鈍行列車一人旅

よく電車とバスに乗って旅してます。鉄分多めの旅ネタが主。
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三陸リアス海岸を行く

「三陸縦断作戦 2日目 (気仙沼~盛~釜石~岩手船越~宮古)」

[2015/4/8]

早朝6時半、私は気仙沼のビジネスホテルで起床した。
念のため2つセットしておいた目覚ましに叩き起こされ、至上の朝を迎える。
早々に身支度を済ませ宿を出る。天気は雲が多いが、後に晴れそうな様子だ。

7時36分発の盛行きBRTに乗るため、足早に路上を歩き気仙沼駅へ向かった。


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気仙沼は鉄道(大船渡線)とBRTが乗り入れており、鉄路とBRT専用道が並ぶ不思議な光景を見ることができる。
今通過していったのは内陸側から来た大船渡線の鈍行だ。同線は気仙沼まで鉄路が生きているのである。
これから私が乗車するのは、気仙沼から先の鉄路断絶区間だ。

発車10分前に気仙沼駅へ到達。駅で待っているほとんどの乗客は年輩の古老であった。
間もなく盛行きのBRTがやって来たので、意気揚々と乗り場へ向かう。
本州最北端終着駅、大湊までおよそ12時間の道のりだ。
(めっちゃ寝不足だけど)本州最北へ行ってやるぞ!



・大船渡線 (BRT) [気仙沼~盛]
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地元有力者のわがままで線路がぐにゃぐにゃ曲がってしまった大船渡線。「ドラゴンレール」の愛称で知られる。
一ノ関から気仙沼までは鉄路が生きているが、気仙沼から先の三陸縦貫線区間はBRTでの運行となる。
昨日乗った気仙沼線のBRTと同様、鉄路全線復旧の見通しは未だ立っていない。

BRTは「バス・ラピッド・トランジット」の略で、バス車両を基盤に高速輸送を行う新交通システムの一種だ。
海外では多くの都市(特にラテンアメリカ)で本格導入されているが、日本での導入事例は極めて少ない。
車両は一般的な路線バスだが、BRTと分かるように専用のステッカーが貼られている。

7時36分、盛行きBRTが定刻通り発車した。気仙沼から盛までは一時間半かかる。
復興進む市街地を抜けると一般道へ出た。この区間は専用道より一般道の比率が高いという。
勾配を上って長い長いトンネルを抜けると湾岸沿いに県境(宮城~岩手)を抜け、岩手の地へ入る。


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上り坂と下り坂を繰り返しながら進むと右手に海景色が広がる。三陸リアス海岸のお出ましだ。
道中では「過去の津波浸水区間ここまで」と書かれた標識を何度も見かけた。
そして標識がある地点は想像以上に高い場所であった。


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気仙川を渡り土砂が並ぶ更地へ入ると「奇跡の一本松」駅へ到着。
車窓からは確認できなかったが、津波に唯一流されなかった松の木があるのだという。
辺りは土砂を運ぶためのベルトコンベアが立ち並ぶ。近辺の土地を効率よく嵩上げするための施設である。


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かつて市街地だったのだろうその土地は、今は何もない。全て津波に流されてしまったのだ。
地元住民が長閑に話している中、私は後方座席で呆然としてその光景を見た。
TVの報道とは明らかに違う現状に厳しい現実を感じる。

土砂の仮置き場を過ぎ山麓の集落へ差し掛かると、BRTは陸前高田へ到着。地元客が数人乗り込んできた。
一旦元来た山道を戻って別の道を進み、高田高校前で地元学生がドッと降りていく。
再び山の中へ入ると、嘘みたいに急な上り坂と下り坂を繰り返して峠を越える。


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気仙沼すぐ側からずーっと一般道を進んできたが、小友手前でBRTはようやく専用道に入った。
震災前は鉄道が通っていた古い隧道を抜け、門ノ浜湾の崖っぷちを突き進む。
細浦を過ぎると、海岸線に敷かれた専用道を延々とひた走っていく。

この区間(細浦~下船渡)の車窓はなかなか見ものだ。大船渡線BRTのハイライトといえるだろう。
湾内へ入っていくと大船渡手前で市街地へ入り、間もなく終点盛へ到着した。


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盛も鉄路とBRTの専用道が同時に並んでいて、ここでしか見られない独特の光景を呈している。
計3つの乗り場があり、1・2番線には大船渡線のBRTが、3番線には三陸鉄道が発着するようだ。
ホーム奥には三陸鉄道の車両基地があり、観光イベント列車の姿もあった。

盛からはようやく三陸鉄道である。東京から鈍行で来たかいがあったってもんだ!
誰もいない鉄道・BRT共用ホームで、9時13分発の釜石行きを待った。



・三陸鉄道 南リアス線 [盛~釜石]
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三陸鉄道は北リアス線と南リアス線の二路線に分かれているが、これから乗るのは南リアス線だ。
この路線は元々、国鉄盛線として1970年に一部区間が開業したのが大元である。
一部区間開業後も工事が進行し最終的に全通するはずの盛線だったが、
1980年に制定された国鉄再建法により、同線は廃止の対象に指定され延伸工事を中止してしまった。

しかし後すぐ、盛線は第三セクターの三陸鉄道が引き継ぐこととなった。
延伸工事も三陸鉄道が引き継ぎ、1984年の三セク転換と同時に南リアス線が全通する。
全通すると同時に三セク転換された珍しい路線で、日本の第三セクターとして最も歴史の古い路線なのだ。


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今回乗る車両は三鉄の中で最も新しい36-700形。クウェートからの支援によって導入が実現した新型車だ。
この新型車に乗り込んで驚いたのは、ボックスシートに立派なテーブルが設けられていたことだ。
一見ありふれたワンマン気動車だが中身はちゃっかり豪華。テーブル付は旅行者には有り難い!




9時13分、釜石行き鈍行が定刻通り発車した。大船渡の街を出ると列車は長大トンネルに入る。
盛からしばらくは深い山の中。南リアス線が敷かれてるところは三陸リアス地帯のど真ん中である。
綾里(りょうり)という雅な駅を過ぎると、トンネルとトンネルの間にリアス海岸が見え始めた。


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「恋し浜」というカップル歓喜の駅で二分停車となる。眺望の良い駅だ。

この駅は元々「小石浜」という名を与えられていたようだが、
数年前に地元のホタテブランドに因んで「恋し浜」へ変更したらしい。


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恋し浜の駅名標には、開業当時に地元民が詠った短歌がフィーチャーされている。
もう一つ気になったのが、駅待合室に貼ってある「鉄道ダンシ」の広告。

「鉄道むすめ」は銚子電鉄乗ったときに知ったのだが、どうやら男版もあったらしい。「へー」て感じだがw


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恋し浜からはギザギザしたリアス海岸の根元に沿って進むが、半分以上がトンネルの中だ。
震災以降新たに敷かれた線路は、三鉄の象徴としてパンフレットでよく取り上げられている。
こうして実際に現場を眼にすると、やっぱり得る実感というかリアリティが違うと思う。


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三陸でも列車交換で二分停車。終点が近くに迫ってきても眺望の良いところを抜けていく。
絶景区間で徐行しているのは気のせいだろうか。そんなことはないと思うが。
長大トンネルを何度も抜けるうちに、天気がうっすらと回復してきた。

リアス地帯を突き抜け釜石市街へ入ると、列車はダイナミックなトラス橋を渡っていく。


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10時05分、南リアス線は定刻通り終点釜石へ到着する。
盛からの乗客は2人のみであった。全線運賃1080円を支払い早々に改札へ向かう。

「乗り換えですか~!?」
「あっすいませんバスなので大丈夫です!」


間もなく発車するらしい釜石線へ乗り継ぐ客だと思われたのか、わざわざ声をかけてくれた。
そして改札へ辿り着くと、駅員さんが一人一人お辞儀して出迎えてくれた。
さすが三陸鉄道だ。神対応すぎる!


