鈍行列車一人旅

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天城越えの道のり

「伊豆半島日帰り縦断 3/3 (伊豆急下田~河津~二階滝~天城峠~修善寺~三島)」

[2015/11/30]

iPhone忘れが引き起こした"オワタフラグ"を覆し、私は石廊崎から下田駅へ帰還した。
旅程の狂いを覚悟したが、iPhoneを忘れたバスがたまたま旅程通りに乗る便だったため、
予定通り旅を続行する。これから行くのは、伊豆半島縦断の中で最も歴史の深い路だ。



「下田街道全区間(下田~三島)」

伊豆半島の中央部は天城山脈がみっちりと連なっていて、半島を南北に分断していることは前置きでも述べた。
この厳しい土地事情から、伊豆の南北陸路は他の地域と比べて整備が致命的に遅れたといわれているが、
それでもなお半島唯一の幹線縦断道路として江戸時代から君臨していたのが、三島と下田を結ぶ下田街道だ。
東海岸の道路が開通してからは動脈としての役割を譲ったが、伊豆南北縦断路の元祖はこの下田街道である。

復路で決行する行程のコンセプトは、下田街道をメインとして公共交通で伊豆中央部を縦断するというものだ。
道中にはかの有名な天城峠が待ち構えており、峠付近に限りバスを降りて自らの足で「天城越え」をしたいと思う。
下田街道は下田からだと公共交通路線が通じてないため、まずは下田から伊豆急に乗って河津へ向かおう!



・踊り子108号 [伊豆急下田~河津]
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13時02分に発する踊り子108号は、伊豆急下田を起点として東京へ直通で向かう特急である。
後発の鈍行だと河津での路線バスの接続が悪いため、特急料金がかかってしまうのはしょうがないが、
やむなく特急に乗ることに。一つのルート開拓のためには、短区間だけ特急でもやむを得ない選択だろう。

特急踊り子といえば今も昔もこの白地に緑の国鉄車で、世代交代が激しい特急の中でも往年の風格を放っている。
上野東京ラインが開通してから、踊り子は臨時特急として常磐線の我孫子にも乗り入れるようになった。
大動脈東海道で未だに生き残って走り続けている、定期の国鉄特急。なかなか希少な存在だ。


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日中出発の便なので車内はガラガラ。定刻が来ると列車はひっそりと発車した。
昼食を食べる時間が他にないので、河津に着くまで下田駅で買った駅弁を食す。

その名も「ひれかつ弁当」。2005年に発売開始された弁当で、魚介系が多い伊豆のラインナップの中でも、
コレは貴重な肉メインの弁当。非常にシンプルな構成だが、個人的には奇をてらわない方が好きだ。
カツはやわらかく、キンキンに冷えてはいるが普通に美味しい。腹減ったら肉食うのが一番!


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下田を出た踊り子108号は、長いトンネルを潜った後、間もなく河津へ到着する。
降りたのは私一人と地元客が数人のみ。河津からは東海バスに乗って下田街道へ入る。
ホームを発していく列車を撮影した後、私は駅ロータリーにあるバスターミナルへ向かった。



・南伊豆東海/新東海バス天城線 [河津駅~二階滝]
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南伊豆東海バスと新東海バスが共同運行している天城線は、河津から天城峠を越えて修善寺へ向かうバス路線だ。
区間運行の便もあるが、河津~修善寺の全線を走りきる便は現時点で1日10本。それなりに本数はあるようだ。
幾多の伝説を刻んできた下田街道を辿る路線なだけに、地元需要の他に観光としての需要も手堅く持っていて、
天城線内で自由に乗り降りできるフリー切符「天城路フリーパス」も販売されている。

天城線は、少し前まで昔のボンネットバスが走っていたというから驚きだ。しかも定期の観光便で。
ボンネットバスというのは、トトロや三丁目の夕日で出てくる、前側が出っ張ったクラシックバスのことだ。
平成生まれには、ボンネットバスは"懐かしい"というよりも"完全にファンタジー"だが(バスガールも含めて)。

13時35分発の修善寺駅行きの乗客は、始発の時点で私含めて3人のみ。日中の便だからこんなものだろう。
天城峠の旧道を南側から最短で越えたい場合は、峠一歩手前の二階滝というバス停で降りればいい。
バスは河津駅を出ると県道を辿るが、山々が迫ってきたところでメインの下田街道へ入った。


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下田街道もとい国道414号における最大の見せ所といえるのが、この「河津七滝ループ橋」だ。
正式名称は「七滝高架橋」といい、峠越えまでの高度を一気に稼ぐために建設された巨大橋梁である。
昔この区間は山の中腹をうねるように道が敷かれていたというが、78年に起こった地震で道路が寸断してしまい、
その代替として新たにループ橋を建てて国道に昇格させたという。竣工は81年。土木学会田中賞も受賞している。

巨大ループ橋梁が醸し出す存在感は伊達ではなく、バスの中からでも圧迫されるような迫力が味わえる。
橋上へ突入すると小さい円を描き、低速を保ちながら二回転して坂を上っていく。


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何ともいえない光景だな・・・!

大都会東京にありそうなゴッツイ巨大橋梁が、歴史深い天城路で粛々と稼動する光景に、地味に萌えた。
河津七滝ループ橋を過ぎるとバスは山の中へと入っていき、カーブの連続する山道を進む。
「ここは何処なんだ??」といいたくなるような深い谷が広がっている。


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天城山の隙間をひた走っていくバス。伊豆中央部の山脈真っ只中ってわけだ。
この先には有名な天城峠がある。現在、天城峠付近の道は現国道と旧道に分かれていて、
現国道はメインルートとして、旧道は観光道として整備されている。私が行くのはもちろん旧道の方。

天城峠の整備された旧道は6km近くもあり、現国道の合流点から全線突破しようとすると時間がかかる。
そこで今回"ラクをしたかった"私は、峠付近を出来る限り最短距離で突破するルートを考えた。
掲げるコンセプトが壮大な割りに、やろうとしてることが根本的に貧弱であるw


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14時16分、天城線バスは定刻通り二階滝バス停に到着した。
二階滝からは隣接する休憩拠点から遊歩道が延びており、国道414号の旧道に繋がっている。

