鈍行列車一人旅

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流鉄流山線の新型車両

[2013/6/9]

僕の地元にある流鉄流山線は、全長5.7kmのミニ私鉄です。
東京近郊にありながらローカル線の雰囲気漂う希有な路線で、全線が単線になっています。
車両は数十年前からずっと西武の譲渡車が使用されており、
それぞれの編成ごとに異なったカラーリングと愛称がつけられています。

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流山線は数年前まで2000形(元西武701・801系)と3000形(元西武旧101系)が主力でしたが、
老朽化やTX開業後の合理化に伴い近年少しずつ数を減らしてきました。
そして約一ヶ月前に最後の2000形「なの花」が引退してしまい、車両は全て新型の5000形(元西武新101系)に統一。
僕の中で流山線のイメージといえば2000形の「青空」と「なの花」編成でしたので、
これから見れなくなってしまうのは非常に寂しいです。



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半年前にデビューした、5000形の第三代「若葉」号。
二代目の3000形の頃からこの黄緑色の車体色が好きだったので、こうして新車に引き継がれたのは嬉しいですね。



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約一年前にデビューした、第二代「あかぎ」号。あかぎ号は11年ぶりの復活となりました。



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終点の流山駅は閑散としています。
関東の駅百選にも選ばれているこの駅は、昔ながらの懐かしい雰囲気がします。
駅舎は開業当時の大正5年(1916)からずっと変えてないそうです。
駅は市の中心部に位置していますが、駅前だけ見ると地方ローカル線の駅という感じです。



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ホーム端にはオレンジ色の「流星」号が鎮座してました。2011年にデビューした車両です。



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駅ホームの奥に車庫があります。



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車庫には、引退した「なの花」号がひっそりと佇んでました。
黄色地に緑のラインの車体色は、沿線ののどかな風景のイメージそのものでした。
やはり、近いうちに解体されてしまうのでしょうか。



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沿線はほとんど閑静な住宅街の中ですが、緑が多く桜並木も見られます。
数ヶ所だけ第4種踏切が残っていて通過時に警笛を鳴らしますが、5000形は電子笛なのでかなり違和感があります。
いつもの素朴な空気笛でなくなってしまったのが残念ですが、時間が経つうち次第に溶け込んでいくのでしょう。

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2013/06/09 | 私鉄

つくばエクスプレスの格安乗車券

[2013/11/30]

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普段は滅多に利用しないつくばエクスプレス。
TXの最寄り駅(南流山)は自宅から少し離れていますが、自転車なら15分ほどで行くことができます。
秋葉原にちょっと用があったので、久しぶりにTXに乗って向かおうと思っていたところ、
駅前のスーパー近くに前々から気になるものがありました。


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それは、格安乗車券の自販機です。
各駅周りにひっそりと設置されているらしい。南流山にも複数台設置されてました。


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お金を入れてボタンを押すと、こんな箱が出てきます。回数券のバラ売りですね。
南流山~秋葉原間の場合、普通運賃だと片道550円なのに対し、
この土休日限定の格安券だと片道450円で100円割引となります。
往復で使えば200円割引となるのでかなりお得です。




さて、約2年ぶりとなりますがつくばエクスプレスに乗車します。
ここ南流山から秋葉原までの所要時間は、最速で21分。あっという間です。
JR線を乗り継ぐと倍近く時間がかかるし、格安券利用なら運賃もほぼ変わりません。
休日にサッと都内へ行くには、なかなか有効的な手段ではないでしょうか。


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最速達の快速に乗車。
関西の新快速と同じく、最高速130kmで高架の上を走り抜けていきます。
線形が良いので乗り心地は快適そのもの。
僕が普段乗る常磐線は結構揺れたりするので、走ってるというより滑ってる感覚すら覚えました。


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北千住から地下区間に入り数駅停まった後、列車は終点の秋葉原に到着となります。
千葉北西部から20分で秋葉原へ着く。これは驚異的です。
対抗馬の常磐線特快は日中に1時間1本の運転だし、日常的に使うのはかなり厳しいですが、
TXの快速はほぼ毎時30分間隔で運行されてますね。普通運賃は高いですが、快適さでTXには適わない気がします。


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ここTX秋葉原駅は地下深くに位置しているため、他線への乗り継ぎに少し時間がかかります。
ホームは地下34メートルとかなり深い。階層でいえば地下6階相当になるのか。
ただコンコースは広々としているし、地下さながらの息苦しさは皆無です。

復路ももちろんTXに乗って帰りましたが、いや~もうホント速い(笑)。
速すぎて感動すら覚えました。今度は観光用途でつくばへ行く時などに利用してみたいと思います。

2013/12/01 | 私鉄

流鉄「なの花」復活

[2013/12/23]

自宅から常磐線に乗って都内へ行く時、馬橋駅停車中に流鉄のホームを眺めるのは僕の密かな楽しみです。
例によって、今日も帰り際に車内から流鉄のホームを観察します。すると、何やら見覚えのある色合いが、、、
アレ!?っと思ってよく見てみると、既に引退済みの「なの花」カラーを纏った5000形が停まっていました。

「なの花」号が復活していたとは知らなかった!
日が暮れる中、最寄り駅を降りて直行で流山線の元へ。
デジカメを取りに一旦家へ帰ろうかと思いましたが、今回は掟破りでiPhoneのカメラを使ってみようと思います。

