鈍行列車一人旅

よく電車とバスに乗って旅してます。鉄分多めの旅ネタが主。
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関東最東端の駅、海鹿島へ

「銚子日帰り下車旅 1/3 (新松戸~千葉~銚子~海鹿島)」

[2015/1/31]

何でもかんでも最端にすればいいってもんじゃない。
しかし、日帰りで行ける最果ても悪くないと考えた。
国鉄最四端は一ヶ月前に制覇したが、日本の最端はまだまだそこらにあるので懲りずに鈍行で行ってみよう!
やっぱり、鈍行で行ってこその最果てだ。


・計画~導入


今回の旅の目的地は「関東最東端の駅」である海鹿島だ。
海鹿島は銚子電鉄の途中駅で、関東地方にある駅の中では最東端に位置している。

出発地は何時も通り新松戸。関東最東端まで約120kmの道のりとなる。
まず新松戸から武蔵野線に乗って西船橋へ行き、総武緩行線に乗り換えて千葉へ向かう。
千葉からは総武本線で終点銚子を目指す。そして銚子で銚子電鉄に乗り換え、関東最東端駅の海鹿島へ。
海鹿島到達まで3時間強の道のり。海鹿島に着いた後は犬吠埼へ向かう予定だ。

午前9時半に新松戸へ向かい券売機で銚子までの切符を購入。運賃は片道1940円だ。
昨日は珍しく雪が降っていたが今日は文句無しの快晴。
ただ昨日からの冷たい風は相変わらずで、真冬の北風が吹き荒ぶ。
しかし一ヶ月前に行った最北稚内と比べりゃ関東の寒さなど敵じゃない!



・武蔵野線 [新松戸~西船橋]
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関東最東端への道のりは土日も混雑する武蔵野線から始まる。
南船橋行きは子供連れ(とギャンブルの親父)が多く、賑やかである。
武蔵野線は都心~地方へ向かう幹線に乗り継ぐのに不可欠な路線となっているが、
直通する京葉線とともに高架区間が多いため、雨風が強まるとすぐに運転見合わせとなるのが悩みの種だ。

現在の武蔵野線の主力車両はVVVF改造された205系である。
最近209系のお古が入ってきたというが本数が少ないのか滅多に見かけない。
お下がりからお下がりへ車両が移り変わっていく様は、同じオレンジ色の中央線とは格が違うね!



・総武緩行線 [西船橋~千葉]
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西船で黄色の総武緩行に乗り換え緩行電車の終着千葉へ向かう。
総武緩行は錦糸町で総武本線を離れ、御茶ノ水から中央線の緩行電車として働いている。
中央線といえばオレンジ電車なので、黄色い電車は「中央線内でも総武線」という認識が強いのだとか。

千葉までは延々と住宅地が続くため車窓は面白みがない。
西船から20分強で終着千葉へ到着する。



・総武本線 [千葉~銚子]
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千葉からは総武本線の鈍行に乗って銚子を目指そう。車両は209系。短い4両編成での運転だ。
東京~千葉の複々線から総武本線の終点まで行く列車は一本もないので、
銚子へ行くには千葉で必ず乗り換える必要があるのだ。

総武本線に「本線」が付いた大元は、明治42年(1909)に鉄道院が制定した国有鉄道線路名称にある。
これは当時国有化された鉄道路線を名称付けしたもので、民営化以後のJR各社にもほぼ引き継がれた。
国有鉄道線路名称は23部72路線に分類され、各地域の路線ごとに包括された「部」に分かれているのだが、
このうち総武本線は「総武線の部」を代表する路線となっているのだ。

「総武線の部」

・総武本線(東京〜銚子・錦糸町〜御茶ノ水)
・京葉線(東京〜二俣新町〜蘇我・市川塩浜〜西船橋・西船橋〜南船橋)
・外房線(千葉〜大網〜安房鴨川)
・内房線(蘇我〜木更津〜安房鴨川)
・成田線(佐倉〜成田〜我孫子・成田〜松岸・成田〜成田空港)
・鹿島線(香取〜鹿島サッカースタジアム)
・久留里線(木更津〜上総亀山)
・東金線(大網〜成東)
・木原線(大原~上総中野)←1988年に第三セクター(いすみ鉄道)に転換



民営化以後この名称一覧は公式に使用されてないが、「総武線の部」に包括される路線は上記の9路線がある。
これら全ての路線を代表する路線として総武本線は「本線」の称号が与えられたのであった。
しかし今、案内上「総武本線」と名乗っているのは千葉以東の区間のみである。



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「7番線に到着の列車は、総武本線の各駅停車銚子行きです!千葉を出ますと、
東千葉!つぅ~~がぁ~~~!よぉ~つぅ~かぁ~いぃ~どうぅ~~~!物井!佐倉の順に停車致します!
ご利用の方はお早めにご乗車下さい!ハイ、銚子行き間もなく発車致します!
駆け込み乗車はお止めください!次の電車をご利用ください!ハイ発車しまーす!!」

千葉駅は自動放送が地元の苦情で廃止されたためか駅員がクドイほどに煽る。
ひたすら煽ってガミガミまくし立てるのである。これは他の駅にない特徴かもしれない。
都賀と四街道だけ思わせぶりに語尾たっぷりなのは駅員さんの癖なのか?(笑)





列車は千葉を出るとしばらく住宅街を進み、四街道あたりから田畑が現れ始める。
閑散とした田園地帯を走り、短い隧道を抜けると間もなく佐倉へ到着。

ここから総武本線は単線となり、本数の少ないローカル線となる。



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佐倉からは長閑な風景が続き単線をひた走っていく。
総武本線沿いはもっとバリバリ住宅地だと思っていたが、車窓は予想以上に長閑な風景だ。
八街(やちまた)という難読駅で地元客がドッと降り、混雑していた車内が空いてきた。
日向と書いて「ひゅうが」と読む駅で数分停車し、一駅隣の成東では東金線と接続する。



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成東からも相変わらず長閑な風景を走っていくが、瓦屋根の民家が多くなり本格ローカルの様相を呈する。
真っ直ぐに伸びた一本の線路は本線というより完全にローカル線の趣である。
古びた駅舎が味わい深い松尾を出て、住宅が増えてくると横芝に到着。
成田線もそうだが、総武本線も激渋の駅名が多いと思う。





八日市場で再び乗客が増えた。終点の銚子まであと30分強。
八日市場からはしばらく住宅地をひた走るが、を過ぎたところで人家が少なくなる。
成東から銚子まで太平洋沿いを走る総武本線だが海から5kmほど離れているため海を拝むことは出来ない。



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飯岡を過ぎると小高い丘陵地帯へ突入し、隧道と切り通しを抜けて倉橋へ向かう。
倉橋は野山の無人駅だ。倉橋から松岸まではカーブで丘陵を切り抜ける。

進行方向左手には、風力発電のプロペラが立っているのが見える。
侘しい野山を抜けると成田線と交わる松岸へ到達。
ここまで来れば「関東最東端の街」はすぐそこだ。



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やがて千葉から1時間40分で終点の銚子に到着した。
ここからは銚子鉄道だ。銚子鉄道のホームはJR側ホームの端にある。



・銚子電気鉄道 [銚子~海鹿島]
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銚子電気鉄道、略して銚子鉄道は総武本線と接続する銚子から外川までを結んでいる。
関東最東端の地方ローカル線であり、全長6.4kmの単線に合わせて十の駅がある。
開業は大正12年(1923)と古く、鉄道輸送の他に副業として食品製造も行っている。

銚子電鉄はかつて、厳しい経営状況から「運行休止」の危機に陥ったことがあるらしい。
どうしようもない事態に陥った2006年、銚子電鉄は公式ホームページに以下の呼びかけを公表した。

「電車修理代を稼がなくちゃ、いけないんです。」

会社が危機に瀕している状況がひしひしと伝わるこの衝撃の一節は、公表されると瞬く間にネット上に拡散。
そしてネットを通じて危機を知った人々が、同社が製造する名物「ぬれ煎餅」を大量注文したのである。
ネットで話題になっていることがわかるとマスメディアも一斉に報道し、ぬれ煎餅の注文は殺到。
一時は生産が間に合わず注文ストップとなり、売れに売れたという。


