番で上野からやって来る中電を待つ。
本州最北までおよそ1000km。数珠繋ぎに等しい鬼畜な鈍行旅が幕を開ける!!




・常磐線 [柏~水戸]
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我らが生活路線、常磐線。

常磐線はかつての東北方面への玄関であった上野から太平洋沿いを一路北上し、終点の岩沼までを結ぶ長大幹線だ。
その道のりは約350kmにも及び、昔は東北本線のバイパスとして長距離優等列車がバンバン走っていたという。
しかし東北新幹線が開業した後は長距離列車の数が必然的に減少し、バイパスとしての役目を失ってしまった。

「裏街道」「地味」「ボロい」と、昔から何かとネガティブイメージが押し付けられている同線であるが、
車両は既に新型に一新されており、一部区間では在来線最高速度(130km)を繰り出す。
沿線の見所はこれといってないが、地元通勤路線として頑張っているのだ。

5時38分、勝田行きの一番列車が定刻通り柏を発車した。運行上の終点、仙台まで約9時間の長旅だ。
天気は今のところ救いがないが、これから明日にかけて徐々に回復し最終的には晴れ渡るという。
グリーン車はガラガラ。普段は邪魔者でしかないグリーン車だが、旅にはガンガン使った方が何かと特別感が出て良い。




利根川を渡り茨城へ入れば、そこから先は複々線が途絶え中電(=中距離電車)しか走らなくなる。
デッドセクションを抜けただっ広い土地をひた走っているうちに、辺りはすっかり茨城の地だ。
この辺りまで来ると、列車は最高速度130kmで疾走する。
これを、かつての国鉄車がやっていたらたまったもんじゃなかっただろう。

牛久を抜けても相変わらず車窓は平坦だ。常磐線近郊区間は基本的に車窓は一切面白味がない。
この点は並行する東北本線と同様だが、常磐線は平板な土地に線路が敷かれているので余計単調に見える。


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荒川沖という地元感満載の名の駅を過ぎると、列車は一大拠点となる土浦に到着する。
土浦からは列車の本数がさらに少なくなり、風景も閑散としてくる。踏切の数も多くなる。
駅の造りも何処と無くローカルな雰囲気が漂い始めたが、列車の容赦ない速度は相変わらずだ。

ただっ広い田園地帯を抜け、岩間を出ると列車は水戸線と接続する友部を過ぎる。
この駅では、あの名曲「明日があるさ」が発車メロディーで流れた。


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友部からも車窓は特に代わり映えがなく、間もなく終点の水戸へ到着となる。
快適なグリーン車の旅はここまでだ。水戸から先は、正真正銘オール鈍行(とバス)の旅となる。



・常磐線 [水戸~竜田]
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常磐線の勝田から先は未開地で、私はまだ一度も行ったことがない。7時14分に発する竜田行き鈍行は、4両編成の415系
かつては複々線区で主力として活躍していた車両だが、現在は土浦以北のローカル輸送として余生を送っている。
ここから先は空くのかと思いきや、意外と混雑。列車が到着してから、車内は程なく満席となった。

年季の入った音を立てながら、竜田行きの鈍行は水戸を発車。常磐線は、この辺りから太平洋に近づくという。
車窓は相変わらず代わり映えがないが、より閑散としてきたのは確か。遠くには、山々がうっすらと見えた。
数駅進むうちに、車内は満席どころか満員状態に。そういえば、今はまだ通勤時間帯だ。

茨城に入ってから既に1時間強経過している。茨城の地は思った以上に広大である。
車内はオールロングシートで、しかも満席状態なので車窓を観察するのはマナー的に困難だ。
たまに窓側を振り返るならいいが、ずっと振り返っているのは相当厳しいものがある。


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常陸多賀で乗客が少しだけ入れ替わった。左手に山々がほんの少しだけ迫ってきたが、基本は住宅街の中をひた走る。
日立で通勤客がドッと吐き出され、車内は一気にスカスカに。日立を境にして、車窓は若干だがローカル色を帯びてきた。
左手の山々が目前に迫ってきたせいかもしれない。

どうやら濃霧のせいで、上りの列車は大幅に遅れているようだが、下り列車は何のことなく進んでいる。
高萩手前で、右手に太平洋がチラッと見えた。しかし見えるのはほんの僅かである。
それ以外の車窓は、やはり相変わらず面白味なし。

果たして、常磐線の車窓にハイライトというものは存在するのか?