Evernote Camera Roll 20131223 165310

線路際に着いてしばらく待っていると、早くも目当ての車両が登場。
今年12月にデビューした三代目「なの花」号。警笛を鳴らし、数少ない第4種踏切を通過していきました。
住宅街の中をゴトゴト走る流山線ですが、幸谷~小金城址間はローカル線らしい長閑な風景が広がります。

二代目「なの花」号(2000形)が引退したのは今年の4月。
総武流山電鉄時代から活躍し、長らく流山線の代名詞的存在として走り続けていましたが、
車両の老朽化・合理化に伴い姿を消してしまいました。
約一年前には三代目「若葉」号がデビューし、続いて今回「なの花」号が新型車両に継承され早々に復活。
これで、流山線の5000形(元西武新101系)は計5編成になりました。


Evernote Camera Roll 20131223 165322

小金城址~鰭ヶ崎間には、流山線唯一のガーダー橋があります。
もうすっかり見慣れた「あかぎ」号が坂川を渡っていきます。

「色」と「愛称」が受け継がれていく流山線の車両。その伝統が始まったのも、元は二代目「なの花」号からですね。
青色の「流馬」、橙色の「流星」、赤色の「あかぎ」、緑色の「若葉」、そして黄色の「なの花」。
今後しばらくは、この5編成で運行されていくのでしょう。


Evernote Camera Roll 20131223 165255 (2)

帰りついでに、橋上から武蔵野線を撮影。iPhoneのカメラって、思ったより画質良いですね。
PC側で露出補正すればコンデジと大して変わらないかも、、、

何はともあれ、なの花号が復活してよかった!
一応、流鉄唯一の二色塗装車(白を除く)ですから。

2014/01/28 | 私鉄

新京成の顔

[2014/2/22]
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千葉北西部を走る新京成電鉄は、常磐線と接続する松戸と京成津田沼を約40分で結んでいます。
正式名称は「新京成電鉄新京成線」ですが、地元では専ら「新京成」と呼ばれ親しまれています。

親会社の京成電鉄よりも経営状態は良く、運賃も千葉県の私鉄の中では随一の安さを誇ります。
全線通しでも250円ですが、新京成を端から端まで通しで乗る人は滅多にいない。
最寄り駅から他線の乗り継ぎ目当てで乗車する人が大半で、乗客の入れ替わりも早いためか列車は全て各駅停車です。




新京成は線路が極端にぐにゃぐにゃ曲がっているから、起点から終点まで行くのに時間がかかります。
旧陸軍鉄道連隊の演習線跡を利用して線路が敷かれたので、演習のための意図的な急カーブがそのまま残った。
このうんちくは、高校の日本史教科書にも載っているらしいです。



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今の新京成の主力車両は、VVVFの先駆けといわれる8800形。86年にデビューした形式です。
阪急電車を思わせる洗練されたデザインと、当時まだ珍しかったVVVFインバータ制御をいち早く採用しているのが特徴。
本格通勤電車(1500V)としては世界初であった。
当初は最初期VVVFならではの豪快なモーター音でしたが、後の純電気ブレーキ化でソフトが変更されて音が変わってます。


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近年、8800形は編成によって外観のバリエーションが増えました。
2006年から開始した京成線直通対応の編成は帯が新しくマルーン色に塗り直されましたが、
新京成内でのみ使われる編成はオリジナルの茶帯のまま。
傷んできたドアを交換した編成もあり、簡略化のためかドアに帯が塗られていない編成もあります。
現在ドア帯が残っているのは僅か3編成のみですが、個人的にはドア帯付きの編成を残して欲しいなと思います。



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8800形がVVVF電車の始祖なら、続く8900型はシングルアーム式パンタグラフ搭載車の始祖。
今では当たり前となった、シングルアームのパンタグラフを日本で初めて採用しています。
幼い頃は茶色いカラーのせいか古ぼけて見えた新京成は、実に先進的な鉄道会社でした。



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急カーブが多い新京成。列車は常に車輪を軋ませて走りますが、速度はあまり落とさずに難なく走行します。
駅間距離が短く、加速減速も激しいので猛烈な走りっぷりを見せてくれます。
線路自体が台地の分水嶺に沿っているためトンネルや川を渡る橋が一つもなく、
雨風で運休になったりすることも滅多にありません。




ただ、くぬぎ山~鎌ヶ谷大仏間は2017年頃に高架化される予定になっています。
この区間は鉄道3路線と主要地方道2本が重なる交通の難所で、朝夕は慢性的に渋滞が発生しますが、
その原因の一つが何度も交差している新京成の踏切でした。
国道464号から県道57号にかけては、鶏皮串の如く短距離で最大4回も線路を跨がなければならない。
今回の高架化で踏切が12箇所減るので、それまでの渋滞が大幅に緩和されるようです。



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78年デビューの最古参8000形は、その独特の顔つきから「くぬぎ山の狸」という愛称がついています。
長年に渡り主力として活躍していましたが、新型車導入や編成短縮化・老朽化に伴い少しずつ数を減らしてきました。
現在残っている8000形は僅か4編成。
初期の抵抗制御車や界磁チョッパ車は消滅し、VVVFインバータ制御に改造された編成のみが残りました。
これによって新京成の車両は全てVVVF制御車に統一となり、先進性の健在さを見せ付けています。



