鈍行列車一人旅

よく電車とバスに乗って旅してます。鉄分多めの旅ネタが主。
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三陸リアス海岸を行く

「三陸縦断作戦 2日目 (気仙沼~盛~釜石~岩手船越~宮古)」

[2015/4/8]

早朝6時半、私は真新しい気仙沼のビジネスホテルで起床した。
念のため二つセットしておいた自前の目覚ましに叩き起こされ、至上の朝を迎える。
早々に身支度を済ませ、チェックアウトし宿を出る。天気は雲が多いが、後に晴れそうな様子だ。

7時36分発の大船渡線の盛行きBRTに乗るため、足早に路上を歩き気仙沼駅へと向かった。


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ここ気仙沼は鉄道(大船渡線)とBRTが乗り入れており、鉄路とBRT専用道が並ぶ不思議な光景を見ることができる。
今通過していったのは、内陸側から来た大船渡線の鈍行だ。同線は気仙沼まで鉄路が生きているのである。
しかしこれから私が乗車するのは、気仙沼から先の鉄路断絶区間なのだ。

発車10分前に気仙沼駅へ到達。駅構内で待っているほとんどの乗客は年輩の古老である。
間もなく盛行きのBRTがやって来たので、意気揚々と一人乗り場へ向かう。
本州最北端終着駅、大湊までおよそ12時間の道のりだ。


(めっちゃ寝不足だけど)本州最北へ、いざ行かん!



・大船渡線 (BRT) [気仙沼~盛]
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地元有力者のわがままによって線路がぐにゃぐにゃ曲がってしまった大船渡線は、「ドラゴンレール」の愛称で知られる。
内陸側の起点一ノ関から気仙沼までは鉄路が生きているが、気仙沼から先の三陸縦貫線区間は現状BRTでの運行となる。
昨日乗った気仙沼線のBRT区間と同様、鉄路全線復旧の見通しは未だ立っていない。

BRTは「バス・ラピッド・トランジット」の略で、バス車両を基盤に高速輸送を行う新交通システムの一種である。
海外では多くの都市(特にラテンアメリカ)で本格導入されているが、日本での導入事例は極めて少ない。
車両は一般的な路線バス形だが、BRTと分かるように車両前面には専用のステッカーが貼られている。

7時36分、盛行きのBRTが定刻通り発車した。気仙沼から盛までは一時間半かかる。
復興進む気仙沼の市街地を抜けると、BRTは一般道へ出た。この区間は専用道よりも一般道の比率が高いという。
登り勾配をエンジンを唸らせて登りきり、長い長いトンネルを抜けると湾岸沿いに県境(宮城~岩手)を抜け、岩手の地へ入る。


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上り坂と下り坂を繰り返しながら進むと、右手に眺望の良い風景が広がる。三陸リアス海岸のお出ましだ。
道中には「過去の津波浸水区間ここまで」と書かれた標識を何度も見かけた。
そしてその標識がある地点は、想像以上に高い場所であった。


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気仙川を渡り土砂が整然と並ぶ更地へ入ると、「奇跡の一本松」駅へ到着する。
車窓からは確認できなかったが、この近くには津波に唯一流されなかった松の木があるのだという。
辺りは、土砂を運ぶためのベルトコンベア群が立ち並ぶ。この辺りの土地を効率よく嵩上げするための施設である。


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かつては市街地だったのであろうその土地は、今は何もない。全て津波に流されてしまったのだ。
僅かな地元住民が長閑に話している中、私は後方の座席で一人呆然としてその光景を見た。
普段TVで報道されるものとは明らかに違う現状に、厳しい現実を感じる。

土砂の仮置き場地帯を過ぎ山麓の集落へ差し掛かると、BRTは陸前高田へ到着。ここで乗客が数人乗り込んでくる。
一旦元来た山道を戻り、BRTは別の道を進行。高田高校前で、地元の学生達がドッと降りていった。
再び山の中へ入ると、嘘みたいに急な上り坂と下り坂を繰り返して山を越える。


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起点の気仙沼すぐ側からずーっと一般道を進んできたが、小友手前でBRTはようやく専用道に突入する。
震災前は鉄道が通っていた古い隧道を抜け、門ノ浜湾すぐ側の崖っぷちを突き進む。
やがて細浦を過ぎると、BRTは海岸線真っ只中に敷かれた専用道を延々とひた走っていく。

この区間(細浦~下船渡)の車窓はなかなか見ものであり、大船渡線BRT最大のハイライトといえるだろう。
湾内へ入っていくと大船渡手前でBRTは市街地へ入り、間もなく終点の盛へ到着となった。


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盛も気仙沼と同じく鉄路とBRTの専用道が同時に並んでいて、ここでしか見られない独特の光景を呈している。
計3つの乗り場があり、1・2番線には大船渡線のBRTが、3番線には三陸鉄道の列車が発着するようだ。
ホーム奥には三陸鉄道の車両基地があり、観光イベント用列車の姿もあった。

盛からは、ようやく三陸鉄道である。東京から鈍行で来たかいがあったってもんだ!
誰もいない鉄道・BRT共用ホームで、私は9時13分発の釜石行き鈍行を待った。



・三陸鉄道 南リアス線 [盛~釜石]
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三陸鉄道は北リアス線と南リアス線の二路線に分かれているが、これから乗るのは南リアス線だ。
この路線は元々、国鉄盛線として1970年に一部区間が開業したのが全ての大元である。
一部区間開業後も着々と工事が進行し最終的に全通するはずの盛線であったが、
1980年に制定された国鉄再建法により、同線は廃止の対象に指定され延伸工事を中止してしまう。

しかし後すぐに、廃止される運命だった盛線は第三セクターの三陸鉄道が引き継ぐこととなった。
延伸工事も三陸鉄道が引き継ぎ、やがて1984年、三セク転換と同時に盛線もとい南リアス線は全通する。
全通すると同時に三セク転換された珍しい路線であり、また日本の第三セクターとして最も歴史の古い路線なのだ。


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今回乗車する車両は、三鉄の中で最も新しい36-700形。クウェートからの支援によって導入が実現した新型車だ。
この新型車に乗り込んで何より驚いたのは、ボックスシートの一つ一つに立派なテーブルが設けられていたことだ。
一見ありふれたワンマン気動車だが、中身はちゃっかり豪華絢爛。テーブル付は鈍行旅行者には有り難い!




9時13分、南リアス線の釜石行き鈍行は定刻通り発車した。大船渡の街を出ると、列車はさっそく長大トンネルに入る。
盛からしばらくは深い山の中。南リアス線の線路が敷かれてるところは、正に三陸リアス地帯真っ只中である。
綾里(りょうり)という雅な名の駅を過ぎると、トンネルとトンネルの間にリアス海岸が見え始めた。


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「恋し浜」というカップル歓喜の駅で、二分停車となる。ここは随分と眺望の良い駅だ。
この駅は元々ここ一帯の地名である「小石浜」という名を与えられていたようだが、
数年前に地元のホタテブランドに因んで「恋し浜」へ変更したらしい。

鉄男一人がこの駅に降り立つのは、何だか目に見えない精神的苦痛を感じたりもするのだが(アーイタタタタ!)、
状況的に恐らく観光目的を考慮しての停車だと思われるので、ネタ収集のために有り難く探索させて頂こうか!


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恋し浜の駅名標には、駅開業当時に地元民が詠った短歌がフィーチャーされている。
あともう一つ気になったのが、駅待合室に掲出されている「鉄道ダンシ」の支援広告だ。
「鉄道むすめ」は既に銚子電鉄乗ったときに知り得ているのだが、どうやら男版もあったらしい。

これは(二次元寄りの)女性客は歓喜なんじゃないか?そんなことないか??(笑)
俺は、どっちも見事に似てないな。仮に三次元でイケメンの「鉄」がいるのなら、その顔を是非見てみたいものだ。


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恋し浜から列車はギザギザしたリアス海岸の根元に沿って進むが、半分以上がトンネルの中だ。
震災以降新たに敷かれた線路は、三鉄の象徴たる風景として観光パンフレットなどでもよく取り上げられている。
こうして実際に現場を眼にするのと写真でみるのとでは、やはり得る実感というかリアリティが大きく違うなと思う。


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三陸でも列車交換で二分停車。終点が近くに迫ってきても、眺望の良いところを抜けていく。
絶景区間で徐行しているのは気のせいだろうか。まさかそんなことはないと思うが。
長大トンネルを何度も抜けるうちに、天気がうっすらとだが回復してきた。

幾多の湾岸を突き抜けやがて釜石の市街へ入ると、列車はダイナミックなトラス橋を渡っていく。


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10時05分、南リアス線の鈍行は定刻通り終点の釜石へ到着する。
盛からの乗客は2人のみであった。全線運賃1080円を支払い、そそくさと列車を降り改札へ向かう。

「乗り換えですか~!?」
「あっすいません、バスなので大丈夫です!」


間もなく発車するらしい釜石線の鈍行へ乗り継ぐ客だと思われたのか、わざわざ声をかけてくれた。
そして改札へ辿り着くと、駅員の人がわざわざ一人一人お辞儀して出迎えてくれたのである。
さすが、三陸鉄道だ!温かさの度合が、他の大手鉄道会社とは明らかに違うぞ!