遊歩道から旧道に突入し峠の方へ進んでいけば、あの有名な天城隧道が口を開いているはずだ。
二階滝から天城峠の頂へ達するまで、距離にして約2km。そんなに大した距離ではないが、
探索時間は限られてるので早めに進んでいこう。



・二階滝~天城峠(旧道)
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二階滝の休憩施設(トイレ)脇を見ると観光案内板があって、そこから遊歩道が延びていた。
まずは遊歩道を上って、国道の旧道合流点へと向かう。

天城峠のブランド力は伊達ではないらしく、すっかり観光化されていて行楽客が多い。
鬱蒼とした遊歩道を上っていくと、旧道との合流点に問題なく行き着いた。
合流点からは、ひたすら旧道を上っていくだけだ。


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二階滝から天城隧道へ達する中間付近で、旧道は苔むしたコンクリート橋を渡る。
その名も「寒天橋」。石川さゆりの「天城越え」の歌詞でも出てくる、有名な橋だ。
寒天橋の脇にはバス停があって、橋上に季節限定運行のバスが停まっている。

季節限定運行のバスを使って寒天橋から峠の頂へ向かってもよかったが、
シビアな乗り継ぎを要求されるし、天城峠に乗り鉄の小細工を持ち込みたくなかった。
徒歩で南側から天城峠・天城隧道へ向かうなら、二階滝から最短で行くルートがベターだろう。


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紅葉も冴え渡っている天城の旧道。通行人は思った以上に多い。
自転車乗りやランナーや部活帰りの学生、バイクや一般車などなど、多種多様。
そこはやっぱり天城峠ブランドなのかもしれない。旧道は車でも通行可能となっており、
愛車で走破したい人も多いのだろう。旧道ではあるが、一応ここは現役バリバリの道路なのだ。

道は相変わらず深い山の端を縫うように延びており、息を切らしながら順当に進む。
「峠はまだなのか……!」心待ちにしながら歩くことしばらくして、
次第、眼前に絶望的な山壁が聳え始めた。このすぐ先に、超有名隧道がある…!



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来たぞ!!天城隧道!!

石廊崎に続き、今回の旅でお目当てにしていたもう一つの物件に、ようやく行き着く。
全国のトンネルの中でも、恐らく世間的に最も有名な隧道の姿がそこにあった。
かつて伊豆半島の南北縦断路を担った、偉大なる"穴"のお出ましだ。



・天城隧道(天城山隧道)
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天城隧道。石川さゆりの演歌で有名なこの隧道は、正式名称として「天城山隧道」と名乗っている。
全長445.5mの石造隧道であり、竣工は1904年(明治37年)。現在日本に現存する中では最長の石造道路隧道である。
石造としての最長ブランドも掲げながら、隧道として初めて「国の重要文化財」にも指定された第一級の物件なのだ。

現在は新しく開通した新トンネルが天城峠のメインルートとなっているが、新トンネルが開通したのは70年代に入ってからで、
それまではこちらの天城隧道が明治~大正時代からずっと活躍していた。開通から既に110年のときが経過している。
隧道開通以前は生死を分かつほどの峠越えを強いられていただけに、この一本の隧道がもたらした功績は偉大だった。

古来掘られたトンネルの特徴の一つに「坑門」がある。坑門というのはトンネル入口に据えられた構造物のことだ。
中には装飾的な意味合いの濃いモノも多いらしいが、建設者の威厳をもって隧道の名が刻まれる「扁額」や、
坑門を支えるために脇に据えられた「翼壁」、雨水をきるために入口上部に設けられた「笠石・帯石」など、
機能性を含んだデザインとなっている。通行人を受け入れるトンネルの"顔"みたいなものだろうか。


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まるで古代遺跡のような風格。(隧道名が右書きなのがまたたまらない)

近代式トンネルの基本的な意匠は元々イギリスから持ち込まれ、隧道建設の技術とともに輸入されたらしい。
後に一つの様式美となり独自の発展を遂げた隧道の意匠は、地域によって大きく異なってくるようだが、
高度経済成長を皮切りにして、急速的な技術の発達ともに簡素なスタイルへと変化していった。

現在一般に見られるトンネルは「扁額」以外に装飾を限りなく削ぎ落としていて、あまり面白味がないが、
古来の隧道は鑑賞する楽しみが沢山あると思う。カッコイイと思う。
RPGゲームの迷宮ダンジョンに入っていくような気分だ。


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隧道に入ってみると独特の雰囲気にのまれそうになるが、中は照明があり徒歩でも全く問題ない。
昔の人はこうして隧道の暗がりの中を自らの足で歩いたのだ。昔の交通スタイルに思いを馳せてみるのもいい。

天城隧道はひたすら真っ直ぐ山脈をぶち抜いており、入口から向こう側の出口が見える。
暗がりの中を歩くうち、向こう側から轟音が聞こえてきた。車が入ってきたのだろう。
しばらくするとヘッドライトが間近に迫ってきて、白い軽車が私の横を走り去っていった。
見た感じ、この隧道は車の行き違いはほぼ不可能だと思われる。鉢合うと修羅場になるかも。


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500mほど突き進むと、やがて北側の出口に出た。隧道の前はちょっとした園地になっている。
トイレと車を停めるスペースがいくらかある。休日は観光客で賑わうのだろう。

すっかり観光化されてはいるが、古きよき隧道としての威厳が往時のまま残っていて楽しめたぞ。
保存状態が良く、観光誘致の飾り付けがされてないのが好印象。交通物件は素のままの方が美しい。
しばらく坑門を鑑賞した後、キリのいいところで隧道横から下る山道へ入った。


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隧道先から続くダートの旧道を制覇しても良かったのだが、それだと次乗るバスに間に合わない。
旧道を進む場合は大きく迂回した後に現国道へ合流となるため、思った以上に所要時間がかかってしまうが、
隧道入口すぐのところから延びる山道を辿れば、ほぼ直下にある現国道のバス停に真っ直ぐ行くことができる。

バスの時間が迫っているので、半ば突っ走る勢いで山道を駆け下りていく。
標高80mほどの高低差を下ると、道は新トンネル入口の脇に出た。
現国道出てすぐのところに天城線のバス停がある。ここから再びバスの世話になるぞ!