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少し前まで銚子電鉄は嘘みたいに年季の入った旧型電車(乗りたかった!)が走っていたが、
老朽化が限界に達したため全て引退済。現在走っているのは昭和に活躍した他社車両のお古である。
これから乗車するのは京王・伊予鉄道で活躍していた2000形。塗装も京王時代のグリーン一色を再現している。

どうやら銚子駅に銚子鉄道用の改札はないらしく、車掌が切符の販売を行うみたいだ。
車内は至って空いており地元の人と観光客が半数ずつといった感じか。
13時00分、外川行き列車が定刻から少し遅れて発車した。



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列車が発車してから、海鹿島までの切符を購入するため車掌さんに声をかけた。

「すいません、うみかしままでお願いします」
あしかじまですね、240円になります」

あぁ~肝心なところで間違えちまった!なんと海鹿島は「あしかじま」と読むらしい。
絶対「うみかしま」だと思ってたのに、余計恥ずかしい。
地味ながらも難読レベルじゃないか?この駅名は。



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沿線は住宅も多いが畑が点在していてのどかな風景が広がっている。
列車の速度はのんびりしていて、頑張れば自転車でも追い越せそうな速度だ。
本銚子あたりで上り勾配になり左手にそこそこ展望のよい景色を見ることができる。



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のんびり走る列車に揺られること十分強、列車は関東最東端駅の海鹿島へ到着した。
降りたのは私一人だけ。駅周りは閑静な住宅地である。

ホームへ降り立つと車掌さんの集札を受け、間もなく走り去っていった。



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ホーム上には、関東最東端の駅であることを示す碑がある。
碑そのものは新しく最近に建てられたもののようだ。
こうして碑が建ってると到達したことの喜びをダイレクトに感じられて良い。

ただ、結果的に出発から到達まで3時間強しか経ってないので、
「関東最東端、来たぜ!」ってほどのテンションにはならないのが正直な本音だ(苦笑)



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海鹿島駅の全景はこんな感じ。ジオラマのようにこじんまりとした無人駅である。
ホームの簡易トイレを利用しようと思ったが、どうも使えないっぽいのでスルー。
年季の入った木造駅舎は手入れが行き届いており、構内壁には地元の広告が沢山貼られていた。



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萌え広告キターーーーーッ!!

萌え~な広告が多いほど、その鉄道会社は厳しい経営状態にあるという現実が透けて見えてしまう。
地元利用客のみで地方ローカルの鉄道はとてもやってけないからだ。
萌えキャラ活用の地域起こしは良いんだけど電車には塗ってほしくないんだよねー。鉄オタ=アニオタみたいになるから。
萌えキャラの正体については、次回の記事で取り上げようと思う。

「俺はアニオタでもないし鉄オタでもない、乗り鉄なんだ!」とどうでもいい自問自答を繰り返しながら、
私は駅前から徒歩で、関東最東端の岬「犬吠埼」へ向かった。

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銚子の岬巡りと犬吠駅

「銚子日帰り下車旅 2/3 (海鹿島~犬吠埼~犬吠~長崎鼻)」

[2015/1/31]

千葉北西から鈍行を乗り継ぎ「関東最東端の駅」海鹿島へやって来た私は、
さらに端っこの地へ向かうべく、駅前から関東最東端の岬「犬吠埼」へ向けて出発した。

犬吠埼の最寄りは犬吠駅(徒歩10分)だが、海鹿島駅からでも歩いて行けないことはない距離だ。




関東最東端の駅から関東最東端の岬へは約2.5kmの道のりである。
最端から最端へ行く「最端妙味」に今回は拘ってみた。日帰りながら最果て三昧!
路線バスも利用してみようと思ったが、鉄道と上手く噛み合わないので断念。
銚子鉄道の駅を拠点として散策するプランを立てれば、それで十分な気がした。



・海鹿島駅~海鹿島海岸(徒歩)
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海鹿島駅前は意外と交通量が多く最果て感が薄い。
駅前から道を北東に進むと突き当たりに出るが、そこを右に曲がって進んでいくと海の方へ行ける。


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Googleマップを頼りに道を進んでいくと、道の先に太平洋が見えてきた。海鹿島海岸だ。
海鹿島一帯は風光明媚な風景で知られ、その昔多くの文豪が滞在したことでも有名である。


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千葉東部の海岸といえば代わり映えのしない景色を想起させるが、
海鹿島海岸は思った以上に情緒深い景色が広がっている。
辺りは人っ子一人いない。隠れ名所的な雰囲気が漂ってるな。
海岸には民家(?)の廃墟もあり、侘しさを一層醸し出している。

銚子といえば犬吠埼が有名だから、そっちに観光客が流れてしまうのだろうか。



・海鹿島海岸~犬吠埼(徒歩)
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ひっそりとした海鹿島海岸から犬吠埼へ向けて君ヶ浜沿いを南下していく。
さっきの情緒ある風景とは打って変わり、浜は侵食防止のためのコンクリートで塗り固められていた。
この辺りは海流が複雑らしく波は高く荒い。コンクリートでがっちり固められるまでになったのも納得。

父がアウトドア好きで少年時代よく海(茨城沿岸)に遊びに行ったが、
行くところはこういった整備された海水浴場じゃなかったから怖かった記憶がある。
荒波にさらわれて死にかけたこともあったなー。素のままの自然と戯れるのは危険が付き纏うのだ。


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豪快に波打つ太平洋の向こうに旅の目的地である犬吠埼が見えてきた。
犬吠埼は日本で一番早く初日の出が見られる場所として有名で、元旦には多くの人が訪れる。
あの岬に建つ犬吠埼灯台は歴史的価値が高く「世界灯台100選」にも選ばれている有名な灯台だ。



・犬吠埼
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君ヶ浜沿いをひた歩き、海鹿島から30分で犬吠埼へ。
犬吠埼へ近づくごとに人気が多くなり、駐車場にはそれなりに車が止まっていた。
灯台近くには地元の飲食店やお土産屋が数件あるようだ。



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銚子自体は何回か訪れているが犬吠埼へ来たのは初めて。
犬吠埼灯台はいかにも「灯台」といった立派な姿で、日本に5つしかない第1等灯台の一つらしい。

この灯台が建てられたのは今から約140年前(1874)のこと。煉瓦建造物として国内第二位の高さを誇っている。
日本製の煉瓦19万3000枚によって出来ており、二重構造にすることで丈夫なつくりになっているという。
海の難所とされる犬吠埼一帯で、この灯台は一世紀半ずっと風雨に耐え続けてきたすごい奴なのだ。


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犬吠埼灯台は一般公開されており、参観料を支払えば灯台の上まで登ることもできる。
灯台裏まで続いている遊歩道が気になったので、行ってみることに。



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関東最東端グッジョブ!!

自撮りもやってみたいがこっちの方が手軽でいい塩見だ。自撮りって痛々しいイメージがあるので。
遊歩道の先にあった何のことない岬の景色。でも、一応ここが関東の東の最果てなのだ。
絶壁の向こうは太平洋が広がるばかりで、青い空と海以外は何も見えない。

太平洋の遥か向こう、距離にしておよそ8400kmのところにはアメリカ大陸がある。
犬吠埼から真っ直ぐ東に進路をとればサンフランシスコやロサンゼルスにぶつかるから驚きだ。

……犬吠埼とアメリカ西海岸って全然接点を感じないけどね(笑)



・犬吠埼~犬吠駅(徒歩)
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関東最東端の景色を堪能した後、キリのいいところで犬吠埼を出発する。
次は銚子電鉄の観光拠点「犬吠駅」を探索してみよう。
犬吠駅は犬吠埼から徒歩10分のところにある。

犬吠埼周辺は観光施設が充実していて大型飲食店やホテルが立ち並んでいる。
海沿いの県道を進み裏道へ入っていったところに銚子電鉄の駅はあった。



・犬吠駅
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犬吠埼からほどなくして犬吠駅へ着く。
駅舎はポルトガルの宮殿を模した独特のつくりで「関東の駅百選」にも選ばれている。

立派な宮殿風駅舎が完成したのは1990年で、駅構内にぬれ煎餅の売店も併設されている。
当初「燈台前」と名乗っていたこの駅は、銚子電鉄が観光路線として売り出してから最大の観光スポットとなっている。
以前は駅前広場に旧型電車を利用した喫茶店もあったらしいが、
老朽化が進んでいたため、2012年に解体処分されてしまっているのが残念。


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ヨーロッパ風の駅構内は天井が高く広々としていて気持ちいい。
売店には様々なものが売られており、普通のお土産や鉄心を刺激するグッズもある。
ただ銚子電鉄といえばやっぱりぬれ煎餅なので、10個入りのぬれ煎餅袋を購入した。

駅舎の前には桃太郎電鉄の名物キャラ「貧乏神」の石像があった。
ハドソンが自ら寄贈したものらしい。銚子電鉄は桃鉄の題材に使用されたことがあるのだ。
桃鉄はスーファミで散々やったから懐かしい気分になった(確かスーパー桃鉄II)。

しかし、取り付かれると絶望しかない「貧乏神」を福の神とするのも何か妙な話だがw



・外川つくし
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これは……さっき海鹿島駅で見かけた萌えキャラの等身大パネルだ。名前は「外川つくし」というらしい。
トミーテックが展開する「鉄道むすめシリーズ」の一人で、犬吠駅で駅務係として働いている設定になっている。



彼女「外川つくし」の詳細なプロフィールは以下の通り。
右側には彼女のテーマ曲を貼ってみた。ごく素朴のアニソンだが、
興味ある方は聴いてみては!?

