鈍行列車一人旅

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関東最東端の駅、海鹿島へ

「銚子日帰り下車旅 1/3 (新松戸~千葉~銚子~海鹿島)」

[2015/1/31]

何でもかんでも最端にすればいいってもんじゃない。


しかし!日帰りで行ける最果ても悪くないと私は考えたのである。
国鉄最四端は一ヶ月前に制覇したが、日本の最端はまだまだそこらにあるので、
懲りずに鈍行で行ってみようじゃないか!やっぱり、鈍行で行ってこその最果てである。


………少し前に最果て鈍行旅は一旦打ち切りになるとか言ってたのは何処の誰だろうね?


・計画~導入


さて、今回の日帰り旅の目的地は「関東最東端の駅」である海鹿島だ。
海鹿島は銚子電鉄の途中駅であり、関東地方にある駅の中では最東端に位置している。

旅の出発地は、何時も通り自宅最寄の新松戸。関東最東端まで約120kmの道のりとなる。
まず新松戸から武蔵野線に乗って西船橋へ行き、西船橋で総武緩行線に乗り換えて千葉へ向かう。
千葉からは総武本線で同線の終点となる銚子を目指す。そして銚子で銚子電鉄に乗り換え、関東最東端駅の海鹿島へ。
出発地から海鹿島到達まで3時間強の行程。海鹿島に到達した後は、「関東最東端の岬」である犬吠埼へ向かう予定だ。


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午前9時半に自宅から新松戸へ向かい、券売機で銚子までの往復切符を購入。運賃は片道1940円である。
千葉東部は休日フリー切符の範囲外なので、今回は純然たる普通運賃で向かうことになる。
千葉北西から銚子へ行くには鈍行で片道2時間半かかるので、思った以上に遠い。

昨日は珍しく雪が降っていたが、今日は文句無しの快晴だ。
ただ昨日からの冷たい風は相変わらずで、真冬の北風が吹き荒ぶ。
しかし一ヶ月前に行った最北稚内と比べりゃ、もう関東の寒さなどまるで敵じゃない。
あの極寒の過酷な状況で得た経験は、これから存分に生かされるのさっ!



・武蔵野線 [新松戸~西船橋]
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関東最東端への道のりは、土日も混雑する武蔵野線から始まる。
南船橋行きの電車は子供連れ(とギャンブルの親父)が多く、賑やかである。
武蔵野線は、都心~地方へ向かう主要幹線に乗り継ぐのに不可欠な路線となっているが、
直通する京葉線とともに高架区間が多いため、雨風が強まるとすぐに運転見合わせとなるのが悩みの種だ。

現在の武蔵野線の主力車両は、VVVF改造された205系である。
最近は209系のお古が入ってきたというが、まだ本数が少ないのか滅多に見かけない。
お下がりからお下がりへ車両が移り変わっていく様相は、同じオレンジ色の中央線とは格が違うね!



・総武緩行線 [西船橋~千葉]
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西船で黄色の総武緩行に乗り換え、緩行電車の終着である千葉へ向かう。
総武緩行は錦糸町で総武本線の元を離れ、御茶ノ水から中央線の緩行電車として働いている。
中央線といえばオレンジ電車なので、黄色い電車は「中央線内でも総武線」という認識が強いのだとか。

総武線は千葉までは延々と住宅地が続くため、車窓はあまり面白みがない。
西船から20分強で、総武緩行は終着の千葉へ到着する。



・総武本線 [千葉~銚子]
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千葉からは、総武本線の鈍行に乗って終点の銚子を目指そう。車両は209系。短い4両編成での運転だ。
東京~千葉の複々線内から総武本線の終点(銚子)まで行く全線通し列車は一本もないので、
銚子へ行くには、ここ千葉で必ず乗り換える必要があるのだ。

総武本線に「本線」が付く大元の要因は、明治42年(1909)に鉄道院によって制定された国有鉄道線路名称にある。
これは当時国有化された鉄道路線を全て名称付けしたもので、民営化以後の現行のJR各社にもほぼ引き継がれている。
国有鉄道線路名称は23部72路線に分類され、各地域の路線ごとに包括された「部」に分かれているのだが、
このうち総武本線は「総武線の部」を代表する路線とされた。

「総武線の部」

・総武本線(東京〜銚子・錦糸町〜御茶ノ水)
・京葉線(東京〜二俣新町〜蘇我・市川塩浜〜西船橋・西船橋〜南船橋)
・外房線(千葉〜大網〜安房鴨川)
・内房線(蘇我〜木更津〜安房鴨川)
・成田線(佐倉〜成田〜我孫子・成田〜松岸・成田〜成田空港)
・鹿島線(香取〜鹿島サッカースタジアム)
・久留里線(木更津〜上総亀山)
・東金線(大網〜成東)
・木原線(大原~上総中野)←1988年に第三セクター(いすみ鉄道)に転換



民営化以後はこの名称一覧は公式に使用されてないが、「総武線の部」に包括される路線は上記の9路線がある。
総武本線は、これら全ての路線を代表する路線として「本線」の称号が与えられたのであった。
しかし現在、案内上「総武本線」と名乗っているのは千葉以東の区間のみである。



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「7番線に到着の列車は、総武本線の各駅停車銚子行きです!千葉を出ますと、
東千葉!つぅ~~がぁ~~~!よぉ~つぅ~かぁ~いぃ~どうぅ~~~!物井!佐倉の順に停車致します!
ご利用の方はお早めに、お早めにご乗車下さい!ハイ、銚子行き、間もなく発車致します!
駆け込み乗車はお止めください!次の電車をご利用ください!ハイ発車しまーす!!」

千葉駅は自動放送が地元住民の苦情で廃止されたためか、自動放送が流れない代わりに駅員がクドイほどに煽る。
とにかくこれでもかと煽って、ガミガミまくし立てるのである。これは、他の駅にはない特徴かもしれない。
都賀と四街道だけ何故か思わせぶりに語尾たっぷりなのは、駅員さんの癖なのか?(笑)





列車は千葉を出るとしばらく住宅街の中を進み、四街道あたりから田畑が現れ始める。
閑散とした田園地帯を走り、短い隧道を抜けると間もなく佐倉へ到着する。
ここから総武本線は単線となり、本数の少ない本格ローカル線となる。



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佐倉からは長閑な風景が続き、単線となった線路をひた走っていく。
総武本線沿いはもっとバリバリの住宅地だと思っていたのだが、広がる車窓は予想以上に長閑とした風景だ。
八街(やちまた)という難読駅で地元の乗客がドッと降り、混雑していた車内が少しずつ空いてきた。
日向と書いて「ひゅうが」と読む駅で数分停車し、日向から一駅隣の成東では東金線と接続する。



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成東からも相変わらず長閑な風景の中を走っていくが、瓦屋根の古い民家が多くなり本格ローカルの様相を呈する。
真っ直ぐに伸びた一本の線路は、本線というよりは完全にローカル線の趣である。
古びた駅舎が味わい深い松尾を出て、住宅が増えてくると横芝に到着。
成田線もそうだが、総武本線もなかなか激渋の駅名が多いと思う。





八日市場で再び乗客が増えた。終点の銚子まで、あと30分強。
八日市場からはしばらく住宅地をひた走るが、を過ぎたところで少しずつ人家が少なくなる。
成東から銚子までは太平洋沿いを走る総武本線だが、線路は海から5kmほど離れているため海を拝むことは出来ない。



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飯岡を過ぎると列車は小高い丘陵地帯へ突入し、隧道と切り通しを抜けて倉橋へ向かう。
倉橋は野山の中の無人駅だ。倉橋から松岸まではカーブで丘陵を切り抜ける。

進行方向左手には、風力発電のプロペラが数本立っているのが見える。
侘しい野山を抜けると、列車は成田線と交わる松岸へ到達。
ここまで来れば、「関東最東端の街」銚子はすぐそこだ。



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やがて千葉から約1時間40分で、総武本線の鈍行は終点の銚子に到着した。
ここからは銚子鉄道だ。銚子鉄道のホームはJR側ホームの端にある。



・銚子電気鉄道 [銚子~海鹿島]
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銚子電気鉄道、略して銚子鉄道は総武本線と接続する銚子から外川までを結んでいる。
関東最東端に位置する地方ローカル線であり、全長6.4kmの単線の間に合わせて十の駅がある。
開業は大正12年(1923)と古く、鉄道輸送の他、副業として食品製造も行っている。

かつて銚子電鉄は、極めて厳しい経営状況から「運行休止」の危機に陥ったことがあった。
どうしようもない事態に陥った2006年、銚子電鉄は自社の公式ホームページに以下の呼びかけを公表した。

「電車修理代を稼がなくちゃ、いけないんです。」

この、会社が危機に瀕している状況がひしひしと伝わってくる衝撃の一節は、公表されると瞬く間にネット上に拡散した。
そしてネットを媒介として銚子電鉄の危機を知った人々が、同社が製造する「ぬれ煎餅」をこぞって注文したのである。
ネットで話題になっていることがわかるとマスメディアも一斉に報道し、ぬれ煎餅の注文は殺到。
一時は生産が間に合わず注文ストップとなり、売れに売れたという。