・南伊豆東海/新東海バス天城線 [天城峠~修善寺]
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14時54分に天城峠を発する修善寺行きは、ほぼ定刻通りやってきた。
冬至に近い今日、日が暮れる前に半島を脱するには、バスですぐ北上する必要がある。
天城峠から終点修善寺までの所要時間は50分弱。何だかんだ言って馬鹿にならない道のりだ。

峠は越えたので、下田街道はひたすら下りが続く。辺りは相変わらず深い山の中。
浄蓮の滝のバス停では観光客が降りていった。浄蓮の滝も「天城越え」の歌詞に出てくる景勝地の一つだ。


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眠り込んでしまったため、車窓はあまり記憶が無い。早朝からぶっ続けで色々やってきたのが裏目に出たか。
バスに揺られながらウトウトしてるうち、気がつくと既に天城山の中を抜けていた。

天城峠から下田街道を忠実に走り続け、バスは終点の修善寺へ到着する。
修善寺からは鉄道が街道と並行して走ってるから、一行程として有難く利用させて頂こう。
伊豆中央を公共交通で突破する、最後の切り札。その名も駿豆線(すんずせん)!路線名が可愛い。



・伊豆箱根鉄道駿豆線 [修善寺~三島]
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伊豆箱根鉄道駿豆線の歴史は深く、下田街道を取り巻く中伊豆の発展とともに生きてきた鉄道路線である。
現行の駿豆線の大元となる豆相鉄道が開業したのは、何と19世紀末期のことであった。
1898年に開業し、後に起点三島から中伊豆の中心地となる修善寺まで延伸。
これ以後、駿豆線は地元需要だけでなく観光需要も伸ばし続け、県内屈指の優良路線となっている。

古くは直通で国鉄の列車が乗り入れていた駿豆線。昔は常磐線から乗り入れる急行もあったという。
現在は東京からの特急「踊り子」が乗り入れるのみで、他は全て伊豆箱根鉄道の鈍行だけだ。
列車の本数は多く、大手私鉄も顔負けの賑わい振りを見せている。運賃も比較的安い。

地元では駿豆線のことを「いずっぱこ」と呼ぶらしく、駿豆線と呼ぶ人はほとんどいないのだとか。
切符を買って学生と混じりながらホームへ向かうと、独特の顔つきをした列車が停まっていた。
15時50分発の三島行き鈍行だ。三両編成のワンマン列車で、水色の車体に太い青帯を巻いている。
今時珍しいボックスシート主体だが、学生で一杯なのでドア脇でやり過ごすことにしよう。


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若干ヘロヘロになりながら眺める駿豆線の車窓。夕暮れの中でボンヤリとしているが、
田園や住宅の中を走る一方で、遠くに富士山が霞んで見えるのが印象的だ。
住宅~田園~山~川~海、土地の全ての要素を取り巻きながら、満杯の乗客を乗せて列車が走る。
当たり前のことだが、それ自体が素晴らしいと思うし、地方の鉄道として最良のかたちなのだと思う。


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16時24分、列車は終点の三島へ到着。これで伊豆中央部の縦断ルートは無事完遂だ。
観光としての役割に特化した伊豆急と、地元密着の鉄道として繁栄を遂げた駿豆線。
同じ伊豆半島を走る両私鉄は、実に対照的だった。寧ろ、日帰りで一気に乗り通して良かったかもしれない。

三島駅構内は立ち食いそば屋があり、ノスタルジックな雰囲気が漂っている。
色々あって深刻なトラブルも犯してしまったが、伊豆の日帰り旅はこれにて終了。
駿豆線に別れを告げた後、何事もなく新幹線に乗って帰路に着いた。

・旅の総運賃:13710円(JR運賃+私鉄運賃+バス運賃+特急券)
・乗った乗物の数:鈍行3本+バス4本+特急1本+新幹線1本
・総距離/所要時間:約150km/約8時間(熱海~三島)


一時はどうなることかと思ったが、「結果的に良しか!?」とオワタフラグを覆した今回の旅。
致命的トラブルが、逆にブログのネタ的に美味しくなってしまったという結果となった。
何はともあれ、旅を救ってくれた石廊崎の救世主おばちゃんに感謝だ。マジリスペクトっすよ!(by DA○GO)
(完結)
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冬の上越線を行く

「日本海北上紀行 1日目 (大宮~高崎~水上~長岡~新津)」

[2016/1/5]

数年前、中途半端に終わった旅のリベンジを兼ねて、胸中に温めていた計画がある。
「冬の日本海を鈍行で北上したい」。今までやろうとして結局やらなかった旅を今回は決行する。
出発地は高崎。高崎から鈍行を乗り継いで上越国境を越え、日本海を北上し、北海道へ上陸したい。

今回の旅はあまり捻りがないというか、ストレートなルート選定となった。
過去の重複区間も多い。まずは以下で全体の行程を概観していこう。




今回の旅の基幹ルートはこんな感じである。
「お前もソレか!」って言われそうだが、今年廃止されるはまなすと留萌本線に興味があって、
日本海を北上した後にはまなすに乗り留萌本線を目指す行程を練ることになった。
上越国境を越え日本海沿いを北上した後は、はまなすで北海道へ上陸し留萌本線の末端へ向かう。

・一日目:上越線→信越本線→羽越本線
・二日目:奥羽本線→五能線→津軽鉄道→五所川原~青森線→はまなす
・三日目:札沼線→ふるさと公園線→函館本線→留萌本線→留萌別苅線→留萌旭川線
・四日目:函館本線→札幌市電/札幌市営地下鉄→千歳線→石勝線(夕張支線)


一日目は上越線の鈍行を乗り通して長岡へ。長岡からは信越本線で新津へ移動し、羽越本線を北上する。
二日目は秋田から奥羽本線で東能代へ行き、五能線の鈍行に乗車した後、津軽鉄道を訪問。
津軽鉄道訪問後は五所川原から路線バスで青森へ移動し、急行はまなすに乗って札幌へ。
三日目は札幌から札沼線を乗り通し、バスと函館本線で深川へ移動。深川からは留萌本線の末端を目指す。

鉄道とバス合わせて経由する路線は10路線以上!想像以上に密度の濃い行程が出来上がった。

留萌本線の末端へ到達するのは三日目の午後だ。四日目は札幌探索と石勝線の乗り潰しに時間を当てる。
昨年の極寒北国紀行に続き、舞台となるのは雪国。万全の装備で挑みたい。
あとは、体力と粘り強さだけが全ての原動力となる。


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冬の日本海の厳しさを"眼で見て身体で体感しよう"ってのが、今回の旅のテーマだ。
廃止イベントとかさよならイベントとか、そういうの一切興味ない!つもりだったのに、
今から普通に行こうとしてるんだから笑える。
とりあえず、増毛ですぐに折り返さないのは出発時点で確定していた。

パンパンのリュックを背負い、早朝5時に自宅を出て高崎へ向かった。
上越新幹線の一番列車に乗って、7時前に高崎へ到着。総距離1500kmに及ぶ旅が幕を開ける!