・銚子電鉄犬吠駅の駅務係として勤務
・好きな食べ物はぬれ煎餅とたい焼き
・笑顔が自慢で花と子供が大好き
・名前は銚子電鉄の終着駅「外川」と「澪つくし号」に由来
・銚子電気鉄道商品化許諾済
・ツイッターの公式アカウントを持っている



等身大モデルを撮っていると、脇からそそくさと「鉄」の人が加わり撮影し始めた。
結局私も、銚子電鉄の萌えキャラ術中にハマってしまったのだろうか??

ぬれ煎餅を計20個買い外川つくしを存分に撮った後、犬吠駅を出た。



・犬吠駅~長崎鼻(徒歩)
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時間はまだ余裕あるので、今度は犬吠駅から銚子最南端長崎鼻へ行ってみよう。
観光地として有名な犬吠埼に対し長崎鼻は一切観光化されてないらしい。
海沿いの道をしばらく進むと、こじんまりとした岬と灯台が見えてきた。

犬吠駅から20分強、寂れた港集落を抜けたところで長崎鼻に到着。
何もなさそうなところだというのは、事前に予想がついていたのだが………、



・長崎鼻
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本当に、何もねえ。

岬には漂流物が散乱しており、打ち捨てられたボートが一隻転がっている。
土管を縦にして白く塗りたくったような白塔は、正式に「長崎鼻一ノ島照射灯」というらしい。
光で船を誘導する灯台とは異なり、照射灯は光を照らして特定の場所を示す役目に留まった施設である。

観光地然としていた犬吠埼とは打って変わり、こっちは最果て感がムンムン漂ってるな。
誰もいないし売店や商店まで一件たりともない。北風が吹きすさぶから余計侘しくなった。



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左手を眺めると、先ほど訪れた犬吠埼が遠くに見える。
「銚子の最南端」VS「関東の最東端」。歴史的価値とネームバリューでいえば犬吠埼が勝るが、
ひなびた最果て旅情を醸し出す場所(何じゃそりゃ)としては長崎鼻に軍配が上がるだろう。

何せここは、銚子電鉄HPの沿線ガイドにすら取り上げられてないのだから(笑)



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華やかな犬吠埼灯台に対し哀愁たっぷりの長崎鼻。この照射灯の初点灯は昭和30年にまで遡る。
照射灯は灯台と併設されることが多く、照射灯だけが独立して建っているのは珍しいという。
こいつは、ここで60年間ずっと独りで沖合いの岩礁を照らし続けてきたのだ。


次回は復路となるが、日暮れまで時間があるので銚子電鉄の「本拠地」仲ノ町駅へ行ってみよう。
仲ノ町で下車した後は歩いて銚子駅へ向かい、特急しおさいに乗って帰路を辿る。
長崎鼻の景色を堪能した後、私は銚子電鉄の終着「外川駅」へ向かった。

銚子電鉄を辿って

「銚子日帰り下車旅 3/3 (外川~仲ノ町~銚子~新松戸)」

[2015/1/31]

最端づくしの銚子日帰り旅は順調な道のりを辿ってきた。
関東最東端駅の海鹿島を経て銚子の二つの岬を辿ってきたが、
ここからは銚子電鉄に乗り、銚子で特急しおさいに乗り継いで帰路となる。


・外川駅
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銚子最南端の長崎鼻から徒歩10分で、銚子電鉄の終着である外川駅へ到達した。
終着駅だが駅前は何もなく閑静な住宅に囲まれている。

外川駅は銚子電鉄でも有名な駅として知られる。
こじんまりとした古い木造駅舎は開業当初からある建物だ。
この駅の開業は大正12年(1923)だから、駅舎は建てられてから90年以上経っていることになる。


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駅舎の脇には自動販売機がありノスタルジックな赤いポストもある。
留置線に放置されているのは、2010年に引退した名物車両デハ800形だ。
かつての銚子電鉄のイメージといえば黒と赤のツートン色だが、もうあの色の電車は走ってない。


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駅構内はレトロな雰囲気で天井に懐かしの白熱灯もぶら下がっていた。
端っこに古ぼけた郵便配達スクーターが置いてあってりして郷愁を駆り立てる。
色褪せたアナログ時計に、黒板に書かれた時刻表もいい味出してるな。
時間の流れが緩やかになるタイムレス空間だ。



・銚子電気鉄道 [外川~仲ノ町]
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駅を観察してると二両編成の列車がのんびり入線してきた。
さっきの往路で乗ったのと同じく、京王・伊予鉄道で走ってた2000形
ぼってりしたグリーン色は、渋谷駅のハチ公口にある蛙電車を思い出す。

銚子側は湘南顔だが、外川側は三枚窓の貫通顔になっているのが面白い。
この車両は銚子電鉄初の冷房搭載車だが、変電所の供給に余裕がないらしく、
冷房は終着駅の間しかかけないそうだ(苦笑)。切り詰めてる感半端ない!


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ぶっちゃけ私は留置されてる旧型電車に乗りたいが、もう動くことはないのだろう。
車内の乗客は僅か三人。隣駅の犬吠から乗客がドッと増えるのかも。
15時13分、銚子行きは定刻通りのんびりと発車した。



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そのまま銚子へ行っても面白くないので、復路は銚子電鉄の本拠地である仲ノ町で下車しよう。
予想通り犬吠でドッと乗客が増えて車内は賑やかになった。
乗客が乗り込むたびに車掌が切符販売を行う。

切符は磁器タイプではなく昔ながらの硬券でもない。ごく普通の紙の切符である。
これがなかなかいい味出してるというか、いかにもローカル線に来た気持ちにさせてくれるから良い。


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沿線はキャベツ畑が点在していて、そのすぐ脇を列車がゴトゴト抜けていく。
線路の柵もろくになく「町のための鉄道」の雰囲気が漂う。


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銚子電鉄唯一の交換駅、笠上黒生(かさがみくろはえ)。初見ではまず読めない難読駅である。
今思ったんだけど、銚子電鉄の駅って何処もコカコーラの自動販売機があるのは気のせいか?
理由はわからないが、コカコーラと提携でもしてるんだろうか………。

「間もなく、観音~~~~、観音~~~~に到着致します」

観音駅が近づくと車掌さんが車内を回りながら肉声案内を行った。鉄心を刺激するサービスだ。
これでさらに「発車、オーライ!」って言ってくれたら完全に昭和だ。

観音へ到着すると、たい焼きを持った乗客がドッと乗り込んでくる。
観音駅では名物としてたい焼きを販売していて、焼きたてがすぐに食べられるらしい。
そしてそれを車内で何事もなく食べられるところが、地元ローカルの魅力といえる。



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車内広告にもやっぱり萌えキャラ広告があった。
コレはさっき等身大で発見した「外川つくし」とは違うようだ。
調べたところ、広島の鉄道愛好サークルが手がけたものなのだとか。

地方ローカルは色んなものと通じてんなぁ。大手にはないごった煮感がたまらない。


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終着外川から15分ほどで、列車は銚子一つ手前の仲ノ町へ到着。
駅ホームが簡素で、ホームというより古い民家の裏に入って来てしまったような感じだ。



・仲ノ町駅
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仲ノ町はヤマサ醤油の工場地帯にある駅で、駅周りは無機質な建造物ばかりだ。
駅舎も工場の土地を間借りしてるような感じで、駅というより作業場のような雰囲気が漂う。
工場が稼動していれば醤油の匂いが香ってくるそうだ。