釜石は「SL銀河」の終着駅なので、SLに乗りに来るときにまた来るだろう(数年後になりそうだが………)。
改札前に設けられた鉄道模型群と巨大なジオラマに、三陸鉄道の大いなる熱意を感じた。


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釜石は内陸側から通じている釜石線と南リアス線が乗り入れており、駅舎はそれぞれ独立して建っている。
駅前には「鉄のモニュメント」と称した記念碑(画像右)があった。一瞬、我々「鉄」のモニュメントかと思ったが(笑)、
ここの鉄は、紛れもなく製鉄の方の「鉄」である。釜石は日本最古の製鉄所を有する町なのだ。
ちなみに、その日本最古の製鉄所(新日鐵住金釜石製鐵所)は駅前すぐのところにある。

釜石からは鉄道どころかBRTすらも無い不通区間となり、地元の路線バスを二本乗り継いで進んで行くことになる。
まずは、岩手県交通の長距離バスに乗らなければならない。

駅前道路沿いのバス停で、私は10時36分発の道の駅やまだ行きバスを待った。



・岩手県交通 釜石船越線 [釜石駅前~船越駅前]
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岩手県交通「釜石船越線」は始発の上大畑から釜石駅を経由し、船越駅付近にある道の駅やまだまでを結んでいる。
この長距離バス路線は元々「浪板線」という路線で、上大畑から山田線の浪坂海岸駅前までを結んでいたが、
震災後は鉄道代替として機能することとなり、運行区間が浪坂から道の駅やまだまで延長された。
名も新たに「釜石船越線」と改められ、道の駅やまだから宮古へ向かう岩手県北バス「宮古船越線」とともに、
山田線不通区間(釜石~宮古)を突破するための唯一ルートを形成している。

ちなみにJRの代行バスが用意されてないのは、運行するべき区間に既に地元の路線バスが走ってたからであり、
めんどくさいから走らせな~いというJR側の怠慢ではない。JRはあくまで地元会社と強調する姿勢をとっているのだ。
個人的にはJRの代行バスよりも、古き良き地元の路線バスの方が味があって好きだ。利益も地元会社に回るから尚更良し。

道の駅やまだ行きバスは、定刻から数分遅れてやって来た。車両は東京人にとって懐かしのツーステップ車だ。
運賃は650円。車内の座席は満席ギリギリで埋まりきっている。需要は結構あるようだ。


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バスは発車して間もなく国道45号に入り、全長1350mに及ぶ鳥谷坂トンネルを抜ける。
トンネルを抜けると、水海海岸先で海が間近に現れる。両石湾だ。
海面が絵に描いたように青く澄み渡っているのが印象的だ。


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不通状態の山田線の線路と交差し、山々の間を抜けると土砂が積まれた更地に入った。
道中は山田線の線路と並行する場所が多いが、その多くの箇所で線路や橋桁が消失してしまっている。
錆びれた線路が露骨に途絶えているのを見るのは「鉄」には痛々しいかもしれんが、これが被災路線の現状なのだ。

釜石から車内は八割方埋まっていたが、鵜住居少し先のマスト前で乗客がガラッと入れ替わる。
見た感じ恐らく、ここは復興拠点なのだろう。大きなスーパーの駐車場内に直結してバス停が設置されていた。


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マスト前を発し大槌町を過ぎると、バスは再び深い山の中へ入る。
この路線のかつての終点だった浪坂からは高度が著しく上がり、崖っぷちの横をひた走っていく。

右の地形図を見れば容易にわかってもらえると思うのだが、この区間、陸側と海側の間に平板な土地が一切存在しない。
陸が海へ突き刺さるところ真っ只中に道路が敷かれており、勾配も非常に激しい。
ちょっとしたスリルすら感じられる(若干酔ったけど………)。


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リアスの険しい海岸線沿いを抜けると、バスは終点一つ手間の船越駅前へ到着した。
次乗る岩手県北のバスは船越駅前が始発なので、ここで降りても乗り継ぎは可能である。
サイト上では道の駅やまだで乗り継ぐことが推奨されているが、「鉄」を名乗るならここで降りたいところだ。

何せ、船越駅もとい岩手船越駅は「本州最東端の駅」なのだから!
駅自体はバス停から徒歩で30秒程のところにあるので、探索は容易である。
岩手県北のバスが来るまでの空き時間(約20分)を使って、ちょっくら見に行ってみよう。



・岩手船越駅
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「これが、本州最東端の駅である」

………と言ってもなかなか実感が湧かないところであるが(苦笑)、ここ岩手船越は鉄道駅として本州最東端に位置している。
こじんまりとした駅舎はベニヤ板で厳重に封鎖されており、当然の如く駅ホームにも入ることは出来ない。
ホーム上には、お目当ての本州最東端駅であることを示す看板(画像右)があった。


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脇からホームを観察してみる。この駅は幸い津波の被害を受けなかったらしく、線路は綺麗なままで現存していた。
手前にある雑草が生い茂った線路は、かつて行われていた郵便輸送のためのものだという。
本州最東端駅の威厳を保持するためにも、鉄路が早期に復活してほしいと思う。

探索後、バス停に戻って待っていると、道路の向こうから岩手県北の宮古行きバスがやって来た。



・岩手県北バス 宮古船越線 [船越駅前~宮古駅前]
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岩手県北バス「宮古船越線」は、起点となる船越駅前から約一時間かけて終点の宮古駅前へ向かう。
この区間は通称「106急行」という、盛岡を始発終点とする急行バスも直行でやって来るのだが、
これから乗るのは純然たる宮古行きだ。船越~宮古の全線通しで乗る場合、運賃は830円かかる。

今回乗る岩手県北のバス車両は、何と高速バスであった。しかもトイレ付だ。これはすごい!
先ほど乗車した岩手県交通の長距離バスと比べると、設備の充実度は一目瞭然である。
個人的には岩手県交通の古参バスの方が、質素で味があってよかったけど(苦笑)。


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本州最北端駅の岩手船越駅前を発車すると、バスは山田の湾岸に沿って走り市街の中へ。
ここは、奥ゆかしいリアス海岸の風景が展開する最後の区間だったりする。
宮古から先、三陸海岸は段丘に変わりリアスではなくなるのだ。

山田の市街に入ると、バス停間の距離は短くなる。乗降客も多く、発車しては停車するを延々と繰り返す。
市街を出ると、バスは深い山の中へ突入。しばらく進むと、道脇に仮設診療所があった。
診療所を過ぎたところで道は険しい上り坂に差し掛かり、エンジンをガンガンに唸らして峠を越える。


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峠を越えると道は内陸側に入り、山田線と並走しながら進む。石峠を出ると山に挟まれたところをひた走り、津軽石新町へ。
ここは津軽地方じゃないのに「津軽」が付くのが不思議だ。津軽石からすぐ先で、バスは宮古湾沿いに出る。
湾岸沿いを進むと宮古の市街の中へ。商業高校前で地元学生が一斉に降車し、車内は一気にガラガラになった。



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宮古、到達!

12時49分、岩手県北のバスはほぼ定刻通り終点の宮古駅前へ到着した。
全線運賃を支払いバスを降りる。天気の回復は上々で、晴れ間が少しずつ出てきた。
このまま天候が良くなれば、大湊手前の車窓で展開する夕暮れの陸奥湾の絶景を拝めるかもしれない。


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3.11による震災不通区間は宮古までだ。ここから先は、鉄路が断絶することなく続いている。
もう少し晴れてくれれば旅は大成功を迎えるのだが、あとは運を天に任せるしかあるまい。
それに、残る三陸縦貫線の鉄路も馬鹿にならないだろう。

………旅のピークが、少しずつ近づいてきているようだ。車窓は、東京から離れるたび徐々に寂れてきた気がする。
寂れるほど熱くなれるのは、「マイナー&ローカル」を愛す者だけの特権である。
本州最北の地は、一体どんな最果て妙味を見せ付けてくれるのか?実に楽しみだ。


残る道のりは約240km!険しい北三陸の鉄路を制覇し、次回遂に本州最北端終着駅の大湊へ到達する!

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2015/05/01 | 三陸縦断作戦

北三陸と陸奥湾の絶景

「三陸縦断作戦 2日目 (宮古~久慈~八戸~野辺地~大湊)」

[2015/4/8]

「やっと来た、ひたすら鈍行、北三陸」(俳句風に)


一泊二日まるまる鈍行とバスを乗り続け、東京から本州最北へ向かう旅も間もなく佳境を迎える。
寧ろ、今回はここからが本番といっていいだろう。大湊まで残された路線は4路線であるが、
いずれも地図を見る限りでは線路が沿岸沿いに敷かれていて、大変そそられるものがある。


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それに、ここ宮古からはあの北リアス線に乗れるのだ。ご存知、某国民的ドラマの舞台となった路線であるが、
肝心のそのドラマを、私は一度も見たことがなかった。
正直、「じぇじぇじぇ」の意味すら知らない。マジで。

高校時代から既にTV離れしていて、ドラマは毎週見るのが面倒なのが祟って既に5年程見てない。
映画は結構観てるんだけど、ドラマに関しては自分、からっきし弱いんすよ………。


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もう、何も言えねえ・・・(泣)

AKBっていうと、前田○子と大島○子と指原○乃しか知らない。ガチで。
駅舎横に直筆サイン入りボードがあるってことは、メンバーが直々に三鉄を応援しに来たってことなのかな?
真ん中が顔出し撮影用にくり貫いてあるが、俺は恥ずかしいからやらんぞ(笑)。

あまちゃんとAKBの洗礼で超時代錯誤野郎と化した私は、三鉄の駅舎内で久慈行き鈍行の改札を待った。
北リアス線の全線運賃は1850円。発車時刻が近づくと間もなく改札が始まる。



・三陸鉄道 北リアス線 [宮古~久慈]
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三陸鉄道北リアス線は、山田線と接続する宮古から八戸線と繋がる久慈までを結んでいる。
先ほど乗った南リアス線と同じく前身は国鉄であり、昔は宮古線(宮古~田老)と久慈線(普代~久慈)に分かれていた。
どちらも70年代前半~半ばに開業した歴史の短い路線であるが、80年制定の国鉄再建法によって廃止の危機へ追い込まれる。
この危機的状況を救ったのが第三セクターの三陸鉄道であり、全線を引き受けることとなった。

当時、宮古線と久慈線の間は分断されていて、二路線を繋げるための延伸工事が既に行われていたのだが、
この工事も三鉄が全て引き受けることなり、やがて84年、延伸区間含む宮古~久慈間が全通。
同路線は北リアス線として新たに開業を果たし、三陸縦貫線の一部を担っている。

こじんまりとしたホームに停まっていた車両は、三陸鉄道の最古参車36-100形
軽快車多き三セク路線にして、昔ながらの国鉄車に近い重厚な設計で製造された一般型気動車である。
南リアス線の新型車も良かったが、私はこの元祖三鉄車に乗りたかった。やたらとデカイ方向幕が良いっ!