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既に引退済みの800形も好きでしたが、新京成らしい個性が前面に出てるのは8000形&8800形かなと。
特に8000形は新京成のシンボルだし、これからもしぶとく残っていてほしいです。

2014/02/26 | 私鉄

小田急で塔ノ岳登山へ

[2012/12/7]

少し前から登山に興味があったのだが、まず何処へ行こうか迷っていた。
東京近郊で調べてみると、丹沢にある塔ノ岳が良さそうだったので、いざ行ってみることにした。

塔ノ岳の最寄りは、小田急の渋沢駅(と秦野駅)だ。
ロマンスカーなら新宿から一時間弱で行けるところだが、残念ながら渋沢駅には停まらない。
ということで、今回は小田原行きの急行電車で向かった。


・小田急線 [新宿~渋沢]


塔ノ岳は、丹沢山地の南部にある標高1491mの山である。
東京からすぐに来られる場所なので登山客は多く、眺望も良いらしい。
標高差は約1200mあり、初心者が手堅い登山をするのに最適な場所だという。

片道約3~4時間の本格的な登山であるが、装備は至って軽装だ。
グレゴリーのリュックに防水ウェアを着ているが、足元は普段用のスニーカーである。
ただ、ここの山はスニーカーでも十分登山は可能ということらしいので登山靴は用意しなかった。



・塔ノ岳登山 [鍋割山~塔ノ岳~大倉尾根]


塔ノ岳へ登る登山道はいくつかあるようだが、一番ベターといわれているのが大倉尾根だ。
通称「バカ尾根」。バカみたいに登りが延々と続くことが名前の由来らしい。
このバカ尾根を往復で行ってもよかったが、それでは単調であまり面白みがない。
すると表尾根ルートの左一方に鍋割山を経由して行くルートがあったので、上りはそちらのルートで行くことに。

大倉尾根ルートの最寄りである渋沢駅からバスに乗り、約20分で登山口バス停へ到着。
午前9時30分、準備運動を入念に行ってから早速登山へ向かった。


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登山口バス停からしばらくは舗装路を進んで行く。
やがてしばらくすると未舗装の道に入り、鬱蒼とした山の中へ入る。


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鍋割山経由のルートは、最初は平坦な林道らしく急な登りはほぼない。
大倉尾根の場合、最初から既に登りだというからキツイのだろう。


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長閑な山道は、奥へ進むごとに少しずつ険しくなってきた。


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鍋割山頂上まで3分の1くらいに差し掛かると、道は急な登りに転ずる。
今まで平坦だった分、ここからキツイ道が続くのだろう。


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軽装ではあるが、普段マラソンしてるし体力はそれなりに自信があるのだ。
しかし、予想以上に容赦ない登りの道に足が悲鳴を上げる。
「また登りかー」と嘆くのが聞こえてきた。


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喘ぎながら階段を登ってると、左手に少しずつ眺望が開けてきた。
鍋割山頂上まであと少しだ。


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キツイ道を延々と登り、ひとまず鍋割山頂上に到着した。
標高1273m。視界は良好で、富士山も見える。


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小休止した後、今度は塔ノ岳へ向かう山道へ。
ここからは屋根伝いに道を進んで行く。


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今まで天気は良かったが、ここにきて急にガスが出てきた。
あっという間に視界が悪くなってしまう。


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やがて13時に、ガスったまま塔ノ岳頂上に到着となった。
さっきは晴れていたのだが、タイミングが悪かったな。


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ガスが治まる気配はないが、視界が見えない分幻想的な風景が広がる。
頂上は風が強く吹いていて寒い。温かいお茶を飲んで体を暖めた。



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登頂の余韻に浸った後、キリのいいところで下山開始。
復路は大倉尾根伝いに道を下っていく。


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なるほど、バカ尾根というだけのことはある。
平坦な道が一切なく、ずっとずーっと下りの道が続いているのだ。


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頂上から下るごとにガスが引いて、少しずつ周囲の景色が見えてきた。


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ガスの中を抜けたようだ。自分のすぐ上には分厚い雲があり、その下には街が見える。
山の上でしか見れない、独特の神秘的風景に感動する。


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最初は景色が開けていたが、ゴールまで半分ぐらいになると鬱蒼とした森林に入る。
しかし下りが続くのは相変わらずだ。屋根を伝っているのを身体で実感することができる。


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ずっと下っているうちに、足が笑い出した。
しかしここで休むとペースが落ちそうなので持ち応えながら進む。


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今日は12月初めなので、紅葉の跡があちらこちらで残っていた。


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時刻は15時過ぎ、道は舗装路に変わり登山口に到着する。
足はヘトヘトだ。そのまま舗装路を辿り、帰りのバスの並び列に大人しく並んだ。



・コースタイム [大倉登山口9:30~鍋割山12:00~塔ノ岳13:00~大倉登山口15:10]


思った以上にペース早めで表尾根を下ってしまったため、登山後一週間ぐらいは筋肉痛が続いた。
こんな手堅い登山をしたのは初めてだ。登山ブームも活況なのか、
自分と同じ若い世代の人がいたから安心できたし、登山を本格的にやってみようと思うきっかけになった。

それで後には夜行ムーンライトでアルプス登山に行ったが、次は富士急行に乗って富士登山へ行きたい。
乗り鉄たるゆえ、登山まで行く道のりはあくまで鉄道(とバス)。
専ら公共交通機関に拘っていこうと思う。