・上越線 [高崎~水上]
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関東~新潟を結ぶ上越線。昔は大幹線だったこの路線が全通したのは、1931年のことだ。
上越線が開通するまで、関東~新潟間を鉄道で移動するには大まかに分けて二つのルートがあった。
高崎から長野を経由し新潟へ向かう信越本線ルートと、東北本線・磐越西線を利用するルートだ。
しかしどちらのルートも遠回りであり、多大な労力と所要時間がかかっていた。

関東~新潟間の鉄道の不便さを解消するため、上越線は建設された。1920年代に関東・新潟側ともに線路を延ばし、
1931年になると急峻な上越国境を貫く長大トンネル(清水トンネル)が開通し、全通を迎える。
全通後、上越新幹線が開業するまで優等列車が行き交う大動脈として栄華を誇ったのだった。

現在上越線は貨物としての需要はあるものの、旅客としての需要は衰退しており列車の本数も少ない。
7時10分発の水上行きは昔ながらの国鉄車だ。ドアは半自動だがボタンが無く、手で開けて乗り込む。
くたびれたボックスシートが並び、鉛色の床は色褪せていて傷だらけ。刻み込まれた年季と味が旅情を誘う。

この列車に乗って、まずは上越国境手前の水上へ向かおう。


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通勤時間帯なので、列車は始発の時点で満席だ。
そのうちの多くは行楽客で、外国人がボックスシートで楽しそうに話している。
高崎を出たところで日が上り、一駅一駅進むごとに乗客が増えていく。
新前橋を過ぎて平野を突っ走るうちに車内は満員状態となった。

吾妻線と接続する渋川から、上越線は少しずつ山岳路線的な様相を呈してくる。
渋川を出て利根川を渡ったところで山が多くなり、高度も上がってきた。
国道7号とともに、利根川と交差しながら山間を抜けていく。




沼田で一気に乗客が減ったが、まだまだ座席は埋まっている。
後閑を過ぎたところで上越線は本格的な山間部へ入る。
車窓に上越国境を形成する山脈が見えてきた。左手遠くに聳えるのは谷川岳だ。
古くからロッククライマーの聖地で、絶壁に挑む男の命を吸い取ってきた"魔の山"である。

利根川の脇を走り観光施設が多くなってくると、列車は終点の水上へ到着。
跨線橋を渡って長岡行きの鈍行に乗り換えた。



・上越線 [水上~長岡]
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水上から、上越線は上越国境を越えていく。ここから先、私は一度も行ったことがない。
国境を越える鈍行は平日だと1日5本のみであり限られている。
越後湯沢から先では本数が増え、北越急行の列車も一部乗り入れてるが、
上越線内を走る定期列車は鈍行のみでそれ以外に選択肢はないようだ。

8時24分発の長岡行き鈍行は4両編成で、さっきと同じくオンボロの国鉄車だ。
国境越えの車窓はどちらもボチボチらしい。私は進行方向左側の座席に居座った。


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定刻が来るとのっそり発車した。年季の入った音を立てて山の中へ入っていく。
この先で日本屈指の長大トンネルが待ち構えている。並行する新幹線は既にトンネルの中だ。
初めての国境越えなだけに、川端康成のあの一節を連想せざるを得ない。
トンネル手前で車窓を撮って頭に焼き付けた。




「新清水トンネル(全長13500m)」

谷間をソロソロ進んでいくと、列車は長大な新清水トンネルに入る。
新清水トンネルの中には二つの駅があって、トンネル入ってすぐのところで湯檜曽、
しばらく進んでから地中深くに設けられた土合がある。

上り線の駅は地上にあるが下り線はいずれも地中だ。



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湯檜曽を出ると速度を上げて闇の中を疾走し、地底に設けられた土合へ。
土合から先は上越国境直下を行く。真上には谷川連峰が連なっているはず。
しかし、長いトンネルだ。入ってから10分近く経っただろうか……
夜行列車にでも乗ってるような気分だ。

鈍行は何も語らない。やがて反響音が薄れてくると新潟側の出口へ出た。



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「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」は、本当だった。

トンネルを抜けて飛び込んできたのは、嘘みたいに深い雪景色。ドラマティックな国境越えに心が躍る。
川端康成の一節は今も通用するらしい。朝靄の山脈に神々しい何かを感じた。
下調べによると「群馬側の時点で雪が積もってることが多い」とのことだったが、
今年は暖冬で、遅れ気味の降雪が奇跡的条件を作り出したんだと思う。


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群馬側の車窓と比べると、とても10分前の景色とは思えない。
雪の白さにカメラの露出が追いつかなくなったので、すぐに調整する。
白銀の中を抜けると、スキーや温泉で有名な越後湯沢へ到着。ドッと乗客が増えた。




越後湯沢からはスキー場が点在している。上越国境を抜けてから黒雲が空を支配し始めた。
リゾート施設が多くなってくると上越国際スキー場前へ。雪はあまり積もってはいないようだ。
次第に車窓は田園に変わり、ただっ広い中をのんびりとひた走る。

北越急行と接続する六日町から先は住宅が乱立する近郊街だ。
ここに来て、予報通り雨が降り始めた。


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上越新幹線の線路が近づいてくると、列車は浦佐へ着く。
雨足が強まってきた。青空もすっかり鉛色だ。「日本海側へ来た」って感じがする。

只見線と分かつ小出で乗客が入れ替わる。終点まで30分をきった。
終点近くでも相変わらず山が間近に迫り、トンネルも抜けるから意外。
越後川口からは高度の高いところを走り、左手に蛇行する信濃川が見えた。


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近郊街の中を抜け、上越線は信越本線と合流する。
雪も見当たらなくなってきたところで、列車は終点の長岡へ到着した。
関東側は晴れていたのに日本海側は天気が悪いらしい。冷たい雨が降っている。