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「ご乗車ありがとうございます。この列車はリアス式海岸を北上する久慈方面行きです」

3.11の被害を受けた北リアス線の復活力は並々でなく、三陸復興の象徴としてたびたび取り沙汰されている。
常に最大限の経営努力を行っており、「あまちゃん効果」もあってか現在は黒字経営だという。
車内は何時の間にか満席状態。ガラガラだった南リアス線とは対照的である。

地形図を見る限り、北リアス線のハイライトは恐らく後半であろう。
リアス海岸真っ只中に敷かれていた南リアス線とは異なり、標高の高い段丘地帯を進んでいくことになる。


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起点の宮古を出ると列車は間もなくトンネルを何回かくぐり抜け、閑散とした山の中へ。
トンネルの長さはかなりのもの。しばらくは山の中を突き進むようで、海はまだまだ見えてこない。

小本(おもと)という変わった名の駅で、乗客が一気に減った。観光拠点なのかもしれない。
島越辺りでようやく海が見えてきたが、チラチラと見えるだけだ。
田野畑からは一旦内陸部に入り、長い長いトンネルを抜けていく。

トンネルとトンネルの間には必ず駅がある。まるで「別世界から別世界」といったように。
深い山々で断絶された集落の一つ一つを結んでいることが、乗っていて分かる。


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「間もなく、長さ176m、高さ30mの大沢橋梁を渡ります」

普代を出、白井海岸を過ぎたところでようやく、北リアス線は最大のハイライト区間に突入する。
撮影名所として有名な「大沢橋梁」だ。ここから眼下に見える港はあまちゃんの舞台にもなったそうだ。
純然たる鈍行なのにも関わらず、橋梁通過時に列車は徐行どころか一時停止。観光案内もちゃんとやるではないか。


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あまちゃん人気は半端なく、ドラマに関する案内が流れると観光客が一斉にカメラで景色を撮り始める。
「ああ!ここが○○が○○した場所なのか!」とか、リアクションしたいところであるが、
私はあまちゃんを一度も見たことがないので、何が何やらわからない(笑)。


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「間もなく、長さ302メートル、高さ33メートルの安家川橋梁を渡ります」

やはりあまちゃんの舞台になったらしい堀内を出てすぐのところで、列車は「安家川橋梁」に差し掛かった。
橋多き北リアス線の中でも一際巨大な橋梁であり、高さもあるため右手には絶景が控える。
大沢橋梁と同様、ここでもたっぷりと一時停止するようだ。

海岸線真っ只中の国道45号の向こうに、険しい北三陸の断崖地帯が見える。
絶景としてだけの評価(あまちゃんブランド関係なく)で言えば、
こちらの方が大沢橋梁よりも眺めが良いように思えた。


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「あまちゃん区間」から先は絶景だらけだ。列車は険しい断崖の上をひた走っていく。
これぞ正に三陸!といった、侘しく長閑な景色が展開。
断崖を降り人家が多くなってくると、一大拠点となる陸中野田へ到着する。


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陸中野田からは海岸線を離れ、素朴な野山の中を進むようだ。車内は地元の学生で賑わっている。
北三陸も震災の爪痕が今なお深く残っていて、車窓から建設途中の堤防も見えた。
山中のちょっとしたピークを過ぎれば、終点の久慈まであと少しである。



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14時50分、北リアス線の鈍行は定刻通り終点の久慈に到着した。
これで、偉大なる三陸鉄道ともお別れだ。久慈からは再びJRの世話になる。
次回訪れるときは恐らく、山田線の不通区間(釜石~宮古)も三鉄に移管されていることだろう。

次に乗る八戸行きの鈍行が発車するのは6分後である。乗り継ぎがややシビアで少し心配していたが、
何のことなく向かい側のJRホームへ移動。八戸線の鈍行も至って空いていたから良かった。



・八戸線 [久慈~八戸]
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八戸線は、三陸鉄道と接続する久慈から青森南部の主要駅である八戸までを結ぶ地方交通線だ。
三陸縦貫線の北端を担う路線であるが、定期で走ってるのは地域輸送に特化した鈍行のみ。
開業は1984年と古い。久慈以南の三陸鉄道とは何と約100年の隔たりがある。

八戸線の鈍行で使われている車両は、全国でもお馴染みのキハ40。白い車体に赤い帯が実に渋い。
ここのキハ40は、俗に言う「魔改造」やワンマン改造、エンジン換装を一切行ってないことで知られる。
外装、内装、音、何もかもが国鉄時代そのまんま。もちろん非冷房。しかも閑散地区にして異例の3両編成。パネェ!

このシチュエーションは、興奮する!関東では滅多に見られない、古き良き国鉄時代の運行風景だ。
以前はタブレットも残ってたらしい。ヤバイなー、正直三鉄より興奮するんだけど(笑)。


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14時56分発の八戸行き鈍行は、閑散とした状態で起点の久慈を発車した。
「ガラガラガラガラ!」と重厚に唸る原形エンジンが、最果て旅情を駆り立てる。

久慈からさっそく海沿いを進むのかと思いきや、列車は意外にもエンジン全開で深い山の中へ入っていく。
左手には雄大な山景色が見える。かれこれ10分くらい上り勾配を上ると、こじんまりとした集落へ入り侍浜へ到着となる。
この峠区間(陸中夏井~侍浜~陸中中野)の標高差は150m。八戸線は海線である一方、バリバリの山線でもあったのだ。

侍浜からすぐのところで峠を越え、惰性で急勾配を下っていく。


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意外にも意外の峠区間を過ぎ、陸中中野手前で列車はようやく海沿いに出た。
ここから先しばらくは、海すれすれを走る。眺望はすこぶる良い。
人家らしい人家も見当たらない風光明媚な景色が続く。


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………窓が汚ねえ(苦笑)。

年季の入った国鉄車の窓は傷だらけで、カメラのピントが上手く合ってくれない(半数以上が失敗)。
まあ、これはこれで、旅してる感が滲み出てて良い。

宿戸手前で、列車は海を離れた。車内は未だガラガラ状態。
海岸線を離れると、鬱蒼とした森林の中を進んでいく。


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至って長閑な道のりを進み、階上(はしかみ)という難読駅で列車交換のため3分停車となる。
かつて有人駅だったこの駅では、2005年までタブレット交換が行われていたという。

対向の鈍行が来ると、列車はすぐさま発車。階上から先はしばらく閑散とした住宅地をひた走る。
唸る原形エンジン、味のある車掌アナウンス、手堅い座り心地のボックスシート。
もはや時代錯誤といえる旧時代ローカルの鉄道旅情を、私は今、体験している!


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しばらくのんびりとした景色が続いたが、種差海岸辺りで再び海が迫ってきた。
どうやらこの区間は防風林の伐採を行い、景色を見やすくしたらしい。

あのJRが、景観に配慮するような活動をしてたとはな………(苦笑)。


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陸奥白浜で、ようやく「陸奥」の名を聞く。仙台から陸前、陸中、陸奥と順当に通ってきたわけだ。
そして陸奥白浜を出たところで列車は断崖のすれすれを通り、人家一切なしの絶景が広がった。

内陸突端の断崖地帯をゆっくり駆け下りると、列車交換駅の鮫(さめ)に到着となる。
ここ鮫から八戸線は本数の多い生活路線となり、工場や繁華な住宅の中を進んでいく。
白銀から車内は学生で満員状態に。陸奥湊を出てすぐのところで高架に上がり、今は使われていない貨物線と合流する。



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通勤通学路線の様相を呈したところで、列車は間もなく終点の八戸に到着した。
これで、三陸縦貫線を擬似完乗したことになる。BRT、路線バス、三セク等、実に多彩な道のりであった。

最果て終着の大湊まで、残り約100kmをきった。時刻は既に夕方だ。天気はすっかり晴れ渡っている。
雨の中出発した今回の旅の気運は完全にスロースターターだが、これはこれで悪くない。
八戸からは、青い森鉄道に乗って野辺地まで行く必要がある。



・青い森鉄道 [八戸~野辺地]
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青い森鉄道は紛れもない三セク路線であり、18切符だけで全線乗車することは不可能だが、
八戸~野辺地~青森の3駅間に限っては特例があり、途中下車をしない限り18切符で乗車が可能となっている。
これは、JR路線として孤立してしまった八戸線と大湊線に対する接続対策なのだ。
もちろん接続駅以外の駅は一切下車不可なので、注意したいところ。

17時13分の青森行き鈍行は、発車寸前になって混雑してきた。
車両は2両編成の701系。立ち客が出る中、列車は定刻通り発車する。




車窓はただっ広い田園地帯が続くが、本州最北らしい風景を何処となく醸し出してきた。
上北町で乗客がドッと降りていく。陽は既に暮れかけている。

ここまで来ると、前日の分も含みさすがに疲れが溜まってきた。特に睡眠が足りず、端の座席でグッタリと眠り込む。
前夜の転倒事故の影響は並々でなく、膝と肩の節々が動かすたびボッキボキ唸る。
でも、こんなことで負けてられん!もうすぐ最終目的地なのだから。



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16時48分、青い森鉄道の鈍行は定刻通り野辺地へ到着。ここからようやく、本州最北端路線の大湊線だ。
自販で缶コーヒーを買い、グッと飲み干し襲い来る眠気を覚ます。
旅最大のハイライトを飾る素材は、十二分に揃った。あとは、列車に乗りこむだけだ。

「(改めて)行くぞ、大湊!!」

ホーム端で一人拳を握りしめガッツポーズした後(←マジでやりました)、
私は、意気揚々と大湊線の鈍行に乗り込んだ。



・大湊線 [野辺地~大湊]
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18時10分発の大湊行き鈍行は、2両編成のワンマン気動車だ。
この路線は野辺地から下北半島の陸奥湾側を通り、終点の大湊へと至る。
別名愛称は「はまなすベイライン大湊線」。純然たる鈍行の他、数駅のみ停車の快速も走っている。

車内は至って空いており、絶景が展開するであろう左側のボックスシートを無事確保。
車体をブルルン!と震わせ、列車は定刻通り野辺地を発車した。


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いい塩梅に甲高い汽笛を鳴らしながら、起点からしばらくは住宅街の中を進んで行く。
夕日は今にも沈みかけている。私が事前に"計算"していた絶景を拝めるのも、あと少しの時間しかない。
「出来れば、速めに突っ走ってほしい………!」そう願ううち、左手に少しずつだが、陸奥湾が近づいてきた。



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身は疲れ果て、気力も擦れかけているのに、車窓に釘付けになる。
車内が写らないようにカメラを手で囲いながら、私は絶景を納めるための下準備をした。
地図を見る限り、もうすぐであろう………!