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釜石は釜石線と南リアス線が乗り入れており、駅舎はそれぞれ独立して建っている。
駅前には「鉄のモニュメント」と称した記念碑があった。
ここの「鉄」は紛れもなく製鉄の方の「鉄」である。釜石は日本最古の製鉄所を有する町なのだ。
ちなみに、日本最古の製鉄所(新日鐵住金釜石製鐵所)は駅前すぐのところにある。

釜石からは鉄道どころかBRTも無い不通区間となり、地元の路線バスを乗り継いで進んで行くことになる。
まずは、岩手県交通の長距離バスに乗らなければならない。

駅前通りのバス停で、私は10時36分発の道の駅やまだ行きを待った。



・岩手県交通 釜石船越線 [釜石駅前~船越駅前]
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岩手県交通「釜石船越線」は上大畑から釜石駅を経由し、船越駅付近にある道の駅やまだまでを結んでいる。
この長距離バス路線は元々「浪板線」という路線で、上大畑から山田線の浪坂海岸駅までを結んでいたが、
震災後は鉄道代替として機能することになり、運行区間が道の駅やまだまで延長された。
名も新たに「釜石船越線」と改められ、道の駅やまだから宮古へ向かう「宮古船越線」とともに、
山田線不通区間(釜石~宮古)を突破するための唯一ルートを形成している。

ちなみにJRの代行バスが用意されてないのは、運行区間に既に地元の路線バスが走ってたからで、
めんどくさいから走らせないというJR側の怠慢ではない。JRは地元会社と強調する姿勢をとっているのだ。
個人的にはJRのバスよりも地元の路線バスの方が味があって好きだ。利益も地元会社に回るから尚更良し。

道の駅やまだ行きバスは、定刻から数分遅れてやって来た。車両は東京人にとって懐かしのツーステップ車だ。
運賃は650円。車内の座席は満席ギリギリで埋まっている。需要は結構あるようだ。


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バスは発車して間もなく国道45号に入り、全長1350mの鳥谷坂トンネルを抜ける。
トンネルを抜けると水海海岸先で海が現れる。両石湾だ。
海面が青く澄み渡っているのが印象的だ。


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不通状態の山田線と交差し、山々を抜けると土砂が積まれた更地に入った。
山田線と並行する場所が多いが、その多くで線路や橋桁が消失してしまっている。
錆びれた線路が途絶えているのを見るのは「鉄」には痛々しいかもしれんが、これが被災路線の現状なのだ。

釜石から車内は満席だったが、鵜住居先のマスト前で乗客がガラッと入れ替わる。
見た感じ、恐らくここは復興拠点なのだろう。大きなスーパーの駐車場に直結してバス停が設置されていた。


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マスト前を出て大槌町を過ぎると、バスは再び深い山の中へ入る。
かつての終点だった浪坂からは高度が上がり、崖っぷちの横をひた走っていく。

右の地形図を見ればわかってもらえると思うのだが、この区間、陸と海の間に平板な土地が全く存在しない。
陸が海へ突き刺さるところに道路が敷かれており、勾配も非常に激しい。
ちょっとしたスリルすら感じられる(若干酔ったけど………)


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リアスの険しい海岸沿いを抜けると、バスは終点一つ手前の船越駅前へ到着した。
次乗る岩手県北バスは船越駅前が始発なので、ここで降りても乗り継ぎは可能だ。

船越駅もとい岩手船越駅は「本州最東端の駅」である。
駅はバス停から徒歩30秒程のところにあるので探索は容易だ。
次のバスが来るまでの空き時間を使ってちょっくら見に行ってみよう。



・岩手船越駅
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……なんかいまいち実感が湧かないんだが(苦笑)ここ岩手船越は鉄道駅として本州最東端に位置している。
こじんまりとした駅舎はベニヤ板で封鎖されており、駅ホームにも入ることは出来ない。

ホームには、お目当ての本州最東端駅の看板があった。


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脇からホームを観察してみる。この駅は幸い津波の被害を受けなかったらしく、線路は綺麗なままで残っていた。
手前の雑草が生い茂った線路は、かつて行われていた郵便輸送で使われていたという。
本州最東端駅のブランドを保持するためにも、鉄路が早期復活してほしいと思う。

探索後バス停に戻って待っていると、道路の向こうから宮古行きバスがやって来た。



・岩手県北バス 宮古船越線 [船越駅前~宮古駅前]
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岩手県北バス「宮古船越線」は、起点の船越駅前から約一時間かけて宮古駅前へ向かう。
この区間は通称「106急行」という急行バスも直行でやって来るのだが、
これから乗るのは純粋な宮古行きだ。船越~宮古を全線乗る場合、運賃は830円かかる。

車両は高速バスだ。しかもトイレ付。これはすごい!
先ほど乗車した岩手県交通のバスと比べると、設備の充実度は一目瞭然である。


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本州最東端駅の岩手船越を出ると、バスは山田の湾岸に沿って走り市街へ。
ここは、奥ゆかしいリアス海岸が展開する最後の区間。
宮古から先、三陸海岸は段丘に変わりリアスではなくなるのだ。

山田市街に入るとバス停間の距離は短くなる。乗降客も多く、発車しては停車するを延々と繰り返す。
市街を出ると、バスは深い山の中へ。しばらく進むと道脇に仮設診療所があった。
診療所を過ぎたところで道は険しい山道へ差し掛かり、エンジンをガンガン唸らして峠を越える。


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峠を越えると道は内陸に入り山田線と並走しながら進む。石峠を出ると山に挟まれたところをひた走り、津軽石新町へ。
ここは津軽地方じゃないのに「津軽」が付くのが不思議だ。津軽石からすぐ先でバスは宮古湾沿いに出る。

湾岸を進むと宮古市街へ入る。商業高校前で地元学生が一斉に降車し、車内はガラガラになった。



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宮古、到達!

12時49分、岩手県北バスは終点の宮古駅前へ到着した。
全線運賃を支払いバスを降りる。天気の回復は上々で晴れ間が出てきた。
このまま天候が良くなれば、大湊手前で展開する夕暮れの陸奥湾を拝めるかもしれない。


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3.11による震災不通区間は宮古までだ。ここから先は鉄路が断絶することなく続いている。
もう少し晴れてくれれば旅は成功を迎えるのだが、あとは運を天に任せるしかあるまい。
それに、残る三陸縦貫線の道のりも馬鹿にならないだろう。

旅のピークが近づいてきているようだ。車窓は東京から離れるたびどんどん寂れてきた。
本州最北の地は一体どんな景色を見せ付けてくれるのか?楽しみだ。

残る道のりは約240km!次回、本州最北端終着駅の大湊へ到達する!

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2015/05/01 | 三陸縦断作戦

北三陸と陸奥湾の絶景

「三陸縦断作戦 2日目 (宮古~久慈~八戸~野辺地~大湊)」

[2015/4/8]

1泊2日鈍行とバスを乗り続け、東京から本州最北へ向かう旅も佳境を迎える。
今回はここからが本番といっていいだろう。大湊まで残された路線は4路線だ。
いずれも地図を見る限り線路が沿岸沿いに敷かれていて、どんな風景なのかそそられるものがあった。


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宮古からは北リアス線に乗る。「あまちゃん」の舞台になった路線だが、
肝心のそのドラマを私は一度も見たことがなかった。
正直「じぇじぇじぇ」の意味すら知らない。マジで。

高校時代からTV離れしていて、ドラマは毎週見るのが面倒なのが祟って全く見てない。
映画は観てるんだけどドラマに関しては自分からっきし弱いんすよ……


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あまちゃんも知らないがAKBも……前田○子と大島○子と指原○乃しか知らんわ。
駅前にサイン入りボードがあるってことは、メンバーが直々に三鉄を応援しに来たのか??
真ん中が顔出し撮影用にくり貫いてあるが、俺は恥ずかしいからやらんぞw

あまちゃんとAKBの洗礼で時代錯誤野郎と化した私は、駅舎内で久慈行きの改札を待った。
北リアス線の全線運賃は1850円。発車時刻が近づくと改札が始まる。



・三陸鉄道 北リアス線 [宮古~久慈]
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三陸鉄道北リアス線は、宮古から八戸線と繋がる久慈までを結んでいる。
南リアス線と同じく前身は国鉄で、昔は宮古線(宮古~田老)と久慈線(普代~久慈)に分かれていた。
どちらも70年代に開業した歴史の短い路線だが、80年制定の国鉄再建法によって廃止の危機へ追い込まれる。
この危機的状況を救ったのが第三セクターの三陸鉄道であり、全線を引き受けることになった。

当時の宮古線と久慈線は分断されていて二路線を繋げるための延伸工事が行われていたのだが、
この工事も三鉄が引き受けることになり、1984年に宮古~久慈間が全通。
「北リアス線」として新たに開業を果たし三陸縦貫線の一部を担っている。

こじんまりとしたホームに停まっていた車両は、三陸鉄道の最古参車36-100形
軽快車が多い三セクの中でも、昔の国鉄車に近い重厚設計で製造された気動車である。
南リアス線の新型車も良かったが、私はこの元祖三鉄車に乗りたかった。やたらデカイ方向幕が良い。


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「ご乗車ありがとうございます。この列車はリアス式海岸を北上する久慈方面行きです」

