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信越本線擬似完乗の旅

「信越惜別完乗記 1/3 (浦和~高崎~横川~軽井沢)」

[2015/3/2]

信越か、北陸か、どっちにするか。

今年の北陸新幹線の開業によって、一部区間がごっそりと廃止・転換される信越本線と北陸本線。
旧時代の鉄道遺産が消え行くのは時代の流れだが、私はこれに抗ってみたかった。

信越や北陸だけではない。今年度のダイヤ改正によって、北海道含めた北国の旧鉄道遺産は根こそぎ消滅するのだ。
廃止・転換されれば二度と元に戻ることはないから、現状の時点でやれることはやっときたい。
そして色々悩んだ末、最終的に私が選択した惜別の鉄路は信越本線一択である。


・計画~導入


「信越本線の全区間を擬似的に完乗出来ないだろうか?」

考えてみれば、やれないことはない。碓氷峠の区間は遥か昔に廃止されているが、
その区間はバスが通じているし、軽井沢からはしなの鉄道を信越本線に見立てればいい。
やがて数時間の構想の末、実にバラエティ豊かで無節操な「擬似完乗作戦」が出来上がった。

かつては名立たる長大路線だった、信越本線の起点は高崎だ。ここからまず鈍行に乗って横川へ行く。
横川から軽井沢までは線路が途絶えているが、ここはしょうがないので連絡バスで代用する。
バスで軽井沢まで行ったら、今度は第三セクターのしなの鉄道で長野へ。

長野からは、今年度のダイヤ改正で消滅する列車「妙高」に乗って直江津へ向かう。
そして直江津で新潟方面の鈍行に乗り継ぎ、「日本一海に近い駅」である青海川で途中下車。
青海川を探索した後は鈍行で柿崎まで戻り、柿崎から快速「くびき野」に乗って終点の新潟に到達となる。


・信越本線(高崎~横川)

・JRバス関東碓氷線(横川~軽井沢):運賃510円

・しなの鉄道(軽井沢~篠ノ井):運賃1440円

・信越本線(篠ノ井~直江津):妙高号に乗車

・信越本線(直江津~新潟):くびき野号に乗車



今回の鉄旅は、観光たる観光といえば途中で下車する青海川駅ぐらいで、純然たる乗り鉄をすることになる。
多少の息抜きも欲しいといえば欲しいのだが、北陸新幹線開業までもう待った無しの状況なので、
一先ず行動に移そうと、私は考えたのであった。



・高崎線 [浦和~高崎]
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3月に入り春が少しずつ近づいてきたが寒さはまだまだ厳しく、特に今日は風が強く冷たい。
6時半に自宅を出、浦和から高崎線のグリーン車に乗ってまず高崎ヘ向かった。
高崎線の車窓は東京近郊の典型的な住宅街が続くばかりで、あまり面白みがない。
左手に山々が少しずつ見えてくると、列車は終点の高崎に到着となる。


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終着到着時の乗り継ぎ案内において、長野新幹線でトラブルが発生していることが判明した。
早朝に停電が起こったらしく、軽井沢〜長野間で運転見合わせとなっている。
こりゃあ、嫌な予感がするなー。もしかしたらしなの鉄道でも、何かトラブルが起きてる可能性が高い。

何はともあれ、長い長い信越本線の旅はここからだ。
起点の高崎から終点の新潟まで、約330km・10時間ぽっきりの道のりが幕を開ける!



・信越本線 [高崎~横川]
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信越本線はかつて、東京~京都を結ぶ一大幹線「中山道幹線」の一部として建設が進められた経緯を持っている。
ときは明治の鉄道黎明期、国は日本の二つの大都市(東京~京都)を結ぶ幹線鉄道の建設計画を立ち上げる。
このとき考案された経路として、列島中央を抜ける中山道ルートと海沿いを行く東海道ルートの二つの案が出たが、
当時の東海道は街道・水運が充実していたため、鉄道需要が見込めないとして中山道ルートが採用された。

こうして着工が始まった日本初の長大幹線鉄道であるが、横川から先の区間で早くも難題にぶつかってしまう。
道中にある「碓氷峠」の存在である。横川~軽井沢間に聳えるこの峠は、標高差約500mにも及ぶ。
明治の鉄道建設技術では、険しい標高差があるところに鉄道を通すのは極めて困難であった。
この碓氷峠区間の建設難によって、東京~京都の幹線経路は中山道ルートから東海道ルートへ変更される。