やがて野辺地から二駅先の有戸を出てしばらくしたところで、本州最北路線、大湊線の車窓は"化けた"。



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赤く染まる夕景をバックに、眼の前に広がるのはただっ広い陸奥湾。正に最果てそのもののような絶景である。
鈍行旅に妄想以上の奇跡を見出すのは愚の骨頂だが、今回ばかりは奇跡を感じざるを得ない!
根室本線の末端にも通ずる最果て感に、私は失敗画像を量産しながら、打ち奮えた。



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たまらねえ。このとき、この瞬間。最果て絶景拝んだときの、達成感!

怒涛の海岸線並行区間をひた走り、海を離れると列車は吹越へ到着。
どうやら、陸奥湾の絶景が見れるのは有戸~吹越間に限られるらしい。
大湊線は全線に渡って車窓が面白いと聞いたので、他の区間の車窓については明日の復路で取り上げたい。



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列車交換駅の陸奥横浜を過ぎたところで、陽はすっかり暮れてしまった。
車内はガラガラ。地元の学生数人と団体客が一組いるだけだ。

ここまで来れば、あとは、走り行く列車に身を任せればいい。
それ以外に何か出来る体力は、残念ながらとうに使い果たした。
現況の文字打ち込みなどする気力もなくなり、ぐったりと座席にもたれかかる。


………東京から1000kmの終着地まで、あと少しだ!




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「ご乗車、ありがとうございました。終点の大湊に到着です」


着いたぞ、大湊ーーーーー!!
鈍行で本州最北端終着駅、到達!!!!



19時12分、列車は本州最北端終着駅の大湊へ到着した。単なる駅としての本州最北端は隣の下北だが、
最果てへ達するのに一駅手前で降りるというのは、心底気持ちが良くない。
乗るんならば、終着までがいいに決まってるじゃないか!

東京から約1000km、鈍行とバスで東海岸線を辿ってきたわけだが、その道のりは予想以上に"鬼畜"だった。
繁忙期に決行していたら不通区間で多大な混雑に巻き込まれ、ヘロヘロになってた可能性大。
とりあえず今は、到達した喜びを、自らの身でもって味わいたいと思う。



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興奮気味に列車を撮影した後、私は駅を出た。身体が疲れきっているため、駅舎を撮影したらすぐに宿へ。
大湊駅前は閑散としていて何もないが、幸いなことに、ここは駅前すぐのところにJR直営のホテルがある。
宿代がそこまで高くないし、何より無料で朝食(バイキング形式)がつくというから有り難い。
早々にチェックインし、最端到達の余韻に浸りながら、私は早々に就寝した。

本州最北端は無事到達したが、旅はまだまだ終わらない!
明日は津軽線と町営バスを乗り継いで、津軽半島最北端の岬へ行く予定を立てている。
彼の地で、私は一つやりたいことがあった。それは次回以降のお楽しみとして取っておきたい。


次回!大湊線・青い森鉄道・津軽線・町営バスを乗り継ぎ、津軽最北の竜飛崎へ向かう!

2015/05/11 | 三陸縦断作戦

本州最北路線の道のり

「三陸縦断作戦 3日目 (大湊~野辺地~青森~蟹田~三厩~竜飛崎)」

[2015/4/9]

朝7時、相変わらず寝不足状態のまま私は大湊のJR直営ホテルで起床した。
無料提供の朝食バイキングでたらふく飯をかきこみ、エネルギーを注入する(←ご飯軽く3杯いった)。
鬼畜な鈍行旅は、体力と気力がついてこないととてもやってけない。だから、充実した朝飯は必要不可欠なのだ。


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本日の天気は快晴。スロースターターであるが、三日目になって運が向いてきたようだ。
今、私は本州最北の終着駅にいる!「てっぺんの終着駅」と刻み込まれた木碑がまた旅情を誘うぞ!

今日はここ大湊から大湊線に乗り、野辺地から青い森鉄道と津軽線を使って津軽半島の最北端へ向かおうと思う。
当初の予定では、大湊からさらにバスで北上して恐山へ行こうとでも思っていたのだが、
あいにく"閉山中"のため、行程変更。未乗の津軽線で竜飛崎へ行くことにした。




今回の乗り継ぎルートは、こんな感じである(大湊線→青い森鉄道→津軽線→外ヶ浜町営バス)。
下北半島から津軽半島の突端へ!本州最北を誇る半島の盲腸線を乗り通し、果てに待つのは竜飛崎。
三陸国最果ての景色はどんなもんなのか、直にこの眼で確かめてこようではないか!

大湊の駅舎をザッと観察した後、私は改札を通りこじんまりとした大湊のホームへ突入した。



・大湊線 (快速しもきた) [大湊~野辺地]
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これぞ、最果て終着にふさわしい風景。

昨日は真っ暗で何も見えなかったが、大湊駅のロケーションは想像以上に素晴らしい!
バックに聳え風景を盛り立てているのは、標高878mの釜臥山だ。

「大湊軽便線」として1921年に開業したのを起源とする大湊線は、かつて終点大湊に海軍の基地があった。
現在繁華街としての中心は隣の下北へ移っているが、当時は大湊の方が活気付いていたという。
同路線は現在、半数以上の列車が青い森鉄道に直通し青森・八戸まで乗り入れている。

昨日乗ったのは純然たる鈍行だが、今から乗るのは八戸行きの快速「しもきた」である。
車両は、二両編成のキハ100。東北ローカルではお馴染みの気動車だ。


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8時05分、八戸行きの快速しもきた号は定刻通り発車した。車内の座席は八割方埋まっている。
同線終点の野辺地まで、約60km・約40分の道のりである。

大湊を出ると間もなく列車は右にグッとカーブし、広大な田名部川の河口を渡る。
ここで早くも、大湊線のハイライトの一つといえる絶景車窓が右手に展開!
残雪残る釜臥山の姿は、かくも雄大な姿である。

田名部川を渡ると、列車は隣駅の下北に到着。乗客がそれなりに乗り込んできた。
ここからしもきた号はいくつか駅を抜かして進んでいくことになる。


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「ここは北海道なのか??」と思わざるを得ないほど、大湊線の車窓は荒涼としている。

非常に人工物が少なく、一つ一つの土地が広大に見えるので、否が応でも北海道の大地を想起せざるを得ない。
言ってしまえば、観光客には面白味のない退屈な景色が延々と続いていくのであるが、
私は、こういう途方に暮れるほど広大で何もない車窓が、大好きだ。


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陸奥横浜までは主に防風林の中を進んで行く。
沿線は木々も多いが、一部区間ではこんな感じで眺望が開ける。
"元道民"には何かとそそられる、何の変哲も無い広大っぷりである。


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大湊線唯一の列車交換駅、陸奥横浜で対向車とすれ違い。対向もやはり二両編成のキハ100である。
ちなみに大湊線沿線は菜の花が有名であり、同駅近くには日本一の菜の花畑があるという。

陸奥横浜からは割と開けたところを進み、やがて吹越から先で海が間近に迫ってきた!


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大湊線最大のハイライト、砂浜走行区間(吹越~有戸)へ突入!この区間の駅間距離は約13kmもある。
海岸沿いの砂浜真っ只中に線路が敷かれており、列車は人工物一切無しの荒涼とした中をひた走っていく。
昨日夕陽が沈む寸前で通ったときは屏風のような絶景だったが、日中もまた格別の絶景。素晴らしい。

東海道本線の相模湾沿い区間を初め、鉄道が海沿いを通る際は得てして高台に線路が敷かれてることが多い。
それは勿論海の影響を受けないようにするためであるが、大湊線は砂浜をそのままぶち抜いており、
陸奥湾が至極穏やかな海域であることを物語っている(土地柄運休は頻発するらしいが)。

怒涛の砂浜走行区間を抜けると列車は海を離れ、閑散とした住宅街へ入った。


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8時58分、快速しもきた号は青い森鉄道と接続する野辺地へ到着する。
当列車はこのまま青い森鉄道へ入り八戸へ向かうが、私は青森方面へ行きたいのでやむなく下車。
数分停車後、列車はエンジンを唸らし終点向かってゆっくり走り去っていった。

北海道の大地を彷彿とさせる大湊線の前評判は、嘘ではなかった。
何処までも広大な原野の中を走る根室本線の末端(釧路~根室)ほどではないが、
最果て妙味たっぷりの車窓が展開したし、長閑ながらなかなか見ごたえがあったぞ!



・青い森鉄道 (快速) [野辺地~青森]
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野辺地からは青い森鉄道だ。東北新幹線に長距離輸送を託したため、同線で走っている列車は快速と鈍行のみ。
昨日の八戸~野辺地間と同様、これから乗る野辺地~青森間も特例が適用され18切符だけで乗車ができる。
大湊線は、新幹線を含むJR線とは一切接続していないためだ。

9時38分発の青森行き快速は、鬼畜の701系ではなくまさかのクロスシート付き車(E721系)であった。
こいつは恐らく、元々東北本線で使われていたやつだろう。


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青い森鉄道の車窓は思った以上に閑散としているが、乗客は多い。
左手には青森の険しい山々が聳え、その手前にはただっ広い田畑が広がっている。

この区間も、昔は東北本線の一部であったから不思議な気分だ。
その名残かは知らんが、長大な貨物がさっきからひっきりなしに通っている。
東北本線は旅客ルートの大動脈であるとともに、貨物の大動脈でもあったのだ。


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しばらく進むうちに人家が多くなってくると、列車は終点の青森に到着となる。
時刻は10時24分!ここ青森から今度は、10時38分発の津軽線の鈍行に乗り換えなければならない。

日中時間に初めて来た青森(←夜中にしか来たことがない)。
夜行「はまなす」で北海道へ二回上陸してる私にとって、青森は通過点でしかなかったが、
本日の旅の主役はここ青森・津軽近辺だ。青森駅前は夕方に立ち寄るとして、まずは津軽線を制覇しよう!