こうして、銚子電鉄の存続危機はぬれ煎餅の売り上げによって救われたのである。
2006年以降、ぬれ煎餅は銚子の一大名物となっている。



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少し前まで銚子電鉄は、嘘みたいに年季の入った旧型電車(乗りたかった!)が走っていたが、
老朽化が限界に達したため全て引退済み。現在走っているのは、主に昭和に活躍した他社車両のお古である。
これから乗車するのは、元々京王・伊予鉄道で活躍した2000形。塗装もかつての京王時代のグリーン一色を再現している。

どうやら銚子駅に銚子鉄道用の改札はないらしく、車内で車掌が切符の販売を行うみたいだ。
車内は至って空いており、地元の人と観光客が半数ずつといった感じか。
13時00分、外川行き列車が定刻から少し遅れて発車した。



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列車が発車して間もなく、海鹿島までの切符を購入するため車掌さんに声をかけた。

「すいません、うみかしままでお願いします」
あしかじまですね、240円になります」

ああ~、ここにきて肝心なところで間違えちまった!海鹿島は何と「あしかじま」と読むらしいのだ。
絶対「うみかしま」だと思ってただけに、余計恥ずかしい。
地味ながらも難読レベルじゃないか?この駅名は。



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沿線は住宅も多いが畑が点在していて、のどかな風景が広がっている。
列車の走る速度は至ってのんびりとしていて、頑張れば自転車でも追い越せそうな速度だ。
本銚子あたりでは上り勾配になり、左手にそこそこ展望のよい景色を僅かに見ることができる。



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のんびりと走る列車に揺られること十分強、列車は関東最東端駅の海鹿島へ到着した。
ここで降りたのは、私一人だけ。駅周りは至って閑静な住宅地の中である。
駅ホームへ降り立つと車掌さんの集札を受け、列車は間もなく走り去っていった。



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ホーム上には、関東最東端の駅であることを示す碑がある。
碑そのものは新しく、ごくごく最近に建てられたもののようだ。
こうして碑が建っていると、到達したことの喜びをダイレクトに感じられて良い。

ただ、結果的に出発から到達まで3時間強しか経ってないので、
「よっしゃ!関東最東端、来たぜ!」というほどのテンションにはならないのが正直な本音だ(苦笑)。



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海鹿島駅の全景はこんな感じ。ジオラマのようにこじんまりとした無人駅である。
ホーム上の簡易トイレを利用しようと思ったが、どうも使えないっぽいのでスルー。
年季の入った木造駅舎の構内は手入れが行き届いており、構内壁には地元の広告が沢山貼られている。



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萌え萌え広告、キターーーーーッ!!

観光客や鉄道ファンだけでなくアニメファンも顧客層に取り込もうとする集客手段、それがこの萌え萌え広告なのだ。
萌え~な広告が多いほど、その鉄道会社は厳しい経営状態にあるという現実が透けて見えてしまう。
車への移行が著しい地元の利用客のみでは、地方ローカルの鉄道はとてもやってけないからだ。

萌えキャラ活用の地域起こしは良いんだけど、電車には塗ってほしくないんだよねー。鉄オタ=アニオタみたいになるから。
でも、ここは敢えて便乗しよう!後にまた萌え~な広告を見つけたらカメラで撮っていこうじゃないか。
この萌えキャラの正体については、次回の記事で克明に取り上げようと思う。

「俺はアニオタでもないし鉄オタでもない、乗り鉄なんだ!」とどうでもいい自問自答を繰り返しながら、
私は駅前から徒歩で、関東最東端の岬である犬吠埼へ向かった。

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銚子の岬巡りと犬吠駅

「銚子日帰り下車旅 2/3 (海鹿島~犬吠埼~犬吠~長崎鼻)」

[2015/1/31]

千葉北西から鈍行を乗り継ぎ「関東最東端の駅」海鹿島までやって来た私は、
さらに端っこの地へ向かうべく、駅前から関東最東端の岬である犬吠埼へ向けて出発した。
犬吠埼の最寄りは犬吠駅(徒歩10分)であるが、海鹿島駅からでも歩いて行けないことはない距離である。



関東最東端の駅から関東最東端の岬へは、約2.5kmの道のりである。
最端からさらに最端へ行く「最端妙味」に今回は拘ってみた。日帰りながら最果て三昧だぜ!
観光主要ルートから一味違う経路を辿れば辿るほど、道本来の面白さが見えてくるのではないかと思う。

路線バスも利用してみようと思ったが、鉄道と上手く噛み合わないので断念。
寧ろ銚子鉄道の駅を拠点として散策するプランを立てれば、それで十分な気がした。
ここ銚子の地は、バスと鉄道を併用しようとするといずれも数珠繋ぎみたいな行程になってしまうのだ。



・海鹿島駅~海鹿島海岸(徒歩)
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海鹿島駅前の道路は意外と交通量が多く、最果て感が薄い。
駅前から一旦道を北東に進むと突き当たりに出るが、そこを右に曲がってしばらく進むと海の方へ行ける。


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スマホのGoogleマップを頼りに道を進んでいくと、道路の先に太平洋が見えてきた。海鹿島海岸である。
ここ海鹿島一帯は風光明媚な風景で知られ、その昔多くの文豪が滞在したことでも有名である。


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千葉東部の海岸沿いといえば、もっと代わり映えのしない景色を想起させるが、
ここ海鹿島海岸は思った以上に情緒深い景色が広がっている。

辺りは人っ子一人いない。隠れ名所的な雰囲気が漂ってるな。
海岸近くには民家(?)の廃墟もあり、侘しさを一層醸し出している。
銚子といえば犬吠埼が有名だから、皆そっちに観光客が流れてしまうのだろうか。



・海鹿島海岸~犬吠埼(徒歩)
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ひっそりとした海鹿島海岸から、今度は犬吠埼へ向けて君ヶ浜沿いを南下していく。
さっきの情緒ある風景とは打って変わり、浜は侵食防止のためのコンクリートで塗り固められている。
この辺りは海流が複雑らしく、波は高く荒い。コンクリートでがっちり固められるまでになったのも何となく納得。

父が生粋のアウトドア好きで、少年時代はよく海(茨城沿岸)に遊びに行ったのだが、
行くところはいずれもこういった整備された海水浴場ではなかったから、色んな意味で鍛えられた。
一回、荒波にさらわれて死にかけたこともあったなー。素のままの自然と戯れるのは常に危険が付き纏うのだ。


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豪快に波打つ太平洋の向こうに、今回の旅のもう一つの目的地である犬吠埼が見えてきた。
犬吠埼は日本で一番早く初日の出が見られる場所として有名であり、元旦早朝には多くの人が訪れる。
またあの岬の上に建つ犬吠埼灯台は歴史的価値が高く、「世界灯台100選」にも選ばれている有名な灯台である。



・犬吠埼
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君ヶ浜沿いをひた歩き、海鹿島からおよそ30分で犬吠埼へ到達となる。
犬吠埼へ近づくごとに人気が多くなり、駐車場にはそれなりの数の車が止まっていた。
海岸脇の階段を上り、犬吠埼の岬上へ移動。灯台近くには地元の飲食店やお土産屋が数件あるようだ。



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銚子自体は以前に何回か訪れているが、犬吠埼へ来たのは初めてだ。
犬吠埼灯台はいかにも「灯台」といった立派な姿で、日本に5つしかない第1等灯台の一つである。

この灯台が建てられたのは、今から約140年前(1874)のこと。煉瓦建造物としては国内第二位の高さを誇っている。
日本製の煉瓦19万3000枚によって出来ており、加えて二重構造にすることで極めて丈夫なつくりになっているという。
海の難所とされるここ犬吠埼一帯で、この灯台は一世紀半ずっと風雨に耐え続けてきたすごい奴なのだ。


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犬吠埼灯台は一般公開されており、参観料を支払えば灯台の上まで登ることも可能である。
灯台の裏側まで続いている遊歩道が気になったので、行ってみることに。
あの遊歩道の先に、私の求めている景色が、恐らくある。



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関東最東端グッジョブ!!