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茨城最北端駅の大津港手前のところで、太平洋がくっきりと見えた。
しかし海辺寸前までは近づかず、チラチラ見えるところを行ったり来たりするのみ。
大津港を出ると、長かった茨城の地をようやく脱し福島県に入る。
この辺りから周りの野山がやや険しくなってきて、トンネルの数も多くなる。

海はがっちり見えたんだけども、まだまだ風光明媚とはいえんな………。
というかそれ以前に、常磐線に風光明媚なものを求めてる時点で何か間違っている気がするが(苦笑)。


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福島に入っても車窓は茨城とあまり変わらず、平地の中を進む。
やがて住宅が多くなってきたところで、列車は磐越東線と接続するいわきへ到着。
いわきを境に、常磐線は一部列車を除き運行系統が分離されている。ここでは2分停車するようだ。

2分停車した後、列車はガラガラの状態でいわきを発車する。いわきからも平板な車窓が続く。
車内は鉄と地元客が五分五分である。先程大津港辺りで見えた太平洋は、全く見えなくなってしまった。
チラッと見えた太平洋以外は右手の車窓は全く面白味がなく、寧ろ山々が聳える左手の車窓の方が面白いぐらい。


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しかし、ここにきて、常磐線はガラッと化け始めた。

四ツ倉の先で待っていたのは、まさかの単線区間である。
繁華な複々線区で暮らす自分にとって、これは衝撃の光景。常磐線も単線になるほどのローカル区間があったのか!
さらに末続から広野までにかけては短いトンネルを二十本近くもくぐり、トンネルとトンネルの間に太平洋が間近に見えた。

いわき以北でようやく、常磐線のハイライト区間がお出ましというわけだ!
この区間はかつて蒸気の時代に使われていた旧線が残ってるようで、右手には廃隧道を多く見かける。


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やがて9時23分、列車は定刻通り終点の竜田に到着した。
ここから先は代行バスに乗って先を進む。バスは約10分後に発車するので時間の猶予はない。
降りた乗客のほとんどは代行バスに乗り継ぐようだ。僅かの人の流れに従って、私は駅前のバス乗り場に向かった。



・常磐線 (代行バス) [竜田~原ノ町]
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竜田から先は震災によって未だ不通となっている区間で、1日2本の代行バスが出ている。
純然たる列車の代替なので、18切符でも乗車が可能。運行自体は地元のバス会社(浜通り交通)に委託しているようだ。

竜田と原ノ町を結ぶこの代行バスは途中停車を一切せず、起点から終点までノンストップとなっている。
それもそのはず。この先、道中には放射能の影響によって指定された帰還困難区域が待ち構えているからだ。
ちなみにこの代行バスは走行中に放射能の測定をするらしく、希望すれば測定結果を教えてくれるらしい。

「バスはこれより先国道6号線に入り、そのまま真っ直ぐ原ノ町へ向かいます。
一部帰還困難区域を通りますので、途中停車は致しません」


9時35分、原ノ町行きの代行直通バスが定刻通り発車した。車内は八割方埋まっている。
駅前から曲がりくねった裏道を進むと、バスは間もなく国道6号に入った。
あとは、このまま真っ直ぐ進むだけだという。


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国道6号と常磐線は切っても切れない中で、上野~仙台の全線に渡って並走している。
不通となった常磐線の線路は放置されたままで、藪が生え放題だ。

気のせいか車内は張り詰めた緊張感に包まれており、誰も一言も喋らない。
やがてしばらく進んだところで、右手に物々しい巨大看板が現れた。
ここから先が帰還困難区域であることを示す看板である。


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「この先 自動二輪車 原動機付自動車 軽車両 歩行者 は通行できません」


これから先しばらくは、一般人は絶対に降り立ってはいけない。当然、駐停車も一切禁止。
通過することのみが許された絶対的区域であり、車も窓を閉めきっての走行が推奨されている。

帰還困難区域へ入ると街の様子が一変し、風景の中から人々の「生活」の匂いが消えた。
除染作業員を除き道中は人影が一切見当たらず、建物の前には全て厳重な鉄柵が張り巡らされている。
国道の脇から続く道も全てバリケードで塞がれていて、何処にも必ず警備員が配置されているようだ。


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日々の日常からかけ離れた衝撃的風景が、今、眼前に展開している。
田園地帯だったところは藪が好き放題に生え、建物の半数はやはり荒廃しきっていた。

言葉にならない、光景である。
復旧の厳しさを、眼の前にマザマザと見せつけられている。
こんな厳しい環境下で作業員の人達は頑張っているのだから、全く頭が上がらない。


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荒れ果てた荒野と巨大な送電線の向こうに霞んで見えるのは、ここ一帯を廃町に追いやった福島第一原発だ。
誰もが口を閉ざす中、少数のカメラのシャッターを切る音が車内へ響く。
原発は、国道6号から最短で約2.5kmのところにある。

現時点で、一般人が福島原発に最も近寄れる区間を走っているわけだ。
道中、「原子力 明るい未来のエネルギー」と掲げられた標語看板を見かけた。
原子力は、当時の浜通りの町の希望であるとともに象徴でもあったのだ。だが、今は………。


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帰還困難地区を抜け原ノ町の市街地へ入ると、バスは終点の原ノ町へ到着となる。
降車時には、乗務員の方が一人一人に一礼。その手厚い接客は列車の代替という感じがしない。
ここでの滞在時間は一時間半と長いが、駅構内にはコンビニがあり飲食に関しては全く困らないようだ。


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それにしても、4月に入ったというのに今日は凍えるように寒い!
明日はもっと寒くなるらしく、最低気温は一桁どころか氷点下になる予報が出ている。
原ノ町駅構内の留置線には、線路が途絶えて取り残された車両(415系と651系)が放置されていた。