・津軽線 [青森~蟹田]
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津軽半島北端を走る津軽線は、青森~函館間を結ぶ一大ルート「津軽海峡線」の一部を構成している。
全線の青森~三厩間のうち、青森~蟹田間においては海峡線の特急・貨物達と共に走るが、
蟹田から先は津軽線単独の道のりとなり、純粋な鈍行のみが終点三厩へ向かうのだ。

一部例外もあるが、津軽線は蟹田を境に運行系統が分かれており、途中で一回列車を乗り継ぐ必要がある。
10時38分発の蟹田行き鈍行は、3両編成の701系。例によって鬼畜のオールロングシートである。
こいつとの付き合いは、もう慣れっこだ。"鬼畜=当たり前"みたいになってるのが末恐ろしい。


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列車は発車するとしばらく青森市街の中を進むが、程なくしてただっ広い田畑の横をひた走っていく。
左手遠くには津軽の山々が聳え、その手前に北海道新幹線の真新しい線路が見える。
列車交換駅の中沢で3分停車。この辺りはまだまだ繁華な幹線といった様相だ。

津軽線は海沿いに線路が敷かれているが、海そのものはあまり車窓からは見えない。
郷沢辺りからようやく、右手に海がチラチラと見え始める。


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終点一つ手前の瀬辺地を過ぎたところで、列車はやっと海岸線沿いに出た。
車窓に陸奥湾と、さっき私がいた下北半島が霞んで見える。手前にある二車線道路は国道280号だ。
津軽線と並走するこの国道は蟹田先で一旦道のりを別つが、終着三厩近くで再び合流することになる。



・津軽線 [蟹田~三厩]
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蟹田に着いた。ホーム向かい側で待っていたのは、単行の国鉄気動車だ。
単行なのにワンマンではなく、車掌がちゃんといる。非冷房であり、エンジンも昔のまま。
デッキも取り外されてなく、ワンマン化などの改造も一切されていない。正に素のままのキハ40だ。

古参"鉄"には嫌われているそうだが、個人的にキハ40は偉大なる汎用車であると思う。
無個性の象徴であるが、逆にその無個性さと汎用ぶりが重宝されてきたのだ。
薄っぺらいJR車(キハ120とか)ばかりになった現在の地方非電化ローカルにおいて、
重厚な国鉄気動車の魅力を存分に堪能できる最後の形式、それがキハ40なのだ(語るねー)。

これまでは繁華な幹線だったが、蟹田から先、津軽線は非電化のローカル線となる。
1日走る列車の数は僅か5本。取り残されたような閑散区間となっており、利用者も著しく少ない。
意外や意外にも、これまでのように海沿いを進むわけではなく、列車は蟹田を出ると半島の内陸側へ突入した。


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中小国という変わった名前の駅を過ぎてしばらく進んだところで、津軽線の鈍行は津軽海峡線と分かれ単独路になる。
この先、歴史の新しい海峡線は山中をトンネルでぶち抜いて真っ直ぐ突き進むが、
歴史の古い津軽線は山間の峠を越えて先を進むことになる。

右手に分かれていく海峡線や新幹線の立派な高架線路を見ていると、正直"取り残された感"がしないでもない。
ゆくゆくは長大な新幹線がひっきりなしに駆け抜けるであろう、手堅い未来が約束された栄光の鉄路の傍らで、
我々ローカル鈍行派は、今となっては衰退しきった地方交通線を選び取って旅をしているのだ。


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車内も、ご覧の通りガラガラ。単行なのに、である。
悲壮漂うシチュエーションであるが、こちらとて心底負けてられんぞ。
「新幹線なんぞに負けてたまるか!!」と。「鈍行こそが鉄道最大の妙味!!」であると。

新幹線で東京へ帰ろうとしてる奴が声を大にして言えることじゃないかもしれんが(苦笑)。


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重厚な原形エンジンを唸らせながら、昔ながらの体裁で単行気動車は太平から深い山道に差し掛かる。
もはや、時代錯誤な峠越え。すぐ横には北海道へ通じる長大トンネルが通っているというのに。
偉大なる鉄路、はたまたマイナーの"路"に対する愛情が騒ぐぜ!!

上り勾配を延々と上りきり、天狗岳の横を抜けていくと間もなく峠を越えた。
惰性で坂を降り再び海峡線と合流すると、列車はこれまた取り残されたような津軽二股へ到着となる。


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津軽二股から先は、山に囲まれた僅かな平地の中を進む。
この辺りは人が住んでるのかわからない廃屋ばかり。
最果て妙味は十二分にあるが、実に侘しいところだ。


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今別から先で、列車は再び半島の海岸線沿いに出た。終点手前のところでは海が間近に迫る。
ここで、先ほど並走していた国道280号と合流!車窓のデジャヴ感が半端ないんだけど(笑)。
海沿いを抜け、そのまま終着へ着くのかと思いきや、列車は到着寸前で"クイッ"と内陸側へ曲がった。

内陸側へ差し掛かったすぐのところで間もなく終着の案内が流れ、列車は終点の三厩へ到着となる。


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終点まで乗ってきた乗客は、私含めてたったの三人。
「侘しすぎる………」というのが、ホームに降り立ったときの率直な感想だ。
大湊よりも最果て感は濃厚であり、正に本州もとい三陸国の最果てまで来た感じがするぞ。


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三厩駅は、ホームの突端からそのまま駅舎に通じているようだ。
先に見える線路の終端も、如何にも最果ての雰囲気を醸し出している。

(言葉にならないんだけどもとにかく)良いっ!!

そんな、何と形容していいかわからない最果て旅情を、ここ三厩には感じる(ただのボキャブラ不足)。
今日はここからさらに町営バスで北上し、より侘しい津軽最北の岬まで向かうのだ。


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三厩の駅舎は、何処となく懐かしい雰囲気の平屋建て。開業当時から使われているものらしい。
駅舎入口のところには「津軽半島最北端の駅」と凛々しく掲げられていた。
ちなみに、この駅は「東北の駅百選」にも選ばれている。

駅前は特に何もないが、町営バスのバス停と、デカデカと掲げられた観光案内板がある。
お目当ての竜飛崎行きバスは、既にロータリー脇に停まっていた。



・外ヶ浜町営 三厩地区循環バス [三厩駅前~竜飛崎灯台]
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外ヶ浜町営「三厩地区循環バス」。このバスは、三厩駅と竜飛崎を結ぶ唯一のバス路線だ。

元々この路線は「竜飛線」という名で青森市営バスが受け持っていたが、2001年に利用客の減少により撤退。
これを地元の三厩村が受け継ぎ、さらに2005年、蟹田町・平舘村・三厩村が新設合併して発足した外ヶ浜町が受け継ぐことで、
同線は津軽最北のバス路線として生き残ってきた。運賃は一律100円。終点まで30分強もかかるのに信じ難いほど安い!

12時10分、三厩駅前から竜飛崎灯台行きの町営バスが、乗客僅か三人を乗せて発車した。
バスは想像以上に狭い路地の中を進み、間もなくして海沿いの国道280号へ出る。


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三厩の本町を出るところで、バスは国道339号へバトンタッチ。道中には古めかしい手掘りの隧道も残る。
この区間、普通サイズのバスでは通行が困難な箇所ばかりだ。道路は基本二車線になってるのだが、
二車線としてはギリギリの狭さ!"酷道"っていうほどでもないかもしれないが。

むちゃくちゃ狭い国道を、バスは至って手慣れた動きで進んでいく。
道脇には海と崖が迫り、その間僅かの土地に沿って車道は無理やり敷かれてる感じ。
道中は地元の生活感満載で、道端にわかめや長靴やらがそのまま並んで干してあるのが面白い。


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ひなびた漁港のそばを過ぎていくとバスは国道を脱し、岬上へ至る急坂をグイグイ上っていく。
どう考えても無理やり敷いたとしか思えない、ぐにゃぐにゃ曲がった路盤のオンパレード。
竜飛崎までの道のりは、思いのほか波乱万丈な道のりであった。



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竜飛、到達!!

12時42分、標高高い岬の上へたどり着くと町営バスは終点の竜飛崎灯台に到着した(←龍飛埼灯台とも書く)。
運賃たった100円を支払い、バスを降りる。竜飛崎周辺は曇ってるときが多いと聞いたが、
今日は至って天気が良く、絶景を沢山拝めそうだ。良かった、良かった!