正直、上越線がこんな風光明媚な路線だとは思わなかった。絶景車窓の連続。
その素晴らしさを純粋な鈍行で体験できたことに有り難みを感じた。



・信越本線 (快速) [長岡~新津]
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長岡からは信越本線で新津を目指す。10時27分にやってきた新潟行きは三両編成の快速列車だ。
北陸新幹線開業前に走ってた豪華快速「くびき野」の代替なのは間違いない。
くびき野と同じ特急車にしなかったのは、新設特急「しらゆき」に対する格差付けと考えていいだろう。
どちらも特急車にしちまったら、絶対みんなこの快速を利用するだろうし。

のっぺりした平地を進むこの区間、列車は汽笛を鳴らしながらかっ飛ばして走る。
列記とした幹線だから結構な速度だ。車内は平日の午前中とは思えない混雑振りである。




雨降りしきる中を突っ走り、新津到着は11時12分。ここで列車を降りた。
駅構内にSLをフィーチャーしたステンドグラスがある。東口には鉄道資料館的な施設もあり、
至るところに"鉄道LOVE"を感じる駅だ。新津は"鉄道アイドル"も輩出したという。なんか色々とパネエな。

駅周辺を探索しようとしたがコレといったものがなく、雨も降ってるので駅前のコンビニに落ち着く。
新津駅前のデイリーには憩いのスペース(?)が設けられていたので、そこで弁当を食べることに。
ここから先は昼食を取れる時間がないので、今のうちに腹ごしらえしておく必要があった。


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新津駅は広大で、磐越西線の終点であり羽越本線の起点でもある。車庫に停まってるのは気動車ばかりだ。
ここから今度は羽越本線で日本海へ出ようと思う。羽越本線の道のりは意外と長く、
終点の秋田到着時には日が暮れてるはずだ。

適当に時間を潰した後、私は12時12分に発する新発田行きの鈍行を待った。
次回、羽越本線に乗って日本海沿いを北上し、終点秋田へ向かう!

2016/01/12 | 日本海北上紀行

羽越本線を辿って

「日本海北上紀行 1日目 (新津~新発田~村上~酒田~秋田)」

[2016/1/5]

高崎から上越線で新潟へやってきた私は、正午前に鉄道要衝の新津へ到達した。
新津は羽越本線の起点だ。ここから同線を終点まで辿って、日本海沿いを北上したいと思う。

全長271.7kmに及ぶ羽越本線を通しで走る鈍行は存在せず、運行系統が完全に分断されている。
例外的な直通列車もあるが、デフォの運行系統で乗り通す場合は計4回の乗り継ぎが必要だ。
「新津~新発田→新発田~村上→村上~酒田→酒田~秋田」の順で、列車を乗り継いでいこう。


・羽越本線 [新津~新発田]
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新津~秋田へ結ぶ羽越本線は、日本海縦貫線の一角を担う重要幹線だ。
新潟~山形~秋田の三県を貫く路線で、建設は三県ごとに進められたことで知られる。
各県が線路を延ばし、県境を繋げて全通したのが1924年。他の幹線と比べると歴史は割と新しい。

羽越本線の中でも、新津~新発田間は取り残されたような閑散区間となっている。
白新線が新発田以北の羽越本線と一体になった運行形態を取っていて、主要ルートを形成してるからだ。
白新線経由の列車が乗り入れる新発田以北と比べると、この区間の列車は著しく少ない。

12時12分発の新発田行きは、定刻から20分ほど前にホームへ入ってきた。
本線とは名ばかりの単行気動車。当区間は電化されてるが、諸事情あって鈍行に限っては気動車が使われている。
羽越本線というと華やかなイメージがあったが、完全に寂れたローカル線の趣だ。
定刻が来ると、ディーゼルエンジンを唸らせて新津を出た。


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新津を出ると、まずはただっ広い田園を行く。見渡す限り、田園。
阿賀野川を渡ると人家が増えてきて京ヶ瀬に到着。水原では地元客がドッと降りていった。

水原を出、ガラガラになった列車は再び田園を突き進む。
新潟まで来ると地元の人の喋り方に訛りを感じるようになってきた。
津軽の方ほど訛ってはいないが、やっぱり東京人とは抑揚が違うようだ。


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ポツポツ人家が点在する田園を単行の気動車がひた走る。
ガラガラ唸る気動車はやかましい存在かもしれないが、私は気動車のワイルドな走りが好きだ。

この区間の車窓は至って素朴で平凡のようだ。
過去の栄光が其処かしこに残っていて、単行列車に対しホームはやたらと長い。
以前秋田から「あけぼの」に乗ったとき、夜中起きて眺めてた車窓がこの区間だった気がする。


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12時40分、列車は終点の新発田へ到着。たった30分弱の道のりであった。
実はここから先、鈍行の接続が良くない。次に来る村上行きは二時間近く後だ。
てことでやむを得ない手段だが、新発田から村上までは特急に乗って進んでしまおう。




「きらきらうえつ」も停車する新発田(しばた)は、羽越本線と白新線が乗り入れている。
旅出発まで、私はこの駅を「しんほった」と呼んでいた。漢字は難しくないくせに難読だ。
他にも「にいほった」とか「あらはつでん」とか珍回答が続出しそうな、独特の難読レベル。

「あんた今どこにいんの?しんはつでん?しんはつでんね!」「ちょっと待って、ここあらほっただよあらほった!」
珍回答で日常会話を妄想したらちょっと吹き出してしまった。普通に面白い。ウププ!