3.11被害を受けた北リアス線の復活力は三陸復興の象徴としてたびたび取り沙汰されている。
最大限の経営努力を行っており「あまちゃん効果」もあってか今は黒字経営だという。
車内は何時の間にか満席状態。ガラガラだった南リアス線とは対照的である。

地形図を見る限り、北リアス線のハイライトは後半だと思う。
リアス地帯を突き抜けていた南リアス線とは異なり、標高の高い段丘を進んでいくことになる。


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宮古を出ると列車は間もなくトンネルを何回かくぐり抜け、閑散とした山の中へ。
トンネルの長さはかなりのもの。しばらく山の中を進むようで、海はまだまだ見えてこない。

小本(おもと)という変わった名の駅で乗客が一気に減った。観光拠点なのかもしれない。
島越辺りでようやく海が見えてきたがチラチラと見えるだけだ。
田野畑からは一旦内陸に入り長い長いトンネルを抜けていく。

トンネルとトンネルの間には必ず駅がある。
深い山々で断絶された集落のを結んでいることが、乗っていて分かる。


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「間もなく、長さ176m、高さ30mの大沢橋梁を渡ります」

普代を出て白井海岸を過ぎたところで、北リアス線はハイライト区間に突入する。
撮影名所として有名な「大沢橋梁」だ。ここから眼下に見える港はあまちゃんの舞台になったらしい。
純粋な鈍行なのにも関わらず、橋通過時に列車は徐行どころか一時停止。観光案内もちゃんとやった。


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あまちゃん人気は半端なく、ドラマの案内が流れると観光客が一斉にカメラで撮り始める。
「ああここが○○が○○した場所なのか!」とかリアクションしたいところだが、
私はあまちゃんを一度も見たことがないので何が何やらわからない。


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「間もなく、長さ302メートル、高さ33メートルの安家川橋梁を渡ります」

やっぱりあまちゃんの舞台になったらしい堀内を出てすぐのところで、列車は「安家川橋梁」へ。
北リアス線の中でも巨大な橋であり、高さもあるため右手には絶景が控える。
大沢橋梁と同様、ここでもたっぷり一時停止するようだ。

海岸線を走る国道の向こうに、険しい北三陸の断崖地帯が見える。
大沢橋梁よりもこちらの方が眺めが良いように思えた。


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「あまちゃん区間」から先は絶景だらけだ。列車は険しい断崖の上をひた走っていく。
断崖を下り人家が多くなると拠点となる陸中野田へ到着する。


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陸中野田からは海岸線を離れ野山を進むようだ。車内は地元学生で賑わっている。
北三陸も震災の爪痕が深く残っていて、車窓から建設途中の堤防が見えた。

山中のちょっとしたピークを過ぎれば、終点久慈まであと少しである。



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14時50分、北リアス線の鈍行は終点久慈に到着した。
これで三陸鉄道ともお別れだ。久慈からは再びJRの世話になる。
次回訪れるときは恐らく、山田線の不通区間も三鉄に移管されているだろう。

次乗る八戸行きが発車するのは6分後である。乗り継ぎがややシビアで心配していたが、
何のことなく向かい側のJRホームへ移動。列車も至って空いていたから良かった。



・八戸線 [久慈~八戸]
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八戸線は、三陸鉄道と接続する久慈から八戸までを結ぶ地方交通線だ。
三陸縦貫線の北端を担う路線で、定期で走ってるのは地域輸送に特化した鈍行のみ。
開業は1984年と古い。久慈以南の三陸鉄道とは約100年の隔たりがある。

八戸線の車両は全国でもお馴染みのキハ40。白い車体に赤い帯が渋い。
ここのキハ40は、ワンマン改造やエンジン換装を一切行ってないことで知られる。
外装、内装、音、何もかもが国鉄時代そのまま。もちろん非冷房。しかも閑散地区にして異例の3両編成!
関東では滅多に見られない、古き良き国鉄時代の運行風景だ。


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14時56分発の八戸行き鈍行は、閑散とした状態で久慈を発車した。
「ガラガラガラ!」と唸る原形エンジンが最果て旅情を駆り立てる。

久慈からさっそく海沿いを進むのかと思いきや、列車はエンジン全開で深い山の中へ入っていく。
左手には雄大な山景色が見える。10分くらい上り勾配を上ると集落へ入り侍浜へ到着する。
この峠区間(陸中夏井~侍浜~陸中中野)の標高差は150m。八戸線は海線である一方で山線でもあったのだ。

侍浜からすぐのところで峠を越え、惰性で急勾配を下っていく。


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峠を越えて、陸中中野手前で列車はようやく海沿いに出た。
ここから先しばらくは海すれすれを走る。眺望はすこぶる良い。
人家も見当たらない風光明媚な景色が続く。


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古い国鉄車の窓は傷だらけで、カメラのピントが上手く合ってくれない(半数以上が失敗)。
まあ、これはこれで旅してる感が滲み出て良いかも。
宿戸手前で列車は海を離れた。車内は未だガラガラ状態。
海岸線を離れると、鬱蒼とした森林を進んでいく。


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長閑な道のりを進み、階上(はしかみ)という難読駅で列車交換のため3分停車する。
かつて有人駅だったこの駅では2005年までタブレット交換が行われていたという。

対向列車が来るとすぐさま発車。階上から先は閑散とした住宅地をひた走る。
唸る原形エンジン、味のある車掌アナウンス、いい感じにこなれたボックス席。
もはや時代錯誤といえる旧時代ローカルの鉄道旅情を、私は今体験している。


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しばらくのんびりした景色が続いたが、種差海岸辺りで再び海が迫ってきた。
どうやらこの区間は防風林の伐採を行い景色を見やすくしたらしい。
あのJRが景観に配慮するような活動をしてたとはな………w


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陸奥白浜でようやく「陸奥」の名を聞く。仙台から陸前、陸中、陸奥と順当に通ってきたわけだ。
陸奥白浜を出たところで断崖のすれすれを通り、人家なしの絶景が広がった。

内陸突端をゆっくり駆け下りると、列車交換駅の鮫(さめ)に到着となる。
鮫から八戸線は本数の多い生活路線となり、工場や繁華な住宅を進んでいく。
白銀からは学生で満員状態に。陸奥湊を出てすぐのところで高架に上がり、今は使われていない貨物線と合流する。



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通学路線の様相を呈したところで、列車は終点八戸に到着した。
これで三陸縦貫線を擬似完乗したことになる。BRT、路線バス、三セク等、多彩な道のりであった。
最果て終着の大湊まで残り100kmをきった。時刻は既に夕方。空はすっかり晴れ渡っている。

八戸からは、青い森鉄道に乗って野辺地まで行く必要がある。



・青い森鉄道 [八戸~野辺地]
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青い森鉄道は紛れもない三セク路線であり18切符で全線乗車することは不可能だが、
八戸~野辺地~青森の3駅間に限っては特例があり、途中下車をしない限り18切符で乗車可能となっている。
これは、JR路線として孤立してしまった八戸線と大湊線に対する接続対策だ。
もちろん接続駅以外は一切下車不可なので、注意したいところ。

17時13分の青森行きは発車寸前になって混雑してきた。
車両は2両編成の701系。立ち客が出る中、列車は定刻通り発車する。




車窓はただっ広い田園が続くが、本州最北らしい風景を何処となく醸し出してきた。
上北町で乗客がドッと降りていく。陽は既に暮れかけている。

ここまで来ると前日の分も含み疲れが溜まってきた。特に睡眠が足りず、端の座席でグッタリ眠り込む。
前夜の転倒事故の影響は尋常じゃなく、膝と肩が動かすたびボッキボキ唸る。
でも、こんなことで負けてられない!もうすぐ最終目的地なのだから。


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16時48分、定刻通り野辺地へ到着。ここからようやく本州最北端路線の大湊線だ。
自販で缶コーヒーを買い、グッと飲み干し襲い来る眠気を覚ます。
旅のハイライトを飾る素材は十二分に揃った。あとは、列車に乗りこむだけだ。

(改めて)行くぞ、大湊!

