鈍行列車一人旅

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函館本線の旅

「極寒北国紀行 4日目 (札幌~小樽~長万部~森)」

[2014/12/13]

早朝5時、すすきののカプセルの中で私は起床した。
誰も起きる気配がない中、一人カプセルを出てチェックアウト。
市営地下鉄はまだ動いてないので、路上をひた歩いてJR札幌駅に向かう。


・すすきの~札幌 (徒歩)
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すすきの歓楽街から札幌駅までそんなに距離がないことは、札幌生まれの自分が知り尽くしている。
狸小路大通公園を通り、テレビ塔を見上げると懐かしい気分になった。
ここで立ち止まるわけには行かない。鬼畜な鈍行旅は前進あるのみだ。
しかし懐かしさに誘われて、私は誰もいない大通公園の前で一人立ち止まった。

………ここは、昔と何も変わっちゃいない。

噴水広場もテレビ塔も、相変わらず健在じゃないか。
夏は、とうきび(=とうもろこし)を売る屋台もあったっけな。
すすきののカプセル宿から徒歩20分で、札幌駅に無事到達。
ホームで6時13分発の始発列車を待つ。



・函館本線 [札幌~小樽]
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札幌から出る小樽方面への始発列車は、何故か二両編成の気動車であった。
この区間は6・8両編成の通勤電車がやってくるはずなのに。

恐らくこれも、旅2日目に乗った始発の旭川行きと同じように送り込み運用であろう。
この気動車は小樽から先の非電化区間を走るためのやつだから、
札幌の車庫から仕事場に向かうついでに客も乗せてしまおうという体裁で運行されているに違いない。
客を乗せてくれるのはいいが、混雑区間だけに2両編成だとかなり無理がある気がする。
実際、車内も立ち客が沢山出ている。はまなすから乗り継いできた乗客も、その混み具合に落胆している。




今日の行程はザッと一言で言い切れないほどの特濃ぶりで、記事の分量も相当なものになるだろう。

早朝に札幌から始発列車に乗り、小樽から長万部行きの長距離鈍行を乗り通して長万部で特急に乗って森までワープし、
森から再び鈍行で大沼まで行き、大沼付近で往路のSLを撮影し大沼公園から復路のSLで函館へ向かったら、
市電で函館市街を観光した後に、寝台特急の北斗星に乗って帰路を辿る。


………もはや、ここまで来ると純然たる「移動」である。
しかしそれでも、馬鹿と言われても、一人で時流に抗い続けるこの気力は一体何処から湧いてくるのだろうか。

自身の頑固な鉄路の意志も露知らず、然別行きの始発鈍行は定刻通り故郷の札幌を出発する。
電化区間なのに、わざわざ油を燃やして走る気動車は勇猛果敢に見える。
外は、まだ真っ暗だ。



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札幌からしばらくは市街の中を進んで行くが、途中から海沿いすれすれを走るから車窓は見ものである。
その海沿いの景色は、札幌からだと進行方向右手に広がる。

始発列車の雰囲気は何時も独特だ。
朝帰りの人やサラリーマン、部活へ行く高校生など、多種多様な人でごった返している。
駅を進むごとに、何処からか「おはよー」とか「おつかれさまでした!」とか声が聞こえてくる。
途中で大学生と思われる茶髪の男が列車を降りていったが、あれ絶対夜中遊び後の朝帰りだな(笑)。

銭函あたりで辺りはようやく明るくなってきた。銭函から小樽築港までは日本海のすれすれをひた走っていく。
天気はどんよりと曇っており、晴れていれば日の出が見れたかもしれない。



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小樽築港を過ぎ小樽市街に入ると、札幌発の始発鈍行は間もなく小樽に到着する。
次の列車まで一時間近く滞在時間があるので、駅から徒歩10分で行ける小樽運河を散策してみよう。



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小樽は札幌から近いところだから、夏の帰省時によく遊びに訪れていた場所だ。
小樽運河もかれこれ4~5回来たことになるのか。ただ、冬の運河を見るのは今回が初めてだ。
冷たく張り詰めた水面と、レンガ倉庫の屋根に垂れた氷柱が冬旅情を駆り立てる。



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現在の小樽の駅舎は昭和初期(1934)に建てられたもので、上野駅がモチーフになっている。
もう80年以上前の建築構造物であり、駅構内は昭和の臭いがプンプンしているのがいい。
小樽は駅前から容易に辿り着ける観光資源が豊富なので、是非途中下車して観光したいところだ。

さて、ここ小樽からは長万部行きの長距離鈍行に乗って先を進もう。
昨日の宗谷本線ほど長くはないが、座れないと後がきついのでホーム上でじっと列車を待った。



・函館本線 [小樽~長万部]
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函館本線の長万部行き鈍行は、意外にも大混雑。列車が入ってきた時点で早くもこの行列である。
単行の気動車だが、発車寸前に車内は満杯状態となった。ここから閑散区間のはずだが、私の読みはハズレたか。
意外な場所で未曾有の混雑に遭遇するのが、地方ローカルの恐ろしいところである。

しかし、ホーム上にずっと待機していたから、座席は無事確保。
車窓はどちらも大差ないようだが、どちらかというと羊蹄山が見える左側が良いらしい。




「山線」と呼ばれるこの区間(小樽~長万部)は定期の優等列車が一切なく、走っているのは鈍行のみである。
現在、全線通しで行く鈍行は1日5本のみ。小樽から終点の長万部まで3時間強の道のりだ。
山と山の隙間を縫うように線路が敷かれており、道中で峠を何度も越えていくことになる。

今は海沿いの室蘭本線・千歳線経由(海線)が主要ルートであるが、函館本線のオリジナルはこちらの山線区間である。
この区間がすっぽかされているのは、急カーブと急勾配が多くスピードが全く出せないためだ。
昔は「内地~札幌~稚内」を結ぶ大動脈として栄華を誇り、優等列車がひっきりなしに通っていたが、
室蘭本線・千歳線のルートが全通してからは主要幹線の座を譲り、ローカル輸送のみに徹している。

車内が今すし詰め状態なのは、元来観光客が乗るはずの優等列車が一本も充当されてないからであろう。
というか、混雑具合が半端ない!東京の朝ラッシュみたいだ(苦笑)。






山線は、かつてあのC62が峠を越えた伝説の場所だ。C62は言わずと知れた国内最大&最強の巨大蒸気機関車である。
C62はSL末期まで活躍していたから、映像は結構残っている。特にこの昔のドキュメント映像は面白いので是非見て欲しい。
C62が重連(二両連結)となり、急行「ニセコ」として山線区間を力走する!ああー、俺も乗りてえよーこれー。
だって、今乗ってるの、単行のワンマン気動車だぜ!?


・オタモイ峠 [小樽~塩谷]
・稲穂峠 [然別~小沢]
・倶知安峠 [小沢~倶知安]
・目名峠 [蘭越~熱郛]


山線区間の難所とされる峠は上記の4つがあり、この4つの峠のほかにも蕨岱付近で小さな峠が存在する。
特に小沢付近は「谷間」と化しており、二つの峠を間髪居れずに越えなければならないから凄まじい区間である。


往時の名残など微塵もない軽快気動車は、小樽を出るとさっそく上り勾配(オタモイ峠)に入った。
鬱蒼とした山の中を進む様相は、小樽以北の電化区間では全く見られない景色だ。
車外は人気がないのに、車内は人でいっぱい。単行とはいえ偉大な鉄路は未だ健在か。
エンジン全開で一度峠を越え、人気のない山の中を進むと蘭島に到着する。



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車窓には、昨日乗った宗谷本線と負けず劣らずの大自然が展開している。
ここにきて雪が一気に降りしけてきて、車窓は白銀の世界へ。
外は極寒の地だが、車内はとても暖かい。
身の安全が保たれた環境で悠々と流れる景色を見られるのは、公共交通機関の特権だと思う。

余市で地元の乗客が大きく入れ替わったが、その意外な混雑ぶりは相変わらず。
気のせいか、さっきより観光客の比重が大きくなった気がしなくもない。
余市からは日本海沿いを離れ、山岳だらけの内陸部へ突入する。



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然別からエンジンを唸らし始め山腹を延々と進むと、間もなく稲穂峠へ。列車の高度はグングン上がる。
左手には展望の良い車窓が広がり、手前に余市川が流れ遠くには山々が聳える。
高度を稼ぐと銀山付近で峠を越え、長いトンネルをくぐり抜け坂を下っていく。
すると一旦山々に囲まれた盆地へ降り立ち、峠間の休息地となる小沢に到着する。

小沢を出ると再び上り坂に入り、最大20パーミルの勾配が続く倶知安峠に差し掛かる。
急勾配を延々と上り短いトンネルをくぐると、そこは北海道の有数観光地ニセコの地だ。
ニセコは豪雪地帯であり、トンネルを抜けた途端雪がドッサリと降ってきた。



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男爵芋生産量No.1の町倶知安で長時間停車。ここで乗客がドッと入れ替わるようだ。
車内は観光客が多く、特にスキー用具を抱えた外国人を多く見かける。
倶知安はスキーが有名なのかもしれない。パウダースノーだから雪質が良いのだろうか。

長時間停車の間、容赦なく降る雪と戯れながら倶知安駅構内を撮影する。
くっちゃんって地名がまた可愛いくて良いね(笑)。





数分停車の後、倶知安を発車。倶知安からニセコまでの車窓は圧巻の一言だ。
右手にニセコ連峰、左手に羊蹄山が聳え、列車はこの二つの山の麓を通っていくことになる。


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今回乗ってるのは左側の座席なので、車窓には尻別川が手前に流れ、遠くには羊蹄山が見える
………はずなのだが、空は分厚い雲に覆われしかも逆光状態なのでよく見えない。
ここが山線区間一番のハイライトなだけに、残念だっ!