無機質なところだが、ここが一応、銚子電鉄の本拠地なのである。
ホームに隣接している車庫に銚子電鉄の車両が停まっているので、少し観察してみよう。


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車庫に停まっていたのは、営団銀座線・丸ノ内線支線で活躍していたデハ1000形
銀座線時代の黄色と丸ノ内線時代の赤色が再現されていた。
東京の地下鉄で古い歴史を持つ2路線再現コンビが、ここで拝めるとは思わなかった。

実は、丸の内線色に塗られているデハ1002は20日ほど前に引退してしまっている。
2015年1月10日を最後に定期運行を終えており、最終日は手前のデハ1001と協調運転を行ったという。
今後デハ1002は保存されるのだろうか?解体されてしまうのだろうか??
一応そこは「鉄」として気になるところなのである。

カメラを向けていると従業員の人がそそくさと車両に乗り込み、引退済みのデハ1002が私の真ん前で始動した!
何だこのサプライズはw。でも、あっちからすればただの業務だろう。


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引退した丸の内線色の電車が運よく前に出てきてくれた。
よく見ると車両後ろ側に名物機関車「デキ3」が連結されてるのが見えた。
ドイツ製であり、日本の旅客鉄道の中で最も小さい機関車として知られてる代物である。


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がんばれローカル鉄道。

まさかの「敗北宣言」から立ち直ることに成功し、ギリギリで頑張ってきた銚子電鉄を象徴する言葉だと思う。
この萌え~な応援ポスターは、仲ノ町駅構内のショーケースに飾ってあった。

あっという間だが、銚子電鉄の旅はこれで終わりだ。
「終着駅に着いたら、何もなかった」そんな地元ローカル線の未来は厳しい。
しかしそれでも乗り鉄は遠くから集い、列車に乗り込む。「乗って残す」とはよく言ったものである。


仲ノ町駅を探索した後、私は隣駅の銚子に向かって出発した。



・仲ノ町駅~銚子駅(徒歩)
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仲ノ町駅から線路沿いの道を歩いていくと、10分程で銚子駅に着く。
駅前ロータリーは広く商店街も広々としていて気持ちいい。
ここから、あとはしおさいに乗って帰路を辿るだけだ。


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16時38分に出る特急しおさい14号。今日はこれに乗って帰路へ着こう!
最近「往路=鈍行」「復路=特急」の行程パターンが定着してしまってるのだが、
帰りも鈍行にすると想像以上にしんどくなるので、今後は特急を上手く活用していこうと考えている。

疲れきった状態で帰りの鈍行に乗り込むあのしんどさは一度味わった人なら分かって頂けると思う。
鈍行で最四端行ってしまった馬鹿が今更何言ってんだって感じもするが(苦笑)。



・特急しおさい14号 [銚子~船橋]
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銚子駅1番線ホームに房総特急しおさいが停まっている。9両編成で自由席はまだ誰もいない。
車両は255系。1993年にデビューし今も房総特急の代名詞として活躍している。

東京~銚子間を結ぶ特急「しおさい」のルーツは、同経路で運行されていた優等列車の存在だ。
総武本線はかつて千葉地区唯一の「本線」とされ、その位置づけと威厳を保つ主旨もあったのか、
観光需要の高い内房・外房線よりも早く有料優等列車が設定された経緯を持っている。

その総武本線において誕生した初の有料優等列車が、1958年に設定された準急「犬吠」だ。
「犬吠」は後に急行に格上げされ、新宿・両国~銚子間を気動車で結んで走っていたが、
1975年に総武本線の全線電化が完了すると、国鉄は「犬吠」の一部を特急に格上げし新たに「しおさい」と名づけた。
当時は単なる値上げだと不評を受けたらしいが、これ以来、総武本線を担う定期特急としてしおさいは走り続けてきた。


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しおさいは東京まで向かうが私は船橋で下車する。この特急は通常船橋には停車しないが、
土休日の1号と14号に限り船橋に停車するという特例があるそうだ。
船橋停車の需要はあまりないものの、千葉北西に住む私にとっては都合がよかった。

列車は銚子を発車すると、旭、八日市場、横芝、成東の順に停車していく。
線形が悪いのか速度はのろのろしていて、ガタンゴトンとジョイント音を盛大に響かせながら走る。
その鈍足な走りは特急らしからぬ気もするが、鈍行よりも所要時間を大幅に短縮できることは確かだ。


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千葉を出ると列車は速度を上げ鈍行を続々と抜き去っていく。
初めはガラガラだったが、進むうちに少しずつ乗客が増えてきた。

やがて銚子から約一時間半で、列車は船橋に到着した。



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房総特急に乗車したのは初めてだが、千葉以東へ向かう際にまた利用してみようと思う。
列車を撮影した後、間もなく発車。船橋駅は休日帰りの人々で混みあっている。
新松戸へ向かうため、私は人混みに紛れて総武緩行のホームへ向かった。


総武本線と銚子電鉄の日帰り旅は、これにて終了。
「本線」と名乗っておきながらローカル度満載な総武本線を経て、
銚子からレトロ電車で関東最東端、犬吠埼を目指してみるのも悪くない。
ぬれ煎餅でもかじりながら歩いて駅巡りをするのもよし、萌えキャラと戯れるのもよし。

見栄を捨てた言葉で一世を風靡した銚子電鉄は、電車修理代を稼ぐために今日も頑張ってるのだろう。
こっちも次何時になるかは保障できないが、また乗りに行くぜ!銚子電鉄!
(完結)

山万ユーカリが丘線の旅

「未来派ボナが計画都市を駆ける」

[2015/2/12]

漢のロマンを求めにとある駅へ向かおうと思う。

熱き男達の夢を叶えてくれる駅が千葉の佐倉にあるのだという。
何時になく空を切り続けてきた私だが「今度こそは!」と当たって砕けろで家を出た。




山万ユーカリが丘線。千葉県佐倉市にある、不動産会社によって運営されている新交通システムである。
地図上で円を描く謎めいた路線で、ずっと気になってたので今回訪問することにした。
この路線は松戸から電車を乗り継いで一時間半のところにある。

ユーカリが丘線は京成本線のユーカリが丘駅から接続している。この駅は快速・普通と一部の特急しか停まらない。
新松戸からJRで船橋へ行き、そこから京成でユーカリが丘まで行きユーカリが丘線に乗り換える。
こじんまりとした通路を進んでいくと一昔前の自動改札機があった。
全長4.1kmにしか満たない、ミニ鉄旅の始まりだ。



・山万ユーカリが丘線
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下調べしていて思ったのだが、山万ユーカリが丘線は屈指の「珍」路線といえる。
まず運営してるのが鉄道会社ではなく民間の不動産会社なのだ。他ではまず見られない。
あと運行形態が独特で、ラケット状のかたちをした線路を列車が一方通行で走っているのにも注目したい。


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大人と小人、200円と100円。

運行区間が短いので運賃は一律200円。ボタンも大人用と子供用の二つしかない。
シンプル過ぎて突っ込みどころに困るよ。
改札に切符を投入すると「ウィーーーーーン!」と、すっとぼけたような機械音が唸った。
ここの自動改札機は見た感じ相当な年代物だ。当然SuicaなどのICカードは非対応である。


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乗り場へ上ると列車が到着していて、今にも発車しそうなのでさっさと乗り込んだ。
3両編成で、車体にはコアラのイラストが描かれている。
私が乗り込むと同時に、ユーカリが丘線の小型列車は発車した。

日中なので車内はガラガラ。乗客は沿線の地元民が全てを占めていると思われる。
発車すると真新しい町の中を進んでいくが、緑も多くニュータウンらしい光景が広がる。

お目当ての駅は起点から5分で到着となった。



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女子大。

すいません、こういうオチです(笑)

女子大とは何なのか。こんな直感的に訴えてくる駅名も珍しい。
きっと駅前には華々しい女子大があってあとはどうにもこうにもなってしまうんだぜ。



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しかし、現実は非情である。

駅は無人。駅前は二車線の道路が横切っており、向かい側には女子大じゃなくて小学校があった。
辺りに広がるのは何の変哲もない新興住宅で華の女子大など見当たらない。
実は駅から遠くにあるんじゃないか??と思って案内看板を探してみるが、見つからず。
女子大行きのバス停とか、そういう類のものも一切ないようだ………。