拳を握りしめガッツポーズした後、意気揚々と大湊線の鈍行に乗り込んだ。



・大湊線 [野辺地~大湊]
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18時10分発の大湊行きは2両編成のワンマン気動車だ。
この路線は野辺地から下北半島の陸奥湾側を通り、終点大湊へと至る。
愛称は「はまなすベイライン大湊線」。鈍行の他、数駅のみ停車の快速も走っている。

車内は空いており絶景が展開する左側のボックスシートを確保。
車体をブルルン!と震わせ、定刻通り野辺地を発車した。


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甲高い汽笛を鳴らしながら、起点からしばらく住宅街を進んで行く。
夕日は沈みかけている。事前に計算していた絶景を拝めるのも、あと少しの時間しかない。

「出来れば速めに突っ走ってくれ……!」そう願ううち、左手に少しずつ陸奥湾が近づいてきた。


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身は疲れ果て、気力も擦れかけているのに、車窓に釘付けになる。

やがて有戸を出てしばらくしたところで、大湊線の車窓は化けた。



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赤く染まる夕景をバックに、眼の前に広がるのはただっ広い陸奥湾。
最果てそのもののような絶景だ!



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怒涛の海岸線並行区間をひた走り、海を離れると列車は吹越へ到着。
どうやら、陸奥湾の絶景が見れるのは有戸~吹越間に限られるらしい。
大湊線は全線に渡って車窓が面白いと聞いたので、他の区間の車窓は明日の復路で取り上げたい。



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列車交換駅の陸奥横浜を過ぎたところで陽は暮れてしまった。
車内はガラガラ。地元の学生数人と団体客が一組いるだけだ。

ここまで来れば、あとは走り行く列車に身を任せればいい。
それ以外に何か出来る体力は残念ながら使い果たした。
ぐったりと座席にもたれかかる。

東京から1000kmの終着地まで、あと少しだ!



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「ご乗車、ありがとうございました。終点の大湊に到着です」

大湊、着いたぁああああああああああああーーーーー!

19時12分、列車は本州最北端終着駅の大湊へ到着した。駅としての本州最北端は隣の下北だが、
最果て行くのに一駅手前で降りるというのは心底気持ちが良くない。
乗るんなら終着までがいいに決まってるじゃないか!

東京から約1000km鈍行とバスで東海岸線を辿ってきたが、その道のりは想像以上に"鬼畜"だった。
繁忙期に決行していたら多大な混雑に巻き込まれヘロヘロになってた可能性大。
とりあえず今は、到達した喜びを身をもって実感したいと思う。



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興奮気味に列車を撮影した後、私は駅を出た。身体が疲れきっているため駅舎を撮ったらすぐに宿へ。
大湊駅前は閑散としていて何もないが、幸いなことに駅前隣にJR直営のホテルがあった。
宿代そこまで高くないし無料で朝食がつくというから有り難い。
早めにチェックインし、到達の余韻に浸りながら就寝した。

本州最北端は無事到達したが、旅はまだまだ終わらない!
明日は津軽線に乗って竜飛崎へ行く予定だ。

次回!大湊線・青い森鉄道・津軽線・町営バスを乗り継ぎ、津軽最北の竜飛崎へ向かう!

2015/05/11 | 三陸縦断作戦

本州最北路線の道のり

「三陸縦断作戦 3日目 (大湊~野辺地~青森~蟹田~三厩~竜飛崎)」

[2015/4/9]

朝7時、相変わらず寝不足のまま私は大湊のホテルで起床した。
無料の朝食バイキングで飯をかきこみ、エネルギーを注入する(ご飯軽く3杯いった)。
鬼畜な鈍行旅は体力と気力がないととてもやってけない。だから、充実した朝飯は必要不可欠なのだ。


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本日の天気は快晴。スロースターターだが三日目になって運が向いてきたようだ。
今日は大湊線に乗り、野辺地から青い森鉄道と津軽線を使って津軽半島の最北端へ向かおうと思う。
当初の予定では大湊からバスで恐山へ行こうとでも思っていたのだが、
あいにく閉山中のため予定変更。未乗の津軽線で竜飛崎へ行くことにした。




今日の乗り継ぎルートはこんな感じである(大湊線→青い森鉄道→津軽線→外ヶ浜町営バス)。
下北半島から津軽半島の突端へ!半島の盲腸線を乗り通し、果てに待つのは竜飛崎。
三陸国最果ての景色はどんなものなのか、この眼で確かめてこよう!

大湊の駅舎を観察した後、改札を通り乗り場へ突入した。



・大湊線 (快速しもきた) [大湊~野辺地]
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昨日は真っ暗で何も見えなかったが、大湊駅のロケーションは想像以上に素晴らしい!
バックに聳えているのは標高878mの釜臥山だ。

「大湊軽便線」として1921年に開業した大湊線は、かつて終点に海軍の基地があった。
繁華街の中心は隣の下北へ移っているが、当時は大湊の方が活気付いていたという。
同路線は半数以上の列車が青い森鉄道に直通し青森・八戸まで乗り入れている。

昨日乗ったのは鈍行だが、今から乗るのは八戸行きの快速「しもきた」だ。
車両は2両編成のキハ100。東北ローカルではお馴染みの気動車だ。


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8時05分、八戸行きの快速しもきた号は定刻通り発車した。座席は八割方埋まっている。
終点の野辺地まで約40分の道のりである。

大湊を出ると列車は右にグッとカーブし、広大な田名部川の河口を渡る。
ここで大湊線ハイライトの一つといえる釜臥山の絶景が展開。
田名部川を渡ると隣駅の下北へ。乗客がそれなりに乗り込んできた。
ここからしもきた号はいくつか駅を抜かして進んでいくことになる。


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「ここは北海道なのか??」と思うほど、大湊線の車窓は荒涼としている。
人工物が少なく土地が広大に見えるので北海道の大地を想起せざるを得ない。
私は、こういう広大でなんもない車窓が、大好きだ。


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陸奥横浜までは主に防風林の中を進んで行く。
沿線は木々も多いが、一部区間ではこんな感じで眺望が開ける。


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唯一の列車交換駅、陸奥横浜で対向車とすれ違い。対向も2両編成のキハ100である。
大湊線沿線は菜の花が有名らしく、駅近くには日本一の菜の花畑があるという。

陸奥横浜からは開けたところを進み、吹越から先で海が間近に迫ってきた。


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大湊線のハイライト砂浜区間(吹越~有戸)へ突入!この区間の駅間距離は約13kmもある。
昨日夕暮れ時で通ったときは屏風のような絶景だったが、日中もまた絶景。素晴らしい。
海の影響を受けないよう、鉄道が海沿いを通る際は高台に線路が敷かれてることが多いが、
大湊線は砂浜をぶち抜いており陸奥湾が穏やかな海域であることを物語っている。

砂浜区間を抜けると海を離れ、閑散とした住宅街へ入った。


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8時58分、快速しもきた号は野辺地へ到着する。
列車はそのまま青い森鉄道へ入り八戸へ向かうが、私は青森へ行きたいので下車。
数分停車後、エンジンを唸らしゆっくり走り去っていった。

北海道を彷彿とさせる大湊線の前評判は嘘ではなかった。
広大な原野を走る根室本線(釧路~根室)ほどではないが、
最果て妙味たっぷりの車窓が展開し、なかなか見ごたえがあった!



・青い森鉄道 (快速) [野辺地~青森]
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野辺地からは青い森鉄道だ。東北新幹線に長距離輸送を託したため、列車は快速と鈍行のみ。
昨日の八戸~野辺地間と同様、これから乗る野辺地~青森間も特例が適用され18切符で乗車ができる。
大湊線は新幹線を含むJR線とは一切接続していないためだ。

9時38分発の青森行き快速はクロスシート付き車(E721系)であった。
こいつは恐らく東北本線で使われていたやつだろう。


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青い森鉄道の車窓は閑散としているが、乗客は多い。
左手には青森の険しい山々が聳え、手前には田畑が広がっている。

この区間、昔は東北本線の一部らしかったから不思議な気分だ。
その名残かは知らんが、長大貨物がさっきからひっきりなしに通っている。
東北本線は旅客ルートの大動脈であるとともに、貨物の大動脈でもあったのだ。


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人家が多くなってくると、列車は終点の青森に到着する。
時刻は10時24分。青森から今度は、10時38分発の津軽線に乗り換えなければならない。

日中に初めて来た青森(←夜中にしか来たことがない)。
夜行「はまなす」で北海道へ2回行った自分にとって青森は通過点でしかなかったが、
今日の旅の主役は青森と津軽だ。青森駅前は夕方に立ち寄るとして、まずは津軽線を制覇しよう!