ニセコで再び観光客が乗り込んできた。もはや、八割型観光列車である。
ニセコからも尻別川と何度も交差して進んで行く。

「The next station is こんぶ

山線区間は観光客が多いからか英語の自動放送も流れているが、「こんぶ」の発音に思わずニヤッとしまう。
「こんぶ」という駅名が土着的過ぎて、流暢な英語とのギャップが実にツボにはまった。



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蘭越でも対抗列車待ちのため、10分停車する。
天気は刻々と変わり、こんぶを過ぎると再び雪がブワッと降ってきた。
列車もすっかり雪化粧状態。運転士もよくこんな状態で運転ができるなと思う。



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蘭越からは、最後の難所となる目名峠が待ち構える。
函館本線の歴史は深く、開業当時は隧道施工技術が発展途上だったのでトンネルの数は少ない。
トンネルは何本も掘れないから、山の腹をカーブで何度も迂回して線路を敷いたわけだ。

目名峠を越え、さらに蕨岱の小さな峠を越えれば、あとは終点の長万部に向かって平地をひた走るのみ。
ニセコの豪雪地帯を抜け、雪一色だった空が一気に晴れてきた。
圧巻の山線区間もこれでおしまいだ。



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11時16分、山線の全線通し鈍行は定刻から数分遅れて終点の長万部に到着した。
久しぶりに晴れ渡る青空の下、ホームに降り立ち深呼吸。やっぱり、北海道は空気が美味い!
ここでは約一時間の滞在時間がある。

………はずだったのだが、ここでトラブル発生!
苗穂でポイント故障が発生し、これから乗る特急に大幅な遅れが出ていたのだ。
その全体遅延は約50分に及んでいる。恐らく、昨日ドッサリ降った雪が引き起こしたのだろう。

この先万事休すと思われたが、特急の本数が多いのが助かった。
本来乗るはずのものより一つ前の特急が30分ほどで来るということなので、これに乗ることにしよう。
長万部駅前は特に何もないので、言っちゃ悪いが私にとって特急の遅れは逆に都合がよかったかも。



・特急スーパー北斗6号 [長万部~森]
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特急スーパー北斗6号は、定刻より50分遅れて長万部を発車した。50分だから既にかなりの遅れだ。
車両はキハ183系。今まで鈍行ばかり乗ってたから、速度がエラく速く感じる。
長万部から森までだと、普通運賃と特急料金を足して2400円だ。
しかし、ここでワープしないと大沼公園からのSLに間に合わなくなるからやむを得ない。



PC130843.jpgPC130822.jpg

左手に太平洋を見ながらエンジンをふかして突っ走り、森駅到着は12時36分。
長万部での滞在時間が磨り減った分、ここでたっぷりと休憩できる。

さっきまでは晴れて日が出ていたのに、また雪がザッと降ってきた。
天気の変化が早すぎて、早回し映像でも見てる気分である。


PC130853.jpgPC130855 (2)

ここ森といえば、あの有名駅弁「いかめし」がある。価格は現在650円だ。
駅弁大会の常連に毎回入る超有名な駅弁の一つであり、森駅前に製造業者の商店がある。
これは、是非食べてみたかった。立ち売りは今はやってないので駅構内の売店で購入しよう。

肉厚なスルメイカの中に、味付けされたご飯がぎっしり詰め込まれている。
そのまま食べても美味しいが、レンジで温めるとより美味しくなりそうだ。
文句なしのクオリティに満足!さすが、物産の売り上げ一位をとる商品だけあるな!


PC130850 (2)

森からは、13時30分発の本線経由の鈍行に乗って大沼へ向かうことになる。
外はまた吹雪き始めたが、これまでの運行状況から考えて列車は問題なく出発するだろう。
北海道の鉄道は雪に強いことで有名だ。屈強に走り続ける列車を信じて再び先を進もうではないか!

本線経由の鈍行で大沼に向かったら、そこから今度は路上を歩いてSLの撮影ポイントまで行かなければならない。
撮り鉄に混じってSLを撮影したら、純然たる移動手段として復路のSLに乗って函館まで向かう
早朝札幌から始発鈍行で遥々とやってきたのは、あと数ヶ月で完全消滅する函館のSLと相見えるためなのだ。


鈍行と臨時SLをギリギリの行程で組み合わせた強行計画は、無事に成功となるか!?
閑散とした駅構内で、私はいかめしを食べながら一時間後に発する本線経由の鈍行を待った。

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2015/01/01 | 極寒北国紀行

函館のSLを撮って乗れ

「極寒北国紀行 4日目 (森~大沼~大沼公園~函館)」

[2014/12/13]

東京から鈍行で一路1600kmを経て最北端へ到達し、さらに札幌から道南の函館へ向かう私は、
早朝に札幌から函館本線(山線)の鈍行を乗り継いで、正午過ぎに森まで到達した。
森からは再び函館本線の鈍行に乗って大沼で下車し、今年度に消滅するSLとご対面を果たすことになる。


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さて!いかめしも食ったし、雪に負けずまた汽車に乗って先を進むかっ!(←道民の影響を受けている)。
何のためらいなく「汽車」って言い放つ道民に惚れたぜ。よく考えてみりゃ、俺も元道民だしな!
気動車を汽車とするなら、千葉の近くにもあるんだけどね………(関鉄常○線&小○鉄道)

これから私が決行する、鈍行+臨時SLを組み合わせた強行計画の詳細な順序は以下の通りだ。

1:森を13時30分に発車する本線経由の函館行き鈍行に乗って、途中の大沼で下車する。
2:大沼駅から徒歩で大沼付近の撮影ポイントへ移動(所要時間約10分)。
3:函館を14時15分に発車し、撮影ポイントを14時40~50分前後に通過する往路の臨時SLを撮影。
4:大沼付近の撮影ポイントから徒歩で二駅隣の大沼公園駅まで移動(所要時間約20分)。
5:大沼公園を15時55分に発車する復路の臨時SLに乗車し、終着の函館を目指す。


この計画最大の肝は、SLを「撮って乗る」こと!鉄の醍醐味を両方とも一気に味わってしまおうという行程である。
途中でもたもたしていると失敗確実ながんじがらめの行程だが、乗り鉄にかかればこんな道のり何てことない。
強いて難点を言うなら、今から乗る函館行きの鈍行に遅延が出てほしくないことぐらいか。
こんな雪が降りしける中SLが本当に来るのかも心配だが、張り切って行こう!



・函館本線 [森~大沼]
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森以南の函館本線は八の字に分岐しており、森~大沼間は本線(山側)と砂原支線(海側)に分かれているが、
これから行くのは再び山の中だ。山線区間に続き、函館本線のオリジナルを従順に辿っていくことになる。
手前に停まっているのは13時29分発の長万部行き鈍行で、奥が今私が乗る本線経由の函館行き鈍行だ。

砂原支線を経由する鈍行が1日8本なのに対し、本線を経由する上りの鈍行は1日5本のみ。
海沿いの砂原支線と比べて山の中を行く本線ルートはあまり需要がないらしく、砂原支線経由よりも列車の本数が少ない。
しかし、こちらのルートでは車窓左手に雄大な駒ケ岳を望むことができるらしい。

森~大沼間の本線ルートは森からだとキツイ急勾配があり、車重の重い上り貨物列車は一切通らない。
今から乗るのは鈍重な国鉄車(キハ40)だが、この大雪の中で大丈夫だろうか?
乗客たった三人を乗せ、本線経由の鈍行は定刻通り発車した。




列車は森を発車すると、間もなく人家の皆無な山の中へと差し掛かる。
森からしばらくはS字カーブが連続しており、短区間で高度を一気に稼いでいく。
先へ進むごとに雪の勢いは増し、大雪状態に。列車は単行の気動車だが、今にも止まりそうである。


PC130881 (2)

「ドゥルルルルーーーン!ドゥルルルーーーン!ガラガラガラガラガラ………」

全然、進まねえ。

人が走れば追い抜かせるぐらいの速度をいったりきたりしていて、エンジンを何度もふかしてるのに全くスピードが出ない。
………これは、空転だ!線路に積もった雪かなんかで車輪が滑っているのだ。

キハ40系は非力なやつで山登りが苦手な上、単行だと線路に積もった雪をどかしきるまでのパワーを持てない
そのため冬季にこの車両を使う際は、元来コスト性を無視して二両連結で馬力を確保することが多いのだが、
今乗ってるのは単行であり、しかも大雪に加えて20パーミルの急勾配という悪条件の最中にある。
状況としては、立ち往生してもおかしくない。ああ、怖い………。

凄まじい量の雪が降り積もる中、単行のキハ40がヒイヒイ唸りながら坂を上る。
空転を何度も繰り返し、限界までエンジンを回しても速度は上がらず。
思わず、運転士に「頑張れーっ!」て応援したくなる状況だ。



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このまま止まってしまい、立ち往生するんじゃないかとヒヤヒヤするが、超鈍足を保って峠は無事越えた。
峠越えなんて蒸気の時代にしかないものと思われがちだが、そんなことはないのだ。

駒ケ岳近くから下り勾配となり、列車はエンジンを止めて惰性で坂を下りていく。
森からの標高差は約180m。沿岸から山麓まで一気に上ってきたわけだ。
各駅の停車時間が長いので、苦戦した峠越えによる遅延はほぼない。
外は真っ白で、肝心の駒ケ岳は全く見えないのが残念。



PC130895.jpg

坂を下りきったところに大沼が見えてくると、列車は大沼公園に到着する。
大沼公園を過ぎると砂原支線の線路と交わり、すぐに隣駅の大沼へ。
ここで列車を降りたのは私一人だけであった。