建設頓挫によって幻の路線となってしまった「中山道幹線」であるが、これでまだ終わりではなかった。
中山道幹線のために使うはずだった資材運搬線(直江津~軽井沢間)が、高崎~横川間と同時に建設が進んでいたのだ。
この資材運搬線と高崎~横川間を接続させ、関東から日本海側へ通じる唯一の路線として新たに開通させる運びとなった。
これが、信越本線の全ての大元である。一大幹線建設の頓挫から同線の歴史は始まったのだ。


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高崎地区の路線は国鉄115系が多く残っており、これから乗る横川行きも115系なのかと思っていると、
実際やって来たのはロングシートの107系であった。
のっけからガッカリさせられるが、横川までは僅か30分の道のりなので手痛い問題ではない。
9時29分、信越本線の横川行き鈍行は定刻通り発車した。




車内の乗客はまちまちだが、座席の半割方が埋まっている。
高崎を出ると、列車は意外なほどに速度を上げて快走。線形が良いのかもしれない。
起点からしばらくは、人家の少ない田畑の中をひた走っていく。
途中駅に停車するたび地元の乗客が少しずつ減り、車内は旅行客一色となった。


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磯部辺りから、列車は上り勾配に突入。あのC61が上りきれない急勾配が、この先にあるのだ。
上り勾配を上っていくごとに山々が深くなってきて、左手には独特の形をした妙義山が聳える。
この区間のハイライトといえるのは、終着横川近く左手に展開する妙義山の奇怪な岩峰だろう。


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本格的な山間部に差し掛かったところで、列車は終着の横川へ到着となる。
ここから先は線路が途切れているので、代替の連絡バスに乗って先を進もう。
軽井沢行きのバス乗り場は、駅前から歩いてすぐのところにあるようだ。

列車を降り、少数の「鉄」とともに列車を撮影する。ちょうど幕回しをやってるらしく、行き先がコロコロ変わる。
この画像の行き先に注目してほしい。碓氷峠区間寸断の現在にしてまさかの「中軽井沢」行きである。
中軽井沢は碓氷峠の向こう側にある駅だ。この列車(107系)は、当時碓氷峠を越えていたというのか!?


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「中軽井沢」の幕の後は「長野」に変わり、果てには「越後湯沢」なんて幕も出た(笑)。
広域輸送を想定していた車両とはいえ、なかなか珍過ぎる行き先である。
一見地味で淡白な107系も、意外と懐深いんだなーと感心。



・横川駅
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関東側の信越本線の末端、横川駅は「関東の駅百選」にも選ばれている。
そして横川といえば、駅弁「峠の釜めし」だ。全国で人気No.1を誇る伝説的駅弁である。
碓氷峠区間が廃止される前は、機関車連結・列車停車中に立ち売りが行われ売れに売れたという。

今買って食べてもいいのだが、何せバスの中で食べるわけにもいかないし
この先車内で悠々と食べられる環境ができるかどうかも分からないので、今回は断念。


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大昔、列車はここからさらに碓氷峠を越えて先に進んでいたのだが、今はバスで行くしかない。
しかもバスで峠を越えた先には運賃割高な第三セクターの区間が待ち構えているから、
現在、碓氷峠一帯は旅するのに結構敷居が高くなってしまってる気がする。



・JRバス関東 碓氷線 [横川~軽井沢]
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横川から軽井沢まで走る連絡バス「碓氷線」は、思った以上に利用者が多い。
片道運賃510円を支払い、そそくさと車内へ乗り込む。

碓氷峠区間(横川~軽井沢)廃止の代替として、JRバス「碓氷線」は1997年に運行を開始している。
通常便は1日7本出ていて、一部の便は鉄道との効率的な乗り継ぎを兼ねた時間帯に設定されている。
車両は典型的な路線バス用のタイプが主力らしいが、これから乗るのは大型のハイデッカー車だ。




画像左が横川~軽井沢の鉄道廃止区間で、画像右が鉄道の代替として現在運行されている連絡バス碓氷線の経路である。
中山道にほぼ並行して敷かれていた鉄道に対し、バスは渋滞対策のため新たに出来たバイパス線を通る。