折り返しのバスが発車するまで、一時間強の時間がある。ちょっくら探索するには十分な時間だ。
竜飛崎はすっかり観光化されてしまっているようだが、一番訪れてみたかった岬である。
そして何より、この地では"鉄"にとって切っても切れない"アレ"が聴けるのだ。
私は、竜飛の本場で実際に聴いてみたかった。


名前だけは有名な竜飛岬。そして、竜飛岬といえばあの「歌」である(ネタバレ必至)。
寒風を浴びながら、私はまずバス停からすぐ先にある"石碑"のもとへ向かった。

2015/05/14 | 三陸縦断作戦

春の竜飛崎にて

「三陸縦断作戦 3日目 (竜飛崎~三厩~青森~新青森~東京)」

[2015/4/9]

東京から鈍行とバスをひたすら乗り継ぎ、三日かけて三陸国を縦断する鉄旅も"ようやく"終盤に差し掛かる。
どう考えても正気の沙汰ではないが(汗)、既に乗った列車・バスの数は20本を越えており、
今回の旅の鬼畜さを物語っている。体感的には、ほぼ数珠繋ぎに近い行程であった。


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津軽線の終着三厩から町営バスに揺られること30分、私は侘しい津軽の突端、竜飛崎へやってきた。
古来の三陸国の定義では、竜飛は場所的に最果ての地である。陸奥のさらに奥の最果ての岬。
昔はもっと侘しかったそうだが、現在竜飛崎はすっかり観光化されているという。

折り返しのバスが出るまで一時間強の時間があるので、これから竜飛崎の観光スポットを順々に探索していこう。



・竜飛崎
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これが、竜飛崎の全景である。

以前に訪れた岬の中でも竜飛崎は岬の一般イメージに限りなく近く、眺めは素晴らしい。
今日は至って天気が良く、津軽海峡の向こうに北海道の大地が見える。

画像左上に聳えるのが竜飛崎灯台で、真ん中らへんの駐車場に停まっているのが私が乗ってきた町営バスだ。
竜飛崎周辺にはそれぞれ観光スポットがあるが、何処も駐車場から徒歩数分で行くことが可能。
何処から行こうか迷うが、まずは駐車場すぐ横にある石碑を見に行くことにしよう。



・「津軽海峡冬景色」歌謡碑
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岬上の駐車場・バス停からすぐ先を進んだところにあるのが、立派な石碑が鎮座する展望スペースだ。
石碑には、何故か石川さゆりの名曲「津軽海峡冬景色」の歌詞が彫り込まれている。
"鉄"の間では言わずと知れた、青森のご当時ソングの一つだ。

………よく見ると、石碑の真ん中に何やら赤いボタンがある。
もちろん、事前に下調べしていた通りだ(汗)。

んで押してみると、これでもかと大音量で「津軽海峡冬景色」の2番が流れ始めた!
笑っちゃうほどの爆音だ。石川さゆりの歌声が、岬中に響き渡っている。




ということで、録ってみました!!石川さゆりのむせび泣く歌声を!

これが、やりたかった。現地での「津軽海峡冬景色」リアルレコーディング!
ブログ史上初の自前動画。普段動画は滅多に撮らないため、素人感満載。
古いコンデジで録ったため画質・音質が幾分悪いことをご容赦頂きたい。

今は閑散期で空いてるから長閑なものだが、繁忙期になるとこの地一帯は観光客でごった返すと聞く。
石碑にボタンなぞついてたならば、皆、興味本位で押すに決まってるのである。となれば、
繁忙期には、石川さゆりの歌声が幾度となく爆音で流れ続けていることだろう(笑)。



・階段国道339号線
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続いて向かったのは、石碑のすぐ近くにある「階段国道」。階段国道とは何なのかというと、その名の通り階段の国道である。
見ての通り階段そのものだが、正式に国が指定している国道の一つであり、道脇にはちゃんと"おにぎり"があった。
全国の幾多の国道の中でも、階段が国道として指定されているのはここだけだそうだ。

階段国道を降りていくと岬の麓まで行けるようだ。階段の段数は362段ある。
試しに端から端まで往復してみたが、片道およそ3~5分くらいかかるだろうか。


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元々この国道区間は"坂道"だったらしいが、
地元の名物希望の声もあってか、階段になっても国道指定を外れず現在に至っている。
階段の中腹には、かつてあったという竜飛中学校の跡地と思われる広いスペースが残っていた。



・竜飛崎灯台
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岬の先っぽへ至る階段を上ったところには、竜飛崎灯台がある。
灯台そのものはこじんまりとした姿で、あの銚子の犬吠埼灯台ほど大きくはない。
1932年に初点灯したこの灯台は、かれこれ80年近く津軽海峡を行き交う船を見守ってきたのだ。


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竜飛崎灯台の横をさらに奥へ進んでいくと、間もなく津軽海峡を360度一望できる展望スペースに行き着いた。
デカイ望遠レンズをつけたカメラマンが数人じっと構えているが、渡り鳥でも撮影するのだろうか。
私は、鳥の知識については全くの門外漢だが………。

快晴となる今日、津軽海峡の向こうには険しい北海道の山々が見える。
岬の先に据えられているのは軍事用レーダーだ。


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本州の最北端まで遥々やって来た、旅の旅情をひしひしと感じられる絶景である。
極寒の中で行ってしまった稚内の宗谷岬とはまた違う、奥行きと侘しさ。
最終目的地の情景を存分に刻みつけた後、私は復路のバスへ戻った。



・外ヶ浜町営 三厩地区循環バス [竜飛崎灯台~三厩駅前]
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意外とあっという間に時間が来てしまったので、急いで町営バスの元へ戻る。
復路のバスの乗客の面子は、往路と全く同じ。そりゃそうだろうが。

運賃たった100円の町営バスは、定刻になると終点三厩向けて発車した。
岬を降りる前に青函トンネル記念館の最寄バス停へ向かうが、
今日は閉館のため誰も乗ってこない。当たり前だ(汗)。


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車内は相変わらずガラガラだが、途中地元の人が数人乗っては降りていく。
この辺りで生活する人々の姿は、いかにも津軽の漁場の人といった出で立ちだ。
年輩の女の人は、皆頭に風呂敷を巻いている。

「わいー、めわぐだのぉ」「なんも、へばな!」「へばね!」

地元の人通しの会話に耳を立ててみるが、生粋の津軽弁で何を言ってるのかさっぱりわからない。
東北訛りはあまりにも根深く、特に濁音言葉が多い印象を受けた。
寒く口数が少なくなると必然的に濁音になってしまうのか。


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竜飛から30分強の道のりを経て、再び三厩駅へ戻ってきた。
蟹田以北の津軽線はあまりにも寂しく、1日5本の鈍行がやってくるのみ。
かつて学生や行商人を大勢乗せて走っていたのであろう、津軽線の往時の片鱗は、
この時刻表を見る限り果てしなく消えかけている。これが、海峡線から取り残された結果なのだ。


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「プァーーーン!」

手書きの白線が引かれた素朴なホームで一人立って待っていると、遠くから年季の入った警笛が聞こえてきた。
折り返しの「三厩発青森行き鈍行」だ。カーブの縁からヌッと現れると、
ゆっくりと近づいてきて、間もなくホームへ入線する。



・津軽線 [三厩~青森]
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蟹田以北の津軽線は非電化であり、蟹田を境に運行系統が分かれていることは前回でも述べたが、
この系統の境を無視して全線を走りきる鈍行が、往路復路ともに一日一本だけ存在する。
それが、今から私が乗らんとする15時19分発の青森行き鈍行である。

車両はもちろん、単行の国鉄気動車。何も改造されてない素のままのキハ40である。
合理化著しい現代において、昔ながらの国鉄風情を色濃く残した姿だ。

やはりといっていいか、乗客は往路の鈍行とほぼ同じ面子。もちろん、私も含めて野郎のみである(笑)。
侘しいだけの土地に、華やかなピチピチギャルはまず来ない。物好きな男が集うのみだ。ハッハッハー!
そうしてこうして侘しさ(=寂しさ)に駆られていると、一日一本の津軽線全線通し鈍行は三厩を発車した。


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起点から一駅の津軽浜名で、学生が大勢乗り込んでくる。生粋の津軽の学生達だ。
海を離れ山中の峠を越えると、列車はずっと惰性を維持してノロノロ山道を進んで行く。
やがて津軽海峡線の線路と合流し、再び海沿いに出ると海峡線と接続する蟹田へ到着する。

往路は蟹田で一旦乗り換えたが、今乗ってる復路の鈍行は有難いことに青森まで直行で行ってくれる。
当列車は青森の車庫を拠点とした送り込み運用であり、蟹田~青森もついでに客を乗せているのだ。


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「ねえコレ、ゲームなんだけど知ってるぅ?面白いからやりなよー。
ボンバーマンってゆうんだけどー………」


ボンバーマン!まさか津軽まで来て、ボンバーマンにハマる女子学生を見かけるとは思わなかったぞ(笑)。
蟹田で津軽の学生達は皆降りていってしまった。蟹田を出てからは少しの間だけ海沿いを進む。
郷沢で特急待ちのため10分停車。長大貨物を尻目に単行気動車は勇猛果敢にひた走る。


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16時55分、津軽線の全線通し鈍行は少し遅れて終点の青森へ到着した。
青森からは本格的な帰路となるが、その前にちょっくら青森駅前で飯にあり付こう。


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何を食べようか色々迷ったが、結果的に駅前すぐの地元食堂「おさない」でホタテの定食にありついた。
ホタテの刺身、塩辛、バター焼きを一気に味わう。青森といえば魚介だが、特にホタテは絶品らしい。
身がプリプリしていて普段東京で食べるものとは断然違う。今回のお土産はホタテに決定だ!


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青森駅前から徒歩数分のところには、かつて運行されていた青函連絡船の姿があった。
朽ち果てた可動橋のレールと役目を終えた船舶は、現在は観光資源として粛々と消化されるのみである。

遥か昔のことになるだろうが、例えば上野発の夜行列車(「ゆうづる」とか)に乗って早朝やって来た人達が、
ここ青森から青函連絡船に乗って、先ほど訪れた竜飛岬を遠くに眺めていたのかと思うと、
何だかこみ上げてくるものがあった。古き良き、時代を感じた。

近年の鉄道衰退に歯止めがかからないのは確かだが、私はやはり全盛期の鉄道交通に憧れを抱いている。
こうして昔の遺構に縋りつき、一人想いを馳せてみるのも良いのではないだろうか。
乗ったこともない青函連絡船の遺構を眺めた後、私は青森駅へ戻った。



・スーパー白鳥34号 [青森~新青森]
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行きは全て鈍行とバスだったが、帰りは新幹線で一気に東京へ向かう。
東北新幹線の始発は青森ではなく、一駅隣の新青森だ。
新青森へ行くには奥羽本線を使えばいいが、青森〜新青森間に限っては特例があり、
特急券なしで特急の自由席に乗ることができるので、有り難く利用させて頂こう。

これから乗車するのは、特急「スーパー白鳥34号」だ。
特急白鳥は、新青森で効率よく接続する東北新幹線と号数を合わせているらしい。
次に乗る新幹線が「はやぶさ34号」なので、今回は"34"のコンビで東京へ向かうことになる。


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青森から僅か5分で、東北新幹線の起点となる新青森へ到着。
駅構内のお土産屋でホタテを買った後、券売機で指定席券を買い新幹線のホームへ。
本州最北の地とも、これでお別れだ。例によって鈍行三昧の旅となったが、楽しかったぞ。

「東京へ、帰ろう!!」



・はやぶさ34号 [新青森~東京]
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新幹線・在来線全てを含めれば"日本最長路線"として知られる、東北新幹線に今回初めて乗車となる。
18時24分発の「はやぶさ34号」は、定期の上り便の中で最も停車駅の少ない最速便であった。
この列車は新青森を発車すると、何と「盛岡・仙台・大宮・東京」の4駅にしか停まらないのである!