もうやるしかあるまい!!自撮りもやってみたいが、こっちの方が手軽でいい塩見だ。
遊歩道の先にあったのは、何のことはない岬の景色。でも一応、ここが関東の東の最果てなのである。
絶壁の向こうはただっ広い太平洋が広がるばかりで、青い空と海以外は何も見えない。

この太平洋の遥か向こう、距離にしておよそ8400kmのところにはアメリカ大陸がある。
犬吠埼から真っ直ぐ東に進路をとれば、あのサンフランシスコやロサンゼルスにぶつかるから驚きだ。

………犬吠埼とアメリカ西海岸って、何か全然接点を感じないけどね(笑)。



・犬吠埼~犬吠駅(徒歩)
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関東最東端の景色を存分に堪能した後、私はやむなくして犬吠埼を出発する。
次は、銚子電鉄の観光拠点である犬吠駅を探索してみよう。
犬吠駅は犬吠埼から徒歩10分のところにある。

犬吠埼周辺は観光施設が充実していて、大型飲食店やホテルが立ち並んでいる。
海沿いの県道を進み、何の変哲もない裏道へ入っていったところに銚子電鉄の駅はあった。



・犬吠駅
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犬吠埼からほどなくして、銚子電鉄の犬吠駅へ到達。
駅舎はポルトガルの宮殿を模した独特のつくりで、「関東の駅百選」にも選ばれている。

この立派な宮殿風駅舎が完成したのは1990年のことで、駅構内には名物ぬれ煎餅の売店も併設されているようだ。
開業当初は「燈台前」と名乗っていたこの駅は、銚子電鉄が観光路線として売り出し始めて以来、
同路線最大の観光スポットとなっている。以前は駅前広場に旧型電車を利用した喫茶店もあったらしいが、
老朽化が進んでいたため、2012年に解体処分されてしまっているのが残念。


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ヨーロッパ風の駅構内は天井が高く、広々としていて気持ちいい。
売店には様々なものが売られており、普通のお土産や鉄心を刺激するグッズもある。
ただ銚子電鉄といえばやはりぬれ煎餅なので、とりあえず10個入りのぬれ煎餅袋(赤の濃い味)を購入した。

駅舎の前には、あの桃太郎電鉄シリーズの名物キャラ「貧乏神」の石像がある。
これは、ハドソンが自ら寄贈したもの。銚子電鉄は、桃鉄のゲームの題材に使用されたことがあるのだ。
桃鉄は少年時代スーファミで散々やったから、懐かしい気分になった(←確かスーパー桃鉄II)。

しかし、取り付かれるとひたすら絶望しかない「貧乏神」を福の神とするのも何か妙な話だが。



・外川つくし
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キターーーーーッ!!等身大、萌え~!

「萌え~!」はいずれも冗談交じりで言っていることを、ここであらかじめ弁明しておこう(笑)。
先ほど海鹿島駅の広告でも見かけた彼女の名は、どうも「外川つくし」というらしい。
トミーテックが展開している「鉄道むすめシリーズ」のキャラクターの一人で、
ここ犬吠駅で駅務係として働いている設定になっている。


彼女「外川つくし」の詳細なプロフィールは以下の通りである。
右側には彼女のテーマ曲を貼ってみた。ごく素朴のアニソンだが、
興味ある方は聴いてみては!?

・銚子電鉄、犬吠駅の駅務係として勤務
・好きな食べ物はぬれ煎餅とたい焼き
・笑顔が自慢で、花と子供が大好き
・名前は銚子電鉄の終着駅「外川」と「澪つくし号」に由来
・銚子電気鉄道商品化許諾済
・ツイッターの公式アカウントを持っている



私がためらいなく彼女の等身大モデルを撮っていると、脇からそそくさと「鉄」の方が加わり撮影し始めた。
何なんだ、この状況は?たかが大きく切り抜かれた厚紙に、二人の鉄が寄って集ってカメラを向けているのである。
結局私も、銚子電鉄のさりげない萌えキャラ活用の術中にハマってしまったといえよう!

ぬれ煎餅を計20個買い「鉄」とともに外川つくしを存分に撮った後、私は犬吠駅構内を出た。



・犬吠駅~長崎鼻(徒歩)
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時間はまだまだ余裕があるので、犬吠駅から今度は銚子最南端となる長崎鼻へ行ってみよう。
観光地として有名な犬吠埼に対し、長崎鼻は一切観光化されてないらしい。
道をしばらく進むと、海沿いにこじんまりとした岬と灯台が見えてきた。

犬吠駅からおよそ20分強、閑散とした港の集落を抜けたところで長崎鼻に到達となる。
何もなさそうなところだというのは、事前に予想がついていたのだが………、



・長崎鼻
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本当に、何もねえ。

陸地そのものといえる岬上には漂流物が散乱しており、打ち捨てられたボートが一隻転がっている。
土管を縦にして白く塗りたくったような簡素な白塔は、正式に「長崎鼻一ノ島照射灯」というらしい。
光で船を誘導する灯台とは異なり、照射灯は光を照らして特定の場所を示すだけの役目に留まった施設である。

観光地然としていた犬吠埼とは打って変わり、こっちは最果て感がムンムン漂ってるな。
辺りは誰もいないし、売店や商店まで一件たりともない。
北風が強く吹きすさぶから余計に侘しくなる。


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岬の左手を眺めると、先ほど訪れた犬吠埼が遠くに見える。
「銚子の最南端」VS「関東の最東端」。歴史的価値とネームバリューでいえば犬吠埼の方が遥かに勝るが、
手堅くひなびた最果て旅情を醸し出す場所(何じゃそりゃ)としては、こちらの長崎鼻に軍配が上がるだろう。

何せここは、銚子電鉄ホームページの沿線ガイドにすら取り上げられてないのだから(笑)。



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華やかな犬吠埼灯台に対し、哀愁たっぷりに佇む長崎鼻の照射灯。この照射灯の初点灯は昭和30年にまで遡る。
照射灯は灯台と併設されることが多く、照射灯だけが独立して建っているのは珍しいという。
こいつは、ここで60年間ずっと独りで沖合いの岩礁を照らし続けてきたのだ。


次回は復路となるが、日暮れまで少し時間があるので銚子電鉄の「本拠地」仲ノ町駅へ行ってみよう。
仲ノ町で下車した後は歩いて銚子駅へ向かい、特急しおさいに乗って帰路を辿ることになる。
侘しい長崎鼻の景色を堪能した後、私は銚子電鉄の終着である外川駅へ向かった。

銚子電鉄を辿って

「銚子日帰り下車旅 3/3 (外川~仲ノ町~銚子~新松戸)」

[2015/1/31]

最端づくしの銚子日帰り旅は、至って順調な道のりを辿ってきた。
千葉北西から関東最東端駅の海鹿島を経て、銚子の二つの岬を辿ってきたが、
ここからは復路として銚子電鉄に乗り、銚子で特急しおさいに乗り継いで無事に帰路となる。


・外川駅
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銚子最南端の長崎鼻から徒歩10分ほどで、銚子電鉄の終着である外川駅へ到達した。
終着駅だが駅前は特に何もなく、閑静な住宅に囲まれている。

外川駅は、銚子電鉄の中でも有名な駅として知られる。
こじんまりとした古い木造駅舎は、開業当初からある建物だ。
この駅の開業は大正12年(1923)だから、ここの駅舎は建てられてから既に90年以上経っていることになる。


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駅舎の前や脇には自動販売機があり、ノスタルジックな赤いポストもある。
留置線に放置されているのは、2010年に引退した銚子電鉄の名物車両デハ800形だ。
かつての銚子電鉄の一般イメージといえば黒と赤のツートン色だが、もうあの色の電車は走ってない。


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駅構内はレトロな雰囲気まんまといった感じで、天井には懐かしの白熱灯がぶら下がっている。
構内端には古ぼけた郵便配達用のスクーターが置いてあって、より郷愁を駆り立てる。
色褪せたアナログ時計に、黒板に書かれた時刻表もいい味出してんなー!
時間の流れが緩やかになる、タイムレスな空間だ。



・銚子電気鉄道 [外川~仲ノ町]
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駅構内を観察していると、二両編成の列車がのんびりと入線してきた。
先ほどの往路で乗ったのと同じく、元京王・伊予鉄道で走ってた2000形
このぼってりしたグリーン色は、渋谷駅のハチ公口にある蛙電車を思い出す。

2000形は銚子側は湘南顔だが、外川側は三枚窓の貫通顔になっているのが面白い。
この車両は銚子電鉄として初の冷房搭載車だが、変電所の供給に余裕がないらしく、
冷房は終着駅停車の間しかかけないそうだ(苦笑)。何というか、切り詰めてる感が半端ないね!