2014/06/14 | 私鉄

流鉄流山線の旅

「僅か十分強の昭和ローカル旅情に浸る」

[2015/1/18]

今や有数の東京ベッドタウンと化した千葉北西を走る唯一のローカル線、それが「流鉄流山線」だ。
今日は日曜で普段はバイトが目一杯入ってるが、今日限りは休みなのでふと松戸に出向くことに。
しかし、北小金からそのまま常磐一本で行っても面白くない。


「………そうだ、流鉄があるじゃないか!」


乗り鉄というのは、目的地まで「余計に」手間をかけて向かおうとする希有な生き物である。
そして、何のことない日常を「旅」に変えてしまう希有な路線が、私の自宅近くにはあった。
今回は、そんな地元完全密着にして孤高のローカル線、流山線に乗車したいと思う。



・流鉄流山線 [流山~馬橋]
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流鉄流山線は、常磐緩行線と接続する馬橋から市の境(松戸市~流山市)を跨ぎ、終点の流山までを結んでいる。
夕方自宅からせっせとチャリを漕ぐこと15分、私は久しぶりに流山線の始発終着駅である流山へやってきた。
流山線の車両は昔から、一編成ごとに異なる塗色と愛称が与えられるという伝統があり、
カラフルな列車がところせましと並んでいる(といっても五編成のみだが)。

ちなみに私は、流山線の全ての列車の愛称を一瞬で言えるほどの流鉄マニアである。
この画像だと、左から「なの花」「若葉」「あかぎ」「流星」の愛称が付いているのだ。
かつては、銀色の「銀河」や、柿色の「明星」、紺色の「青空」などの列車も存在していた。

この編成ごとの愛称・塗色付けの伝統が始まったのは、流鉄が西部の車両を譲受するようになってからだ。
79年から導入された1200形に始まり、2000・3000形、今現役の5000形へとその伝統は脈々と受け継がれてきた。
固有の列車名ほど「鉄」を沸かすものはないので、これからも愛称・塗色の伝統は守ってほしいと思っている。



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「関東の駅百選」にも選ばれている流山駅は、商業地区の喧騒から少し離れた場所に位置している。
市の中心に近いのはここ流山だが、実際に商店街として栄えているのは隣駅の平和台付近なのだ。
それにしても殺風景だなと思っていたら、どうやら何時の間にか駅裏の木々が伐採(?)されたようだ。
駅裏の木々もこの駅の独特の風情に一役買っていただけに、残念である。

ミニ私鉄、流鉄流山線の線路は全長5.7kmしかなく、全線単線。駅の数も6駅のみである。
乗車時間は僅か十分強。これを「旅」といっていいのかは少々疑問に残るところであるが、
路線としてのスケールの小ささなんてどうでもよくなってしまうほどの歴史と伝統が、流鉄にはあるのだ。

ということで、その隠された魅力をひしひしと実感してもらうべく、
まずは流鉄もとい流山電鉄の波乱万丈の歴史を、以下で大まかに振り返っていこう。

(どうでもいいと思う方は、以下しばらくは飛ばして下さい)






・「みりんを運ぶための軽便鉄道」として開業

流山線の歴史は古く、開業は今から約100年前にまで遡る。開業当初の社名は「流山軽便鉄道」
古来、流山は江戸時代からみりんの街として栄え、一大生産地として栄華を誇っていたのだが、
このみりんを輸送するために鉄道を敷設しないかと、町の有力者の間で企画されたのが全ての始まりである。

企画が立ったのは1912年。やがて後に線路敷設の工事が行われ、1916年に流山軽便鉄道は開業する。
開業時は蒸気機関車2両と客車2両・貨車2両で営業していたが、流山は当時は農村地帯であったため、
季節によって乗客数の変動が激しかったという。しかし年が経つごとに、乗客数は次第に増加し安定していった。


・旅客輸送の普及~軍用路線としての活躍

1922年、流山軽便鉄道は社名を新たに「流山鉄道」に変更する。
同年には東京博覧会が開催され、また江戸川改修工事に関わる関係者がこぞって流山線を利用したこともあり、
それまで年間5桁に留まっていた利用者は一気に増大し、年間6桁台にまで膨れ上がった。
続いて1924年、流山鉄道は線路の軌間を普通鉄道用に改軌し、馬橋からの国鉄貨車の直通が開始される。
またこの頃、沿線に陸軍の食料保管施設が建設され、以後しばらく流山線は軍用路線として機能することになる。

ときは変わり太平洋戦争末期、沿線に陸軍の施設を有し軍用路線とみなされていた流山鉄道は米軍の攻撃目標とされた。
1945年の7月には、実際に流山行きの列車が飛来する米軍機からの機銃掃射を受け機関士が重傷を負う事件が起こる。
太平洋戦争後は石炭・油の燃料不足に陥ったため、流山線は電化移行に踏み切ることとなった。
1949年に全線電化が完了し、国鉄から電力を買い入れ電車で新たに運行を開始する。


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「1933年から電化まで流山線を走っていたガソリンカー(キハ31形)」


・貨物輸送の衰退~西部の譲受車導入

1951年、流山鉄道は社名を「流山電気鉄道」に改名。この頃、乗客数は100万人以上に増加していた。
さらに1960年代になると流山は宅地開発が進み、年間乗客数が300万人以上にまで膨れ上がる。
しかしその旅客の増加とは裏腹に、開業当初の目的であった貨物輸送は減少していった。
流山線の貨物営業は、1977年を最後に廃止されている。