時刻表を見る限り全線通しの上りでこれほど停車駅の少ない便は、現時点ではやぶさ34号を除いて他に一本もない。
「何故この便だけ上野に停車しないのだろう?」と疑問に残ったが、縁起がいいのでこいつに乗って帰ろうではないか。
この列車は、起点の新青森から終点の東京までの674.9 kmを2時間59分かけて走り抜く。鈍行では半日以上かかる距離だ。


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一日一本の最速はやぶさは、定刻通り新青森を発車する。盛岡まではトンネルが多く電波も届かない。
起点の新青森からはガラガラだったが、仙台でドッと乗客が増えた。

夜間の新幹線は正に暗闇の中を疾走する感じで、車窓も真っ暗な中を街灯が超高速で流れていくのみ。
その様相は、さながら銀河特急だ。普段鈍行ばかり乗ってる自分としては、
超低空で空を飛んでるような錯覚さえ受ける。


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上越・長野・北陸新幹線と交わったところで、列車は21時ちょうどに大宮へ到着する。
さっきは本州最北にいたのに、あっという間に東京へ戻ってきてしまった。
やはり長距離旅行の帰路は寝台特急に乗りたいものだが、東北の定期の寝台特急は既に全廃しており、
現状では新幹線に頼る以外にない。というか、定期の寝台特急が復活する可能性は限りなくゼロである。

乗車してから既に2時間半経過しているが、尻はそこまで痛くならない。
座席上部には可動式の枕がついており、快適性は申し分ない。
さすが、そこは天下の新幹線なだけある。




並行する在来線を尻目に、はやぶさは大東京向けてひた走る。
大宮からは速度を落として進み、日暮里に差し掛かるあたりで地下の中へ。
上野を通過すると再び地上へ出た。電脳都市秋葉原を過ぎれば、終点の東京は眼と鼻の先だ。

終点到着のアナウンスが流れると列車は速度を落とし、地上ホームへ入線。
やがて21時23分、はやぶさ34号は定刻から寸分狂わず終点の東京へ到着した。



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「東京、帰還!!」

ああ、帰ってきてしまったぞー、大東京。列車から降りると、辺りは超高層ビル郡の中だ。
対向ホームから発していくのは、東海道新幹線。今日中に東京から発する「のぞみ」の最終便である。
結果的に今回も、新幹線のお世話になってしまった。やはり、独り身では時代の流れに抗えないのかもしれない。

名残惜しいが、明日は仕事だ。帰ってきてしまった切なさに浸っている場合ではない。
はやぶさに別れを告げた後、今年開業したばかりの上野東京ラインを利用して帰路へ着く。
品川からやってきた常磐線直通の取手行き快速電車は、何時もと何も変わらぬ日常の風景であった………。


・旅の総費用:27990円(18切符3日分+三セク/バス運賃+新幹線運賃+指定席券)
・乗った乗物の数:鈍行16本+快速2本+新幹線1本+BRT2本+バス7本
・総所要時間/総距離:2泊3日/約1760km


数珠繋ぎに等しかった今回の鈍行旅。列車とバスと含み、乗った乗物の数は全て合わせて28本!
計画通りの本州最北到達の喜びとともに、今回の旅の中で一番印象に残ったのは、侘しさ漂う三陸国の景色だ。
「陸前→陸中→陸奥」と順々に辿っていったわけだが、長閑な景色の移り変わりが見応えあった上に、
地名の移り変わりに手堅い旅情を感じたのだった。特に駅名に「陸奥」の名が現れたときは、
正に「最果てまで来た!」という実感を持てたぞ。

次回の長距離旅行も迷いなく鈍行一徹でやるつもりだが、次の青春18の期間までしばしお預けだ。
やや渋味多めの内容になってしまったが、本稿をもって三陸縦断作戦は終幕とする。
(完結)
2015/05/18 | 三陸縦断作戦

AIZUマウントエクスプレスに乗って

「会津鉄道の絶景車窓を辿る (北千住~鬼怒川温泉~会津若松)」

[2015/4/27]

東京都内から私鉄と三セクで行ける最奥地が「会津若松」だ。
地図を見ると、東京から会津若松へ行く鉄道ルートは主に二通りあることがわかる。

一般的なのは新幹線と在来線(東北本線と磐越西線)を経由する"表ルート"で、
会津へ向かう主要経路になっているのだが、この表ルートに対し、
一般客にあまり知られてないのが私鉄と三セクを経由する"裏ルート"だ。
今回は私鉄+三セクの裏ルートを経由して、東京から会津若松へ向かおうと思う。


・計画~導入


東日本の大手私鉄、東武鉄道から今回の旅は始まる。
まず北千住から快速列車「会津田島行き」に乗って北上し、鬼怒川温泉で下車。
そして鬼怒川温泉で会津鉄道の「AIZUマウントエクスプレス」に乗って、一気に会津若松を目指す!

言ってしまえば二本の列車を乗り継ぐだけなので、行程そのものは単純だが、
今回行く裏ルートの真価は経由する会社線の多様さにある。

「東武鉄道→(新藤原)→野岩鉄道→(会津高原尾瀬口)→会津鉄道→(西若松)→JR東日本」

こんな感じで、計4社を跨いで進んでいくことになる。厳密に私鉄と三セクに絞るなら西若松までだが、
会津鉄道の列車は全列車が会津若松まで直通していて、同線の実質的終点になっている。
東日本最長の私鉄+三セクルートを、今回は絶景車窓多めに辿っていこう。


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朝7時、通勤ラッシュの北千住にやってきた私は、券売機の窓口で4社連絡の全線切符を発行してもらおうとしたが、
どうもそこの窓口では取り扱ってない??らしく、とりあえず3社連絡の切符を購入した。

要は下車駅で精算してもらえばいいから問題はないが、何故発行できなかったんだろうか??
公式HPにはっきり「北千住で4社連絡の切符を取り扱ってる」って記載があったのに。
窓口の係員も4社連絡切符の存在すら知らなかったし………まーいいか。

朝の北千住はカオスそのものだ。人混みに流されながら、私は東武の1番線へ向かった。
アナウンスが流れると、7時21分発の快速列車がやってくる。
会津若松まで約230kmの道のりが、今、幕を開ける!



・東武鉄道 (会津田島行き) [北千住~鬼怒川温泉]
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東武の裏自慢といえる、日光・会津直通の快速列車。浅草始発のこの列車は行き先が三つに分かれているのだが、
中でも前側の「会津田島行き」は、東日本私鉄の中で最長距離列車(特急を除く)として知られる。
発車10分前にホームに降り立つと大行列が出来ており、列車が到着すると席取り合戦が始まった。

この列車の混雑体験については"前例"があるので、大人しく特急で行こうと思ったが、
もう乗ってしまったんだから仕方あるまい。こいつで鬼怒川温泉まで行っちまおう!

列車は北千住を出ると春日部までノンストップで疾走し、そこから先も特急並みの停車駅で進んでいく。
北千住~春日部間は、距離にして28km!パネェよ、東武の快速はパネェよ。
名ばかりの快速が横行する中で「THE 快速」の称号が似合う豪快な列車だ。



「東武快速怒涛のノンストップ区間(北千住~春日部)」

武蔵野線と接続する新越谷も抜かしてしまう"心意気"!

こんな列車を無料で走らせる東武は偉い!ネーミングセンスは最悪だけど。
野田線にアーバンパークラインなんて愛称つけたのは、さすがにナイと思った。地元民として。

春日部に着くと通勤客が吐き出され、行楽列車のような雰囲気になってきた。
ここから駅間距離が短くなるが今までが快速として異常に長すぎたのだ。
それほど北千住〜春日部ノンストップのインパクトはデカイ。


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乗客は、普通の観光客やザックを背負った登山客など多種多様。
この列車は座席にミニテーブルがついてるのも一つの売りになっている。
私の向かい側には受験生がいて、ミニテーブルに単語帳を置いて必死に書き殴っている。
なるほどそういう活用法もあったのかと感心。

何やらかんやらしてるうちに車窓は田畑が目立ち始め、古臭い人家が多くなってきた。
利根川を渡ると栃木の地へ入る。栃木は東武の包囲網でもお得居所。
この辺りから、豪快に突っ走ってた列車のスピードが落ちた。


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板倉東洋大前を過ぎ平野を快走しているうちに、栃木の山々が見え始めた。
左手に野山が間近に迫ってくる。沿線は田畑と古い民家ばかりだ。
完全に田舎景色で、新鹿沼でさらに乗客が減った。
終点会津田島まで行けばガラガラになってしまうのだろうか。


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新鹿沼を境にして、列車は人家の少ない山の中へ入っていく。
左手の山々はより険しくなり、平野を脱したことがわかる。

運行拠点の下今市が近づくと、前方に奥日光の山が見えてきた。


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下今市で列車を切り離すため、長時間停車。
後側2両は日光へ向かうが、前側4両は鬼怒川線に入りさらに北上する。
会津田島行きは既にガラガラだ。約10分停車後、下今市を発車。ここからは純粋な鈍行となる。