当たって砕けるどころか、砕けるための材料すらなかったw


「女子大」なのに、女子大がない。

じゃあ何故ここは「女子大」なんて駅名がついてるのか?
その謎を紐解くには、ユーカリが丘線とユーカリが丘ニュータウンの概況を知る必要がある。



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「田園の向こうに超高層マンションが聳える(女子大駅にて)」


関東初の新交通システムとして山万ユーカリが丘線が開業したのは、今から30年以上も前のことだ。
鉄道のノウハウを知らない不動産会社が鉄道を開業させることに運輸省は難色を示したというが、
山万の「鉄道を走らせる熱意」は並々のものではなく、無事に認可を得て1982年に開業している。

町は通常、鉄道が敷かれたところから放射状に発展していくが、ユーカリが丘ニュータウンの場合は逆だ。
鉄道を町の一つの価値として、総合的なコンセプトの一要素として走らせる主旨が元からあった。
つまり、一つの町を便利にさせたいだけに山万は鉄道を建設したのである。
根深い土地・輸送事情に基づいて建設される鉄道において、これは珍しいことだ。

極めつけなのは大雑把すぎる駅名である。開業当時は町がまだ発展途上だったため、
駅近に建設される予定だった施設をそのまま駅名にしてるのだが、インパクトは絶大。
ということで以下にユーカリが丘線の路線図と駅名を列挙してみた。



・ユーカリが丘
・地区センター
・公園
・女子大
・中学校
・井野



………どう思いますか、皆さん。駅名らしいといえるのは「井野」ぐらいか?w
当時ここら辺は田んぼしかなかっただろうから、ネーミングセンスがより問われたと思うが、
不動産会社がセンスあるネーミングなんて付けられるとは思えないし結果的にこんな安直になってしまったんだろう。

ぶっちぎりで気になるのは「公園」「女子大」「中学校」の3駅だ。
このうち「公園」と「中学校」については建設が実現し駅名の由来が保たれているが、
問題となるのが「女子大」で、こちらについては移転誘致に失敗し建設は実現していない
駅近に女子大を建てる予定で名前を当てたはいいものの、駅名だけが一人歩きする結果となっている。

「女子大」という響きに誘われるのもいいが、駅前には何もないから注意されたし!




「癒し系×鉄オタ×芸人:鈴川絢子さんのユーカリが丘線紹介動画」


私の画像と文章ばかりではムサ苦しいと思うので、ここで清涼剤としてYoutubeの秀逸動画をご覧頂こう。
千葉北西出身の芸人で鉄オタでもある、鈴川絢子さんの紹介動画を貼ってみた。
某番組の「かわいすぎる女芸人」ナンバーワンに輝いた御方である。

これまで鈍行で各地に出向いてきたが、彼女みたいな可愛い鉄子は正直一度も見かけたことがないぞ………。
鉄オタ芸人なのに、タモリ倶楽部に一度も出てないってのも意外。



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女子大駅のすぐそばにはユーカリが丘線の車両基地がある。
車両は3編成が在籍しているが、日中は一編成のみで運行されているようだ。

この路線は「VONA(ボナ)」と呼ばれる独自の運行方式が採用されている。
線路の真ん中に案内軌条を設け、それを両脇からローラーで挟み込んで走行するというものだ。
新交通システムは線路の両脇に案内レールが設けられることが多いが、
ユーカリが丘線は中央に案内レールがあり現役の新交通としては国内唯一の方式となっている。


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通しで乗っていても面白くないので、女子大駅から中学校駅まで歩いてみることにした。
公園駅から中学校駅にかけては長閑な田園風景が広がっている。

田園の道は住民の憩いの場となってるらしく、散歩やランニングで利用する人が多いようだ。
通りすがり地元のおじさんが「撮影ですか?」と食いついてきたので、
ユーカリが丘線についてちょっと話を伺ってみることにした。


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山万ユーカリが丘線のうんちく(by地元民)

・沿線の年齢層は南側(ユーカリが丘方面)ほど若者が多く北側(中学校方面)ほど高齢者が多い
・昔から住民入居数と年齢層をコントロールし各地域に合わせた町づくりが進められてきた
(ex.高齢者が多い中学校駅近くに老人センターが建設予定)
・開業から33年間、事故を一度も起こしてないらしい
・地元で祭りをやる日は運賃が無料になる
・一日数本だけ女子大止まりの列車がある(←「女子大行き」ってことか??w)
・雪に弱く、雪が降ると運行が麻痺/運休となるのがデフォ
・冷房が一切ついてないので夏は窓全開
・3編成の列車を写真一枚に収められる時間帯があるらしい



おじさんの地元愛感半端なかったが、ユーカリが丘線は町のための鉄道だとひしひし伝わってきた。
列車を撮影した後は真っ直ぐ中学校駅へ向かった。



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静かな住宅街を進んでいくと、スーパーマーケットの裏にこじんまりとした駅があった。
中学校駅はユーカリが丘線の中でも利用客が多く、地元民が続々と駅へ入っていく。
由来通り、駅を出てすぐのところには中学校があった。

ここからは復路ということで4駅隣のユーカリが丘へ向かおう!


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ホームでしばらく待っていると、「こあら3号」がヘッドライトを照らしてやってきた。

ユーカリが丘線の車両は1000形と名乗っており、各編成には「こあら1号・2号・3号」と名付けられている。
開業当初の1982年から走ってる車両で曲線と丸みを多用したデザインに時代を感じる。
ユーモラスな一枚顔が昔のSFロマン的な意匠で面白い。


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公園~中学校間は田園の横を進んでいくが、中学校から先は切通しになっている。
切通しを抜けるとまさかのトンネルに突入。短い路線だが道のりは波乱万丈だ。

トンネルを抜けた先は急勾配を駆け上がり、井野に到着する。


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「次は、こーえん、こーえんでーす」

「ここが地元なの、あたし!」といった感じの女性自動アナウンスがちょっと気恥ずかしい(笑)
故郷札幌の地下鉄もユーカリが丘線と同じ中央案内軌条だったから懐かしい気分だ。
車内は少し狭いが居心地はすこぶる良い。窓には手厚いカーテンもついている。

井野から先で片一方の線路と合流し、公園に着く。
公園からは高架の上をひた走り、あっという間に京成と接続するユーカリが丘に到着した。



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起点のユーカリが丘駅は広々とした駅構内が特徴的だ。
丸っこい小型列車に別れを告げ、京成の快速に乗って帰路に着いた。


ユーカリが丘ニュータウンは今後も様々な開発・整備を行っていくそうだ。
時代の先を見据えた町開発は、虫食い状態に住宅が建てられがちな典型的市街地とは対照的だ。
ラケット線内にあった手がつけられてない里山や田園も一見たださびしいだけのように見えたが、
あそこも実は山万の計画で保持されている憩いの場であるというのは、訪問してから何となくわかった。

ただ食って寝るだけの住処としてじゃなく、住民に愛されるために計画された都市と鉄道。
女子大駅ホームの後方で展開するリアル・シムシティーのような箱庭風景美は一見の価値あり。
漢の願望としてだけでなくw、皆さんも計画都市のロマンを求めにユーカリが丘線に訪れてみては如何だろうか。
(完結)
2015/02/17 | 地下鉄/新交通

SLもおか号が行く

「真岡汽車旅 1/2 (取手~下館~茂木)」

[2015/2/14]

バレンタインとは何ぞや!?


2月14日。多くのカップルがラブ一色に染まるこの日に、私は男一人、蒸気機関車に乗りに行こうと決めた。
近年SLブームが再加熱しつつあり、幅広い年齢層を中心に人気を集めてきているのだが、
私も最近ばかし「蒸気」の熱気に焼き付けられた一人なのだ。

どんなに劣勢状態になろうが「鉄」は挫けないぞ!ブレないぞ!腐らないぞ!
チョコで浮かれ気味な輩を掻き分け、今日も果てなき鉄路を行こう!


・計画~導入


真岡鉄道。正式に言うと真岡鐵道はJR水戸線・関鉄常総線と接続する下館から終点の茂木までを結んでいる。
終着駅の茂木栃木最東端の駅であり、今回の乗り鉄旅はそこを目的地とした。
茨城南部から約90km、片道3時間強の道のりである。

今回の旅の起点は茨城最南端の取手だ。ここからまず全線通しで関鉄常総線に乗って終点の下館へ行く。
そして下館から真岡鉄道のSLに乗ってさらに北上し、栃木最東端となる茂木を目指そう!