1979年、それまで朱色一色の旧型電車で運行していた総武流山電鉄(←1971年に改名)は新たに新型車両を導入する。
西部鉄道から譲り受けた車両に異なる愛称と塗色を付け、79~87年にかけて老朽化していた古参車を入れ替えていった。
このとき各編成ごとに付けられた名は、「なの花」「若葉」「あかぎ」「流星」「銀河」「流馬」があり、
「銀河」を除く5つの愛称・塗色は、後の新型車両にも受け継がれていくことになる。


・沿線宅地化に伴う利用者増加~旅客全盛期到来

70年代以後、武蔵野線の開業(73年~)に伴い流山線沿線は宅地化が急速に進行していった。
それまで野山と田んぼしかなかった新松戸近辺は、住宅や団地が立ち並ぶベッドタウンとして変貌を遂げる。
この沿線の宅地化に乗じて流山線の乗客数は伸び続け、90年代に入ると年間610万人を記録し旅客としての全盛期を迎えた。

そんな旅客全盛真っ只中に、流山線は一部の老朽車を置き換えるため再び新型車両(2000形・3000形)を導入する。
94年に「青空」「明星」「流馬(2代目)」「なの花(2代目)」がデビューし、
99年には「流星(2代目)」「若葉(2代目)」がそれぞれ加わった。


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「かつての流山線の名物車両2代目なの花(2000形)」


・つくばEX開業に伴う利用者移行~ワンマン化事業~現在

21世紀に入っても手堅く運行していた流山線であるが、2005年に大きな転機が訪れる。
同線を横切るつくばEXの開業である。つくばEXは流山近辺から一本で都内へ行くことができるため、
それまで流山線と常磐線を利用して東京へ向かっていた旅客の多くが、つくばEXへ移行してしまったのである。
このつくばEX開業による利用者移行に伴い、流山線は2005年末からワンマン化・全2両編成化の事業を進めていった。
2008年に総武流山電鉄は社名を「流鉄」に変更。翌年にはワンマン運転対応の新型車(5000形)が初めて導入となる。

2013年、それまで長らく走っていた最後の古参車「なの花(2代目)」が引退し、流鉄の車両は全て新型車に統一された。
車両や土地情勢が刻々と変われど、往時の愛称を受け継いだ列車が、今も地元の乗客を乗せて流山の住宅地を走り続ける。
最近になってようやくネット上に公式ホームページも開設され、流山線は今新境地を迎えている?のかもしれない。






如何だろうか?これできっと、流鉄の歴史の深さが何となくお分かり頂けただろうと思う。
加えて今回は、Youtube上にある流鉄の投稿映像も貼ってみた。秀逸なので是非見てほしい。
ろくに近代化せず、IC対応も一切行わず、昔ながらの雰囲気を色濃く残す地元密着のローカル線。
こんな鉄道が自宅のすぐ近くにあるんだから、私は物心ついてからすぐに流鉄を好きになった。


流山線の歴史と伝統をたっぷり振り返ったところで、これから同線を往復乗車してみよう。
馬橋まで行ったら一旦常磐線で松戸へ出向き、日暮れ後再び流山線に乗って流山まで戻ってくる行程である。
ただ、先月決行した最北端鈍行旅とはスケールが違いすぎて、正直言って日常そのものという気がしないでもないが。



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ノスタルジックな流山駅構内へ入ると、昔ながらの改札口があった。
21世紀真っ只中の東京近郊にして、流山線は自動改札を一切導入していない。
乗車する時は改札を素通りし、列車を降りたところで改札で待つ駅員さんに切符を回収される。



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切符はよく見かける磁器タイプのものだが、券売機(旧)がこれまたノスタルジックな代物だったりする。
今どきの液晶タッチパネルではなく、昔からあるボタン式のやつである(これは他でもまだよく見かけるものだが)。
ちなみに流鉄では、窓口で硬券の乗車券も販売している。合理化著しいこのご時勢にしてまさかの現役硬券である。
運賃は初乗りで120円と至って安い。この初乗り運賃は昔からずっと変わってないようだ。

200円のボタンをポチっと押すと何のことなく切符が出てきて、
内蔵のスピーカーから「ありがとうございます!」と大音量でお礼を言われた(笑)。

券売機上には、クラシカルな手書きの時刻表が掲げられている。
流山線は始発・終電も頑張っており、流山発の始発は4時55分、馬橋発の最終は0時17分。
これは、他の千葉北西の私鉄(新京成・東部野田線etc)と引けをとらない時刻である。



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この風景。何だかたまらないものがあるね!