何時の間にか相馬行きの鈍行が来ていたので、寒さを凌ぐ為に乗り込む。
自販機で缶コーヒーを買い、ガラガラの車内でしばし一服。



・常磐線 [原ノ町~相馬]
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原ノ町からは再び鈍行で進んでいくが、相馬でまた途切れる。この区間の乗車時間は僅か17分。
ここは現時点で正に鉄道の孤立区間であり、鉄道のみでは上野にも仙台にも行くことができない。

12時02分発の相馬行き鈍行は、悪妙高い701系。鬼畜のオールロングシートである。
常磐線でもこいつが使われてるとは思わなかった。ここまで来ると、塗装も常磐専用のものではなくなるらしい。
気付けば、ドアも半自動だ。「開」ボタンを押し、車内へ入ったらすぐに「閉」ボタンを押す。
これ即ち寒地ローカルの常識。開けっ放しにしてると地元民から大ひんしゅくを買うことになる。



・常磐線 (代行バス) [相馬~亘理]
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相馬に着いた。相馬から出る代行バスは本数が多く、乗り継ぎに困ることはない。
先ほどの竜田~原ノ町間のノンストップ代行とは違い、こちらは各駅に停まって進んでいく。
列車到着から約10分後、12時30分発亘理行きのバスが発車。地元客も含め、車内は八割方埋まっている。

「各駅停車の亘理行きが発車致しました。次の停車駅は駒ヶ嶺、駒ヶ嶺でございます」

例えバスとはいえども、あくまで鉄道の代替。肉声案内も鉄道のそれと何だか似通っている。
バスは国道6号をひた走っていくが、近郊街の中なので車窓は特に見所なし。




代行バスに乗る際に注意したいのはバス停の場所だ。列車代替の場合、該当するバス停が「駅」としての扱いになるのだが、
必ずしも全てのバス停が駅前にあるわけではない。この区間の代行も例に及ばず、一部のバス停は駅から少し離れている。

特に仙台側の鉄道始発となる浜吉田においては、バス停が駅から徒歩30分のところにあるため乗り継ぎは困難。
なので効率良く鉄道へ乗り継ぎたい場合は、代行バス終点の亘理で降りる必要がある。
相馬と亘理のバス停は駅と隣接しているから、乗り継ぎは至って容易だ。

浜吉田で降りて仙台側の現時点始発から乗ってみたかったのだが、徒歩30分の壁はデカイ。
そんなことも露知らず、浜吉田で生粋の「鉄」と思われる乗客が二人降りていった。
まさか、始発から乗るために路上を30分ひた歩くのだろうか?

………俺はしんどいからやらんぞ(笑)。


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淡々とした道のりを進み、代行バスは終点の亘理へ到着した。
亘理駅の駅舎は城塞風の独特なつくりだ。ここから、常磐線として最後の列車に乗る。
仙台の地もあと少し!だが、今日中に私が目指す目的地はあくまで気仙沼であることを忘れてはならない。



・常磐線 [亘理~仙台]
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13時50分発の仙台行き鈍行は、4両編成のE721系。この車両には、クロスシートがついている。
かつてこの区間の常磐線は国鉄の急行形車両が走っていたというが、新型車の大量投入によって全て消滅。
現時点の常磐線で残っている国鉄車は、友部~竜田間で使われる415系ステンレス車のみとなっている。


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列車は亘理を出ると、何の変哲も無い平地をひた走る。天気は少しずつではあるが回復してきた。
阿武隈川を渡ると巨大な工場の脇を通り、列車は常磐線の実質的終点となる岩沼に到着。
ここから仙台までは東北本線と並行して進んでいく。

東北本線合流地点からどんどん乗客が増えてきた。
南仙台を過ぎ太子堂に着く手前で列車は高架へ上がり、間もなく終点の仙台へ到着する。


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常磐線擬似完乗、完遂!

上野側から二箇所の不通区間を突破し、長大幹線常磐線を無事完乗した。
いわきまではひたすら無味乾燥な風景が続いたが、そこから北でこの路線は大きく化けた。
単線、海、旧線、廃隧道。かつて巨大機関車C62がひっきりなしに走っていた、全盛時代の常磐線を垣間見たぞ。


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仙台からも間髪入れずに鉄旅が続く。ここでの休憩時間は僅か30分。のんびり昼食を食ってる暇などない。
乗り継ぎが多い上にまとまった休憩時間が一切取れないという点では、今回の旅は思った以上に鬼畜である。
不通区間のバスを含めた細かい乗り継ぎが頻発するので、時間を厳重に守らないと先へ進むのが困難となるのだ。

常磐線の次は仙石線に乗って同線終点の石巻へ向かう必要があるが、仙石線の始発はあおば通だ。
仙石線は仙台からでも乗ることが出来るが、どうせなら始発から乗ることにしよう。
仙台駅構内から、私は地下通路を歩いて約300m先のあおば通へ向かった。


次回!仙石線と石巻線を乗り継ぎ、前谷地から気仙沼線で三陸縦貫線区間へ突入する!

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2015/04/18 | 三陸縦断作戦


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