・津軽線 [青森~蟹田]
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津軽半島を走る津軽線は、青森~函館間を結ぶ「津軽海峡線」の一部を構成している。
全線の青森~三厩間のうち、青森~蟹田間は海峡線の特急・貨物達と共に走るが、
蟹田から先は津軽線単独の道のりとなり、鈍行のみが終点三厩へ向かうのだ。

一部例外もあるが津軽線は蟹田を境に運行系統が分かれており、途中で列車を乗り継ぐ必要がある。
10時38分発の蟹田行きは3両編成の701系。安定の鬼畜オールロングシートだ。
こいつとの付き合いはもう慣れっこ。鬼畜=当たり前みたいになってるのが恐ろしい。


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列車は発車すると青森市街を進むが、程なくしてただっ広い田畑をひた走っていく。
左手には津軽の山々が聳え、手前に北海道新幹線の真新しい線路が見える。
列車交換駅の中沢で3分停車。この辺りはまだまだ繁華な幹線といった様相だ。

津軽線は海沿いに線路が敷かれているが、海は車窓からあまり見えない。
郷沢辺りからようやく海がチラチラと見え始める。


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終点一つ手前の瀬辺地を過ぎたところで、列車はやっと海岸線に出た。
車窓に陸奥湾と、さっき私がいた下北半島が霞んで見える。手前の道路は国道280号だ。
津軽線と並走するこの国道は蟹田先で一旦道のりを別つが、終着三厩近くで再び合流することになる。



・津軽線 [蟹田~三厩]
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蟹田に着いた。ホーム向かい側で待っていたのは、単行の国鉄気動車だ。
単行なのに車掌がちゃんといる。非冷房であり、エンジンも昔のまま。
デッキも取り外されてなくワンマン化などの改造もされていない。正に素のままのキハ40だ。
古参"鉄"には嫌われてるそうだが、個人的にキハ40は偉大なる汎用気動車だと思う。

これまで繁華な幹線だったが、蟹田から先で津軽線は非電化ローカル線となる。
1日走る列車は僅か5本。取り残されたような閑散区間となっており、利用者も著しく少ない。
蟹田を発車すると海沿いから離れ、半島の内陸側へ突入した。


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中小国という変わった名の駅を過ぎてしばらく進んだところで、津軽線は津軽海峡線と分かれ単独路になる。
この先、歴史の新しい海峡線は山中をトンネルでぶち抜いて突き進むが、
歴史の古い津軽線はを越えて先を進むことになる。

右手に分かれていく海峡線の高架を見ていると、正直"取り残された感"が半端ない。
将来新幹線がひっきりなしに駆け抜けるんだろう。そんな未来が約束された鉄路の傍らで、
我々ローカル旅行者は衰退した地方交通線を選び取って旅をしているのだ。


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車内もご覧の通りガラガラ。悲壮漂うシチュエーションだが、そんなことはないと言いたい。
私からしてみれば、新幹線はただの移動手段にすぎない。
最果ての鈍行こそ旅に相応しい存在なのだ。

新幹線で東京へ帰ろうとしてる奴が声を大にして言うことじゃないかもしれんが(苦笑)


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原形エンジンを唸らせながら、昔ながらの体裁で列車は太平から山道に差し掛かる。
もはや時代錯誤な峠越え。すぐ横には北海道へ通じる長大トンネルが通っているのに。
勾配を延々と上り、天狗岳の横を抜けていくと峠を越えた。

坂を下り再び海峡線と合流すると、列車はこれまた取り残されたような津軽二股へ着く。


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津軽二股から先は、山に囲まれた平地を進む。
この辺りは人が住んでるのかわからない廃屋ばかり。最果て感が凄いが侘しいところだ。


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今別から、列車は再び半島の海岸線沿いに出た。
終点手前のところでは海が間近に迫り、先ほど並走していた国道280号と合流。
海沿いを抜けそのまま終着へ着くのかと思いきや、列車は到着寸前で"クイッ"と内陸側へ曲がった。

内陸側へ差し掛かったすぐのところでアナウンスが流れ、列車は終点の三厩へ到着する。


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終点まで乗ってきた乗客は私含めてたったの三人。
「侘しすぎる……」というのが、ホームに降り立ったときの率直な感想だ。

大湊よりも最果て感は濃厚で、本州の最果てまで来た感じがするぞ。


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三厩駅はホーム端からそのまま駅舎に通じているようだ。
先に見える線路の末端も最果ての雰囲気を醸し出している。

今日はここから町営バスで北上し、より侘しい津軽最北の岬へ向かうのだ。


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三厩駅は懐かしい雰囲気の平屋建て。開業当時から使われているものらしい。
駅舎入口には「津軽半島最北端の駅」と凛々しく掲げられていた。
ちなみに、この駅は「東北の駅百選」にも選ばれている。

駅前は特に何もないが、町営バスのバス停と観光案内板がある。
お目当ての竜飛崎行きバスはロータリー脇に停まっていた。



・外ヶ浜町営 三厩地区循環バス [三厩駅前~竜飛崎灯台]
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外ヶ浜町営「三厩地区循環バス」。このバスは、三厩駅と竜飛崎を結ぶ唯一のバス路線だ。
元々この路線は「竜飛線」という名で青森市営バスが受け持っていたが、2001年に利用客減少により撤退。
これを地元の三厩村が受け継ぎ、さらに蟹田町・平舘村・三厩村が合併して発足した外ヶ浜町が受け継ぐことで、
同線は津軽最北のバス路線として生き残ってきた。運賃は一律100円と安い!

12時10分、三厩駅前から竜飛崎灯台行きバスが出発する。
狭い路地を進み、すぐに海沿いの国道280号へ出た。


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三厩本町を出るところで、バスは国道339号へバトンタッチ。道中には古い隧道も残る。
この区間、普通サイズのバスでは通行困難な箇所ばかりだ。道路は二車線になってるのだが、
二車線としてはギリギリの狭さ!"酷道"っていうほどでもないかもしれないが。

むちゃくちゃ狭い国道をバスは手慣れた動きで進んでいく。
海と崖が迫り、その間僅かの土地に沿って車道が無理やり敷かれてる感じ。
地元の生活感満載で、道端にわかめや長靴やらが並んで干してあるのが面白い。


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ひなびた漁港を過ぎていくとバスは国道を脱し、岬へ至る急坂をグイグイ上っていく。
どう考えても無理やり敷いたとしか思えないぐにゃぐにゃ路盤のオンパレード。
竜飛崎までの道のりは、思いのほか波乱万丈な道のりであった。



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12時42分、標高高い岬へたどり着くと終点の竜飛崎灯台に到着した。
運賃100円を支払いバスを降りる。竜飛崎周辺は曇ってるときが多いと聞いたが、
今日は天気が良く絶景を沢山拝めそうだ。良かった、良かった!

折り返しのバスが発車するまで一時間強ある。ちょっくら探索するには十分な時間だ。
竜飛崎はすっかり観光化されてしまったようだが、一度は訪れてみたかった岬だ。
名前だけは有名な竜飛岬。そして、竜飛岬といえばあの歌である。

寒風を浴びながら、私はバス停から岬の先っぽへ向かった。

2015/05/14 | 三陸縦断作戦

春の竜飛崎にて

「三陸縦断作戦 3日目 (竜飛崎~三厩~青森~新青森~東京)」

[2015/4/9]

東京から鈍行とバスをひたすら乗り継ぎ、3日かけて三陸国を縦断する鈍行旅も終盤に差し掛かる。
どう考えても正気の沙汰ではないが、乗った列車・バスの数は20本を越えており、
今回の旅の鬼畜さを物語っている。体感的には数珠繋ぎに近い行程であった。


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津軽線の終着三厩からバスに揺られること30分、私は津軽の突端、竜飛崎へやってきた。
三陸国の定義では竜飛は最果ての地である。陸奥のさらに奥の最果ての岬。
昔はもっと侘しかったそうだが、現在竜飛崎は観光化されているという。

折り返しのバスが出るまで一時間強あるので、これから竜飛崎の観光スポットを探索していこう。



・竜飛崎
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これが、竜飛崎の全景である。
竜飛崎は岬の一般イメージに限りなく近く、眺めは素晴らしい。
今日は天気が良く、津軽海峡の向こうに北海道の大地が見えた。

画像左上に聳えるのが竜飛崎灯台で、真ん中らへんの駐車場に停まってるのが私が乗ってきた町営バスだ。
竜飛崎周辺はそれぞれ観光スポットがあるが、何処も駐車場から徒歩数分で行くことが可能。
何処から行こうか迷うが、まずは駐車場すぐ横にある石碑を見に行くことに。



・「津軽海峡冬景色」歌謡碑
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岬の駐車場すぐ近くにあるのが、立派な石碑が鎮座する展望スペースだ。
石碑には何故か石川さゆりの「津軽海峡冬景色」の歌詞が彫り込まれている。
"鉄"の間では言わずと知れた、青森ご当時ソングの一つだ。