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ぶっちゃけ私は右の留置されてる旧型電車に乗りたいのだが、もう動くことはないのだろう。
車内の乗客は僅か三人。隣駅の犬吠から乗客がドッと増えるのかも。
15時13分、銚子行きの列車は定刻通りのんびりと発車した。



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そのまま銚子へ行っても面白くないので、復路は銚子電鉄の本拠地である仲ノ町で下車しよう!
予想通り犬吠でドッと乗客が増えて、車内は少し賑やかになった。
乗客が乗り込むたびに、車掌さんが切符の販売を行う。

切符は当然磁器タイプではなく昔ながらの硬券でもなく、ごく普通の紙の切符である。
でもこれがなかなかいい味出してるというか、いかにもローカル線に来た気持ちにさせてくれるから良い。


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銚子電鉄の沿線はキャベツ畑が多く点在していて、そのすぐ脇を列車はゴトゴト抜けていく。
線路と線路外を隔てる柵もろくになく、「町のための鉄道」たる雰囲気が漂う。


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銚子電鉄唯一の列車交換駅、笠上黒生(かさがみくろはえ)。初見ではまず読めない、屈指の難読駅である。
今思ったんだけど、銚子電鉄の駅って何処もコカコーラの自動販売機があるのは気のせいか?
理由はわからないが、コカコーラと提携でもしてるんだろうか………。

「間もなく、観音~~~~、観音~~~~に到着致します」

観音駅が近づくと、車掌さんが車内を回りながら絶妙なタイミングで肉声案内を行った。
実に鉄心を刺激するサービスである。これでさらに「発車、オーライ!」って言ってくれたら完全に昭和だ。

やがて観音へ到着すると、たい焼きを持った乗客がドッと乗り込んでくる。
観音駅構内では名物としてたい焼きを販売していて、焼きたてがすぐに食べられるのである。
そしてそれを車内へ何事もなく持ち込んで食べられるところが、地元ローカルの魅力の一つといえよう。



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萌え萌え広告、再び発見!!

車内広告にもやっぱり、萌え~のキャラの広告があった。
これは、さっき等身大で発見した「外川つくし」とは違うようだ。
調べたところ、この応援ポスターは広島の鉄道愛好サークルが手がけたものなのだとか。

地方ローカルは色んなものと通じてんなーーー!
大手にはないごった煮感が、個人的にはたまらない。キャラとかにはあまり萌えないけど。
強いて言えば、萌え萌え広告と普通の広告が共存してるこの違和感だらけの車内に萌えるね!俺は(笑)。


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終着駅の外川から15分ほどで、列車は銚子一つ手前の仲ノ町へ到着する。
駅ホームが実に簡素で、ホームというより古い民家の裏側に入って来てしまったような感じだ。



・仲ノ町駅
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ここ仲ノ町はヤマサ醤油の工場真っ只中にある駅で、駅周りは無機質な建造物ばかりである。
駅舎も工場内の土地を間借りしてるような感じで、駅というよりは作業場のような雰囲気が漂う。
工場が稼動しているときなら、醤油の匂いが香ってくるそうだ。

無機質なところだが、ここが一応、銚子電鉄の本拠地なのである。
ホームに隣接している車庫に銚子電鉄の車両が停まっているので、少し観察してみよう。


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ホーム隣の車庫に停まっていたのは、元々営団銀座線・丸ノ内線支線で活躍していたデハ1000形
一方は銀座線時代の黄色の塗装が、もう一方は丸ノ内線時代の赤色の塗装が再現されている。
東京の地下鉄で最も古い歴史を持つ二路線の再現コンビが、ここにきて拝めるとは思わなかった。

実はこの二つのデハ1000形の奥方、丸の内線色に塗られているデハ1002は20日ほど前に引退してしまっている。
2015年1月10日を最後に定期運行を終えており、最終日は手前のデハ1001と併結して協調運転を行ったという。
運行から退役したが、今後デハ1002は保存されるのだろうか?解体されてしまうのだろうか?
一応そこは「鉄」として、少し気になるところなのである。

カメラを向けていると、線路脇から従業員の人がそそくさと車両に乗り込み始め、
引退済みのデハ1002が、何と私の真ん前で始動した!!何だ、このサプライズは(笑)。
でもあっちからすれば、ただの業務だ。一人の鉄のために電車を動かしてやろうなんて、そんなわけないだろうし。


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引退済にして何のことなく動き出した丸の内線色の電車が、運よく前に出てきてくれた。
よく見ると車両の後ろ側に、あの名物機関車「デキ3」が連結されているのが見える。
ドイツ製であり、日本の旅客鉄道の中で最も小さい機関車として知られてる代物である。


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がんばれローカル鉄道。

まさかの「敗北宣言」から立ち直ることに成功し、ギリギリで頑張ってきた銚子電鉄を象徴する言葉だ。
この萌え~な応援ポスターは、仲ノ町駅構内のショーケースに飾ってある。
それも、一番上の目立つところに。

あっという間だが、銚子電鉄の旅はこれで終わりだ。
「終着駅に着いたら、何もなかった」そんな地元密着ローカル線の未来は厳しい。
しかし、それでも乗り鉄は遠くから集い、列車に乗り込む。「乗って残す」とはよく言ったものである。


仲ノ町駅を探索した後、私は隣駅の銚子に向かって出発した。



・仲ノ町駅~銚子駅(徒歩)
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仲ノ町駅から線路近くの道路をひた歩くと、10分程で銚子駅に到達する。
銚子駅前ロータリーは広く、駅前商店街も広々としていて気持ちいい。
ここからあとは、特急しおさいに乗って帰路を辿るだけだ。


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16時38分に発する、特急しおさい14号。今回はこれに乗って一気に帰路へ着こう!
最近どうも「往路=鈍行」「復路=特急」の行程パターンが定着してきてしまっているのだが、
帰りも鈍行にすると想像以上にしんどくなるので、今後は復路で特急を上手く活用していこうと考えている。

疲れきった状態で帰りの鈍行に乗り込むときの、あのしんどさは一度味わった人なら分かって頂けると思う。
鈍行で最四端行ってしまった馬鹿が今更何言ってんだって感じもするが(苦笑)。



・特急しおさい14号 [銚子~船橋]
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銚子駅1番線ホームに、9両編成の房総特急しおさいが停まっている。自由席の車内はまだ誰もいない。

東京~銚子間を結ぶ特急「しおさい」のルーツは、かつて同経路で運行されていた優等列車の存在である。
総武本線はかつて千葉地区唯一の「本線」とされ、その位置づけと威厳を保つ主旨もあってか、
観光需要の高い内房線・外房線よりも早く有料優等列車が設定された経緯を持っている。

その総武本線において誕生した初の有料優等列車が、1958年に設定された準急「犬吠」である。
「犬吠」は後に急行に格上げされ、新宿・両国~銚子間を気動車で結んで走っていたが、
1975年に総武本線の全線電化が完了すると、国鉄はそれまで運行していた急行「犬吠」の一部を特急に格上げし、
新たに格上げした特急は「しおさい」と名づけた。当時は単なる値上げだと不評を受けたらしい。
これ以来、総武本線全区間を担う定期特急として、しおさいは走り続けてきた。

車両は房総特急の代名詞、255系。1993年にデビューし、今も主力として活躍している。
255系は元々、内房線・外房線の特急「さざなみ」「わかしお」の運用に就いていたが、
新型車両E257系が導入されてからは、主に「しおさい」に仕事の場を移したようだ。



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しおさいは東京まで向かうが、私は途中の船橋で下車する。この特急は通常船橋には停車しないが、
土休日の1号と14号に限り船橋に停車するという特例があるそうだ。
船橋停車の需要はあまりないものの、千葉北西に住む私にとっては寧ろ都合がよかった。

列車は定刻通り銚子を発車すると、旭、八日市場、横芝、成東の順に停車していく。
線形が悪いのか速度はのろのろしていて、ガタンゴトンとジョイント音を盛大に響かせながら走る。
その鈍足な走りは特急らしからぬ気もするが、鈍行よりも所要時間を大幅に短縮できることは確かだ。


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千葉を出ると列車は少し速度を上げ、緩行電車を続々と抜き去っていく。
初めはガラガラだったが、進むうちに少しずつ乗客が増えてきた。
やがて銚子から約一時間半で、列車は船橋に到着となる。



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房総特急に乗車したのは今回が初めてだが、また千葉以南・以東へ向かう際に利用してみようと思う。
降りて列車を撮影した後、間もなく列車は発車。船橋駅は休日帰りの人々で混みあっている。
自宅最寄の新松戸へ向かうため、私は人混みに紛れて総武緩行のホームへ向かった。


総武本線と銚子電鉄の日帰り旅は、これにて終了となる。
「本線」と名乗っておきながらローカル度満載な総武の道のりを経て、
銚子から昭和のレトロ電車で関東の最東端、犬吠埼を目指してみるのも悪くない。
ぬれ煎餅でもかじりながら、歩いて駅巡りをするのもよし、萌えキャラと戯れるのもよし。

見栄を捨て飾らない言葉で一世を風靡した銚子電鉄は、電車修理代を稼ぐために今日も頑張っているのだろう。
こっちも次何時になるかは保障できないが(苦笑)、また乗りに行くぜっ!銚子電鉄!!
(完結)

山万ユーカリが丘線の旅

「未来派ボナが計画都市を駆ける」

[2015/2/12]

漢のロマンを求めにとある駅へ向かおうと思う。

熱き男達の夢を叶えてくれる駅が千葉の佐倉にあるのだという。
何時になく空を切り続けてきた私だが「今度こそは!」と当たって砕けろで家を出た。




山万ユーカリが丘線。千葉県佐倉市にある、不動産会社によって運営されている新交通システムである。
地図上で円を描く謎めいた路線で、ずっと気になってたので今回訪問することにした。
この路線は松戸から電車を乗り継いで一時間半のところにある。