使用切符は「ときわ路パス」。これは茨城県内の鉄道が乗り放題となる切符で、値段は2150円とお手軽。
この切符は少し前まで真岡鉄道は対象外であったが、2013年に追加され一層お得になった。
もちろん、SL整理券を買えばこのフリー切符でSLに乗ることも可能である。


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午前8時半、私は自宅から常磐線に乗って取手までやってきた。
JRの券売機で「ときわ路パス」を購入し、こじんまりとした常総線の改札へ向かう。

首都圏のくせして今回の鉄旅で乗るのは気動車と客車列車だけで、電車には一切乗らないから面白い。
最北端旅で得た道民からの恩恵として、気動車を「汽車」と呼ぶ習慣に私も従ってみようと思う。
ということで今回やるのは、気動車含めた純然たる汽車旅!うん、いい響きだ。



・関東鉄道常総線 [取手~下館]
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全国でも珍しい「通勤非電化路線」、それが関東鉄道常総線だ。
この路線は一切電化されておらず、油を燃やして走る気動車で運行されている。
高校時代、茨城出身の学生はよく「知ってっか?茨城の電車って煙出んだぜ!」とか馬鹿にされてたっけな。

21世紀真っ只中の東京近郊にして全線非電化である要因は、沿線近くにある気象庁の磁気観測所の存在である。
磁気観測所から半径30km以内は交流電流にしなければならないという法令が正式に定められており、
交流で電化しようとすると莫大な設備費がかかるため、未だ電化に至ってないのだ。
同じく茨城を走る常磐線とつくばEXについては交直デッドセクションを設けて克服しているのだが、
関鉄は交流電化にするまでの余裕がなかったため、当面非電化で運行することとなった。

駅ホームに停車中の二両編成の気動車は、00年代生まれの新型車両である2300形
かつての常総線といえばベーシュ地にオレンジ色の帯を巻いた気動車を想起させるが、
今主力で走ってるのは白地に青と赤の帯を巻いた新世代ディーゼルカーである。




車体を「ブルルン!」と震わせ、常総線の気動車が8時53分に起点の取手を発車した。
取手からしばらくは住宅街の中を進んでいくので、車窓はあまり面白みがない。
座席は全てロングシートであり、車内の乗客もまちまちだが多い。

つくばEXと接続する守谷で、乗客がドッと増えた。
車窓は相変わらず住宅地が続くが、少しずつ緑が多くなってきた。
進行右手には筑波山が見える。水海道が近づくと、汽車は閑散とした田畑の中を進む。
車両基地の横を通り抜け、再び住宅が多くなると関鉄の運行拠点である水海道へ到着となる。


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これまでは複線の通勤路線であったが、水海道から常総線は単線のローカル線となる。
時刻表では全線通しの下館行きと名乗っているのに、ここ水海道で単行の気動車に乗り換える必要があるらしい。
さっきからたびたび案内されてた「水海道乗り換え下館行き」って、つまりそういう意味だったのか!

水海道で乗客が一斉に単行の方へ乗り継ぎ、あっという間に満席となった。
数分停車の後、常総の単行気動車は終点の下館向けて出発する。


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都内から一時間弱のところにして、ただっ広い田畑の中を単行気動車がひた走っている。
ただっ広くもポツポツと住宅が並んでるのは茨城らしい風景だ。
気のせいか、汽車はたびたび警笛を鳴らしながら進む。

下妻で地元の乗客がドッと降り、3分だけ停車する。
やがて終着が近づくと住宅が多くなってきて、汽車は定刻通り終点の下館に到着した。
跨線橋を渡り、第三セクター真岡鉄道の乗り場へ移動。ホームは予想以上に多くの観光客で賑わっている。



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下館からは、蒸気機関車だ。SLもおか!今から20年近く前から運行していて、主に毎週土日に走っている。
小型機関車に客車3両を連結しての運転だ。ホーム上の臨時切符売り場で、SL整理券を購入する。
整理券は500円と、至ってお手軽。SL料金値上げが著しい中で500円を保ってるのが素晴らしい。

「うわぁすげえ!本当に煙出てる!」
「ヤバイなっ!動くSLに乗るなんて一生に一回ぐらいだしなっ!」

………私はここ数年で計5本のSLに乗車している。最東端旅の復路で初めて乗ったばんえつ物語号に始まり、
みなかみ号、かわね路号、パレオエクスプレス号、はこだてX’masファンタジー号と順々に乗ってきた。
煙吐いて走る蒸気機関車に乗ると元気が湧くから、何度でも俺は乗りに来るぜ!

ホーム脇の線路には既にSL列車が待機していて、線路脇で撮り鉄が大勢カメラを構えている。
出発時間が近づくとSLは黒煙をふかして動き出し、バックでホームに入線した。



・SLもおか [下館~茂木]
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「SLもおか」が運行を開始したのは1994年のことで、主に土休日に一往復運行されている。
冬季や閑散期は運休となることが多いSL列車だが、もおか号は年中通して走っており
そういう意味では希少な存在である。特に冬季は盛大に煙が出るから尚更だ。

真岡線の歴史は大変古く、国鉄発のローカル線として開業した経緯を持っている。
国鉄のさらに前身である鉄道院は、元々幹線を主体に鉄道路線の建設を進めていったのだが、
明治43年に公布された「軽便鉄道法」によって、幹線だけでなく地域輸送を担う路線の建設も進めることとなった。

その国鉄初の地域輸送路線として着工に至ったのは、黒石線・倉吉線・湧別線・岩内線・真岡線の5路線であったが、
このうち真岡線は明治45年に開通し、着工された5路線の中で一番早い開業となったのである。
これ以来、国鉄~JR~第三セクターと運営元を変えつつも真岡線は存続している。


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真岡鉄道は牽引する蒸気機関車を2機持っていて、C11C12がある。
C11もC12も小型の機関車であるが、より小型なのはC12で、C11の方が少しだけ大きい。
どちらで運行されるのかはその日に来てみないとわからないが、今日はC11で運転されるようだ。

もおか号の主力といえばC12であり、対するC11は他線への出張や予備機の役割に留まっている。
なのでC11が定期運行で使われる日は少なく、乗りに来たその日がC11ならばラッキーだと思っていい。
個人的にはC11の方が風除けのデフレクターが取り付けられていて、蒸気機関車らしい風貌なので好きだ。



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バレンタインデーの今日は子供連れが多く、車内のボックスシートはほぼ全て埋まった。

私が今手元に持っているのは、運行開始間もない頃に発売されたSLもおかの走行ビデオテープである。
当時病気でSLもおか号に乗りに行けなくなってしまった私に、今は亡き祖父がお土産に買ってきてくれたものだ。
物心つくまで自分はこのビデオを毎日のように見ていたというから、幼い頃から相当な鉄だったんだろうと思う(苦笑)。

すっかりボロボロになったこのビデオテープには、私が幼少時代に自然と育んだ「鉄」の素養と思い出が詰っている。
約二十年のときを経て、復活当時祖父と乗るはずだったもおか号に今回は初乗車となる!
やがて発車のときが来ると、汽笛一声!SLもおか号は茂木へ向けて出発した。



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車窓は、常総線よりも長閑な風景が広がっている。起点の下館からしばらくは、住宅と田畑の間を抜けていく。
ここは関東平野の北の端っこであり、終点近くになると平野を脱し里山の中へ突入していくことになる。
発車して少し経ったところで、車掌さんから乗車記念券を貰った。

沿線は踏切が多いが、止まってる車の中から「何だアレ!?」みたいな視線で見てくるから面白い。
何の変哲もないローカル線の踏切でいきなり蒸気機関車が来たら、そりゃびっくりするだろう。
住宅から少し離れたところでは、空高く響き渡るほど盛大に汽笛を鳴らす。


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真岡鉄道の観光拠点、真岡でしばらく停車する。結構長い間停車するので記念撮影も可能である。
真岡駅構内は多くの観光客で賑わっており、団体の幼稚園の子供達が大勢乗り込んできた。
SLは大人の愉しみだと思っているのだが、「乗り」の主要顧客となってるのはやはり子供連れなのだろう。
「撮り」は大人が多いだけに、男一人でSLに乗っていると気恥ずかしくなるときがたまにある。