よく見ると、石碑になんか赤いボタンが付いてる。
押してみると大音量で「津軽海峡冬景色」の2番が流れ始めた。




石川さゆりの歌声が岬中に響き渡っている!w

今は閑散期だから長閑だが、繁忙期になると竜飛崎は観光客でごった返すと聞く。
石碑にボタンなんてついてたら、みんな興味本位で押すに決まってる
となれば、繁忙期の竜飛崎は石川さゆりの歌声がずっと爆音で流れ続けているんだろう(笑)



・階段国道339号線
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続いて向かったのは、石碑のすぐ近くにある「階段国道」。階段国道とは何なのかというと、その名の通り階段の国道である。
見ての通り階段そのものだが、正式に国が指定している国道であり、ちゃんと"おにぎり青看"もあった。
全国の国道の中でも、階段が国道として指定されているのはここだけだそうだ。

階段国道を降りていくと岬の麓へ行けるようだ。段数は362段ある。
試しに端から端まで往復してみたが、片道3~5分くらいかかった。


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元々階段国道は"坂道"だったらしいが、
地元の名物希望の声もあり階段になっても国道指定を外れず今に至っている。
階段中腹には、かつてあったという竜飛中学校の跡地が残っていた。



・竜飛崎灯台
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岬の先っぽへ至る階段を上ったところには竜飛崎灯台がある。
灯台はこじんまりとした姿で、銚子の犬吠埼灯台ほど大きくはない。

1932年に初点灯したこの灯台は、80年近く津軽海峡を行き交う船を見守ってきたのだ。


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竜飛崎灯台の横を奥へ進んでいくと、津軽海峡を一望できる展望スペースに行き着いた。
望遠レンズをつけたカメラマンがじっと構えているが、渡り鳥でも撮影するのだろうか。
鳥の知識については全く門外漢だが……

快晴となる今日、津軽海峡の向こうには北海道の大地が見える。
岬の先に据えられているのは軍事用レーダーだ。


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本州最北端まで遥々やって来た、旅の旅情をひしひし感じられる場所である。
極寒の中行ってしまった宗谷岬とはまた違う、奥行きと侘しさ。

最終目的地の景色を存分に刻みつけた後、私は復路のバスへ戻った。



・外ヶ浜町営 三厩地区循環バス [竜飛崎灯台~三厩駅前]
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意外とあっという間に時間が来てしまったので、急いで町営バスの元へ戻る。
折り返しバスの面子は往路と全く同じ。まあそりゃそうだろうが。

運賃たった100円の町営バスは、定刻になると三厩向けて発車した。


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車内は相変わらずガラガラだが、途中地元の人が数人乗っては降りていく。
この辺りで生活する人の姿は、いかにも漁場の人といった出で立ちだ。
年輩の女の人は皆頭に風呂敷を巻いている。

「わいーめわぐだのぉ」「なんもへばな!」「へばね!」

地元の人の会話に耳を立ててみるが、生粋の津軽弁で何を言ってるのかさっぱりわからない。
東北訛りはあまりにも根深く、濁音言葉が多い印象を受けた。
寒く口数が少なくなると必然的に濁音になってしまうのか。


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竜飛から30分強の道のりを経て三厩へ戻ってきた。

蟹田以北の津軽線はあまりにも寂しく、1日5本の鈍行がやってくるのみ。
かつて学生や行商人を大勢乗せて走っていたという津軽線の昔の面影は、
時刻表を見る限り果てしなく消えかけている。これが海峡線から取り残された結果なのだ。


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「プァーーーン!」

手書きの白線が引かれたホームで一人立って待っていると、遠くから年季の入った警笛が聞こえてきた。
折り返しの「三厩発青森行き鈍行」だ。カーブからヌッと現れると、
ゆっくりと近づいてきて間もなくホームへ入線する。



・津軽線 [三厩~青森]
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蟹田以北の津軽線は非電化であり、蟹田を境に運行系統が分かれていることは前回で述べたが、
この系統の境を無視して全線走る鈍行が往路復路ともに1日1本だけ存在する。
今から私が乗る15時19分発の青森行き鈍行がそれだ。

車両は単行の国鉄気動車。何も改造されてない素のままのキハ40である。
合理化著しい現代において昔ながらの国鉄風情を色濃く残した姿だ。

乗客は往路の鈍行と同じ面子。侘しさに駆られていると定刻通り三厩を発車した。


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津軽浜名で学生が大勢乗り込んでくる。地元の津軽の学生達だ。
海を離れ峠を越えると、列車は惰性を維持してノロノロ山道を進んで行く。
津軽海峡線と合流し、再び海沿いに出ると海峡線と接続する蟹田へ到着した。

往路は蟹田で乗り換えたが、今乗ってる復路の鈍行は青森まで直行で行ってくれる。
この列車は青森の車庫を拠点とした送り込み運用で、蟹田~青森もついでに客を乗せているのだ。


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蟹田で津軽の学生達は降りていってしまった。蟹田を出てからは少しの間だけ海沿いを進む。
郷沢で特急待ちのため10分停車。長大貨物を尻目に単行気動車が勇猛果敢にひた走る。


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16時55分、津軽線の全線通し鈍行は終点の青森へ到着した。
青森からは帰路となるが、その前にちょっくら駅前で飯にあり付こう。


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何を食べようか色々迷ったが、駅前すぐの地元食堂「おさない」でホタテの定食にありついた。
ホタテの刺身、塩辛、バター焼きを一気に味わう。青森といえば魚介だが、特にホタテは絶品らしい。
身がプリプリしていて東京で食べるものとは断然違う。今日のお土産はホタテに決定だ!


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青森駅前から徒歩数分のところには、かつて運行されていた青函連絡船の姿があった。
遥か昔のことだが、例えば上野発の夜行列車に乗って早朝やって来た人達が、
ここから青函連絡船に乗って先ほど訪れた竜飛岬を遠くに眺めていたのかと思うと、
何かこみ上げてくるものがあった。古き良き、時代を感じた。

昔の遺構に縋りつき、一人想いを馳せてみるのも良いのではないだろうか。
乗ったこともない青函連絡船を眺めた後、私は青森駅へ戻った。



・スーパー白鳥34号 [青森~新青森]
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行きは全て鈍行とバスだったが、帰りは新幹線で一気に東京へ向かう。
東北新幹線の始発は青森ではなく一駅隣の新青森だ。
新青森へ行くには奥羽本線を使えばいいが、青森〜新青森間に限っては特例があり、
特急券なしで特急の自由席に乗ることができるので有り難く利用させて頂こう。

これから乗車するのは特急「スーパー白鳥34号」だ。
特急白鳥は、新青森で効率よく接続する東北新幹線と号数を合わせてるらしい。
次乗る新幹線が「はやぶさ34号」なので、今回は"34"のコンビで東京へ向かうことになる。


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青森から僅か5分で、東北新幹線の起点となる新青森へ到着。
駅構内のお土産屋でホタテを買った後、指定席券を買い新幹線のホームへ。
本州最北ともこれでお別れだ。例によって鈍行三昧の旅となったが、楽しかったぞ。

「東京へ、帰ろう!!」



・はやぶさ34号 [新青森~東京]
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新幹線・在来線全て含めれば"日本最長路線"として知られる、東北新幹線に今回初めて乗車する。
18時24分発の「はやぶさ34号」は、定期の上り便の中で最も停車駅の少ない最速便であった。
この列車は新青森を出ると、なんと「盛岡・仙台・大宮・東京」の4駅にしか停まらないのだ。

全線通しの上りでこれほど停車駅の少ない便は、現時点ではやぶさ34号を除いて他に一本もない。
「何故この便だけ上野に停車しないんだろう?」と疑問に残ったが、縁起がいいのでコイツに乗って帰ろう!
この列車は、新青森から終点東京までの674.9 kmを2時間59分かけて走り抜く。鈍行では半日以上かかる距離だ。


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一日一本の最速はやぶさは定刻通り新青森を出発。盛岡まではトンネルが多く電波も届かない。
新青森からはガラガラだったが仙台でドッと乗客が増えた。

夜の新幹線は暗闇を疾走する感じで、車窓も真っ暗な中を街灯が超高速で流れていくのみ。
その様はまるで銀河特急だ。普段鈍行ばかり乗ってる自分としては、
超低空で空を飛んでるような錯覚さえ受けた。


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上越・長野・北陸新幹線と交わったところで、列車は21時に大宮へ到着する。
さっき本州最北にいたのに、あっという間に東京へ戻ってきてしまった。