大沼からは、SLの撮影ポイントに向かう。
そのポイントはここ大沼駅から歩いて10分のところにあり、しかもほぼ一本道なので行くのは容易だ。



・大沼駅~撮影ポイント (徒歩)
PC130903.jpg

まずは、駅前から二車線の県道に出た。
あとはこの県道を少し南下すれば、撮影ポイントに行くことができる。
撮影する場所は県道が大沼と接する地点にあり、道路の脇に居座って撮影することになる。

「先客」の足跡を辿ること10分で、私は大沼沿いの撮影ポイントに到達した。
撮り鉄と普通の鉄が既に15人くらい待機していて、有名な場所だからか警備員もいる。
外は雪が降りしきっているが、SLが来るまでしばし待機しなければならない。



PC130904.jpg

これからやってくるSLは、名を「SLはこだてクリスマスファンタジー号」という。
その名の通り、同時に函館で開催されているクリスマスキャンペーンに合わせて設定された臨時列車で、
小型の蒸気機関車C11が客車5両を牽引してやってくるはずだ。
ただC11だけだと客車5両は引っ張りきれないので、最後尾にはディーゼル機関車が付く。

「ああ、そこ敷地内だから出て!三脚も!危ないから!」
「ああ、はい、すいません」

線路敷地内に居座る撮り鉄が警備員に注意された。敷地内に入ることや三脚を立てるのはマナー違反なのだ。
撮影位置は早い者勝ちなので、私は撮り鉄の後方に居座りSLを待つことにしよう。

こうして外で待っているときに限って、雪の勢いが増すからシャレにならない。
いつの間にか頭や背中にまで降り積もり、いくらはたいてもキリがない。
そうして一人ジタバタしていると、降りしきる雪の向こうから一点輝くライトが見えた。
SLが来たことを察知し、ガッチガチになった手でカメラを構える………!



PC130907 (2)

来たなっ………!

私は一眼ではなくコンデジだから、専ら一発勝負!連写機能は信用できないから使わない。
「撮れりゃそれでよし」という私の考え方は、撮り鉄の思想とは相反するであろう。
彼らは列車の構図や位置、バックの景色や日の当たり方など、全て計算しつくしているからだ。
しかしだっ!ここは敢えて、乗り鉄としての実力(=コンデジ?笑)を見せつけてやろうじゃないか!



PC130911 (8)

ぬおおおおおおおお………!!

(↑単発ショットでタイミングを合わせようと頑張っている)



PC130912 (5)

キターーーーーーーーーーッ!!!!

大迫力!!立ち上る白煙と雪煙を上げながらSLが目の前を通過していく。
えっ?三脚と藪が邪魔だって?そんなの気にするな(泣)。
今いる自分の距離と角度的には、これが限界だ。



PC130913 (2)

雪の中を力走するSLなんて初めて見たから、通った瞬間には目頭が熱くなった。全身に鳥肌も立った。
極寒の地に身を捨ててまで二度ない瞬間に立ち会うことの喜び。このSL走行写真は一生の「家宝」になるだろう。
今にも寒くて凍えそうだが………、来といて良かったぜっ!

ただ、さっき警備員に注意されてたのに相変わらず敷地内に三脚入れっぱなしの撮り鉄には閉口だな。
自分は撮り鉄のことは全くの素人だし、現場のマナー違反の度合いがどのくらいなのか知らないのだが、
敷地内に突っ込んだ三脚のおかげで、後方側の「鉄」は皆撮るのに苦戦してたぞ。



・撮影ポイント~大沼公園駅 (徒歩)
PC130919.jpg

怒涛のSL撮影を終え、今度は歩いて二駅隣の大沼公園駅まで向かう。ここから徒歩20分ぐらいだろうか。
撮り鉄達は皆車で移動するようで、コンビニや大沼駅前の駐車スペースに散っていく。
列車を撮るだけでなく、自称乗り鉄の私はさらにSLに乗りたくなる。根本が欲深い人間なのだ。

今の私が頼れるのは、自らの足のみ!
大沼駅からさらに雪道を北上しなければ、先の道は断たれる。
SLはこだてクリスマス号の始発は大沼公園であり、大沼には停まらないからだ。



PC130923 (2)

人気のない雪道を延々と歩き、身体が雪ダルマ状態になりながらも無事大沼公園駅へ到達した。
駅前はSLで来た人で賑わっている。ここから今度は復路のSLに乗って函館に向かう。
恐らくほぼ全ての乗客が函館からの往復乗車であり、
札幌からの移動手段として片道だけ乗ろうとしてるのは私以外誰もいないであろう。

ちなみに、駅舎の前に人がわんさか集まっているのが見えると思うが、
この光景は何なのかというと、駅舎の中に入れず外に溢れかえっている人達なのである!
駅舎内は外気の寒さを避けたい観光客で満杯で、人と人が密着しサウナ風呂と化している。シュールすぎるっ!



PC130930.jpg

密着状態の駅舎内で待つことしばらくして、駅員さんからアナウンスが入り改札が始まった。
さっき苗穂で発生した全体遅延によって、復路のSLも少し発車が遅れるらしい。
それにしてもやけに人が多いなと思っていたら、どうやらSLではなく特急に乗る人達が混じってるようだ。
やがてしばらくすると、遅れて来た特急が入ってきた。

「特急入ってきまーす。ハイ下がって!下がってください!命関わりますよ!!

中国人の男ら数人が、下がれと言っても下がる気配がない。大声でベラベラ喋りながらホーム端で記念撮影をしている。
しまいに駅員が「命」と重い言葉を出してまくし立てるが、やはり下がらないので手でどかす強硬手段に出た。
さすが、中国人だ。何を言っても人の言うことを聞かない。


PC130931.jpg

てんやわんや状態の中、特急が到着すると自由席にドバッと人がなだれ込む。
やがて車内が通勤ラッシュ並みの満員状態となり、列車は間もなく発車していった。

さっきの撮り鉄といいあいつら(中国人)といい、本当に大変だな、鉄道従業員の人は………。
事故を起こそうとしているのは彼らなのに、仮に事故が起これば会社側に責任の一端がのしかかる。
そして、最終的にツケが回ってくるのは、我々善良な「鉄」である。




・SLはこだてクリスマスファンタジー号 [大沼公園~函館]
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てんやわんやの特急に続き貨物がそそくさと通過した後、定刻から20分遅れてはこだてクリスマスファンタジー号が入線した。
この臨時SLは運行期間内に函館~大沼公園間を一日二往復走っていて、そのうち函館からの往路はSLが牽引するが、
大沼公園周辺は機関車の向きを変えられる場所がないので、復路は最後尾のDLことディーゼル機関車が引っ張る。
SLとはいえ同時開催のキャンペーンに則した観光列車なので、機関車には派手なネオンが取り付けられるようだ。

札幌~函館間で運行されているSLは、函館~森間を走る「函館大沼号」と、札幌~蘭越間を走る「ニセコ号」
そして、これから乗車する「はこだてクリスマスファンタジー号」の3つがある。
クリスマスファンタジー号を初め、札幌〜函館間で運行しているSLは今年度で廃止されることになった。
理由はもちろん、北海道新幹線開業の影響である。

新幹線を走らせる傍ら、新幹線だけで手一杯だからコストのかかるSLを廃止させようなんて残念すぎやしないか。
函館大沼号とニセコ号は既に今年度の運転を終了したので、残る函館のSLはこのクリスマスファンタジー号のみというわけだ。
最後の最後に運行される臨時SL・DLの走りを、この眼で見届けようではないか!



PC130933.jpg

上記で説明した通り、復路の主役はこちらの漆黒のディーゼル機関車「DE10」だ。
他にはない、なかなかかっこいい面構え!このタイプのディーゼル機関車といえば朱色のボディを連想させるが、
黒いのは一度も見たことがない。茶色に統一された客車と相俟っていぶし銀な井出達である。



PC130934.jpgPC290012.jpg

予想以上の賑わいに巻かれて車内に入ると、ほぼ満席であった。全席指定席であり、指定席券代は820円。
函館の観光キャンペーンに合わせて充当される臨時列車だが、乗り鉄の手にかかれば鈍行旅の道のりの一部と化す。
臨時列車が鈍行旅の行程内に運行されることが判明すると、それに意地でも乗ろうとするのが痛ましい。
普段運行されない臨時列車は、淡々とした鈍行旅に華を添えてくれるのだ。

既に大幅な遅れが出てるため、列車は入線後間もなく大沼公園を発車する。
終点の函館まで約40分の道のりである。



PC130960 (3)

この臨時SLの客車5両のうち4両は一般的な国鉄客車であるが、1両だけ旧型客車(4号車)が使われている。
その旧客はカフェカーと独自に名乗っており、車内脇にあるカウンターでコーヒーや食べ物を買うことができるのだ。
車内は全体的にレトロな風情に仕立てられているが、元々レトロな旧客だからかより古ぼけて見えて良い
床は木製で、荷棚は本物の網棚。また車内には昔ながらの石炭ストーブも残っている(火はついてないけど)。

クリスマスを盛り上げるための列車なので、サンタの衣装を着た客室乗務員が案内を行う。
記念のハガキを貰ったので、せっかくだしスタンプを押した。



PC130965.jpgPC130956 (2)

今日はSLの運行最終日ではないが、乗っておいて本当に良かったと思う。
クリスマスファンタジー号は、二週間先の12月25日をもって運行を終了し見納めになると思われる。
可愛い女性案内役の流暢なマイクパフォーマンスで車内は盛り上がり、拍手喝采!
こんな賑わってるのに廃止するとは………。現実は非情である。



PC130980.jpg

クリスマスファンタジー号は、予定よりやや遅れて終点の函館に到着する。
到着後SLは早々に退散するという話を聞いたので、降りたらすぐに列車後方部へ向かう。
僅かの列車撮影の後、C11は客車から切り離されて駅を発っていった。
函館のSLは、これで最初で最後の見納めだ



PC130967 (2)

「ありがとう、函館のSL(とDL)!今までお疲れ様でした!」


函館に北斗星が来るのは21時38分。
それまで5時間近くの滞在時間があるので、今回は函館市街を少し探索してみよう。
私は取り敢えず夜景を見に行くために、駅前からすぐそこにある函館市電の電停へ向かった。

………と意気込んだのはいいが、外はこんな状態である。


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どうするよ?これ。

風はさっきより弱まっているが、降ってる雪の量がマジで半端じゃない。
というか、何でこんな人多いの!?何でこんな大雪なのに外を出歩こうとするの!?(笑)
もう既に体がヘロヘロなのに、またしても雪を容赦なく浴びるというのか………。
でも、こういうの、嫌いじゃないぜ。雪をかきむしって函館市街を観光しようじゃないか!