ユーカリが丘線は京成本線のユーカリが丘駅から接続している。この駅は快速・普通と一部の特急しか停まらない。
新松戸からJRで船橋へ行き、そこから京成でユーカリが丘まで行きユーカリが丘線に乗り換える。
こじんまりとした通路を進んでいくと一昔前の自動改札機があった。
全長4.1kmにしか満たない、ミニ鉄旅の始まりだ。



・山万ユーカリが丘線
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下調べしていて思ったのだが、山万ユーカリが丘線は屈指の「珍」路線といえる。
まず運営してるのが鉄道会社ではなく民間の不動産会社なのだ。他ではまず見られない。
あと運行形態が独特で、ラケット状のかたちをした線路を列車が一方通行で走っているのにも注目したい。


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大人と小人、200円と100円。

運行区間が短いので運賃は一律200円。ボタンも大人用と子供用の二つしかない。
シンプル過ぎて突っ込みどころに困るよ。
改札に切符を投入すると「ウィーーーーーン!」と、すっとぼけたような機械音が唸った。
ここの自動改札機は見た感じ相当な年代物だ。当然SuicaなどのICカードは非対応である。


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乗り場へ上ると列車が到着していて、今にも発車しそうなのでさっさと乗り込んだ。
3両編成で、車体にはコアラのイラストが描かれている。
私が乗り込むと同時に、ユーカリが丘線の小型列車は発車した。

日中なので車内はガラガラ。乗客は沿線の地元民が全てを占めていると思われる。
発車すると真新しい町の中を進んでいくが、緑も多くニュータウンらしい光景が広がる。

お目当ての駅は起点から5分で到着となった。



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女子大。

すいません、こういうオチです(笑)

女子大とは何なのか。こんな直感的に訴えてくる駅名も珍しい。
きっと駅前には華々しい女子大があってあとはどうにもこうにもなってしまうんだぜ。



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しかし、現実は非情である。

駅は無人。駅前は二車線の道路が横切っており、向かい側には女子大じゃなくて小学校があった。
辺りに広がるのは何の変哲もない新興住宅で華の女子大など見当たらない。
実は駅から遠くにあるんじゃないか??と思って案内看板を探してみるが、見つからず。
女子大行きのバス停とか、そういう類のものも一切ないようだ………。


当たって砕けるどころか、砕けるための材料すらなかったw


「女子大」なのに、女子大がない。

じゃあ何故ここは「女子大」なんて駅名がついてるのか?
その謎を紐解くには、ユーカリが丘線とユーカリが丘ニュータウンの概況を知る必要がある。



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「田園の向こうに超高層マンションが聳える(女子大駅にて)」


関東初の新交通システムとして山万ユーカリが丘線が開業したのは、今から30年以上も前のことだ。
鉄道のノウハウを知らない不動産会社が鉄道を開業させることに運輸省は難色を示したというが、
山万の「鉄道を走らせる熱意」は並々のものではなく、無事に認可を得て1982年に開業している。

町は通常、鉄道が敷かれたところから放射状に発展していくが、ユーカリが丘ニュータウンの場合は逆だ。
鉄道を町の一つの価値として、総合的なコンセプトの一要素として走らせる主旨が元からあった。
つまり、一つの町を便利にさせたいだけに山万は鉄道を建設したのである。
根深い土地・輸送事情に基づいて建設される鉄道において、これは珍しいことだ。

極めつけなのは大雑把すぎる駅名である。開業当時は町がまだ発展途上だったため、
駅近に建設される予定だった施設をそのまま駅名にしてるのだが、インパクトは絶大。
ということで以下にユーカリが丘線の路線図と駅名を列挙してみた。



・ユーカリが丘
・地区センター
・公園
・女子大
・中学校
・井野



………どう思いますか、皆さん。駅名らしいといえるのは「井野」ぐらいか?w
当時ここら辺は田んぼしかなかっただろうから、ネーミングセンスがより問われたと思うが、
不動産会社がセンスあるネーミングなんて付けられるとは思えないし結果的にこんな安直になってしまったんだろう。

ぶっちぎりで気になるのは「公園」「女子大」「中学校」の3駅だ。
このうち「公園」と「中学校」については建設が実現し駅名の由来が保たれているが、
問題となるのが「女子大」で、こちらについては移転誘致に失敗し建設は実現していない
駅近に女子大を建てる予定で名前を当てたはいいものの、駅名だけが一人歩きする結果となっている。

「女子大」という響きに誘われるのもいいが、駅前には何もないから注意されたし!




「癒し系×鉄オタ×芸人:鈴川絢子さんのユーカリが丘線紹介動画」


私の画像と文章ばかりではムサ苦しいと思うので、ここで清涼剤としてYoutubeの秀逸動画をご覧頂こう。
千葉北西出身の芸人で鉄オタでもある、鈴川絢子さんの紹介動画を貼ってみた。
某番組の「かわいすぎる女芸人」ナンバーワンに輝いた御方である。

これまで鈍行で各地に出向いてきたが、彼女みたいな可愛い鉄子は正直一度も見かけたことがないぞ………。
鉄オタ芸人なのに、タモリ倶楽部に一度も出てないってのも意外。



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女子大駅のすぐそばにはユーカリが丘線の車両基地がある。
車両は3編成が在籍しているが、日中は一編成のみで運行されているようだ。

この路線は「VONA(ボナ)」と呼ばれる独自の運行方式が採用されている。
線路の真ん中に案内軌条を設け、それを両脇からローラーで挟み込んで走行するというものだ。
新交通システムは線路の両脇に案内レールが設けられることが多いが、
ユーカリが丘線は中央に案内レールがあり現役の新交通としては国内唯一の方式となっている。


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通しで乗っていても面白くないので、女子大駅から中学校駅まで歩いてみることにした。
公園駅から中学校駅にかけては長閑な田園風景が広がっている。

田園の道は住民の憩いの場となってるらしく、散歩やランニングで利用する人が多いようだ。
通りすがり地元のおじさんが「撮影ですか?」と食いついてきたので、
ユーカリが丘線についてちょっと話を伺ってみることにした。


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山万ユーカリが丘線のうんちく(by地元民)

・沿線の年齢層は南側(ユーカリが丘方面)ほど若者が多く北側(中学校方面)ほど高齢者が多い
・昔から住民入居数と年齢層をコントロールし各地域に合わせた町づくりが進められてきた
(ex.高齢者が多い中学校駅近くに老人センターが建設予定)
・開業から33年間、事故を一度も起こしてないらしい
・地元で祭りをやる日は運賃が無料になる
・一日数本だけ女子大止まりの列車がある(←「女子大行き」ってことか??w)
・雪に弱く、雪が降ると運行が麻痺/運休となるのがデフォ
・冷房が一切ついてないので夏は窓全開
・3編成の列車を写真一枚に収められる時間帯があるらしい



おじさんの地元愛感半端なかったが、ユーカリが丘線は町のための鉄道だとひしひし伝わってきた。
列車を撮影した後は真っ直ぐ中学校駅へ向かった。



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静かな住宅街を進んでいくと、スーパーマーケットの裏にこじんまりとした駅があった。
中学校駅はユーカリが丘線の中でも利用客が多く、地元民が続々と駅へ入っていく。
由来通り、駅を出てすぐのところには中学校があった。

ここからは復路ということで4駅隣のユーカリが丘へ向かおう!


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ホームでしばらく待っていると、「こあら3号」がヘッドライトを照らしてやってきた。

ユーカリが丘線の車両は1000形と名乗っており、各編成には「こあら1号・2号・3号」と名付けられている。
開業当初の1982年から走ってる車両で曲線と丸みを多用したデザインに時代を感じる。
ユーモラスな一枚顔が昔のSFロマン的な意匠で面白い。


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公園~中学校間は田園の横を進んでいくが、中学校から先は切通しになっている。
切通しを抜けるとまさかのトンネルに突入。短い路線だが道のりは波乱万丈だ。

トンネルを抜けた先は急勾配を駆け上がり、井野に到着する。


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「次は、こーえん、こーえんでーす」

「ここが地元なの、あたし!」といった感じの女性自動アナウンスがちょっと気恥ずかしい(笑)
故郷札幌の地下鉄もユーカリが丘線と同じ中央案内軌条だったから懐かしい気分だ。
車内は少し狭いが居心地はすこぶる良い。窓には手厚いカーテンもついている。

井野から先で片一方の線路と合流し、公園に着く。
公園からは高架の上をひた走り、あっという間に京成と接続するユーカリが丘に到着した。



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起点のユーカリが丘駅は広々とした駅構内が特徴的だ。
丸っこい小型列車に別れを告げ、京成の快速に乗って帰路に着いた。


ユーカリが丘ニュータウンは今後も様々な開発・整備を行っていくそうだ。
時代の先を見据えた町開発は、虫食い状態に住宅が建てられがちな典型的市街地とは対照的だ。
ラケット線内にあった手がつけられてない里山や田園も一見たださびしいだけのように見えたが、
あそこも実は山万の計画で保持されている憩いの場であるというのは、訪問してから何となくわかった。

ただ食って寝るだけの住処としてじゃなく、住民に愛されるために計画された都市と鉄道。
女子大駅ホームの後方で展開するリアル・シムシティーのような箱庭風景美は一見の価値あり。
漢の願望としてだけでなくw、皆さんも計画都市のロマンを求めにユーカリが丘線に訪れてみては如何だろうか。
(完結)
2015/02/17 | 地下鉄/新交通

SLもおか号が行く

「真岡汽車旅 1/2 (取手~下館~茂木)」

[2015/2/14]

バレンタインとは何ぞや!?