流山駅のホームは1番線・2番線とあるが、常時使われているのは1番線で2番線は通勤ラッシュ時にのみ使用される。
流鉄の駅はいかにも「町のための鉄道」という雰囲気がムンムンしていて、時間の流れも少し緩やかな気がする。
どうやら「なの花」は今日お休みのようだ。ワンマン化されてから、日中の流山線は2編成のみで運行されているのだ。



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流山駅は流山線の本拠地でもあり、ホーム奥には車両の検車区がある。
「あかぎ」と「流星」が暖色同士で並ぶ。「あかぎ」はかつて愛称継承が途切れていた列車であるが、
新型車両の5000形に無事受け継がれた。以前の初代あかぎは、実は流山線最後の吊り掛け電車だったことでも有名だ。



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ホーム上の椅子には、「長寿会」と書かれたフカフカの座布団が敷かれている。
恐らく、地元の町会が無料で寄付してくれたものだろう。

手づくり感満載の座布団に座り、私はしばし馬橋行きの列車を待った。



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しばらくすると、接近放送も特になく馬橋行きの列車が入線する。
やってきたのは、水色の「流馬」。今回はこれに乗って終点の馬橋を目指そう。
まあ、ぶっちゃけ目指すといっても、たった十分強で着いてしまうのだが(苦笑)。

「ジリリリリリリリ!」と、懐かしい発車ベル音とともに馬橋行き列車は流山を発車した。





今は閑散時間帯なので、車内はガラガラである。
平和台で数人乗客が加わり、鰭ヶ崎で僅か2人の乗客が乗り込んできた。
流山からしばらくは住宅街の脇を抜けていくのみで、車窓はあまり面白みがない。

駅到着時、ドアが開くと駅員さんが旗を振って合図を送る。
その合図を確かめた後、運転士がドアを閉め列車は発車。ごくごく当たり前の光景だが、
流鉄にかかると、昭和のノスタルジックな映画のワンシーンに見えてくるから不思議だ。

今にも「発車、オーライ!」なんて掛け声が聞こえてきそうである。



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鰭ヶ崎を出て小金城址へ向かうところで、流山線唯一といえる絶景ポイントがある。
かつて「逆川」と呼ばれ、大昔(18世紀~)に洪水を繰り返して暴れ狂った坂川である。
もはや絶景でも何でもないかもしれないが、流山線で展望が広がるポイントといえばここぐらいなのだ。

ちなみにこの坂川は走行時間およそ5秒ほどで渡ってしまうので、乗り鉄ならば決して見逃さないようにしよう。
僅か5秒のうちに、暴れ川の悠久の歴史を感じようぜ!(笑)



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流山線唯一の列車交換駅である小金城址を過ぎると、列車は坂川の支流新坂川と並行して進んでいく。
小金城址~幸谷間には、今どき東京近郊では珍しい遮断機のない踏切(第4種踏切)がある。
残念ながら、今から半年ほど前にここで衝突事故が発生してしまったため、
列車は警笛を鳴らした後しばらく徐行して進行する。

第4種踏切の場合は自発的に危険を察知する必要があるため、今となっては時代錯誤な代物といえる。
鉄の趣味的にはともかく、残しておいてあまり良いものではないことは明白だろう。



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徐行区間を過ぎ、JRの貨物の線路をくぐり抜けると列車は常磐・武蔵野線と交わる幸谷へ到着する。
ここは常磐線と武蔵野線は「新松戸」と名乗っているが、流山線だけ昔の地名「幸谷」を保持している。
流山線がこの駅を開業したのは区画整理が行われる前の61年。当時はまだ「新松戸」という地名がなかったのである。

古くから松戸の地に住む祖母が言うには、数十年前、ここ一帯は田んぼと数件の農家しかなかったという。
今は居酒屋・商店・パチ屋などがひしめく繁華街となっており、その脇にひっそりと流鉄の駅はある。
駅ホームがマンションの一階に設けられているのも、他ではなかなか見られない光景だ。



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幸谷を発車すると間もなく新松戸駅前の大きな踏切を渡り、新坂川のほとりをひた走っていく。
幸谷~馬橋間は春になると川沿いの桜並木が一斉に咲き誇り、車窓には流れ行く桜を見ることができる。
この区間は線路と川の間に遊歩道が設けられており、流山線を外から撮影・観察するのにも適した場所といえる。



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進行方向左手に常磐線の線路が近づいてくると、列車は間もなく終点の馬橋に到着となる。
僅か12分の道のりだが、よくよく見返してみりゃ流山線も結構見所があるじゃないか!


………すっごい、地味だけどね(苦笑)。



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味わい深い木造屋根が残る馬橋駅は、常磐線と流鉄の二路線が接続している。
列車を降り、改札で待つ駅員さんに切符を回収してもらう。
自動改札に慣れた身としては、その昔ながらのやり取りは逆に特別な感じがする。

松戸へ一旦向かうため、跨線橋を渡って私は常磐緩行線のホームへ向かった。



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長大編成の快速や中電・特急がバンバン走り抜ける常磐複々線の脇に、流鉄のホームはこじんまりと佇んでいる。
ここ馬橋駅の歴史は古く、常磐側の開業は何と19世紀末(1898)にまで遡る。
千葉県内で常磐緩行のみが停車する駅の中では、ここ馬橋が一番古いから驚きだ。

ただ歴史が古いといっても、駅前は特に何もないので注意されたし!
車内(特に中電)は酒臭く、日中から酒持ち込んで飲んでる輩もいるのが常磐線の日常。
そして駅を出ればすぐ、年季の入った居酒屋とパチ屋がある。それが常磐クオリティだっ!