鬼怒川線に入ると列車の速度が下がり、ノロノロ走りながら各駅に停車していく。
日光を過ぎても先にあるのは延々と連なる山々で、内陸の奥地まで来たんだと実感。


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大桑から列車は川の合流地を渡り、一級河川の鬼怒川と合流した。
これが本当に東武なのかって思わざるを得ない、風光明媚な車窓が展開。
鬼怒川合流後は山岳路線の様相を帯びてくる。

渓谷が左手に見えてくれば鬼怒川温泉まであと少しである。



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9時31分、会津田島行きは鬼怒川温泉に到着した。
AIZUマウントエクスプレスに始発から乗りたいため、やむなくここで下車する。

久しぶりに来た鬼怒川温泉。10年前の家族旅行以来だと思う。
鬼怒川渓流と戯れて、帰りに日帰り入浴で鬼怒川温泉に立ち寄るというのが、
夏の家族旅行の定番プランになっていた。どっちにしろ、鉄道で来たのは初めてだ。


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自販機に萌えキャラが……いなたい東武もついに萌え路線に走ったか!
鉄道むすめ。トミーテックが展開している鉄道萌えキャラシリーズだ。
自販機に写る彼女は「鬼怒川みやび」という。詳細なプロフィール設定もあって、
設定上では東武の特急乗務車掌ということになってる。ヘーソウナンデスカー(彼女の公式紹介HPはこちら)。


今回の旅の主役となる"超豪華快速列車"は、既にホームに停まっていた。



・AIZUマウントエクスプレス1号 [鬼怒川温泉~会津若松]
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AIZUマウントエクスプレスは会津鉄道が運行している名物列車で、現在一日三本走っている。
一部列車は東武日光や喜多方を始発終着としているが、この列車の基本的な運行区間は「鬼怒川温泉~会津若松」。
起点の鬼怒川温泉から計4社の路線(東武鉄道・野岩鉄道・会津鉄道・JR東日本)を経由し、終点の会津若松へ向かう。

車両は二両編成の気動車で、全席自由席となっている。
赤い新型車はAT-700・750形、年季の入った白いやつはAT-600・650形という型番が付いている。
AIZUマウントエクスプレスは赤い気動車で運行しているイメージがあったが、
白い気動車の混成で運行する場合もあるらしい。これは意外。

一見平凡な気動車に見えるし、外見だけでこの列車の本気度は伺えない。
ということでさっそく中へ入ってみる。


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盛りっぷりが半端ない。

……一応言っておくと、AIZUマウントエクスプレスは普通運賃のみで乗れる「快速列車」だ。
シックな木目調インテリアにテーブル付きのリクライニングシートがズラッと並んでいて、
電球色の照明、トイレ、Wi-Fiを装備している。よく見ると通路に絨毯まで敷いてるw
他地域では追加料金を取られてもおかしくないゴージャスな列車である。

何故ここまで"盛った"のかというと、東武特急でやって来る観光客の期待値を保持するためだという。
東武特急といえばスペーシアだ。スペーシアは並外れて豪華(=バブリー)な内装を誇っていて、
生半可な装備では乗客をがっかりさせてしまう。そこでスペーシアに負けないために、
会津鉄道もやれる限り豪華な設備を施したって寸法だ。


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上はAT-700・750形の車内だが、こちらは「尾瀬エクスプレス」として使われていたAT-600・650形の車内。
設備の華々しさは少し劣るが、それでも快速としては立派過ぎる面構えである。


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座席に付属している観光パンフレットを適当に見ながら時間をつぶしていると、
やがて定刻がきて、AIZUマウントエクスプレス1号は出発した。

今回私は左手の座席に陣取ったので、その呈で以下の車窓レポを読まれたい。



「秘境地帯を走る野岩鉄道区間(新藤原~会津高原尾瀬口)」

列車は鬼怒川温泉を出ると渓谷を抜け、新藤原へ。ここからしばらくは野岩鉄道の区間だ。
地形図を見る限りでは、線路を敷けるような土地が野岩鉄道の区間には一切無い。
深い山中を長大トンネルで何度もぶち抜いている。


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新藤原からいくつかトンネルを抜けた先に待ち構えていたのが、こんな車窓。
ほんの僅かな人家と鬼怒川と一本の国道ぐらいしか見えない。
野岩鉄道は屈指の秘境路線だったのだ。

川路温泉で、列車は行き違いのため数分停車。
この区間は絶景のオンパレードなので、見逃さないようにしたいところ。


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長大トンネルでダムと湖に挟まれたところを抜けると、トンネル中に設けられた駅へ停車。湯西川温泉だ。
ここを発車してすぐのところで絶景が広がる。ダム湖の真ん中を鉄橋でぶち抜いて進んでいく。
橋の名は湯西川橋梁といい、全長240mある。野岩鉄道のハイライト区間といえる。

湯西川温泉以北で絶景は途切れ、短いトンネルを何度も突き抜けて進む。
こじんまりとした集落へ入ると上三依塩原温泉口へ。


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男鹿高原先で列車は長大トンネルへ突入し、険しい県境を抜けて福島へ向かう。
県境を抜けると会津高原尾瀬口へ到着。ここから列車は会津鉄道の区間へ入る。
路線が変わるのに停車時間は僅か20秒。笑っちゃうほどスムーズだった。

「ガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトン」

会津高原尾瀬口を出てしばらくすると線路の音が異常に短く響いて、耳が軽くゲシュタルト崩壊した。
線路敷設の知識は詳しくないが、こんな短いジョイント音を聞いたのは初めてだ。


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「ここは一体何処なんだ?」と言いたくなるような、ときが止まったような高原の景色が続く。
左手には七ヶ岳が見える。その名の通り、稜線に7つの峰が連なっている。
山上にまだ春は来てないようで、雪がチラチラと残っていた。


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人家が多くなってくると、列車は電化区間の末端である会津田島へ到着。
観光客がドッと乗り込んできて、車内は賑やかになった。

会津田島駅には、もう一つの名物列車「お座トロ展望列車」が停まっていた。
3両編成で、一世代前の主力車と中古の国鉄車(キハ40)にトロッコが連結されている。
正にごった煮を地で行く列車だ。4社線経由のリクライニングシート付き定期快速も相当なもんだと思うけど(笑)


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会津田島から先、会津鉄道は非電化区間に入る。
何時の間にか専属の女性案内係が乗車していて、観光風味が高まってきた。
加藤谷川を渡って高台の上をソロソロ進む。



「会津鉄道の絶景区間(会津下郷~芦ノ牧温泉)」

会津下郷を過ぎると、列車は会津の渓谷地帯へ入っていく。
塔のへつりを出ると、会津鉄道の車窓はグッと化けた。


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塔のへつりを出てすぐのところで拝めるのが、第五大川橋梁の絶景だ。
列車は徐行したり一時停止するかと思ったが、閑散とした平日だからなのか、
そういった観光サービスはやらず、淡々と通り抜けた。


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渓谷は深みを増し、湯野上温泉を過ぎたところで列車は長いトンネルに入る。
トンネルは山の縁を辿るように続いており、ダム湖となった阿賀川の脇を辿っている。
この区間、ダム湖が出来る前は谷底に線路が敷かれていたという。


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トンネルを抜けてすぐの深沢橋梁で待っていたのは、絵に描いたような絶景だった。
土日だと橋の上で一時停止するのだろうが、今日は速度を落とさず僅か2秒で通過。
ダム湖の湖底には、谷底を辿っていた会津線の「旧線」が眠っている。
SLが走っていた国鉄時代は、奥深い渓谷景色が広がっていたんだろう。



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深沢橋梁の絶景を過ぎると、列車は大河のような阿賀川とともに北上する。
渓谷は既に途絶えていて、周りの山が低くなってくると平板な盆地へ入っていく。

人家が多くなり只見線と合流すると西若松へ到着。
西若松からはJR東日本(只見線)の区間だ。
会津鉄道の終点でもあるが、列車自体は会津若松まで走り抜く。



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会津若松、到達!

12時02分、列車は終点の会津若松へ到着した。
ゴージャスなAIZUマウントエクスプレスの旅もこれにて終了。
通常運賃だけで乗れるものとは思えない豪華な列車だった!

会津若松は磐越西線・只見線・会津鉄道が乗り入れる鉄道要衝だ。
特に磐越西線は鉄道資産が充実した路線で、休日になるとSLや国鉄の特急車が走っている。


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平日となる今日、ホームの留置線には国鉄の特急車が停まっていた。
今や希少種と化した国鉄特急色。鉄道が走ることそのものに意味があった時代を象徴するカラーだ。
東日本最長の私鉄+三セクルートを突破し、終着で国鉄特急車を見れるというのもなかなか乙なもんである。

国鉄特急色は滅多に見かけなくなってしまったので、あらゆる角度から撮りまくった。変態だぁああああ。


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「精 算 書」

改札の窓口で精算された3社連絡切符は、紙っきれの「精算書」となって手元に残った。
いくらなんでもこれは味気無さ過ぎるかもしれない(笑)
思い出の品にするにはちょっと役不足だ。


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昼下がりの会津若松は観光客で賑わっている。駅前で昼飯を済ました後、
私は帰路ついでに水郡線の乗り鉄をするべく、磐越西線で郡山へ向かったのだった。

・旅の総費用:通常運賃4490円(東武鉄道+野岩鉄道+会津鉄道+JR東日本)
・乗った列車の数:2本(会津田島行き+AIZUマウントエクスプレス)
・全区間の総距離/所要時間:約230km/約4時間40分


三セクとは思えない侮れない絶景車窓が、会津の"裏ルート"には沢山あった!
鬼怒川渓谷、野岩鉄道の秘境地帯、ダム湖、七ヶ岳、阿賀川渓谷の絶景。
無味乾燥な東北本線ではなく会津鉄道で会津を目指す。それもまた乙な選択かもしれない。
皆さんも会津鉄道の超豪華快速に乗って、会津の絶景車窓を愉しんでみては如何だろうか。
(完結)


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