2月14日。多くのカップルがラブ一色に染まるこの日に、私は男一人、蒸気機関車に乗りに行こうと決めた。
近年SLブームが再加熱しつつあり、幅広い年齢層を中心に人気を集めてきているのだが、
私も最近ばかし「蒸気」の熱気に焼き付けられた一人なのだ。

どんなに劣勢状態になろうが「鉄」は挫けないぞ!ブレないぞ!腐らないぞ!
チョコで浮かれ気味な輩を掻き分け、今日も果てなき鉄路を行こう!


・計画~導入


真岡鉄道。正式に言うと真岡鐵道はJR水戸線・関鉄常総線と接続する下館から終点の茂木までを結んでいる。
終着駅の茂木栃木最東端の駅であり、今回の乗り鉄旅はそこを目的地とした。
茨城南部から約90km、片道3時間強の道のりである。

今回の旅の起点は茨城最南端の取手だ。ここからまず全線通しで関鉄常総線に乗って終点の下館へ行く。
そして下館から真岡鉄道のSLに乗ってさらに北上し、栃木最東端となる茂木を目指そう!

使用切符は「ときわ路パス」。これは茨城県内の鉄道が乗り放題となる切符で、値段は2150円とお手軽。
この切符は少し前まで真岡鉄道は対象外であったが、2013年に追加され一層お得になった。
もちろん、SL整理券を買えばこのフリー切符でSLに乗ることも可能である。


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午前8時半、私は自宅から常磐線に乗って取手までやってきた。
JRの券売機で「ときわ路パス」を購入し、こじんまりとした常総線の改札へ向かう。

首都圏のくせして今回の鉄旅で乗るのは気動車と客車列車だけで、電車には一切乗らないから面白い。
最北端旅で得た道民からの恩恵として、気動車を「汽車」と呼ぶ習慣に私も従ってみようと思う。
ということで今回やるのは、気動車含めた純然たる汽車旅!うん、いい響きだ。



・関東鉄道常総線 [取手~下館]
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全国でも珍しい「通勤非電化路線」、それが関東鉄道常総線だ。
この路線は一切電化されておらず、油を燃やして走る気動車で運行されている。
高校時代、茨城出身の学生はよく「知ってっか?茨城の電車って煙出んだぜ!」とか馬鹿にされてたっけな。

21世紀真っ只中の東京近郊にして全線非電化である要因は、沿線近くにある気象庁の磁気観測所の存在である。
磁気観測所から半径30km以内は交流電流にしなければならないという法令が正式に定められており、
交流で電化しようとすると莫大な設備費がかかるため、未だ電化に至ってないのだ。
同じく茨城を走る常磐線とつくばEXについては交直デッドセクションを設けて克服しているのだが、
関鉄は交流電化にするまでの余裕がなかったため、当面非電化で運行することとなった。

駅ホームに停車中の二両編成の気動車は、00年代生まれの新型車両である2300形
かつての常総線といえばベーシュ地にオレンジ色の帯を巻いた気動車を想起させるが、
今主力で走ってるのは白地に青と赤の帯を巻いた新世代ディーゼルカーである。




車体を「ブルルン!」と震わせ、常総線の気動車が8時53分に起点の取手を発車した。
取手からしばらくは住宅街の中を進んでいくので、車窓はあまり面白みがない。
座席は全てロングシートであり、車内の乗客もまちまちだが多い。

つくばEXと接続する守谷で、乗客がドッと増えた。
車窓は相変わらず住宅地が続くが、少しずつ緑が多くなってきた。
進行右手には筑波山が見える。水海道が近づくと、汽車は閑散とした田畑の中を進む。
車両基地の横を通り抜け、再び住宅が多くなると関鉄の運行拠点である水海道へ到着となる。


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これまでは複線の通勤路線であったが、水海道から常総線は単線のローカル線となる。
時刻表では全線通しの下館行きと名乗っているのに、ここ水海道で単行の気動車に乗り換える必要があるらしい。
さっきからたびたび案内されてた「水海道乗り換え下館行き」って、つまりそういう意味だったのか!

水海道で乗客が一斉に単行の方へ乗り継ぎ、あっという間に満席となった。
数分停車の後、常総の単行気動車は終点の下館向けて出発する。


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都内から一時間弱のところにして、ただっ広い田畑の中を単行気動車がひた走っている。
ただっ広くもポツポツと住宅が並んでるのは茨城らしい風景だ。
気のせいか、汽車はたびたび警笛を鳴らしながら進む。

下妻で地元の乗客がドッと降り、3分だけ停車する。
やがて終着が近づくと住宅が多くなってきて、汽車は定刻通り終点の下館に到着した。
跨線橋を渡り、第三セクター真岡鉄道の乗り場へ移動。ホームは予想以上に多くの観光客で賑わっている。



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下館からは、蒸気機関車だ。SLもおか!今から20年近く前から運行していて、主に毎週土日に走っている。
小型機関車に客車3両を連結しての運転だ。ホーム上の臨時切符売り場で、SL整理券を購入する。
整理券は500円と、至ってお手軽。SL料金値上げが著しい中で500円を保ってるのが素晴らしい。

「うわぁすげえ!本当に煙出てる!」
「ヤバイなっ!動くSLに乗るなんて一生に一回ぐらいだしなっ!」

………私はここ数年で計5本のSLに乗車している。最東端旅の復路で初めて乗ったばんえつ物語号に始まり、
みなかみ号、かわね路号、パレオエクスプレス号、はこだてX’masファンタジー号と順々に乗ってきた。
煙吐いて走る蒸気機関車に乗ると元気が湧くから、何度でも俺は乗りに来るぜ!

ホーム脇の線路には既にSL列車が待機していて、線路脇で撮り鉄が大勢カメラを構えている。
出発時間が近づくとSLは黒煙をふかして動き出し、バックでホームに入線した。



・SLもおか [下館~茂木]
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「SLもおか」が運行を開始したのは1994年のことで、主に土休日に一往復運行されている。
冬季や閑散期は運休となることが多いSL列車だが、もおか号は年中通して走っており
そういう意味では希少な存在である。特に冬季は盛大に煙が出るから尚更だ。

真岡線の歴史は大変古く、国鉄発のローカル線として開業した経緯を持っている。
国鉄のさらに前身である鉄道院は、元々幹線を主体に鉄道路線の建設を進めていったのだが、
明治43年に公布された「軽便鉄道法」によって、幹線だけでなく地域輸送を担う路線の建設も進めることとなった。

その国鉄初の地域輸送路線として着工に至ったのは、黒石線・倉吉線・湧別線・岩内線・真岡線の5路線であったが、
このうち真岡線は明治45年に開通し、着工された5路線の中で一番早い開業となったのである。
これ以来、国鉄~JR~第三セクターと運営元を変えつつも真岡線は存続している。


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真岡鉄道は牽引する蒸気機関車を2機持っていて、C11C12がある。
C11もC12も小型の機関車であるが、より小型なのはC12で、C11の方が少しだけ大きい。
どちらで運行されるのかはその日に来てみないとわからないが、今日はC11で運転されるようだ。

もおか号の主力といえばC12であり、対するC11は他線への出張や予備機の役割に留まっている。
なのでC11が定期運行で使われる日は少なく、乗りに来たその日がC11ならばラッキーだと思っていい。
個人的にはC11の方が風除けのデフレクターが取り付けられていて、蒸気機関車らしい風貌なので好きだ。



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バレンタインデーの今日は子供連れが多く、車内のボックスシートはほぼ全て埋まった。

私が今手元に持っているのは、運行開始間もない頃に発売されたSLもおかの走行ビデオテープである。
当時病気でSLもおか号に乗りに行けなくなってしまった私に、今は亡き祖父がお土産に買ってきてくれたものだ。
物心つくまで自分はこのビデオを毎日のように見ていたというから、幼い頃から相当な鉄だったんだろうと思う(苦笑)。

すっかりボロボロになったこのビデオテープには、私が幼少時代に自然と育んだ「鉄」の素養と思い出が詰っている。
約二十年のときを経て、復活当時祖父と乗るはずだったもおか号に今回は初乗車となる!
やがて発車のときが来ると、汽笛一声!SLもおか号は茂木へ向けて出発した。