次回!体力が限界まで追い込まれた私は、函館観光の末に北斗星へその身を委ねる。
生涯最初で最後の北斗星乗車をもって、今回大長編となった最北端鈍行旅は終幕を迎える!

2015/01/05 | 極寒北国紀行

「北斗星」とともに

「極寒北国紀行 4~5日目 (函館~上野)」

[2014/12/13]

最北端鈍行旅も終わりのときが近づいてきた。函館観光の後は北斗星に乗って帰路を辿ることになる。
大雪を被りながら、私は取り敢えず函館駅から函館市電の電停へ向かった。
駅前電停は、函館駅前ロータリーから歩いてすぐのところにある。

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「瞬くように舞い散る雪が幻想感を醸し出し、駅前のネオンアーチに華を添えている」
………なんて上品なこと言ってる余裕など今の自分にはない。体力の消耗が激しくなってきたのだ。
こんな大雪の中で現在外をうろついているのは、九割方が本州や外国からやって来た観光客であろう。



・函館市電 [函館駅前~十字街]
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「函館、動く。」

何かこう、肉体的に直接訴えかけてくる広告の叩きがぐっとくるね(笑)。
市電は渋い原色の他に、多種多様な広告車が沢山走っているのだ。

現在の函館市電は、大きく分けて2つの系統、細かく分けて4つの路線を有している。
起点の湯の川から県道83号を通り、函館駅前を経由し十字街に至ると線路が二つに分かれるが、
このうち北側の終点どつく前に向かうのが2系統、南側の終点谷地頭へ向かうのが5系統となる。
「何故2系統と5系統があって1系統や3系統がないのか?」というと、既に廃止され欠番となったからだ。
最盛期は12系統で運行されていたが90年代までにほぼ全てが廃止され、2と5の2つの系統だけが生き残ったのである。

90年代までの部分廃止によって函館市電は衰退の一途を辿るかに思えたが、そんなことはなかった。
大昔栄えた函館駅周辺より北側の五稜郭地区は繁華街として栄え、商業都市として発展を遂げるのだが、
幸運にも函館市電の経路は、この行政・観光中心の函館駅周辺と、発展した五稜郭地区の繁華街を結んでいた。
そのため平成に入ってからも利用客は大幅に減少せず、現在も函館市民・観光客の足として健在しているのである。


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市電のいいところは、路線バスと違って複雑な系統が少なく単純明快であることだ。
道路に線路があれば誰だって電車が走ってると分かるし、観光地や繁華街を結ぶだけで自然と需要が生まれる。
その需要の高さに加え、函館市電は初乗り運賃が少し高め(210円)に設定されており確固たる経営基盤を築いている。
いくらそれなりの需要があろうと、このご時勢、市電を走らせるのは並大抵の努力ではできないのであろう。

外は大雪だというのに、土曜からか電停は観光客でごった返している。
函館といえば夜景なので、まずは市電に乗ってロープウェイの最寄りである十字街電停を目指そう。




車内は通勤電車並みの満員状態。山手線に例えるなら上野~秋葉原間と同じくらいの混雑度である。
駅前電停から3つ隣のところで、市電は十字街電停に着く。函館駅前~十字街間の運賃は210円だ。
ここは赤レンガ倉庫の最寄りでもあり、ドッと乗客が降りた。

十字街電停からしばらく急坂を上っていくと、函館山ロープウェイの乗り場に辿り着く。
夜景が売りの場所だから、ロープウェイの最終は20時50分と遅い。
窓口では片道券と往復券が売っている。往復券の値段は1300円だ。



・函館山ロープウェイ [山麓~山頂]
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1958年開業の函館山ロープウェイは、函館山の麓から山上の展望台までを結んでいる。
その輸送実績は、函館に訪れる観光客の人数とほぼ比肩するというから驚きだ。
5分間隔で運行されており、車両も大きいので乗客の回転も早い。

展望台まで向かう途中でちょうど花火が上がり、車内で歓声があがる。
私が展望台に降り立ったとき、雪は何故か収まった。



・函館山山頂展望台
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世界三大夜景の一角、函館の夜景は初めて見るが素晴らしいの一言に尽きる!(毎回これしか言ってない)
空は雪でくぐもっているが、夜景はきっちりと見えるから一安心。
函館湾と津軽海峡に挟まれた「くびれ」が印象に残る。

古来、函館は「連絡船とともに生きた街」といわれる。
その歴史と伝統が途絶えたのは、今から四半世紀も前のことだ。

当時、本州から青函連絡船で道内へやって来た人々は皆、連絡船が発着する函館駅を拠点とした
青函連絡船は函館港の象徴であり、また函館の主要産業を支える一つの基盤でもあったが、
70年代以降は航空輸送の台頭に押され、加えて88年には青函トンネルが開通し連絡船は廃止される。
さらにバブル崩壊が生み出した不況が重なるなど、当時栄華を誇った函館港は衰退の一途を辿り、
商業発展地も必然的に内陸へと移っていった。現在、函館駅前には観光ホテルが慄然と立ち並んでいる。

連絡船が廃止されて以来、函館は「北海道の表玄関」としての役割を失ってしまったが、
日本の近代化に深く携った歴史遺産が多く残っており、有数観光地として多くの人が訪れている。
眼下に広がるのは、皮肉にも連絡船の廃止とともに取り残された財産の灯なのである。


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夜景を見た後に復路のロープウェイに乗り、坂を下りて市電の線路が敷かれた通りまで戻ってきた。
まだ時間は沢山残ってるので、大雪は相変わらずだが歩いて赤レンガ倉庫へ行ってみよう。

それにしても、函館は外国人が多いな!
寧ろ日本人が少ないぐらいで、色んな人種がごちゃごちゃしてるぞ。



・金森赤レンガ倉庫
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赤レンガ倉庫は建物は往時のままだが、現在中はお土産屋などの商業施設として使われている。
ここは、幕末に貿易港として栄えた函館港の雰囲気をそのまま残す場所だ。
今建っている倉庫は、明治40年(1909)に再建されたものである。

それにしてもめちゃくちゃ雪降ってるのに、信じられないほど賑わっている。
これが、日本有数観光地の函館のパワーなのか!


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赤レンガ倉庫は夏の帰省時に家族と一度来たことがある。
途中から暇になって、西波止場で買ってもらったスルメ齧りながら湾岸眺めてたっけなー。
今日は12月なので、クリスマスキャンペーンに合わせた派手なネオンのクリスマスツリーもあるようだ。

もう少し探索したいが、体力が既に限界に達してるため早々に函館駅まで戻ることに。
日中のSL撮影で長時間雪を浴び、さらにここに来てまた雪を浴びまくっていると、
何か、雪に直接体力を吸い取られているような気がしなくもない。



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赤レンガ倉庫から十字街電停まで戻ろうとするも、視界が悪く電停の場所が何処だかわからなくなった。
取り敢えず線路に沿って進み電停を発見するが、そこは十字街電停ではなく隣の末広町電停であった。
ここの電停は十字街より本数が少ないことはわかっているが、もう歩く気力がないのでここで大人しく待とう。

しかし、凍えながら電停で待つも、市電は一向にやってこない。
このままだと雪ダルマになっちまう。

早く来てくれーーーーーっ!(←断末魔の叫び)




・函館市電 [末広町~函館駅前]
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末広町電停で待つこと12分、体が雪に埋もれかけた頃に市電はようやくやってくる。
雪がドッサリ降りしきる中での12分は想像以上に長い。道路の向こうから現れた二点のライトを眼にした瞬間、
私は、心底生き返ったような気分になった。
身体に降り積もった雪をパンパン払いのけて、すがるような気持ちで市電に乗り込む。

駅前電停で市電を降り、取り敢えず体勢を立て直すために函館駅構内で休憩。
先ほど電停に行くまでに道に迷ったせいか、雪と寒さにやられて体が凍えきっている。
昼から何も食べてないので、腹もすっかり減った。
これからまた大雪の外へ行くのは億劫だが、夕飯にありつきたいので体に鞭打って再び外へ出る。



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駅から歩いて5分のところに、ウニ丼で有名な「むらかみ」という店があった。
中に入ると席は満杯で、10分ぐらい待った後、席へ案内される。
注文するのはもちろん、ウニ丼のレギュラー。値段は3500円と自分にはちょっとお高めだが、
男なら、一品ドーン!と頼みたいものである。元々小品をちびちび味わうような性分でもないし。


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とろけるようなとしかいいようがないウニが、丼いっぱいにのっかっている。
やや大食の自分には少しボリューム不足だが、普段は滅多に味わえない絶品のウニを時間たっぷりと味わう。
また味噌汁はお代わりOKらしく、凍えきった体が温まるので夢中ですすっているといつの間にか三杯も飲んでいた。