・流鉄流山線 [馬橋~流山]
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日が暮れた後、私は松戸から常磐緩行に乗って再び馬橋まで戻ってきた。
ここから復路として流鉄を全線完乗し、終点の流山まで向かおう!
十分強の道のりだから、そんな馬鹿に気合入れる必要はないが(笑)。



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馬橋駅の流鉄の入口は、実にこじんまりとしている。
専用の駅舎はなく、跨線橋の途中に入口が設けられているのみなのだ。
入口の時点で木造であるところに、流鉄の特異な存在感が現れている気がする。



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入口から木造の階段を下りると、こじんまりとした改札・窓口の横に券売機が2台置いてある。
全線通しだと運賃は200円。切符を買い、駅ホームのベンチでしばし列車を待つ。

ホームで待つこと約10分後、流山行きの列車が到着した。



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車両は緑色の「若葉」だ。若葉号の明るい緑色が個人的には一番好きだ。
古びた木造屋根がいい味出していて、向こう側の常磐緩行ホームとはまるで別世界である。

発車時間になるとベルが鳴り響く。常磐線からの乗り継ぎ客が一斉に駆け込んできたが、
全ての乗客が乗り込むまで、駅員さんが汲まなく確認してから列車は発車する。
かつて「町民鉄道」ともいわれた流鉄を象徴する、温かい光景である。



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列車は馬橋を発車すると、いかにも「電車でござい!」といった風情で住宅街の隙間をゴトゴト抜けていく。
幸谷で乗客がドッと増えて、車内は満席状態に。しかし小金城址、鰭ヶ崎と停まるうちすぐに引く。
平和台を過ぎ、ガラガラの状態で列車は呆気なく終点の流山に到着した。



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乗車時間は往復でも30分とかからないが、なかなか充実した行程になったと思う。
何のことなく駅員さんに切符を渡し、今回の流山線の往復旅は無事終了となる。
駅前駐輪場に停めていたチャリに乗って、私は何事もなく帰宅した。


ミニ私鉄だからといって侮れない歴史と伝統に加え、今も昔も変わらぬ風景が流鉄にはある。
愛すべき地元のローカル線は、苦しい経営状態にありながらも初乗り運賃120円を保持して頑張っていた。
僅か十分強の道のりといえども、皆さんも流鉄が醸し出す昭和のローカル旅情に浸ってみては如何だろうか。
(完結)
2015/01/22 | 私鉄

関東鉄道竜ヶ崎線の旅

「古き良き中心市街のためのローカル線」

[2015/6/13]

自宅最寄から30分で行ける………いや、常磐線と繋がる佐貫から竜ヶ崎までを結んでいるのが関東鉄道竜ヶ崎線だ。
竜ヶ崎線といえば、千葉北西にある流山線と同様、昔ながらの町のための鉄道として健在している路線である。
今回は、この小さな私鉄ローカル線、竜ヶ崎線を辿っていこうと思う。




竜ヶ崎線の起点は、上述した通り常磐線と接続する佐貫だ。ここから唯一の途中駅入地を経て、同線は終点の竜ヶ崎へ至る。
全長4.5kmの短い道のりであり、乗車時間僅か7分で完乗できてしまう小さなローカル線。
全線単線であり、列車交換駅なども一切存在しないシンプルな路線である。

私の中で関東鉄道の第一イメージといえば、かつて主力で走っていたベージュ地にオレンジ帯の気動車である。
現行の関東鉄道の車両は白地に青赤のラインを帯びているが、昔の澄茶の旧標準色を私は見たかった。
しかし現在、常総線で走っている旧標準色車は平日朝夕のみの運用であり、出会うのは困難だ。

そこで狙いを定めたのが、土曜の日中だけ走っている竜ヶ崎線のキハ532だ。
同車は、日本で初めて製造されたワンマン用気動車として知られている代物である。
かつての関東鉄道標準色を纏っているこの旧型気動車に、今日は乗りに行ってみようか。



・佐貫駅
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自宅最寄駅からまず常磐緩行で我孫子へ行き、そこから下りの勝田行き中電に乗って佐貫で下車する。
佐貫は茨城に入ってから3つ目の駅だ。辺りはベッドタウンとして発展を遂げている。
何のことなくJRの自動改札を出た後、関鉄竜ヶ崎線の乗り場へ向かう。

常磐線佐貫駅東口から関鉄竜ヶ崎線の乗り場への連絡通路は、ビルの裏側へと続いている。
駅の入口というよりはマンションの入口といった様相を呈しているが(苦笑)、
怯まず案内に従って進んでいこう。


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ビル裏の連絡通路を進んでいくと、竜ヶ崎線のこじんまりとした駅構内へ。
改札は自動化されてないが、ICカード対応の簡易改札機がある。
とりあえず往路は普通の切符で行くことにしよう。

切符を買い何事もなく改札を通ると、懐かしのカラーを纏った単行気動車が既に停まっていた。



・関東鉄道竜ヶ崎線 [佐貫~入地]
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「佐貫駅構内に掲示してあった当時の竜ヶ崎線の写真資料」

関東鉄道竜ヶ崎線の歴史は極めて古く、開業は今から一世紀以上も前に遡る。
全ての大元は、19世紀末当時「馬車鉄道」として開業を目論んでいた竜崎鉄道である。
同社は馬車鉄道として計画を発起したが、後にすぐコスト性の観点から小型蒸気牽引の軽便鉄道に計画変更。
営業区間も当初は藤代~竜ヶ崎間であったが費用削減のため佐貫~竜ヶ崎間へ縮小され、1900年に竜崎鉄道は開業した。