乗車してから2時間半経過しているが尻はそこまで痛くならない。
座席には可動式の枕がついており、快適性は申し分ない。
さすが、そこは天下の新幹線なだけある。




並行する在来線を尻目にはやぶさは大東京向けてひた走る。
大宮からは速度を落として進み、日暮里に差し掛かるあたりで地下へ。
上野を通過すると再び地上へ出た。秋葉原を過ぎれば終点東京は眼と鼻の先だ。

終点到着のアナウンスが流れると列車は速度を落とし、ホームへ入線。
21時23分、はやぶさ34号は定刻から寸分狂わず東京へ到着した。



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ああ帰ってきてしまったぞー、大東京。列車を降りると超高層ビルの中であった。
名残惜しいが明日は仕事だ。帰ってきてしまった切なさに浸っている場合ではない。
はやぶさを撮った後、今年開業したばかりの上野東京ラインを利用して帰路へ着く。
品川からやってきた取手行き快速電車は、何時もと変わらぬ日常の風景であった。

・旅の総費用:27990円(18切符3日分+三セク/バス運賃+新幹線運賃+指定席券)
・乗った乗物の数:鈍行16本+快速2本+新幹線1本+BRT2本+バス7本
・総所要時間/総距離:2泊3日/約1760km


数珠繋ぎに等しかった長距離鈍行旅。列車・バス含み、乗った乗物の数は合わせて28本!
本州最北到達の喜びとともに、今回の旅の中で印象に残ったのは侘しい三陸国の景色だ。
「陸前→陸中→陸奥」と順々に辿っていったが、景色の移り変わりが見応えあったし、
地名の移り変わりに旅情を感じた。駅名に「陸奥」の名が現れたときは「最果てまで来た!」という実感を持てたぞ。

次回の長距離旅行も鈍行中心でやるつもりだが、次の青春18の期間までしばしお預けだ。
やや地味で渋い内容になってしまったが、本稿で三陸縦断作戦を終幕する!
(完結)
2015/05/18 | 三陸縦断作戦

AIZUマウントエクスプレスに乗って

「会津鉄道の絶景車窓を辿る (北千住~鬼怒川温泉~会津若松)」

[2015/4/27]

東京都内から私鉄と三セクで行ける最奥地が「会津若松」だ。
地図を見ると、東京から会津若松へ行く鉄道ルートは主に二通りあることがわかる。

一般的なのは新幹線と在来線(東北本線と磐越西線)を経由する"表ルート"で、
会津へ向かう主要経路になっているのだが、この表ルートに対し、
一般客にあまり知られてないのが私鉄と三セクを経由する"裏ルート"だ。
今回は私鉄+三セクの裏ルートを経由して、東京から会津若松へ向かおうと思う。


・計画~導入


東日本の大手私鉄、東武鉄道から今回の旅は始まる。
まず北千住から快速列車「会津田島行き」に乗って北上し、鬼怒川温泉で下車。
そして鬼怒川温泉で会津鉄道の「AIZUマウントエクスプレス」に乗って、一気に会津若松を目指す!

言ってしまえば二本の列車を乗り継ぐだけなので、行程そのものは単純だが、
今回行く裏ルートの真価は経由する会社線の多様さにある。

「東武鉄道→(新藤原)→野岩鉄道→(会津高原尾瀬口)→会津鉄道→(西若松)→JR東日本」

こんな感じで、計4社を跨いで進んでいくことになる。厳密に私鉄と三セクに絞るなら西若松までだが、
会津鉄道の列車は全列車が会津若松まで直通していて、同線の実質的終点になっている。
東日本最長の私鉄+三セクルートを、今回は絶景車窓多めに辿っていこう。


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朝7時、通勤ラッシュの北千住にやってきた私は、券売機の窓口で4社連絡の全線切符を発行してもらおうとしたが、
どうもそこの窓口では取り扱ってない??らしく、とりあえず3社連絡の切符を購入した。

要は下車駅で精算してもらえばいいから問題はないが、何故発行できなかったんだろうか??
公式HPにはっきり「北千住で4社連絡の切符を取り扱ってる」って記載があったのに。
窓口の係員も4社連絡切符の存在すら知らなかったし………まーいいか。

朝の北千住はカオスそのものだ。人混みに流されながら、私は東武の1番線へ向かった。
アナウンスが流れると、7時21分発の快速列車がやってくる。
会津若松まで約230kmの道のりが、今、幕を開ける!



・東武鉄道 (会津田島行き) [北千住~鬼怒川温泉]
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東武の裏自慢といえる、日光・会津直通の快速列車。浅草始発のこの列車は行き先が三つに分かれているのだが、
中でも前側の「会津田島行き」は、東日本私鉄の中で最長距離列車(特急を除く)として知られる。
発車10分前にホームに降り立つと大行列が出来ており、列車が到着すると席取り合戦が始まった。

この列車の混雑体験については"前例"があるので、大人しく特急で行こうと思ったが、
もう乗ってしまったんだから仕方あるまい。こいつで鬼怒川温泉まで行っちまおう!

列車は北千住を出ると春日部までノンストップで疾走し、そこから先も特急並みの停車駅で進んでいく。
北千住~春日部間は、距離にして28km!パネェよ、東武の快速はパネェよ。
名ばかりの快速が横行する中で「THE 快速」の称号が似合う豪快な列車だ。



「東武快速怒涛のノンストップ区間(北千住~春日部)」

武蔵野線と接続する新越谷も抜かしてしまう"心意気"!

こんな列車を無料で走らせる東武は偉い!ネーミングセンスは最悪だけど。
野田線にアーバンパークラインなんて愛称つけたのは、さすがにナイと思った。地元民として。

春日部に着くと通勤客が吐き出され、行楽列車のような雰囲気になってきた。
ここから駅間距離が短くなるが今までが快速として異常に長すぎたのだ。
それほど北千住〜春日部ノンストップのインパクトはデカイ。


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乗客は、普通の観光客やザックを背負った登山客など多種多様。
この列車は座席にミニテーブルがついてるのも一つの売りになっている。
私の向かい側には受験生がいて、ミニテーブルに単語帳を置いて必死に書き殴っている。
なるほどそういう活用法もあったのかと感心。

何やらかんやらしてるうちに車窓は田畑が目立ち始め、古臭い人家が多くなってきた。
利根川を渡ると栃木の地へ入る。栃木は東武の包囲網でもお得居所。
この辺りから、豪快に突っ走ってた列車のスピードが落ちた。


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板倉東洋大前を過ぎ平野を快走しているうちに、栃木の山々が見え始めた。
左手に野山が間近に迫ってくる。沿線は田畑と古い民家ばかりだ。
完全に田舎景色で、新鹿沼でさらに乗客が減った。
終点会津田島まで行けばガラガラになってしまうのだろうか。


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新鹿沼を境にして、列車は人家の少ない山の中へ入っていく。
左手の山々はより険しくなり、平野を脱したことがわかる。

運行拠点の下今市が近づくと、前方に奥日光の山が見えてきた。


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下今市で列車を切り離すため、長時間停車。
後側2両は日光へ向かうが、前側4両は鬼怒川線に入りさらに北上する。
会津田島行きは既にガラガラだ。約10分停車後、下今市を発車。ここからは純粋な鈍行となる。

鬼怒川線に入ると列車の速度が下がり、ノロノロ走りながら各駅に停車していく。
日光を過ぎても先にあるのは延々と連なる山々で、内陸の奥地まで来たんだと実感。


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大桑から列車は川の合流地を渡り、一級河川の鬼怒川と合流した。
これが本当に東武なのかって思わざるを得ない、風光明媚な車窓が展開。
鬼怒川合流後は山岳路線の様相を帯びてくる。

渓谷が左手に見えてくれば鬼怒川温泉まであと少しである。



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9時31分、会津田島行きは鬼怒川温泉に到着した。
AIZUマウントエクスプレスに始発から乗りたいため、やむなくここで下車する。

久しぶりに来た鬼怒川温泉。10年前の家族旅行以来だと思う。
鬼怒川渓流と戯れて、帰りに日帰り入浴で鬼怒川温泉に立ち寄るというのが、
夏の家族旅行の定番プランになっていた。どっちにしろ、鉄道で来たのは初めてだ。


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自販機に萌えキャラが……いなたい東武もついに萌え路線に走ったか!
鉄道むすめ。トミーテックが展開している鉄道萌えキャラシリーズだ。
自販機に写る彼女は「鬼怒川みやび」という。詳細なプロフィール設定もあって、
設定上では東武の特急乗務車掌ということになってる。ヘーソウナンデスカー(彼女の公式紹介HPはこちら)。