・函館駅
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絶品のウニ丼を食べた後、北斗星の発車時間も近づいてきたので大人しく駅へ戻ることに。
函館駅は近代化された立派な駅舎で、旭川駅と負けず劣らずといった感じだ。

「本日、大雪の影響のため、寝台特急北斗星号は約20分ほど遅れての到着となります。
到着予想時刻は21時50分頃を予定しております。誠に申し訳ありませんが、もうしばらくお待ちください」


雪で大幅に遅れるとはいえ、北斗星はちゃんと来てくれるようだ。良かった良かった。
寝台特急は「北海道&東日本パス」が使えないので、改札窓口で普通乗車券を購入。
函館~上野間の普通運賃は13990円。特急券と寝台券も合わせると合計23530円となる。
必要な切符も揃えたし、あとは大人しく駅構内のベンチで北斗星が来るのを待つのみだ。



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これから待ちに待った北斗星に乗車するが、もう既に体力・気力ともに限界がきていた。
顔はやつれ、体はガタガタ、あと寝不足で頭がフラフラしている(苦笑)。
四泊五日の旅の行程の中で稚内での休息のみを念頭に入れ、その上でやれる限りのことを限界までやり尽くしてきた結果だ。
重いリュックを背負い雪の降りしきる中でずっと動き回るのは、想像以上にキツく、
体力をあっという間に奪われてしまう。

でもそれでも、何とかやり遂げてやるという意志が働いたおかげで、これまでの旅の全行程、全て狂いなくやれた。
道内突入からは常時雪が降っていたのに、何事もなく走り続けた北海道の鉄道の偉大さを実感している。
あと、このスノーブーツがなければ旅中どうなっていたかわからない。こいつの力は絶大であった!
旅はまだ終わってないのに、喜びと達成感がふつふつと沸き起こる。

あとは、寝台特急に乗って東京に帰るだけだ。
最後の最後に、憧れの北斗星で有終の美を飾ろうではないか!




・北斗星 [函館~上野]
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「北斗星」はブルートレインの歴史の中では比較的新しい方で、はまなすと同じく青函トンネル開通と同時に運行を開始した。
はまなすは純然たる移動手段として後に重宝される存在となったが、
北斗星は移動目的よりも観光要素を全面に出した新しい寝台特急として脚光を浴びる。

それまでの寝台列車にはなかった豪華な客室食堂車が備えられ、旅そのものを楽しむための工夫が盛り込まれた。
この北斗星の試みは大成功し、今も個室券が一瞬でなくなるほどの人気を誇っている(←これは本当にびっくりした)。
後にデビューするカシオペアやトワイライトエクスプレスが人気列車になったのも、元はといえば北斗星の成功があったからだ。

今も大人気の北斗星だが、新幹線開業・車両老朽化を理由に2015年3月13日限りで廃止されることが決定した。
JR側から既に公式発表が出ており、臨時を入れても恐らく残り半年ほどで北斗星は完全消滅することになる。
自分にとって北斗星は昔から絶対的な存在であるから、消滅する前に何としてでも乗りたかった。
生涯最初で最後の乗車となってしまうが、永遠の憧れである北斗星の勇姿を今回この眼でじっくりと見届けたい。

日中から降りしきる大雪の影響で、室蘭本線・函館本線の列車は全体的に遅れが発生していた。
北斗星もその全体遅延に巻き込まれることとなり、定刻から20分ほど遅れて函館に入線する。
函館では牽引する機関車が代わり、列車の進行方向も逆になる。これまで牽引してきたのはDD51の重連だ。
DD51はここ函館で役目を終える。青森まで牽引する機関車ED79に交代するため、目の前で早々に切り離された。



PC131102.jpgPC141163 (3)

今回私が取った座席は、1号車の「B寝台16番上段」である。

10時打ちという手法を知らず、またそもそも北斗星が未だ人気列車である認識がなかった自分は、
旅決行直前になって指定席券を取りにみどりの窓口へ向かったのだが、当然の如く個室Bソロは満席。
そして、私が窓口へ訪れた時点で残っていた座席は、先頭車の一番先頭の開放B寝台上段のみであった。



↑上野・函館

PC290008.jpg1号車:開放B寝台(コンパートメント)
2号車:開放B寝台(禁煙)
3号車:B寝台個室デュエット
4号車:B寝台個室デュエット
5号車:B寝台個室ソロ
6号車:B寝台個室ソロ/ロビー/シャワー
7号車:食堂車「グランシャリオ」
8号車:A寝台個室ツインデラックス
9号車:A寝台個室ロイヤル/B寝台個室ソロ
10号車:A寝台個室ロイヤル/B寝台個室デュエット
11号車:開放B寝台(喫煙)
12号車:電源・荷物車


↓札幌・青森


北斗星の編成はこんな感じであるが、私がこれから乗るのは端の端っこの席だ。
先頭車のさらに一番前なので、すぐ隣に先頭デッキがあり、汽笛も一番よく聞こえるところである。
「往路で日本列島の端っこへ到達し、復路で寝台特急の端っこに乗って帰る」と考えると何か縁起がよい気がする。

特急・寝台券の区間を「札幌~上野」としてあるのは、万一の場合に備えての対策であったが、
今日は大雪で遅延が発生しているものの、鉄道がまだ走れる程度の天候で持ち応えてくれたからよかった。
明日はもっと雪の量が増すらしいから、今日までが計画通りに鉄旅できるギリギリの状態だったのかもしれない。





22時過ぎ、既に大幅に遅れているため、機関車付け替え後間もなく北斗星は函館を出発した。
函館を出ると、北斗星は仙台までノンストップで進む。仙台の次は福島・郡山・宇都宮・大宮の順に停車し、
定刻通りに行けば午前9時38分に上野に到着する。札幌からだと約16時間、函館からでも約12時間の長旅となる。



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せっかくの北斗星なんだし個室がよかったのだが、寝台の元祖といえばこの開放B寝台である。
定時の寝台客車に乗るのは今回の北斗星が最後になると思われるので、これはこれで結果オーライかも。
集客要素の強い個室よりも、何の変哲もない昔ながらの開放寝台にこそ手堅い旅情があるのではないかと思う。

人一人しか寝れないこの狭苦しい空間に身を投じて、ガタガタ揺れる夜汽車に想いを馳せる。
それは、今では時代錯誤なことかもしれない。でも、「旅」って元来そういうもんじゃなかったのか。
私は、この至って無骨で質素な夜汽車(=開放寝台)の醸し出す風情と哀愁が好きだぞっ!



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22時40分、今日最後のアナウンスが入り室内灯が深夜灯に切り替わった。
続いて22時52分、列車は青函トンネルに突入する。その瞬間を見ようと鉄が隣の先頭デッキに集まってきたが、
私は、もう疲れた。備え付けの浴衣に着替える余力もなく、熱き鉄達を尻目に早々に灯りを消して横になる。



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青函トンネルを抜け、夜中0時半を過ぎたところで列車は青森で運転停車。ここでは停車するだけで客扱いは行わない。
先頭デッキに相変わらず鉄が集まってるのでトイレついでに行ってみると、どうやら機関車が付け変わったようだ。
さっきまでは機関車から一番遠い席であったが、今度は機関車から一番近い席に。
また随分とダイナミックな場所をとってしまったものである。

北斗星の機関車といえばあの赤いEF81を連想させるのだが、既に退役し新型の機関車EF510が受け継いでいる。
でも未だにかつてのEF81牽引の印象が強いのは、子供の頃に散々鉄道図鑑を読みふけっていたせいだろう。
愛読していた図鑑のトップに、赤い機関車(EF81)が牽くブルートレインの姿が沢山掲載されていたのだ。

大人になった今、鉄道図鑑のトップを飾っていた憧れのブルートレインはほぼ全て消滅していた。
乗りたい!でも、どうあがこうと乗れない。それが、ただ悔しかった。
だからこそ、生涯一度だけとなりそうな、今。この瞬間を大事にしたいところであるが、
襲い来る疲れと眠気に耐え切れず、青森を過ぎたところで私は深い眠りについた………。




[2014/12/14]

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「おはようございます。時刻は只今6時25分を回りました。
昨日からの雪の影響で、北斗星号は只今25分遅れで運転致しております。大変申し訳御座いません」


壁の向こうからすぐ汽笛が聞こえる………。
仙台を過ぎてから間もなく室内灯に切り替わり、今日最初のアナウンスが入った。

うつらうつらしながら、寝台上段の端の隙間から窓を覗く。寝台列車から見る日の出は何時も格別だ。
どうやら東北も雪が降ったようで、行きでは雪じゃなかったところも降り積もったらしい。
青森から一度も目が覚めずに眠ってたみたいだが、体は依然としてヘロヘロの状態。
日の出を拝んだ後は、再び布団をかぶりそのまま横になった。




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午前9時半過ぎ、私はようやく長い眠りから覚めた。列車は既に大宮を過ぎている。
体が完全に疲れきってるのか、自分でもびっくりするぐらいぐっすり眠り込んでいた。
函館からの乗車時間12時間のうち、実に9時間も眠っていたのである。

「車掌さんのおかげで、楽しい旅ができました。昨日はありがとうございました~」
「仕事ついでだけど、もう北斗星に乗るのもこれっきりで最後だな!寂しいもんだ」
「やっぱり、寝台特急はいいですね。パッと行っちゃう飛行機じゃ味わえませんよ」


惜別漂う言葉が飛び交う中、北斗星は終着上野へ向かってひた走る。
今日は日曜なので、線路脇で撮り鉄が沢山カメラを向けている。
寝台から降り、通路沿いにある簡易席に座りながら私はその光景をぼんやりと眺めた。