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車窓は、常総線よりも長閑な風景が広がっている。起点の下館からしばらくは、住宅と田畑の間を抜けていく。
ここは関東平野の北の端っこであり、終点近くになると平野を脱し里山の中へ突入していくことになる。
発車して少し経ったところで、車掌さんから乗車記念券を貰った。

沿線は踏切が多いが、止まってる車の中から「何だアレ!?」みたいな視線で見てくるから面白い。
何の変哲もないローカル線の踏切でいきなり蒸気機関車が来たら、そりゃびっくりするだろう。
住宅から少し離れたところでは、空高く響き渡るほど盛大に汽笛を鳴らす。


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真岡鉄道の観光拠点、真岡でしばらく停車する。結構長い間停車するので記念撮影も可能である。
真岡駅構内は多くの観光客で賑わっており、団体の幼稚園の子供達が大勢乗り込んできた。
SLは大人の愉しみだと思っているのだが、「乗り」の主要顧客となってるのはやはり子供連れなのだろう。
「撮り」は大人が多いだけに、男一人でSLに乗っていると気恥ずかしくなるときがたまにある。

長時間停車の間、乗客が半分ぐらい入れ替わった。
ごった返す中で発車アナウンスがされると、汽笛を鳴らし汽車は真岡を発車する。


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真岡から益子にかけては、真岡鉄道の中でも有名な二つの橋梁を渡る。
真岡を出てすぐに渡るのが五行川橋梁(画像左)で、益子到着手前で渡るのが小貝川橋梁(画像右)だ。
どちらの橋梁も土木学会から「土木遺産」に認定されており、土木構造物としてはとても貴重な物件とされている。

上記の二つの橋梁は真岡線が開業する以前の鉄道黎明期に造られた代物で、元々幹線で使われていたものだ。
鉄道黎明期に造られた橋梁は荷重限界が小さく、大型機関車が沢山走るようになった幹線で使うのに限界がきていたのだが、
小型機関車しか走らない地域路線ではまだまだ使えるということで、開業時に中古品として転用・再利用したのである。

如何せん地味な感は歪めないと思うが、この二つの橋はつまり鉄道黎明期の面影を強く残しているのである。
どちらの橋もおよそ数秒で通り抜けてしまうが、「乗り」の側からしてもなかなか必見の代物である。
両脇のこじんまりとしたトラスに、悠久の歴史と息吹を感じようぜ!



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市塙辺りから汽車は人家の少ない里山の中へ入り、機関車は力強いドラフト音を立てて進む。
実はこの先には「天矢場峠」という、ちょっとした難所があるのだ。
撮り鉄には定番中の定番とされる名所である。

線路沿いでは多くの撮り鉄がカメラを構えているが、通過地点寸前で構える人が結構多く「大丈夫なのか?」と思ってしまう。
少し小高い丘の上を進み有名な天矢場の峠を過ぎると、汽車は惰性で25パーミルの急勾配を下っていく。
下館からちょっとすつ上ってきた分をここで一気に下るから、それなりに急な下り坂である。



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やがて素朴な市街の中へ入ると、汽車は栃木最東端駅茂木へ到着した。
到着すると汽車先頭部に人が集まってきて、しばしの記念撮影タイムが始まる。
ホームの向かい側には転車台があり、回転シーンを見ようと子供達が早くも集う。

乗客を降ろした後、汽車は再び煙を吐いてバック運転で転車台へ向かっていった。


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茂木駅前は商店が立ち並んでいるが、他は特に何もないようだ。
立派な駅舎は新築の真新しいもので、駅構内には蕎麦屋が併設されている。
栃木最東端駅の記念碑は残念ながらないが、ここが栃木の鉄道最東端であることに変わりはない。

ちなみに、茂木は「もてぎ」と読むらしい。なかなか難読な駅名だ。
私は、今までずーっと「しげき」だと思っていたぞ。


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ホームへ戻り、転車台へ向かうC11を観察する。

蒸気機関車はバック運転が苦手なので、大概終着で向きを変えるための転車台が設けられている。
もおか号は復活当初は転車台がなかったらしく、転車台が設けられるまでは復路をバックで運転していた。
バック運転は、鉄用語で「逆機」と呼ぶ。逆機運転は通常の前向き運転とはまた別のテクニックが必要なのだとか。


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転車台にSLが入ってきていざ回り始めると、脇でマジマジと見つめる子供達から歓声が上がる。
機関車が回ってるだけなのに、「わあーー!」とか「すごーーい!」とか喜ぶのだ。
ここの転車台は電動で動いていて、回転中は素朴な電子メロディが流れる。

自分も子供の頃は線路脇で「スーパーひたちだーーー!」とか叫んでたらしいから、人のことは言えないのだが(苦笑)。
小学生の頃は新型通勤電車(←走○んですの一派)が一番好きだったのに、今一番興味があるのは国鉄車と蒸気
年取るたびに、時代を逆行しているような気がしてならない。まあ趣味だから別にいいんだけど………。



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ゆっくりと半回転し向きを変え終わると、機関車は転車台近くで給水と石炭補給を始めた。
復路の出発は二時間半後であり、それまで一休みといった感じかな。


復路も全線もおか号で行ってもいいが、もう一つ見てみたい「釜」がここ真岡鉄道にはあった。
蒸気ならぬエアーで動くSLが、真岡駅に併設される観光施設にあるというので見に行ってみよう。
茂木駅構内で機関車の転車シーンを味わった後、私はホームで12時41分発の下館行き鈍行を待った。

2015/02/22 | 真岡汽車旅

キューロク館とエアー機関車

「真岡汽車旅 2/2 (茂木~真岡~下館~取手)」

[2015/2/14]

バレンタインにして油と蒸気一色の今回の汽車旅は、至って平和で順調な道のりを辿る。
関鉄常総線で茨城を北上し、下館から真岡のSLに乗って栃木最東端の茂木までやって来た。
復路は鈍行で真岡まで行き、駅前の車両保存施設を一通り観光してから再びSLに乗って帰路へ着こうと思う。


・真岡鐵道真岡線 [茂木~真岡]
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往路のSL到着から40分後、12時41分発の下館行き鈍行がやって来た。
真岡鉄道の鈍行は単行気動車で運行されており、日中はほぼ一時間毎に走っている。
鈍行で使われる車両は全てこのモオカ14形で、派手な塗装から地元では「スイカ」と呼ばれ親しまれているそうだ。

この車両の座席はロングシートとクロスシートのどちらかを装備しているらしいが、
今来た車両は残念ながらロングシート。実際この路線は、短距離利用の学生がほとんどだからこれで十分なのだろう。
単行のオールロングシートなんて既に乗り慣れてるから、別に驚きも落胆もしない。
ただこれが6~8時間の長距離鈍行に使われるというのなら、話はまた別だが。




茂木から元来た道を戻り、観光拠点の真岡へ向かう。約40分の道のりである。
真岡鉄道の車窓は北関東の平坦な土地がほぼ八割方を占め、長閑そのものである。
下館行きの単行気動車は至って軽快な走りで、途中気持ちよくなって少し眠り込んでしまう。


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眠りから覚めるとちょうど真岡に到着していて、慌てて下車した。
ちなみに真岡は「もおか」と読むが、私は最近までずーっと「まおか」だと思っていたぞ。

ここ真岡は真岡鉄道の本拠地であり、駅脇には車両基地があるしSLの車庫もある。
さらに駅前すぐに併設されているキューロク館では、貨車や国鉄気動車の展示などに加え、
エアーで動く蒸気機関車も見ることが出来るらしい。ということで、さっそく駅前のキューロク館へ向かおう!



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真岡駅の駅舎はSLを模した巨大な建物となっており、「関東の駅百選」にも選ばれている。
地方ローカルにしてはあまりにも巨大な駅舎で、なかなかの存在感があって良い。
間もなくエアー機関車の走行実演が行われるというので、スタンバイすることに。
先ほどのSLもおか号ほどではないが、人がちらちらと集まってきた。

果たして、エアー機関車とはどんなものなのか!?



・キューロク館
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観光施設キューロク館も、真岡駅の駅舎と同じでSLを模したつくりになっている。
中からヘッドライトを照らしているのが、キューロク館の名物であり「主」である蒸気機関車だ。
やがて準備が完了すると、汽笛一声!僅かばかりの白煙を上げながら、エアー駆動の機関車はゆっくりと動き出した。



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来た来た来た………!


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キターーーーーーーーーッ!!