・羽越本線 (いなほ5号) [新発田~村上]
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新津~新発田間は完全にローカル線だったが、羽越本線の本領が発揮されるのは白新線と接続する新発田以北だ。
新潟発着の通勤列車や秋田方面へ向かう特急の他、米坂線の直通列車が入り混じる区間で、
羽越本線の中で最も繁華な区間である。列車の本数も新津~新発田間と比べると倍以上あるようだ。

新発田駅で待つこと10分ぐらいして、12時55分発のいなほ5号がやってきた。
全区間鈍行で乗り通したかったが、日が暮れるまで出来る限り先へ行きたいので、
ここばかりは特急に縋ろう。村上からまた鈍行に乗って北上すればいい。

いなほ5号は7両編成で、そのうち自由席車は後方の二両にあった。
新発田~村上間を自由席で行く場合は、普通運賃合わせて1090円が必要。
そういえばこの特急車、常磐線で走ってたやつだ。外観がちょっとオサレになってるじゃないか。


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車内は満席状態。乗り心地は快適でさっきの気動車とは比べ物にならない。
鈍行の質素な座り心地に慣れちゃってたのか、フワフワした座席が心地よくて眠り込んでしまう。
写真も一枚しか残ってない。出発前日バタバタしてたから瞼が重くて、特急の甘美な誘惑に負けまみた……

相変わらずの田園と近郊街を抜け、ハッとして眼が覚めると列車は村上に停車していた。
発車する間際、急ぎ足で列車を降りる。危ない、危ない。


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「大丈夫ですか??」「ハイ大丈夫です、すいませんでした!」

ドアが閉まるとほぼ同時に降り立った。
そして、超ギリギリで降りた私を労ってくれた車掌がグッジョブ過ぎた!
雪を浴びながら一人いなほ号を見送る。グッジョブ車掌の大いなる背中、しかと見届けたぞ。



・羽越本線 [村上~酒田]
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村上駅2番線に、13時35分発の酒田行きが停まっている。二両編成の国鉄気動車だ。
羽越本線は村上から先で電化方式が直流から交流へ変わるが、双方に対応した車両を用意できない事情から、
この区間の鈍行も例外を除き全て気動車で運行されている。列車の本数も極めて限られているようだ。

これまでは素朴な平野の中だったが、村上から先で羽越本線は日本海スレスレに出る。
景勝地や海水浴場が点在する区間で、日本海縦貫線の中でも最大の見せ所といえる。
風光明媚な景色とは裏腹に運行概況は厳しく、天気が荒れがちな冬は運休が頻発するという。

湿っぽい雪が降る中、列車はエンジンを唸らせて村上を発車した。
村上を出、三面川を渡り、隧道を抜ける。すると左手に現れるのは、荒々しい日本海だ。


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枯れきった日本海横手に国鉄気動車が行く。それもドコドコ唸りながらゆっくり走っていく。
ただそれだけなのに素晴らしいって思うのは俺だけか??
特急では味わえない旅の感覚だ。




日本海沿いをひたすら走って、今川では数分停車。対向から貨物列車が走り去っていった。
この辺り(桑川~越後寒川)は「笹川流れ」と呼ばれる景勝地が連なっていて、奇岩や絶壁が点在している。
羽越本線からでもその絶景を拝むことは可能で、「きらきらうえつ」が名物としてるのもここだろう。


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今川からも相変わらず日本海の脇を行くが、間もなくして笹川流れの絶景は途切れた。
村上で降っていた雪は、何時の間にか雨に変わっていた。


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深刻な眠気不足で再び眠くなってきてしまう。席を立って凌ごうとするがあまり効果なし。
大学入試直前、眠気を吹っ飛ばすために冷水ぶっかけたり頬を引っぱたいていたのを思い出す。
その場でやってみようと思ったが、やめた。公衆の面前でやれば変人マゾ確定だ。

あつみ温泉で列車は数分停車。僅かな観光客が乗り込んでくる。
車内はご覧の通りガラガラで、ボックスシートに一人一人居座ってる感じ。




延々と日本海沿いを走ってきたが、三瀬を境に羽越本線は内陸へ戻った。
ここから酒田までは平坦な景色が続くようだ。
日は既に暮れかけている。


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陸羽西線と合流すると、間もなく終点の酒田へ到着。
乗客を降ろした後、役目を終えた気動車はすぐに走り去っていった。

羽越本線の見所はこの先もあるらしいが、既に真っ暗。
東北の夕暮れは恐ろしいほどに早かった。まだ16時を過ぎたばかりなのに……!
大人しく跨線橋を渡って、ホームのベンチで秋田行きを待つ。



・羽越本線 [酒田~秋田]
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これまで気動車の区間が大半を占めたが、酒田から先で羽越本線の鈍行はようやく電車のみとなる。
全線通し鈍行の本数は1日9~10本で、新潟からやってくる特急も3本しかなくなる。
効率の良い接続も特に考えられてない。乗り継ぐ際は注意が必要だ。

16時31分発の秋田行きは二両編成のステンレス電車。座席はロングシートしかない。
定刻が来ると酒田を出て、日暮れの中をアクセル全開でかっ飛ばしていく。
由利鉄と接続する羽後本荘で学生が大勢乗り込んでくる。
乗り場に萌えラッピングの気動車が停まっていた。


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秋田、到達!!

18時20分、尻が痛くなってきた頃に終点秋田へ着いた。
若干強行軍となったが、コレで羽越本線は完乗。思った以上に長い道のりだった。
列車を降りた後はすぐに宿へ。出発前の疲労が残ってるので、今日のうちに十分な休息を取る必要があった。

今日乗り通して思ったのは、羽越本線は想像以上に鈍行の乗り継ぎが不便だってことだ。
行程を立てるのに手間がかかったし、一日のうちに効率良く乗り継ぐパターンは限られている。
新津~酒田間でデフォの運行系統を無視した直通列車(1日2本)を活用するのが、無難な攻略法かもしれない。


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日照時間が日本一短い都市、秋田。秋田美人説の根源は、多湿な気候と日照時間の短さから来てるらしい。
駅を出ると近くに美味そうなラーメン屋があったので、そこで腹ごしらえ。
たらふく食べた後、事前に予約してある宿へ向かった。

明日は五能線を突破した後、津軽鉄道に訪れる予定だ。五能線は数年前に乗り通していたが、
鉄道旅として中途半端に終わってしまったため、今回リベンジの計画を立てた。
リゾートしらかみが走らない日の五能線は、全線突破することも困難な超ローカル線と化すが、
秋田側から行く場合、全線通しで行ってくれる鈍行が一本だけある。コレに乗ることが明朝の絶対目標だ。

国鉄気動車が残ってるうちにやっときたかった"五能線リベンジ"!宿到着後は速攻で就寝した。
次回、東能代から五能線の鈍行に乗って、実質終点の弘前へ向かう!