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「今眺めている光景は、後二度と見ることができない」

そう考えると、疲れきっていた身体に不思議と力がみなぎってきた。
2015年3月を過ぎれば、定期の北斗星は完全消滅し二度と乗車できなくなるのだ。
外は何の変哲もない近郊都市だが、私はカメラで撮ることも忘れ、頭がすっからかんの状態で旅終わりの感傷に浸った。


一番前の簡易席に座ってボーっとしているうち、車掌から終点到着のアナウンスが入る。
極寒の地だけに色々あったが、お別れだらけの最北端鈍行旅もこれでおしまいだ。
多くの人々に見つめられる中、列車は上野駅構内にゆっくりと入線。
やがて、午前10時06分。北斗星は定刻から28分遅れて終点上野へ到着した。





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「うえのおぉーーーーーーー、うえのおぉーーーーーーー、終点、上野に到着です」


終着上野の13番線ホームは、休日の賑わいと喧騒に満ちている。
かつて上野駅の13番線は「東北の玄関口」と呼ばれ、一路北へ向かう長距離列車がひっきりなしに発着していたが、
その歴史と伝統も間もなく途絶えようとしている。北斗星とカシオペアを除く上野発の長距離列車は全て消滅したからだ。

上野の到着アナウンスは昔から語尾を伸ばしきるのが伝統であり、それは今も受け継がれているようだ。
一号車の一番前の席をとった利点をいかし、到着から一番乗りで列車を降りて先頭部に向かうが、
今日は日曜であり、眼をギラギラ光らせた鉄達が沢山待ち構えていた。


………最後の最後まで男臭い旅になっちまったぞ。



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ヘッドライト点灯状態、確保!

北斗星は今回が乗り納めなので、とりあえす列車のエンブレムや行き先幕など撮るべきものは撮っておく。
ここで撮った写真の一つ一つは、数十年後は鉄達にとって数少ない「遺産」になっているだろう。
そのくらいの価値のある列車が北斗星なのだ。

続いて列車の最後方へ回り、北斗星が車庫に向かうのを見送ることに。
それにしても、消滅までまだ数ヶ月以上あるのにすごい人が集まっている。
私の場合、北斗星は今回が最初で最後の乗車となったが、おかげで一生に残る旅になったぞ!



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「さらば、北斗星。憧れのブルートレインよ、永遠なれ。」


2015年3月13日をもって、寝台特急「北斗星」は27年の歴史に幕を閉じる。
本当はずっと走っていてほしいが、移り早い時代の波に北斗星も抗えなくなったのだ。
上野と故郷の札幌を結び、またブルトレ最後の血筋を担った北斗星の勇姿を、私はずっと忘れないであろう。



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今まで夢をありがとう、北斗星!!
27年間、お疲れ様でした!!



北斗星を見送った後、私は13番線ホームからいつもの常磐線のホームへ向かった。
常磐線のホームは9~12番線(2階)であり、旅情溢れる13番線(1階)の真上に位置している。
両ホームは何と三分足らずで行けてしまう!毎日乗る生活路線の真下に、私の憧れの世界はあったのである。

勝田行き中電の中は、何の変哲もない普段の日常の風景。
少し前まで、極寒の地にいたのがまるで信じられない。
どうやら東京にも本格的な寒波が到来したようだが、最北に比べりゃ何てことない寒さだ。
帰宅した後、私は何もする気力もなく、何時もの寝床に横になった。


帰宅した翌日、東北・北海道は年内屈指の大雪となり鉄道は全域に渡って運休状態となっていた。
はまなすや北斗星・トワイライトが区間運休し、函館本線の一部区間や名寄以北の宗谷本線も終日運休。
旅の決行日を少し後にずらしてれば、大雪に巻かれ未曾有の大失敗を喫していただろう。
それは、考えるだけでゾッとすることである。





・終幕
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「最北端鈍行旅計画、完全完遂」


自身も予想だにしない大成功をもって、今回の最北端鈍行旅は無事に終幕を迎えた。
往路復路の総距離約3000kmのうち、乗った列車は自宅最寄りから全て数えて32本
台風に巻き込まれながら60本近く乗った西日本横断旅ほど過酷ではないが(←今思うと超過酷!)、
その鬼畜ぶりは私の胸中にしっかりと刻み込まれた。最北端は何時かまた来訪したいと考えている。

極寒の最北の地は今にも凍えそうなところであったが、自身の血とシンクロするぬくもりが感じられた。
最北端もとい最四端到達の達成感に加え、今回の旅で一番心に残ったのは道民の人々の温かさだ。
元道民としての勘が働いたのかもしれないが、何事もなく温かく接してくれたことに本当に感謝している。

完。
2015/01/15 | 極寒北国紀行

流鉄流山線の旅

「僅か十分強の昭和ローカル旅情に浸る」

[2015/1/18]

何てことない日常を「旅」に変えてしまう希有な路線が、私の自宅近くにあった。
千葉北西を走る唯一のローカル線「流鉄流山線」だ。



・流鉄流山線 [流山~馬橋]
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流鉄流山線は、常磐線と接続する馬橋から市境(松戸市~流山市)を跨ぎ、終点の流山までを結んでいる。
夕方せっせとチャリを漕ぎ、久しぶりに私は流山線のもとへやってきた。
流山線の車両は昔から一編成ごとに異なる塗色と愛称が与えられる伝統があり、
カラフルな列車がところせましと並んでいた(といっても五編成のみだが)。

上画像だと、左から「なの花」「若葉」「あかぎ」「流星」の愛称が付いている。
昔は銀色の「銀河」や、柿色の「明星」、紺色の「青空」などの列車も存在したらしい。
編成ごとの愛称・塗色付けの伝統が始まったのは、流鉄が西部の車両を譲受するようになってからだ。
79年から導入された1200形に始まり、2000・3000形、現役の5000形へ伝統が受け継がれてきたという。



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「関東の駅百選」にも選ばれた流山駅は、商業地区の喧騒から離れた場所に位置している。
市の中心は流山だが、実際に商店街として栄えてるのは隣駅の平和台付近なのだ。
それにしても殺風景だと思ってたら、何時の間にか駅裏の木々が伐採されたようだ。
駅裏の緑もこの駅の風情に一役買っていただけに残念である。

流鉄流山線は全長5.7kmしかなく、全線単線。駅の数も6駅のみである。
せっかくなので、今日は流山から馬橋まで乗ってみよう。乗車時間は僅か十分強。
旅といっていいのか少々疑問に残るがw、
スケールの小ささなんてどうでもよくなってしまう歴史と伝統が流鉄にはあるのだ。

ということで、流鉄の波乱万丈の歴史を以下で振り返ってみよう。

(どーでもいい方はしばらく飛ばして下さい)






・「みりんを運ぶための軽便鉄道」として開業

流山線の歴史は古く、開業は今から約100年前にまで遡る。開業当初の社名は「流山軽便鉄道」
流山は江戸時代からみりんの街として栄え一大生産地として栄華を誇っていたのだが、
このみりんを輸送するために鉄道を敷設しないかと有力者の間で企画されたのが全ての始まりだ。

企画が立ったのは1912年。やがて後に線路敷設工事が行われ、1916年に流山軽便鉄道は開業した。
開業時は蒸気機関車2両と客車2両・貨車2両で営業していたが、
当時の流山は農村地帯だったため季節によって乗客数の変動が激しかったという。
しかし年が経つごとに乗客数は増加し安定していった。


・旅客輸送の普及~軍用路線としての活躍

1922年、流山軽便鉄道は社名を「流山鉄道」に変更する。
同年には東京博覧会が開催され、また江戸川改修工事の関係者が流山線を利用したこともあり、
それまで年間5桁に留まっていた利用者が一気に増大し年間6桁台に膨れ上がった。
続く1924年、流山鉄道は線路軌間を普通鉄道用に改軌し馬橋からの国鉄貨車の直通が開始される。
この頃、沿線に陸軍の食料保管施設が建設され、以後しばらく流山線は軍用路線として機能したという。

太平洋戦争末期、沿線に陸軍施設を有し軍用路線とみなされた流山鉄道は米軍の攻撃目標になった。
1945年7月には流山行きの列車が米軍機の機銃掃射を受け、機関士が重傷を負う事件が起こる。
太平洋戦争後は石炭・油の燃料不足に陥ったため、流山線は電化移行に踏み切った。
1949年に全線電化が完了し、国鉄から電力を買い入れ電車で運行を開始する。


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「1933年から電化まで流山線を走っていたガソリンカー(キハ31形)」


・貨物輸送の衰退~西部の譲受車導入

1951年、流山鉄道は社名を「流山電気鉄道」に改名。この頃、乗客数は100万人以上に増加していた。
60年代になると流山は宅地開発が進み、年間乗客数が300万人以上にまで膨れ上がる。
しかし旅客増加とは裏腹に、開業当初の目的だった貨物輸送は減少していった。
流山線の貨物営業は1977年を最後に廃止されている。

1979年、それまで朱色の旧型電車で運行していた総武流山電鉄(←1971年に改名)は新型車両を導入する。
西部鉄道から譲り受けた車両に異なる愛称・塗色を付け、老朽化していた古参車を入れ替えた。
このとき各編成に付けられた名は「なの花」「若葉」「あかぎ」「流星」「銀河」「流馬」があり、
「銀河」を除く5つの愛称・塗色は後の新型車両に受け継がれていくことになる。


・沿線宅地化に伴う利用者増加~旅客全盛期到来

70年代後、武蔵野線の開業(73年~)に伴い流山線沿線は宅地化が急速に進行していった。
野山と田んぼしかなかった新松戸近辺は、住宅や団地が立ち並ぶベッドタウンとして変貌を遂げる。
この沿線宅地化に乗じて流山線の乗客数は伸び続け、90年代に入ると年間610万人を記録し全盛期を迎えた。