大正生まれの釜のお出ましだ。
9600形!大正2年に登場した、日本初の純国産形蒸気機関車である。愛称は「キューロク」
大正2年に導入されたこの機関車の総製造数は828両に及び、あのD51(1115両)に次ぐ製造両数を誇っている。

日本初の蒸気機関車(860形)が誕生したのは明治27年のことで、それまで国鉄は外国からの輸入機関車を使っていた。
続いて20世紀に突入して間もない頃(明治35年)に、日本で初めて蒸気機関車の量産が行われる。
しかしこのとき量産された機関車(230形)はイギリス製が元になっており、
完全なる国産オリジナルというわけではなかった。

時代は大正に移り変わり、技術的自信を磐石なものとした国鉄はようやく国内設計の蒸気機関車を導入することとなった。
このとき、国内の事情に合わせて設計され本格的に量産されるまでに至った二つの形式。それが9600形と8620形だ。
9600形は貨物用として、8620形は旅客用として、国内設計で初めて量産された蒸気機関車となったのである。





図太いボイラーの割に動輪が小さいのが、キューロク一番の特徴だ。
この昔の解説映像では、現役時代のキューロクの力走を見ることが出来るので是非見てほしい。
米坂線や宮津線を初めとして、キューロクは戦後になると急勾配かつ路盤の弱い路線で使われていたという。

ちなみにキューロクが最後まで残っていたのは北海道のローカル地区で、国鉄最後のSL運用もこの機関車が牽引している。
古くは大正から昭和の定期SLの終焉まで、国産SLが誕生してから消滅するまで9600はずーっと働いた。
なので、キューロクは国産の蒸気機関車として最長命の形式である。


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エアーもとい圧縮空気で動き始めた真岡のキューロクは、全長僅か60m程の展示線を往復し始めた。
機関車のみで二往復した後、さらには展示線末端にある車掌車も連結して三往復、四往復する。
車掌室には乗車も出来る(乗車料300円)らしく、子供連れが続々と乗り込んだ。


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私的には生きた蒸気が動くだけでも楽しいが、子供には何が楽しいのかわからないらしい。
虎視眈々とカメラで撮り続ける我々「鉄」を尻目に、早くも飽き始めている。
良識ある大人達の前で「つまんなーい」とか言う子供達は本当に純真だ。

確かに展示線を往復するだけでは如何せん地味であるが、これはスゴイことなんだぞ!
大正生まれで百歳に達しようとしてるご老体が、身体に鞭打って圧縮空気で動いてるっていうのに。



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結果的に展示線を四往復した後、キューロクのエアー駆動実演は終了した。
HP上では二往復とあったから、残りの二往復はサービスでやってくれたのかも。
すごい地味ではあったけど、個人的にはなかなか見応えあったな。何せ、大正の釜だし!



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復路のSL列車が来るまで少し時間があるので、それまでキューロク館で展示されている車両を観察してみよう。
キューロク館横には、かつて真岡線で使われていた気動車とディーゼル機関車が展示されている。
大昔の地方ローカルの象徴であったキハ20と、ローカル地区の機関車を代表するDE10

キハ20といえば、ここ真岡から約40kmほど東のところにあるひたちなか海浜鉄道で走っている(土日のみ)。
ひたちなか海浜鉄道は「ときわ路パス」のフリー区間に含まれていて、以前乗りに行ったことがあるのだが、
嘘みたいに古ぼけたエンジン音は本当にびっくらこいた。特にキハ2000は床が板張りなのでおすすめだ。


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キューロク館内で9600と一緒に展示されているのは、かつて急行ニセコの客車として使われていた旧型客車スハフ44
これを復活させてキューロクとともに本線上を走らせれば、凄いことになりそうだが………。
あの大○川鉄道にも負けない、旧時代蒸気王国の誕生である。

旧型客車脇の憩いのスペースには、すっかり読み込まれてクタクタになったレイルマガジンが置いてあった。
雑誌トップの叩きに「さらば、日本海・きたぐに」とあるから、結構前のやつなのだろう。
何から何まで、ホントに鉄道づくしなんだな、ここは(笑)。


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キューロク館前に「デン!」と大きく掲げられている、真岡鉄道のSL保存車の紹介看板。
定期運用はC12とC11だけで十分だし9600が本線上を走ることはなさそうだが、
何時か客車を引いて本線を走る姿も見てみたいものだ。

圧縮空気で動態保存するのは、将来的に蒸気復活させるための仮措置だと何処かで聞いたことがある。
だとしたら、キューロクは近い未来にSLもおか号として真岡線を走るのだろうか?
今後の真岡鉄道に期待したいところである。

キューロク館を一通り探索した後、私は真岡駅ホームで復路のSLが来るのを待った。



・SLもおか [真岡~下館]
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復路のもおか号は、往路ほどではないが到着寸前になってそこそこ乗客が集まってきた。
傾きかけた陽を浴びるC11の姿は、何処となく哀愁が漂っている。

真岡のC11は只見線陸羽西線磐越東線など、出張運転で色んな路線に出向いているから顔つきは立派である。
現役の蒸気の中でも、こいつは一番忙しい奴かもしれない。C11はどんな路線もこなす万能の名機なのだ。
ごった返す中で機関車を撮影した後、私は列車最後尾の客車に乗り込んだ。


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真岡鉄道がもおか号で使っている客車は、国鉄50系だ。
1977年に導入された形式で、主に地方線区の通勤・通学用に製造された車両である。
今は旧客を髣髴とさせる茶色に塗られているが、かつては赤色一色で「レッドトレイン」とも呼ばれていた。

50系は通勤・通学需要のために車端部付近がロングシートになっているが、他は全てボックスシートである。
座席モケットこそ緑色に取り替えられているのだが、他は特に弄った形跡はない
荷棚下に素朴なイチゴの飾りつけがついてるのが地方ローカルらしい。


………イチゴの飾りつけを見て今日がバレンタインだったことを初めて思い出した。


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威勢よく汽笛を鳴らした後、もおか号は下館向けて出発する。
久下田を境に列車は茨城県内に入り、住宅や工場の間を抜けていく。

SLが不調であるときを除いて、もおか号は最後尾に補機(DL)をつけず単機で運転するらしい。
小型機関車が客車3両を独力で引っ張ってるから、ドラフト音も他のSLより「らしく」鳴り響いている。
加えて真岡線は非電化で架線がないので、大昔の地方ローカルの体裁(小型機関車+非電化)に限りなく近いといえよう。



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やがて真岡から約30分で、復路のもおか号は終着の下館に到着となった。

真岡のSLは年々右肩上がりで人気が上がっているらしく、今日も観光客や撮り鉄や極小数の乗り鉄達で賑わった。
SLブーム再来が期待され、また観光資源としての価値も高まっている蒸気が私はやっぱり好きなんだと思う。
あと関東圏で乗ってないSLは、JR東日本高崎支社のデゴイチだけだ。

関東だけでなく最終的には全国のSL列車乗車を目指して、これからも頑張っていこう!
真岡のSLに別れを告げ、私は十分後に出発する常総線の乗り場へ向かった。



・関東鉄道常総線 [下館~取手]
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日が暮れる中、常総の単行気動車が発車を待っている。
車両はキハ5000形。見た目はほぼ同じだが往路で乗った2300形とはまた違う。
2009年に導入された新型車で、塗装も従来のものと塗り分けが異なっているのが興味深い。

ただ個人的には、昔のベージュ地にオレンジ帯の塗装を復活させてほしいなー。
昔の塗装の気動車は平日の通勤時間帯に運用されるのみとなっており、狙って乗るのは困難。
竜ヶ崎線で昔の塗装の旧型気動車が土曜に運行されているらしいから、近いうちに行ってみるかな!


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手前の線路が常総線、真ん中を貫く線路が水戸線で、奥にあるのが真岡線だ。
ディーゼル機関車が連結され回送されていく真岡のSLを横目に、16時05分発の汽車は定刻通り出発する。

全線通しを名乗る取手行きの単行気動車は、やはり往路と同じく水海道で二両編成の気動車に乗り換えとなった。
何せ、「水海道乗り換え取手行き」である(苦笑)。初見だと結構ややこしい案内だろうコレ。
以前は全線通しの鈍行があったはずなのだが、今は無くなってしまったのだろうか………。



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すっかり日が暮れた頃、下館から一時間強で汽車は終着の取手に到着する。
東京近郊にして純然たる気動車と客車列車だけの汽車旅も、これにて終了。
千葉北西の自宅へ向かうため、私は何時もの常磐線で帰路に着いた。


既に復活から四半世紀近く立っている真岡のSLは、冬季こそ訪れる価値があるだろう。
冬季において定期で走ってる蒸気機関車といえば、大井川鉄道と真岡鉄道ぐらいなのだが、
真岡のSLはサービス精神旺盛で、住宅から離れたところでは盛大に煙をふかしていたのもポイントだ。

走行中試しに少し窓を開けたら、石炭の粒が飛んできて眼鏡が黒く薄汚れてしまったぞ。それも味といえば味だが。
JRみたいな派手さはないが、昔の地方ローカルの体裁に限りなく近い真岡のSL列車は一度乗ってみる価値ありだ。
もおか号は自宅から一番近いSL列車なので、また近いうちに来訪したいと思う。
(完結)
2015/02/27 | 真岡汽車旅


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