2016/01/18 | 日本海北上紀行

五能線の旅

「日本海北上紀行 2日目 (秋田~東能代~深浦~鰺ケ沢~弘前)」

[2016/1/6]

早朝4時、私は取り付かれたように起床した。外はまだ真っ暗だ。
昨日すぐ眠りについたのが功を奏したのか、体力は十分に回復している。
天気も良好。奥羽本線の一番列車に乗るべく、さっさと支度を済まして宿を出た。

昨日がほぼ徹夜で4時起き、今日が4時半起きで、明日がはまなすの中で5時起きになると思う。
健康どころか寿命が縮みそうな起床時間の早さだ。俺は田舎の農夫か!
しかし秋田までやって来て後退は有り得ない。鈍行旅は前進あるのみだ。



「五能線全区間(東能代~川部)」

列車を一本でも乗り遅れたら旅程が破綻する。普段10分おきで来る千葉の電車とはここはワケが違う。
本数が極端に限られるローカル線は、のんびりした風情とは裏腹に旅程破綻の恐怖と隣りあわせである。
これから行く五能線なんて正にそうだ。朝の列車を一本乗り遅れたら日中のうちに終点まで行けない。
途中下車も困難。下車駅によっては8時間近くその場で取り残され速攻で試合しゅーりょー!だ。

7時37分発の東能代発弘前行きに乗る。コレが、今日五能線に突入する私の至上命題である。
宿を出てすぐ秋田駅へ。早朝の秋田駅はガラガラで店も開いていない。
1番線でピンクの電車が出発を待っていた。



・奥羽本線 [秋田~東能代]
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5時33分発の弘前行きは、秋田から青森方面へ向かう奥羽本線の一番列車だ。
実はこの一番列車の後でも五能線の列車には間に合うが、出来る限り早く現地へ行ってしまおうと考えた。
問題となるのが食料の確保だが、東能代で売店が早朝から開いてるらしく、そこで何とかすればいいと判断。

外はまだ真っ暗で何も見えない。僅かな乗客を乗せて、列車は東能代へ到着する。
下調べ通りキオ○クがあったので食料を調達。コレで下準備は整った。


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駅前をフラフラしていると陽が上がってきた。陰影深い夜明けだ。
気温は0度前後くらいで冬の北東北に来たことを実感する。
北国の寒さや積雪は、東京人にとって旅を実感できる一要素だと思う。


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列車の時間が近づいてきたので、五能線の乗り場へ移動。
五能線は鉄オタだけでなく観光客にも人気があり、観光誘致の訴求が沢山貼ってある。
ホーム待合室には列車の本物の運転台が設置されていた。
ガチな仕様でボタンを押せば警笛も鳴る本格派。子供の暇つぶしにはうってつけの代物かも。

20分ぐらい前になるとアナウンスが入り、3番線に年季の入った気動車がやってくる。
4時間半に及ぶ五能線全線通し鈍行の旅が、今始まる。



・五能線 [東能代~弘前]
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本州最北の絶景ローカル線、五能線。日本海沿いをひた走るこの路線の歴史は1908年まで遡る。
当時、東能代から能代の中心街を結ぶために敷設された奥羽本線の支線「能代線」と、
青森側で川部から五所川原まで線路を延ばしていた「陸奥鉄道」。この両路線を延ばして繋げる呈で五能線は建設された。
延伸工事を進め、私鉄区間を買収し、全通に至ったのが1936年。国鉄五能線(東能代~川部)が誕生する。

五能線は絶景路線として圧倒的な人気を獲得していて、夏になると観光列車リゾートしらかみが毎日運行されている。
リゾートしらかみは全車指定席の快速列車で、指定席券が速攻で売り切れるほどの人気を誇っているが、
私が乗りたかったのはリゾートしらかみではなく、本数の極めて少ない鈍行であった。

五能線の鈍行は深浦を境に運行系統が分断されていて、多くの列車が当駅を起終点としている。
「じゃあ全線を走りきる鈍行なんてないんじゃ……??」と鷹をくくっていたのだが、
時刻表をよく見ると下り列車だけ一本だけ存在していた。(上り列車は本当に一本もない)
7時37分に東能代を出て五能線経由で弘前へ向かう全線通しの鈍行。
途中の深浦で列車番号こそ変われど、この列車こそ五能線を完走する唯一の鈍行である。




3両編成の国鉄気動車だが、後側一両に限っては途中から回送扱いになるようだ。
ガラガラの車内で待っていると奥羽本線からの乗り継ぎ客がドッと入ってきた。
地元の学生で埋め尽くされ、あっという間に満席状態に。

定刻がくると、ディーゼルエンジンを唸らせて東能代を発車した。
能代に着くと学生が降りていき、私含めて数人の"鉄"を残すのみとなった。


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能代は栄える町の駅といった雰囲気だったが、能代から先で一気に寂れてきた。
東能代~能代間だけ本数が多いのは、それなりのワケがあるようだ。
北能代を出ると広大な田園をのっそり進む。
天気は穏やかな方だが風が強く、窓の隙間から寒風が入ってくる。

さっきの通学列車の喧騒が嘘のようだ。列車のエンジンと線路の音だけが淡々と響く。
沢目を過ぎ東八森を出たところで、五能線は田園を抜けて日本海に出る。
ここから先延々と続く絶景車窓のお出ましだ。


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出発から数十分しか経ってないのに、早くも海沿いに出た五能線。
ずっと海沿いだが車窓は変化に富む。左手には日本海が、右手には白神山地が聳える。


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観光施設を有するあきた白神を過ぎると、列車は岩館に到着。行き違いのため8分停車する。
対向から気動車がやってくると、すぐに発車。岩館から先は青森県だ。

五能線の車窓ハイライトはまだ先だが、この辺でも存分に見応えある景色が広がっている。
ゴツゴツした岩肌に波飛沫が舞う。波打ち際を飛び交うのはウミネコの群れだ。
県境を越えると、短い隧道を潜って浜辺の横を抜けていく。




計43の駅を有する五能線だが、途中で乗ってくる地元客は皆無。車内はテツしかいないじゃないだろか……
晴れてるのに雪がチラチラ降っている。青森の方では雪が積もってるのだろう。

十二湖でようやく旅行客が乗り込んできた。二人だけだけど。


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今朝の天候は穏やかだが移り変わりが激しく、晴れとも曇りともいえぬ妖艶な空模様。
この辺りは、左手から白神山地を眺められる地点があるようだ。