そんな旅客全盛真っ只中に、流山線は一部老朽車を置き換えるため再び新型車両(2000形・3000形)を導入。
94年に「青空」「明星」「流馬(2代目)」「なの花(2代目)」がデビューし、
99年には「流星(2代目)」「若葉(2代目)」がそれぞれ加わった。


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「かつての流山線の名物車両2代目なの花(2000形)」


・つくばEX開業に伴う利用者移行~ワンマン化事業~現在

21世紀に入っても手堅く運行していた流山線だが、2005年に大きな転機が訪れた。
同線を横切るつくばEXの開業だ。つくばEXは流山から一本で都内へ行くことができるため、
流山線と常磐線を利用して東京入りしていた客の多くがつくばEXへ移行してしまったのである。
この利用者移行に伴い、流山線は2005年末からワンマン化・全2両編成化の事業を進めていった。
2008年に総武流山電鉄は社名を「流鉄」に変更。翌年にはワンマン対応の新型車(5000形)を初めて導入している。

2013年、長らく走っていた最後の古参車「なの花(2代目)」が引退し、流鉄の車両は新型車に統一された。
車両や土地情勢が刻々変われど、往時の愛称を受け継いだ列車が地元客を乗せて走り続けている。

最近ようやくネットに公式HPも開設され、流山線は新境地を迎えている??のかもしれない。






如何だろうか??これできっと流鉄の歴史の深さが何となくお分かり頂けただろうと思う。
Youtube上にある流鉄の投稿映像も貼ってみた。秀逸なので是非見てほしい。
ろくに近代化せずIC対応も行わず、昔ながらの雰囲気を残す地元密着ローカル線。
こんな鉄道が自宅近くにあるんだから、私は物心ついてからすぐ流鉄を好きになった。


歴史と伝統をたっぷり振り返ったところで、これから流山線を往復乗車してみよう。
馬橋まで行ったら一旦常磐線で松戸へ出向き、日暮れ後再び流山線に乗って流山まで戻ってくる予定だ。



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ノスタルジックな流山駅へ入ると昔ながらの改札口があった。
21世紀の東京近郊なのに流山線は自動改札を一切導入していない。
乗車時は改札を素通りし、列車を降りたところで改札の駅員さんに切符を回収されるアナクロな仕組みだ。



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切符はよく見かける磁器タイプだが券売機(旧)がこれまたノスタルジックな代物で、
今どきの液晶タッチパネルではなく昔のボタン式のやつだ(他でもまだよく見かけるものだが)。
ちなみに流鉄では、窓口で硬券の乗車券も販売している。観光用ではなくまさかの現役硬券である。
運賃は初乗りで120円と安い。この初乗り運賃は昔からずっと変わっていない。

券売機の上には、クラシカルな手書き時刻表が掲げられている。
流山線は始発・終電も頑張っており、流山発の始発は4時55分、馬橋発の最終は0時17分。
これは、他の千葉北西の私鉄(新京成・東部野田線etc)と引けをとらない時刻である。



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流山駅のホームは1番線・2番線があるが、常時使われてるのは1番線で2番線は通勤ラッシュ時にのみ使用されている。
流鉄の駅はいかにも「町のための鉄道」という雰囲気がムンムンしていて、時間の流れも緩やかな気がする。

どうやら今日「なの花」はお休みのようだ。ワンマン化されてから、日中の流山線は2編成のみで運行されてるのだ。



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流山駅は流山線の本拠地でもあり、ホーム奥には車両検車区がある。
「あかぎ」と「流星」が暖色同士で並んでいる。「あかぎ」はかつて愛称継承が途切れていた列車だが、
新型車両5000形に無事受け継がれた。初代あかぎは流山線最後の吊り掛け電車だったことでも有名だ。



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色褪せたベンチには「長寿会」と書かれたフカフカの座布団が敷かれている。
恐らく、地元の町会が無料で寄付してくれたものなんだろう。

手づくり感満載の座布団に座り私は馬橋行き列車を待った。



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しばらくすると、接近放送も特になく馬橋行き列車がやってきた。
やってきたのは水色の「流馬」。今日はこれに乗って終点馬橋を目指そう。
まあ目指すといっても十分強で着いてしまうのだが(苦笑)。

「ジリリリリリリリ!」と、懐かしい発車ベル音とともに馬橋行きは流山を出た。





今は閑散時間帯なので車内はガラガラだ。
平和台で乗客が加わり鰭ヶ崎で僅か2人乗り込んできた。
流山からしばらくは住宅街の脇を抜けていくだけで、車窓としての面白みはない。

駅に到着しドアが開くと駅員さんが旗を振って合図を送る。
その合図を確かめた後、運転士がドアを閉め列車は発車していく。
ごくごく当たり前の光景なのだが、
流鉄にかかると昭和ノスタルジー映画のワンシーンに見えてくるから不思議だ。

今にも「発車、オーライ!」なんて掛け声が聞こえてきそうである。



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鰭ヶ崎を出て小金城址へ向かうところで、流山線唯一といえる絶景ポイントがある。
かつて「逆川」と呼ばれ、大昔(18世紀~)に洪水を繰り返し暴れ狂った坂川だ。

もはや絶景でも何でもないかもしれないが、流山線で展望が広がるポイントといえばここぐらいなのだ。



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流山線唯一の列車交換駅、小金城址を過ぎると新坂川と並行して進んでいく。
小金城址~幸谷間は、東京近郊では珍しい遮断機のない踏切(第4種踏切)がある。
残念ながら半年ほど前にここで衝突事故が発生してしまったため、
列車は警笛を鳴らした後しばらく徐行して進んでいった。

第4種踏切は自発的に危険を察知する必要があるため、今となっては時代錯誤な代物といえる。
鉄の趣味的にはともかく、残しておいてあまり良いものでないことは確かだ。



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徐行区間を過ぎ、JR貨物の線路をくぐり抜けると常磐・武蔵野線と交わる幸谷へ到着。
常磐線と武蔵野線は「新松戸」と名乗っているが、流山線だけ昔の地名「幸谷」を保持している。
流山線がこの駅を開業したのは区画整理が行われる前の61年。当時はまだ「新松戸」という地名がなかったのだ。

古くから松戸に住む祖母が言うには、数十年前ここ一帯は田んぼと数件の農家しかなかったという。
今は居酒屋・商店・パチ屋がひしめく繁華街となっており、その脇にひっそりと流鉄の駅はある。
駅がマンションの一階に設けられているのも、他ではなかなか見られない光景だ。



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幸谷を発車すると新松戸駅前の大きな踏切を渡り、新坂川のほとりをひた走っていく。
幸谷~馬橋間は春になると川沿いの桜並木が咲き誇り、車窓には流れ行く桜を見ることができる。

この区間は線路と川の間に遊歩道があるので、流山線を撮影するのにも適した場所といえる。



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左手に常磐線が近づいてくると列車は間もなく終点馬橋に到着となる。
僅か12分の道のりだが、よくよく見返してみれば流山線も結構見所があった!


………すっごい、地味だけどね(苦笑)。



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味わい深い木造屋根が残る馬橋駅は、常磐線と流鉄の二路線が接続している。
列車を降り、改札で待つ駅員さんに切符を回収してもらう。
自動改札に慣れた身としては、その昔ながらのやり取りは逆に特別な感じがする。

松戸へ一旦向かうため、跨線橋を渡って私は常磐線のホームへ向かった。



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快速や中電・特急がバンバン走り抜ける常磐線の脇に、流鉄のホームはこじんまりとある。
馬橋駅の歴史は古く、JR側の開業は何と19世紀末(1898)にまで遡るらしい。

千葉県内で常磐線各駅停車のみが停車する駅では馬橋が一番古いから驚きだ。



・流鉄流山線 [馬橋~流山]
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日が暮れた後、松戸から常磐緩行に乗って再び馬橋へ戻ってきた。
ここから復路で流鉄を完乗し終点流山まで向かおう!



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馬橋駅の流鉄の入口はこじんまりとしている。
専用の駅舎はなく、跨線橋の途中に入口が設けられてるのみだ。
入口の時点で木造なところに、流鉄の特異な存在感が現れている気がする。



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木造階段を下りていくと、これまたこじんまりとした改札・窓口の横に券売機が2台置いてある。
全線通しだと運賃は200円。切符を買いベンチに座って列車を待つ。

ホームで待つこと10分後、流山行き列車が到着した。



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緑色の「若葉」がやってきた。若葉号の緑色が個人的には一番好きだ。
古びた木造屋根がいい味出していて、向こう側の常磐線ホームとは別世界である。

発車時間になるとベルが鳴り響く。常磐線からの乗り継ぎ客が一斉に駆け込んできたが、
全ての乗客が乗り込むまで駅員さんが確認してから列車は発車する。
「町民鉄道」ともいわれた流鉄を象徴する、温かい光景だ。



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列車は馬橋を発車すると住宅街の隙間をゴトゴト抜けていく。
幸谷で乗客がドッと増えて車内は満席に。しかし小金城址、鰭ヶ崎と停まるうちすぐに引く。

平和台を過ぎ、ガラガラの状態で列車は終点流山に到着した。



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駅員さんに切符を渡し流山線往復旅は終了。駐輪場に停めていたチャリに乗って帰宅した。

ミニ私鉄だからといって侮れない歴史と伝統に加え、今も昔も変わらない風景が流鉄にはある。
地元密着ローカル線は、苦しい経営状態にありながら初乗り運賃120円を保持して頑張っていた。
僅か十分強の道のりだが、皆さんも流鉄が醸し出す昭和のローカル旅情に浸ってみては如何だろうか。
(完結)
2015/01/22 | 私鉄