長時間停車の間、乗客が半分ぐらい入れ替わった。
ごった返す中で発車アナウンスがされると、汽笛を鳴らし汽車は真岡を発車する。


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真岡から益子にかけては、真岡鉄道の中でも有名な二つの橋梁を渡る。
真岡を出てすぐに渡るのが五行川橋梁(画像左)で、益子到着手前で渡るのが小貝川橋梁(画像右)だ。
どちらの橋梁も土木学会から「土木遺産」に認定されており、土木構造物としてはとても貴重な物件とされている。

上記の二つの橋梁は真岡線が開業する以前の鉄道黎明期に造られた代物で、元々幹線で使われていたものだ。
鉄道黎明期に造られた橋梁は荷重限界が小さく、大型機関車が沢山走るようになった幹線で使うのに限界がきていたのだが、
小型機関車しか走らない地域路線ではまだまだ使えるということで、開業時に中古品として転用・再利用したのである。

如何せん地味な感は歪めないと思うが、この二つの橋はつまり鉄道黎明期の面影を強く残しているのである。
どちらの橋もおよそ数秒で通り抜けてしまうが、「乗り」の側からしてもなかなか必見の代物である。
両脇のこじんまりとしたトラスに、悠久の歴史と息吹を感じようぜ!



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市塙辺りから汽車は人家の少ない里山の中へ入り、機関車は力強いドラフト音を立てて進む。
実はこの先には「天矢場峠」という、ちょっとした難所があるのだ。
撮り鉄には定番中の定番とされる名所である。

線路沿いでは多くの撮り鉄がカメラを構えているが、通過地点寸前で構える人が結構多く「大丈夫なのか?」と思ってしまう。
少し小高い丘の上を進み有名な天矢場の峠を過ぎると、汽車は惰性で25パーミルの急勾配を下っていく。
下館からちょっとすつ上ってきた分をここで一気に下るから、それなりに急な下り坂である。



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やがて素朴な市街の中へ入ると、汽車は栃木最東端駅茂木へ到着した。
到着すると汽車先頭部に人が集まってきて、しばしの記念撮影タイムが始まる。
ホームの向かい側には転車台があり、回転シーンを見ようと子供達が早くも集う。

乗客を降ろした後、汽車は再び煙を吐いてバック運転で転車台へ向かっていった。


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茂木駅前は商店が立ち並んでいるが、他は特に何もないようだ。
立派な駅舎は新築の真新しいもので、駅構内には蕎麦屋が併設されている。
栃木最東端駅の記念碑は残念ながらないが、ここが栃木の鉄道最東端であることに変わりはない。

ちなみに、茂木は「もてぎ」と読むらしい。なかなか難読な駅名だ。
私は、今までずーっと「しげき」だと思っていたぞ。


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ホームへ戻り、転車台へ向かうC11を観察する。

蒸気機関車はバック運転が苦手なので、大概終着で向きを変えるための転車台が設けられている。
もおか号は復活当初は転車台がなかったらしく、転車台が設けられるまでは復路をバックで運転していた。
バック運転は、鉄用語で「逆機」と呼ぶ。逆機運転は通常の前向き運転とはまた別のテクニックが必要なのだとか。


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転車台にSLが入ってきていざ回り始めると、脇でマジマジと見つめる子供達から歓声が上がる。
機関車が回ってるだけなのに、「わあーー!」とか「すごーーい!」とか喜ぶのだ。
ここの転車台は電動で動いていて、回転中は素朴な電子メロディが流れる。

自分も子供の頃は線路脇で「スーパーひたちだーーー!」とか叫んでたらしいから、人のことは言えないのだが(苦笑)。
小学生の頃は新型通勤電車(←走○んですの一派)が一番好きだったのに、今一番興味があるのは国鉄車と蒸気
年取るたびに、時代を逆行しているような気がしてならない。まあ趣味だから別にいいんだけど………。



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ゆっくりと半回転し向きを変え終わると、機関車は転車台近くで給水と石炭補給を始めた。
復路の出発は二時間半後であり、それまで一休みといった感じかな。


復路も全線もおか号で行ってもいいが、もう一つ見てみたい「釜」がここ真岡鉄道にはあった。
蒸気ならぬエアーで動くSLが、真岡駅に併設される観光施設にあるというので見に行ってみよう。
茂木駅構内で機関車の転車シーンを味わった後、私はホームで12時41分発の下館行き鈍行を待った。

2015/02/22 | 真岡汽車旅

キューロク館とエアー機関車

「真岡汽車旅 2/2 (茂木~真岡~下館~取手)」

[2015/2/14]

バレンタインにして油と蒸気一色の今回の汽車旅は、至って平和で順調な道のりを辿る。
関鉄常総線で茨城を北上し、下館から真岡のSLに乗って栃木最東端の茂木までやって来た。
復路は鈍行で真岡まで行き、駅前の車両保存施設を一通り観光してから再びSLに乗って帰路へ着こうと思う。


・真岡鐵道真岡線 [茂木~真岡]
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往路のSL到着から40分後、12時41分発の下館行き鈍行がやって来た。
真岡鉄道の鈍行は単行気動車で運行されており、日中はほぼ一時間毎に走っている。
鈍行で使われる車両は全てこのモオカ14形で、派手な塗装から地元では「スイカ」と呼ばれ親しまれているそうだ。

この車両の座席はロングシートとクロスシートのどちらかを装備しているらしいが、
今来た車両は残念ながらロングシート。実際この路線は、短距離利用の学生がほとんどだからこれで十分なのだろう。
単行のオールロングシートなんて既に乗り慣れてるから、別に驚きも落胆もしない。
ただこれが6~8時間の長距離鈍行に使われるというのなら、話はまた別だが。




茂木から元来た道を戻り、観光拠点の真岡へ向かう。約40分の道のりである。
真岡鉄道の車窓は北関東の平坦な土地がほぼ八割方を占め、長閑そのものである。
下館行きの単行気動車は至って軽快な走りで、途中気持ちよくなって少し眠り込んでしまう。


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眠りから覚めるとちょうど真岡に到着していて、慌てて下車した。
ちなみに真岡は「もおか」と読むが、私は最近までずーっと「まおか」だと思っていたぞ。

ここ真岡は真岡鉄道の本拠地であり、駅脇には車両基地があるしSLの車庫もある。
さらに駅前すぐに併設されているキューロク館では、貨車や国鉄気動車の展示などに加え、
エアーで動く蒸気機関車も見ることが出来るらしい。ということで、さっそく駅前のキューロク館へ向かおう!



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真岡駅の駅舎はSLを模した巨大な建物となっており、「関東の駅百選」にも選ばれている。
地方ローカルにしてはあまりにも巨大な駅舎で、なかなかの存在感があって良い。
間もなくエアー機関車の走行実演が行われるというので、スタンバイすることに。
先ほどのSLもおか号ほどではないが、人がちらちらと集まってきた。

果たして、エアー機関車とはどんなものなのか!?



・キューロク館
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観光施設キューロク館も、真岡駅の駅舎と同じでSLを模したつくりになっている。
中からヘッドライトを照らしているのが、キューロク館の名物であり「主」である蒸気機関車だ。
やがて準備が完了すると、汽笛一声!僅かばかりの白煙を上げながら、エアー駆動の機関車はゆっくりと動き出した。



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来た来た来た………!


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キターーーーーーーーーッ!!