……陸奥岩崎を出てすぐのところだったと思う。ふと窓から後方を振り返ると、
雲の隙間から陽の光が差し込んでくるのが見えた。すると徐々に遠方が明るくなってきて、
白神山地をバックに、「光芒」と呼ばれる光の筋が海面を照らし始めた。



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・・・すげえ。(ライブのスポットライトみたい)

これがランキング一位のローカル線が見せる、素晴らしい絶景だってのか。
今にも光の中から神が降臨しそうだ。

突然現れた光芒は、生きてるかのように収束して、一本の太い筋になった。





神懸りの景色を横目に鈍行は走り続ける。言葉にならない美しさに車内で一人息を呑む。
光芒は日本海側でよく見られる現象らしいが、こんなに極端な光の筋を見たのは初めてだし、
白神山地をバックに現れるというシチュエーションが、私を大いに興奮させた。

光芒は神の如く収束した後、白神山地を包み込むように拡散し広がっていった。



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白神山地を拝める地点を過ぎると、観光施設が隣接するウェスパ椿山へ着く。
ホームのすぐ横に野外ステージが設けられているが、今は人っ子一人いない。
ウェスパ椿山からは海のそばを離れ、高度の高いところをノロノロ走る。



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大きい集落へ入ると隧道を潜り、拠点駅の深浦へ到着した。
深浦では数分ほど停車。五能線の中間地点といえる駅だ。

ここから先、五能線は超閑散区間へ突入する。深浦~鰺ケ沢間を走る鈍行は1日5本しか存在せず、
下り列車については日中8時間近く列車が来ない時間帯がある。今乗ってる全線通しの鈍行を逃すと、
日没まで一本も列車が来ない。数時間ならまだしも8時間待つとか絶対無理だからw




深浦を出ると、列車は日本海スレスレに出た。五能線最大の見せ所だ。
浜辺スレスレを律儀に辿って、今にも波が降りかかりそうな海岸線を行く。

深浦から広戸にかけては、奇岩が迫る行合崎海岸を通る。
以前乗ったときも車窓が印象に残っていて、すかさずカメラで撮った記憶がある。
鈍行だと一瞬で通過するが、ゴツゴツした岩肌は想像以上のインパクトを与えると思う。


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行合崎海岸を過ぎると、列車は広戸に着く。ここは海スレスレの駅だ。
広戸を出て一旦海を離れると小さな集落があって、そこにポツンとある駅が追良瀬である。

再び海岸線に戻り、驫木で地元客が一人だけ乗り込んできた。


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小さな集落に入ると駅に停まり、駅を出ると海沿いをひた走る。それが五能線の日常なのだ。
窓から手を伸ばせば届きそうな波飛沫の中を、ウミネコの群れが舞う。
外から波の砕け散る音と、ウミネコの鳴き声が聞こえてくる。

しかし、今日の天気は本当に気紛れだ。雲の隙間から光が差してきたと思ったら青空が広がり、
風が強く吹き始めると晴れなのに雪が降り出したりして、全く先が読めない。
関東平野が平和すぎる場所なんだと思い知った。




閑散地帯を抜けて奇妙な岩棚が見えてくると、観光で有名な千畳敷へ到着。
千畳敷は駅からすぐのところにあるが、列車の窓から見るのはちょっとキツイ。
200年前の地震で隆起したといわれる海岸段丘が広がっている。

千畳敷からも国道とともに海沿いを走り、北金ケ沢で数分停車。
ずっとガラガラの状態が続いていたが少しずつ乗客が増えてきた。


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次第に人家が多くなり、列車は延々と走っていた日本海を離れた。
山の中を抜けると拠点駅の鰺ケ沢へ到着。
ここでは20分ほど停車する。気づけば辺り一面雪景色だ。

寒いので、自販で暖かいお茶を飲む。鰺ケ沢の近くには"わさお"がいるらしいが、
駅から徒歩で行くには距離的に無理があった。ブサかわいい顔見てみたかったなー。


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鰺ケ沢からは日本海を離れ、ただっ広い津軽平野を抜けていく。
何処までも真っ平らな平野を走り、津軽鉄道と接続する五所川原で乗客がドッと増えた。

次に訪れるのが津軽鉄道なので、五所川原で降りて津軽鉄道に乗り継いでもよかったが、
五能線の完乗を最優先したいし、途中で降りると中途半端になるので終点まで乗り通すことに。
そこはまだ"乗り鉄の意地"が残ってるんだよね、俺。(当初の計画では五所川原で列車を降りる予定でした)
即日でも、思いつきでいくらでも行先を変えられるのはフリー切符のいいところだ。


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何時の間にか天気は回復していて、澄み渡るような青空が広がった。真っ白な雪が一面降り積もっている。
りんご畑の中を走ると、林崎へ。りんご畑にポツンと佇む無人駅だ。

藤崎を過ぎると、列車は五能線の終点となる川部に到着。
東能代から147.2kmの道のりにピリオドを打ったわけだが、五能線の鈍行は弘前まで直通するので、
どうせなら最後の最後まで乗り通してしまおう。

川部で列車は進行方向を変え、奥羽本線に入って弘前へ向かう。



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弘前、到達!!

12時09分、五能線の鈍行は終点弘前へ到着した。
起点から4時間半に及ぶ道のりだったが、随所で長時間停車してくれたこともあって、
充実した鈍行旅が出来たと思う。不安要素だった天候も比較的穏やかだったのが良かった!

正直、ここまで完璧に行くとは思ってなかった。列車の遅延も全くなかったし。
あと今日の五能線は天候が神懸っていた。白神山地をバックに光芒拝めたのが最大のハイライト。
車窓で思いっきりデレてくれた気がする。"ツンデレ五能線"とでも呼ぼうか。本数はツン、車窓はデレデレ。


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奥羽本線と弘南鉄道が乗り入れる弘前は青森県三大都市の一角だ。
せっかく来たのはいいが、一時間後の列車で五所川原へ戻るので駅から離れることは出来ない。
取り敢えず、駅中の蕎麦屋で腹ごしらえをすることに。
厨房のおばちゃんがモロ津軽弁で喋ってて、本州最北まで来たんだと実感。

蕎麦を食した後、キリのいいところで五能線の上り列車に乗り込んだ。
次回、五所川原から津軽鉄道に乗って津軽中里へ向かう!

2016/01/25 | 日本海北上紀行


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