常磐線複々線区共感リスト

[2015/1/30]

上野から千葉北西・茨城・福島を通り仙台までを結ぶ常磐線は、北千住~取手間で各駅停車と交わり複々線になります。
今回はこの常磐線の複々線区を生活の拠点とする人々(←自分)が、普段思っているであろう疑問や不満、
よくありがちなことなどを、専ら「鉄」の視点で思いつく限り取り上げていこうと思います。


・常磐線 [北千住~取手]


常磐線の複々線(北千住~取手)は元々、通勤五方面作戦の下に建設された区間です。
1971年の千代田線相互直通運転開始とともに複々線化され、快速と各駅停車に運転系統が分かれた。
北千住から快速・中電(中距離電車)は終点の上野へ向かい、各駅停車は地下鉄千代田線へ乗り入れます。

この常磐線複々線内の運行系統は少し複雑で説明しずらいところがあるのですが、
特急以外で運行している旅客列車の種別を大きく分けると、

・上野~取手以北を走る中距離電車
・上野~取手間を走る快速電車
・千代田線内~北千住~取手間を走る各駅停車


の3つに大別されます。

複々線の4本の線路のうち、快速と中電は取手まで同じ線路・駅を辿り、各駅停車は各駅停車用の線路を走ってますが、
この他にも常磐線の複々線を通る列車の種類は多岐に渡り、様々な列車が入り混じって繁華な様相を呈している。
全長約350km(上野~仙台)に及ぶ長大幹線、常磐線の中でも一番華やかな区間といえます。

しかし華やかといっても、そこは良くも悪くも腐っても磨り減っても常磐線だけどね!



「快速・中距離電車編」

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「上野~土浦間を走る特別快速E531系」


・酒臭い。

常磐線の代名詞的イメージがこれ。茨城の住民は、車内で酒盛りをやるのが常態化しているためです。
取手以北へ行く中電がいずれも酒臭いのは、そのせい。
遠く茨城の地からやってきた中電の濃厚な臭気は、入った瞬間「オエッ」ってなるほど酷い場合もあるから注意したいが、
そもそも沿線住民はそれが当たり前のため、誰も咎めることはなく普通に利用してます。


・日中の快速と各駅停車の乗り継ぎが不便だ

常磐線の快速・中電と各駅停車はダイヤが完全に独立していて、乗り継ぎのための設定は一切されてません。
各駅停車から快速に乗り換えるとき、こっちが停車すると同時に快速が発車なんてこともザラにある。
でも、ときによっては走れば間に合うこともあるから、決して諦めてはいけません(笑)。


・特別快速の存在意義とは

日中(10時~15時)に一時間一本のみの特別快速は、便利ではあるが本数が少ないため実用性に限りなく乏しい。
元々つくばEXに対向する建前として設定された列車なので、導入当初から実用性は考えられてなかった可能性大。
天王台が高校最寄だった自分は、特快導入後、特快通過時間帯のダイヤの「空白」の犠牲をモロに受けました。
(天王台は日中各駅停車が来ない上、特快通過時は次の列車まで最大15分近く待つ必要があるため)


大津港行き中電が醸し出していた旅情



かつて常磐線には大津港という、茨城最北端のマイナー駅へ向かう下り列車が一日数本だけありました。
少し前のダイヤ改正で消滅してしまいましたが(水戸始発なら一本だけ残っているが)、
普段の「水戸」や「勝田」「高萩」とは違う行き先に、未知なる旅情を感じたものです。
………こんなこと考えてたの、ぶっちゃけ俺だけかもわからんがな。

ちなみに上野発の常磐中電の終着は、「土浦→水戸→勝田→高萩→大津港→いわき」の順に遠いです。
このうち、大津港行きといわき行きは残念ながら既に消滅済です。



「各駅停車・千代田線編」

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「常磐線各駅停車に乗り入れる千代田線6000系」


・朝ラッシュ時の千代田線内の立ち往生にうんざりする

綾瀬~北千住間で常磐線各駅停車は地下鉄千代田線に入りますが、
朝の通勤時間帯だと、綾瀬から先ほぼ100%の確立で列車が詰まって10~20分の遅延が発生します。
快速はあまり詰まることはないから、この実態を知ってから私は快速経由で大学へ向かうことにしました。


・常磐線各駅停車を「千代田線」と呼ぶ

常磐線各駅停車の沿線住民は、同線のことを直通する千代田線と間違えて言う人が大多数を占めてます。
不動産の広告も千代田線と案内してることが多い、というかそれが当たり前になってしまっている。
確かに千代田線って言った方がイメージは良いけど、正式な路線名は「常磐緩行線」です。

にしても、さすがに日々の日常会話で、
「わかった、じゃあこれから常磐緩行で柏向かうわ!」なんて言わねえよな、絶対。


・「唐木田」って何処?



千代田線は常磐線・小田急線と相互直通してるので、その3線を一気に跨ぐ列車(取手~唐木田)も存在します。
唐木田は小田急多摩線の終着駅のことで、東京都多摩市に位置します。取手からだと2時間弱もかかる。
地元の多くの人がそうであるように、私もまだ唐木田まで行ったことがありません。
というか、普段用事なんて別にないから普通行かないんだけど。


・日中12分間隔はさすがにない(今は10分間隔)

いくら東京近郊の鈍行だからって、12分間隔はないんじゃねえの?と前々から思ってましたが、
昨年のダイヤ改正で列車が増発され、ようやく10分間隔になりました。これはデカイ!
2分違うだけでも、乗り遅れたときの絶望感が大きく違ってくるからね(笑)。



「鉄のためのうんちく編」

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「ドレミファインバータで有名だったE501系」


・少し前まで「鉄」の楽園であった

昔から常磐線には所謂「試験車両」が多数導入され、他では見られないレア車両が沢山走ってました。
先頭二階建て車や、国鉄初のVVVF車、ドイツ製インバータ車など、鉄にとっては垂涎モノの珍車王国だったのです。
「鉄」の視点からすると、新型車両にほぼ統一された今の常磐線は全く持って面白みがなくなってしまいました。


・北千住駅2番線で流れる昔の発車アナウンスが気になる

あの昔懐かしい90年代に散々聞いた旧アナウンスが、常磐線の北千住駅2番線では未だに使われています。
北千住駅2番線は両方向の列車が入り混じるため、誤乗車を防ぐために敢えて下りのみ旧型放送が残されてるのです。
この放送を聴けば、かつて行き先を「上り・下り電車」としか案内されなかったあの頃の思い出が蘇ります。


・爆走国電103系が懐かしい



高速の特急とペースを合わせるため、限界寸前までモーターを唸らせて走っていた快速の国電103系。
関東で103系が最後まで残ってたのは、常磐快速でした。元々103系は各駅停車用のご老体だったのに、
今にも壊れんばかりの爆音で、北千住~柏間を爆走していたその(悲壮の)勇姿は今でも忘れられません。


・203系のガタガタドア&ジェット音に萌えた

少し前に引退した各駅停車203系もまた、国電103系には及ばないものの結構な爆音を轟かせて走ってました。
そして203系といえば、あのガタガタドアです。うるさくて、地下鉄内では会話が成立しなかったぞ。
晩年の203系はモーターにガタがきていたのかジェット機のような轟音を出すようになり、
加速時は今にもそのまま空に飛んでいきそうな勢いでした(笑)。




まるでいいところがなく「ボロ電」と揶揄された203系ですが、何だか憎めない存在であったのもまた事実。
日常とともにあった車両だから写真撮らなかったんだけど、やっぱり引退前に撮っときゃよかったなと後悔。
わざわざ、ジャカルタへ行くわけにもいかないし……(引退後一部の車両はジャカルタへ譲渡された)。


・各駅停車で使われるJRと東京メトロの車両の差異は歴然

「21世紀の電車」と呼ばれ、省エネ電車の先駆けとして1968年にデビューした6000系は今も健在。
そしてその名車6000系と代わり新たにデビューした16000系は、流麗なデザインで好評を受けた。

これら東京メトロの車両に対し、JR側の車両はどれもこれも地味でおざなりな感が歪めない。
黒歴史の103系1000番台、ボロさが際立った203系、いまいち垢抜けない新車E233系2000番台。
仮に今主力のE233系2000番台と16000系を比べても、車内の快適性でJRはメトロに負けてる。


・松戸駅6番線の発車メロディが面白い(笑)

「パパパ、パッパ、パパパッパッパパーパパ♪」のあの珍妙な発車メロディの正体が、昔から気になってしょうがなかった。
正式名称は「SF22-14」。サウンドファクトリー社が制作したもので、TVショッピングでも使われることがあるらしい。
メロディが個性的過ぎて、ネット上では「松戸テレフォンショッピング」なんて呼ばれていたりする。

ちなみに、この発車メロディは松戸駅6番線だけでなく、南流山駅2番線でも使われてます。
駅の発車メロディらしからぬ、TV番組的なハッタリ感が癖になりますぜ!



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「かつての常磐中電の主力車両415系1500番台」


半世紀前から「鬼門」と呼ばれ、昔から確執と失敗を繰り返してきた常磐線複々線区ですが、
新型車両の導入やダイヤ改正によって、当時からのネガティブイメージは少しずつですが払拭されつつあります。
しかしその一方で、緑の国電や白いやつ(415系)が走ってた頃を懐かしく思うのは、きっと私だけではないはずです。

記事は既に投稿済みですが、今後また同区間で何か気になることや変更された事柄などあったら、
この常磐線複々線区共感リストに随時追加していこうと思います。

2015/01/30 | 首都圏在来線


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