大正生まれの釜のお出ましだ。
9600形!大正2年に登場した、日本初の純国産形蒸気機関車である。愛称は「キューロク」
大正2年に導入されたこの機関車の総製造数は828両に及び、あのD51(1115両)に次ぐ製造両数を誇っている。

日本初の蒸気機関車(860形)が誕生したのは明治27年のことで、それまで国鉄は外国からの輸入機関車を使っていた。
続いて20世紀に突入して間もない頃(明治35年)に、日本で初めて蒸気機関車の量産が行われる。
しかしこのとき量産された機関車(230形)はイギリス製が元になっており、
完全なる国産オリジナルというわけではなかった。

時代は大正に移り変わり、技術的自信を磐石なものとした国鉄はようやく国内設計の蒸気機関車を導入することとなった。
このとき、国内の事情に合わせて設計され本格的に量産されるまでに至った二つの形式。それが9600形と8620形だ。
9600形は貨物用として、8620形は旅客用として、国内設計で初めて量産された蒸気機関車となったのである。





図太いボイラーの割に動輪が小さいのが、キューロク一番の特徴だ。
この昔の解説映像では、現役時代のキューロクの力走を見ることが出来るので是非見てほしい。
米坂線や宮津線を初めとして、キューロクは戦後になると急勾配かつ路盤の弱い路線で使われていたという。

ちなみにキューロクが最後まで残っていたのは北海道のローカル地区で、国鉄最後のSL運用もこの機関車が牽引している。
古くは大正から昭和の定期SLの終焉まで、国産SLが誕生してから消滅するまで9600はずーっと働いた。
なので、キューロクは国産の蒸気機関車として最長命の形式である。


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エアーもとい圧縮空気で動き始めた真岡のキューロクは、全長僅か60m程の展示線を往復し始めた。
機関車のみで二往復した後、さらには展示線末端にある車掌車も連結して三往復、四往復する。
車掌室には乗車も出来る(乗車料300円)らしく、子供連れが続々と乗り込んだ。


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私的には生きた蒸気が動くだけでも楽しいが、子供には何が楽しいのかわからないらしい。
虎視眈々とカメラで撮り続ける我々「鉄」を尻目に、早くも飽き始めている。
良識ある大人達の前で「つまんなーい」とか言う子供達は本当に純真だ。

確かに展示線を往復するだけでは如何せん地味であるが、これはスゴイことなんだぞ!
大正生まれで百歳に達しようとしてるご老体が、身体に鞭打って圧縮空気で動いてるっていうのに。



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結果的に展示線を四往復した後、キューロクのエアー駆動実演は終了した。
HP上では二往復とあったから、残りの二往復はサービスでやってくれたのかも。
すごい地味ではあったけど、個人的にはなかなか見応えあったな。何せ、大正の釜だし!



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復路のSL列車が来るまで少し時間があるので、それまでキューロク館で展示されている車両を観察してみよう。
キューロク館横には、かつて真岡線で使われていた気動車とディーゼル機関車が展示されている。
大昔の地方ローカルの象徴であったキハ20と、ローカル地区の機関車を代表するDE10

キハ20といえば、ここ真岡から約40kmほど東のところにあるひたちなか海浜鉄道で走っている(土日のみ)。
ひたちなか海浜鉄道は「ときわ路パス」のフリー区間に含まれていて、以前乗りに行ったことがあるのだが、
嘘みたいに古ぼけたエンジン音は本当にびっくらこいた。特にキハ2000は床が板張りなのでおすすめだ。


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キューロク館内で9600と一緒に展示されているのは、かつて急行ニセコの客車として使われていた旧型客車スハフ44
これを復活させてキューロクとともに本線上を走らせれば、凄いことになりそうだが………。
あの大○川鉄道にも負けない、旧時代蒸気王国の誕生である。

旧型客車脇の憩いのスペースには、すっかり読み込まれてクタクタになったレイルマガジンが置いてあった。
雑誌トップの叩きに「さらば、日本海・きたぐに」とあるから、結構前のやつなのだろう。
何から何まで、ホントに鉄道づくしなんだな、ここは(笑)。


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キューロク館前に「デン!」と大きく掲げられている、真岡鉄道のSL保存車の紹介看板。
定期運用はC12とC11だけで十分だし9600が本線上を走ることはなさそうだが、
何時か客車を引いて本線を走る姿も見てみたいものだ。

圧縮空気で動態保存するのは、将来的に蒸気復活させるための仮措置だと何処かで聞いたことがある。
だとしたら、キューロクは近い未来にSLもおか号として真岡線を走るのだろうか?
今後の真岡鉄道に期待したいところである。

キューロク館を一通り探索した後、私は真岡駅ホームで復路のSLが来るのを待った。



・SLもおか [真岡~下館]
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復路のもおか号は、往路ほどではないが到着寸前になってそこそこ乗客が集まってきた。
傾きかけた陽を浴びるC11の姿は、何処となく哀愁が漂っている。

真岡のC11は只見線陸羽西線磐越東線など、出張運転で色んな路線に出向いているから顔つきは立派である。
現役の蒸気の中でも、こいつは一番忙しい奴かもしれない。C11はどんな路線もこなす万能の名機なのだ。
ごった返す中で機関車を撮影した後、私は列車最後尾の客車に乗り込んだ。


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真岡鉄道がもおか号で使っている客車は、国鉄50系だ。
1977年に導入された形式で、主に地方線区の通勤・通学用に製造された車両である。
今は旧客を髣髴とさせる茶色に塗られているが、かつては赤色一色で「レッドトレイン」とも呼ばれていた。

50系は通勤・通学需要のために車端部付近がロングシートになっているが、他は全てボックスシートである。
座席モケットこそ緑色に取り替えられているのだが、他は特に弄った形跡はない
荷棚下に素朴なイチゴの飾りつけがついてるのが地方ローカルらしい。


………イチゴの飾りつけを見て今日がバレンタインだったことを初めて思い出した。


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威勢よく汽笛を鳴らした後、もおか号は下館向けて出発する。
久下田を境に列車は茨城県内に入り、住宅や工場の間を抜けていく。

SLが不調であるときを除いて、もおか号は最後尾に補機(DL)をつけず単機で運転するらしい。
小型機関車が客車3両を独力で引っ張ってるから、ドラフト音も他のSLより「らしく」鳴り響いている。
加えて真岡線は非電化で架線がないので、大昔の地方ローカルの体裁(小型機関車+非電化)に限りなく近いといえよう。



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やがて真岡から約30分で、復路のもおか号は終着の下館に到着となった。

真岡のSLは年々右肩上がりで人気が上がっているらしく、今日も観光客や撮り鉄や極小数の乗り鉄達で賑わった。
SLブーム再来が期待され、また観光資源としての価値も高まっている蒸気が私はやっぱり好きなんだと思う。
あと関東圏で乗ってないSLは、JR東日本高崎支社のデゴイチだけだ。

関東だけでなく最終的には全国のSL列車乗車を目指して、これからも頑張っていこう!
真岡のSLに別れを告げ、私は十分後に出発する常総線の乗り場へ向かった。



・関東鉄道常総線 [下館~取手]
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日が暮れる中、常総の単行気動車が発車を待っている。
車両はキハ5000形。見た目はほぼ同じだが往路で乗った2300形とはまた違う。
2009年に導入された新型車で、塗装も従来のものと塗り分けが異なっているのが興味深い。

ただ個人的には、昔のベージュ地にオレンジ帯の塗装を復活させてほしいなー。
昔の塗装の気動車は平日の通勤時間帯に運用されるのみとなっており、狙って乗るのは困難。
竜ヶ崎線で昔の塗装の旧型気動車が土曜に運行されているらしいから、近いうちに行ってみるかな!


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手前の線路が常総線、真ん中を貫く線路が水戸線で、奥にあるのが真岡線だ。
ディーゼル機関車が連結され回送されていく真岡のSLを横目に、16時05分発の汽車は定刻通り出発する。

全線通しを名乗る取手行きの単行気動車は、やはり往路と同じく水海道で二両編成の気動車に乗り換えとなった。
何せ、「水海道乗り換え取手行き」である(苦笑)。初見だと結構ややこしい案内だろうコレ。
以前は全線通しの鈍行があったはずなのだが、今は無くなってしまったのだろうか………。



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すっかり日が暮れた頃、下館から一時間強で汽車は終着の取手に到着する。
東京近郊にして純然たる気動車と客車列車だけの汽車旅も、これにて終了。
千葉北西の自宅へ向かうため、私は何時もの常磐線で帰路に着いた。


既に復活から四半世紀近く立っている真岡のSLは、冬季こそ訪れる価値があるだろう。
冬季において定期で走ってる蒸気機関車といえば、大井川鉄道と真岡鉄道ぐらいなのだが、
真岡のSLはサービス精神旺盛で、住宅から離れたところでは盛大に煙をふかしていたのもポイントだ。

走行中試しに少し窓を開けたら、石炭の粒が飛んできて眼鏡が黒く薄汚れてしまったぞ。それも味といえば味だが。
JRみたいな派手さはないが、昔の地方ローカルの体裁に限りなく近い真岡のSL列車は一度乗ってみる価値ありだ。
もおか号は自宅から一番近いSL列車なので、また近いうちに来訪したいと思う。
(完結)
2015/02/27 | 真岡汽車旅


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