碓氷峠は「鉄」ならば誰もが知る有名な難所中の難所で、信越本線建設における最大の障壁でもあった。
先ほど説明した、高崎~横川間と直江津~軽井沢間の両路線が全て開通したのは1888年のことだが、
このとき、碓氷峠が立ちはだかる横川~軽井沢間においては着工にすら至っていなかったという。

険しい碓氷峠の勾配にどうやって鉄道を敷くかについては、当時ありとあらゆる案が出たようだが、
最終的には欧州からの実例を元にして、歯形を噛み合わせて急勾配を克服する「アプト式」が採用されることとなった。
やがて5年に及ぶ難工事の末、1893年に横川~軽井沢間がアプト式によって開通。
この碓氷峠区間の開通によって関東側と日本海側の二つの線路が繋がり、日本最初の列島横断路線が誕生した。





箱根をも越える難所に鉄道を通したのは革命的であったが、これは同時に苦難の歴史の幕開けでもあったのだ。
事故の多発、莫大な人件費と維持費、利用客の減少。開業当初の革新的システムは後に過去の遺物と化した。
長野新幹線開業とともに碓氷峠区間は廃止されてしまったが、線路自体は今もちゃんと残っており、
現在は往時の激動時代の鉄路を伝える文化遺産として、観光化・整備されている。

上に貼ったドキュメンタリー映像では、アプト式で運行されていた時代の超貴重なシーンを見ることができる。
映像を見る限り、列車一本に何と電気機関車4両も繋げて峠を越えている!今では、まるで信じ難い話だが。
二駅分進むだけに運転士4人助士2人と機関車4両も使うとは………。今のケチなJRじゃまずやらんな!


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軽井沢行きの連絡バスは横川を出ると、うねうね曲がりくねった峠道に入る。碓氷バイパスである。
このバイパス線は、旧道(中山道)の交通量限界に伴って建設された道路だ。
ちなみに碓氷バイパスが越えるのは碓氷峠ではなく、南方の入山峠である。


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ここ一帯の峠の険しさは並々でなく、あっという間に高度が上がる。
やがて峠を越え少し下り坂を降りていくと、高級別荘地軽井沢の地へ到達。
普段ゴミゴミしたベッドタウンで暮らす自分には、軽井沢は上品でエレガントな風景に見える。



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横川から碓氷バイパスを経て、連絡バスはおよそ30分ほどで軽井沢に到着した。
かつてジョン・レノンも滞在したこの地は高度が高く、辺り一面雪景色だ。
30分前までは雪なんて微塵も見られなかったから、別世界のようである。



・軽井沢駅
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現在の軽井沢の駅舎は真新しい新築で、あまり味気がない。
強いていうなら、整然としたロータリーと駅入口の三角屋根が印象に残るぐらいかなー。
駅構内も新幹線乗り場が完全にメーンとなっていて、しなの鉄道の乗り場は実にこじんまりとしてる。


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「お客様にご案内致します。遅れております小諸行きの普通列車ですが、使う車両が現在こちらに向かっております。
到着時刻は今のところ11時08分頃を予定しております。申し訳ありませんが、しばらくお待ち下さい」

早朝の軽井沢~長野間の停電の影響で、軽井沢駅構内はちょっとした混乱状態となっていた。
しなの鉄道も停電の影響を受けたらしく、運転見合わせには至ってないが列車が遅れているようだ。
行程が狂ってしまわないか心配だが、ここまで来てしまったんだがら引き返すわけにもいかない。行くしかあるまい!


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しなの鉄道ホーム脇には、かつて碓氷峠区間で使われていた機関車EF63と、急行車両169系の姿があった。
169系は昔走ってた信越線急行の主力車両であり、少し前までしなの鉄道でも走っていた。
この急行車両は是非乗りたかったのだが、来るのが遅かったか………。

「お客様、大変お待たせ致しました。11時03分発の小諸行きが、定刻から8分ほど遅れて到着致します。
列車到着した後は、運転準備完了次第すぐの発車となりますので、ご注意ください」

列車は一向に来ない様子だったが、間もなく折り返しの列車が到着するアナウンスが入る。
北陸新幹線開業まで残り十日程となった今日は、現時点での信越本線存続区間を制覇する最後のチャンスだ!
しなの鉄道全区間運賃1440円の切符を手に、私は若干ソワソワしながら小諸行き鈍行の到着を待った。

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