今回の旅の主役となる"超豪華快速列車"は、既にホームに停まっていた。



・AIZUマウントエクスプレス1号 [鬼怒川温泉~会津若松]
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AIZUマウントエクスプレスは会津鉄道が運行している名物列車で、現在一日三本走っている。
一部列車は東武日光や喜多方を始発終着としているが、この列車の基本的な運行区間は「鬼怒川温泉~会津若松」。
起点の鬼怒川温泉から計4社の路線(東武鉄道・野岩鉄道・会津鉄道・JR東日本)を経由し、終点の会津若松へ向かう。

車両は二両編成の気動車で、全席自由席となっている。
赤い新型車はAT-700・750形、年季の入った白いやつはAT-600・650形という型番が付いている。
AIZUマウントエクスプレスは赤い気動車で運行しているイメージがあったが、
白い気動車の混成で運行する場合もあるらしい。これは意外。

一見平凡な気動車に見えるし、外見だけでこの列車の本気度は伺えない。
ということでさっそく中へ入ってみる。


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盛りっぷりが半端ない。

……一応言っておくと、AIZUマウントエクスプレスは普通運賃のみで乗れる「快速列車」だ。
シックな木目調インテリアにテーブル付きのリクライニングシートがズラッと並んでいて、
電球色の照明、トイレ、Wi-Fiを装備している。よく見ると通路に絨毯まで敷いてるw
他地域では追加料金を取られてもおかしくないゴージャスな列車である。

何故ここまで"盛った"のかというと、東武特急でやって来る観光客の期待値を保持するためだという。
東武特急といえばスペーシアだ。スペーシアは並外れて豪華(=バブリー)な内装を誇っていて、
生半可な装備では乗客をがっかりさせてしまう。そこでスペーシアに負けないために、
会津鉄道もやれる限り豪華な設備を施したって寸法だ。


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上はAT-700・750形の車内だが、こちらは「尾瀬エクスプレス」として使われていたAT-600・650形の車内。
設備の華々しさは少し劣るが、それでも快速としては立派過ぎる面構えである。


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座席に付属している観光パンフレットを適当に見ながら時間をつぶしていると、
やがて定刻がきて、AIZUマウントエクスプレス1号は出発した。

今回私は左手の座席に陣取ったので、その呈で以下の車窓レポを読まれたい。



「秘境地帯を走る野岩鉄道区間(新藤原~会津高原尾瀬口)」

列車は鬼怒川温泉を出ると渓谷を抜け、新藤原へ。ここからしばらくは野岩鉄道の区間だ。
地形図を見る限りでは、線路を敷けるような土地が野岩鉄道の区間には一切無い。
深い山中を長大トンネルで何度もぶち抜いている。


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新藤原からいくつかトンネルを抜けた先に待ち構えていたのが、こんな車窓。
ほんの僅かな人家と鬼怒川と一本の国道ぐらいしか見えない。
野岩鉄道は屈指の秘境路線だったのだ。

川路温泉で、列車は行き違いのため数分停車。
この区間は絶景のオンパレードなので、見逃さないようにしたいところ。


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長大トンネルでダムと湖に挟まれたところを抜けると、トンネル中に設けられた駅へ停車。湯西川温泉だ。
ここを発車してすぐのところで絶景が広がる。ダム湖の真ん中を鉄橋でぶち抜いて進んでいく。
橋の名は湯西川橋梁といい、全長240mある。野岩鉄道のハイライト区間といえる。

湯西川温泉以北で絶景は途切れ、短いトンネルを何度も突き抜けて進む。
こじんまりとした集落へ入ると上三依塩原温泉口へ。


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男鹿高原先で列車は長大トンネルへ突入し、険しい県境を抜けて福島へ向かう。
県境を抜けると会津高原尾瀬口へ到着。ここから列車は会津鉄道の区間へ入る。
路線が変わるのに停車時間は僅か20秒。笑っちゃうほどスムーズだった。

「ガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトン」

会津高原尾瀬口を出てしばらくすると線路の音が異常に短く響いて、耳が軽くゲシュタルト崩壊した。
線路敷設の知識は詳しくないが、こんな短いジョイント音を聞いたのは初めてだ。


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「ここは一体何処なんだ?」と言いたくなるような、ときが止まったような高原の景色が続く。
左手には七ヶ岳が見える。その名の通り、稜線に7つの峰が連なっている。
山上にまだ春は来てないようで、雪がチラチラと残っていた。


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人家が多くなってくると、列車は電化区間の末端である会津田島へ到着。
観光客がドッと乗り込んできて、車内は賑やかになった。

会津田島駅には、もう一つの名物列車「お座トロ展望列車」が停まっていた。
3両編成で、一世代前の主力車と中古の国鉄車(キハ40)にトロッコが連結されている。
正にごった煮を地で行く列車だ。4社線経由のリクライニングシート付き定期快速も相当なもんだと思うけど(笑)


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会津田島から先、会津鉄道は非電化区間に入る。
何時の間にか専属の女性案内係が乗車していて、観光風味が高まってきた。
加藤谷川を渡って高台の上をソロソロ進む。



「会津鉄道の絶景区間(会津下郷~芦ノ牧温泉)」

会津下郷を過ぎると、列車は会津の渓谷地帯へ入っていく。
塔のへつりを出ると、会津鉄道の車窓はグッと化けた。


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塔のへつりを出てすぐのところで拝めるのが、第五大川橋梁の絶景だ。
列車は徐行したり一時停止するかと思ったが、閑散とした平日だからなのか、
そういった観光サービスはやらず、淡々と通り抜けた。


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渓谷は深みを増し、湯野上温泉を過ぎたところで列車は長いトンネルに入る。
トンネルは山の縁を辿るように続いており、ダム湖となった阿賀川の脇を辿っている。
この区間、ダム湖が出来る前は谷底に線路が敷かれていたという。


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トンネルを抜けてすぐの深沢橋梁で待っていたのは、絵に描いたような絶景だった。
土日だと橋の上で一時停止するのだろうが、今日は速度を落とさず僅か2秒で通過。
ダム湖の湖底には、谷底を辿っていた会津線の「旧線」が眠っている。
SLが走っていた国鉄時代は、奥深い渓谷景色が広がっていたんだろう。



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深沢橋梁の絶景を過ぎると、列車は大河のような阿賀川とともに北上する。
渓谷は既に途絶えていて、周りの山が低くなってくると平板な盆地へ入っていく。

人家が多くなり只見線と合流すると西若松へ到着。
西若松からはJR東日本(只見線)の区間だ。
会津鉄道の終点でもあるが、列車自体は会津若松まで走り抜く。



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会津若松、到達!

12時02分、列車は終点の会津若松へ到着した。
ゴージャスなAIZUマウントエクスプレスの旅もこれにて終了。
通常運賃だけで乗れるものとは思えない豪華な列車だった!

会津若松は磐越西線・只見線・会津鉄道が乗り入れる鉄道要衝だ。
特に磐越西線は鉄道資産が充実した路線で、休日になるとSLや国鉄の特急車が走っている。


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平日となる今日、ホームの留置線には国鉄の特急車が停まっていた。
今や希少種と化した国鉄特急色。鉄道が走ることそのものに意味があった時代を象徴するカラーだ。
東日本最長の私鉄+三セクルートを突破し、終着で国鉄特急車を見れるというのもなかなか乙なもんである。

国鉄特急色は滅多に見かけなくなってしまったので、あらゆる角度から撮りまくった。変態だぁああああ。


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「精 算 書」

改札の窓口で精算された3社連絡切符は、紙っきれの「精算書」となって手元に残った。
いくらなんでもこれは味気無さ過ぎるかもしれない(笑)
思い出の品にするにはちょっと役不足だ。


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昼下がりの会津若松は観光客で賑わっている。駅前で昼飯を済ました後、
私は帰路ついでに水郡線の乗り鉄をするべく、磐越西線で郡山へ向かったのだった。

・旅の総費用:通常運賃4490円(東武鉄道+野岩鉄道+会津鉄道+JR東日本)
・乗った列車の数:2本(会津田島行き+AIZUマウントエクスプレス)
・全区間の総距離/所要時間:約230km/約4時間40分


三セクとは思えない侮れない絶景車窓が、会津の"裏ルート"には沢山あった!
鬼怒川渓谷、野岩鉄道の秘境地帯、ダム湖、七ヶ岳、阿賀川渓谷の絶景。
無味乾燥な東北本線ではなく会津鉄道で会津を目指す。それもまた乙な選択かもしれない。
皆さんも会津鉄道の超豪華快速に乗って、会津の絶景車窓を愉しんでみては如何だろうか。
(完結)


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