竜ヶ崎線は、国内の一般鉄道で初めてワンマン運転を導入した路線としても有名で、現在も継続されている。
ワンマンが導入されたのは1971年のことだ。71年は竜ヶ崎線にとって最大の転機であったに違いない。
この年、同線の蒸機が全て引退しており、加えて貨物営業も廃止されているからだ。


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蒸機+貨物廃止後の1971年以降、竜ヶ崎線は他社からの旧型気動車のお古が走っていたというが、
老朽化は免れず、やむなく新型車を導入することとなった。それで1981年に導入されたのが、このキハ532だ。
この車両は、足回り機器を国鉄キハ20の部品で賄い、車体だけを新しく造って組み合わせた"準新造車"である。

現在竜ヶ崎線に在籍している車両は、平成以降に導入された新型気動車キハ2000二両とキハ532の計三両。
普段はキハ2000しか走らないが、現時点で毎週土曜の日中に限り旧型のキハ532が名物として走っている。
この車両の運用に関しては関東鉄道の公式ホームページに記載されているから、捕らえるのは容易だ。
81年製造とそこまで古くはない車両だが、今後この車両の希少性は少しずつ高くなってくると思われる。

休日の日中なので、車内はそこそこだが乗客がいる。老若男女ともに乗り込んでおり、手堅い需要を感じさせる。
やがて発車時刻が来るとメロディが鳴り響き、ガラガラとエンジンを唸らし竜ヶ崎行きの鈍行が発車した。


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竜ヶ崎線の所要時間は、起点から終点まで僅か7分。あっという間だが、車窓はローカル風味濃厚で見物だ。
起点の佐貫からしばらくは住宅街の中をゴトゴト進むが、間もなくしてただっ広い田園地帯へ出た。
直線区間がほぼ全てを占める路線だが、スピードはそれほど出さず60km程度に留まっている。

そのまま終点に行くだけでは面白くないので、往路は途中下車してみよう。
竜ヶ崎線唯一の途中駅入地へは、起点からたった3分で到着となる!


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「ええぇー!何ここぉー!千と千尋の駅みたいー!」

絵に描いたようなピチピチギャルの戯言をよそに、私は一人列車を降りた。
どうやら、この駅では切符の集札をしないらしい。乗客を降ろすとすぐにドアが閉まり発車していく。
(↑ちなみに千と千尋に出てくる鉄道は「海原電鉄」というそうです。"電鉄"なのに非電化というヘンテコ設定)


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「プァーン!ガタンゴトンガタンゴトン………」

降りたのは私一人だけであり、取り残された感が半端ない。
ここは一応東京近郊に含まれる場所なのに、何なんだ、この寂びれきったローカル感覚は………。
旧型気動車は発車するとエンジンを唸らせ、警笛を鳴らしながら素朴な農村の中に吸い込まれていった。



・入地駅
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入地駅ホーム上には、ゴツいコンクリートの待合室があるようだ。駅名票もちゃんとある。
錆びに錆びてボロボロになっているが。味があるのを通り越して少しホラーじみてるのは気のせいか(苦笑)。


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「きっぷいれ」

入地駅は集札が行われない代わり、ホーム上に「きっぷいれ」なるものが設けられている。
列車を降りたら箱に切符を投入すればいいとのこと。なかなか原始的である。
この錆びれきった箱に、入地駅切符利用者の全てが託されているのだ。

今気付いたのだが、佐貫駅では確か集札されなかったよな………。
てことは、「佐貫→入地」利用に限っては"キセル"が可能ということになる。
ホーム上には防犯カメラがついてるみたいなので、やれば即刻捕まるだろうが。


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入地駅の全景はこんな感じ。辺りは農村地帯真っ只中だが、駅周辺には小さな集落がある。
ホーム上にそのまんま駐輪場が設けられているのが地元感満載(笑)。
かつてこの駅には列車交換設備があったらしく、左側の空き地はその名残だろう。


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入地駅探索を終えて間もないところで、早くも対向の列車が来た。即興で撮影してみたが、まんざら悪くもない。
竜ヶ崎線の中でも、素朴な田園地帯が広がっているのは下地駅付近に限られる。

さて、入地からは一駅隣の竜ヶ崎へ向かって徒歩で到達してみよう!
できる限り線路沿いの道路に沿って、東へ進んでいくことになるのだが………、
歩行距離は2kmちょっとなので、そんなに大した距離ではないし簡単に行ける。

竜ヶ崎線は毎時二本と本数は割と多いので、どうせなら"撮り鉄"も兼ねてのんびり探索していこう。



・入地駅~門倉駅跡(徒歩)
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入地駅からしばらくは線路に沿った道がないので、一旦南側の道路へ出た。
今となっては珍しい蒸機記号の旧踏切標識が掲げられた入地踏切を渡ると、線路沿いの道路へ合流する。


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ノソノソ歩いてるうちに、また列車がやってきたぜよ(汗)。
この辺りはまだ農村の中なので、何処から撮っても絵になるから素晴らしい。
コンデジにして精一杯のズームを使い、如何にも鉄道写真らしい角度から撮影ができた。


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「ただっ広い田園に敷かれた単線を行く単行気動車」

なんだか、ここは、ローカル好きにはたまらないシチュエーションだなあ~(笑)。
田園地帯の向こうに見えるのは、龍ヶ崎中心市街だ。彼の地は江戸時代に商業都市として栄えた地域でもある。

線路沿いに道を延々と進んでいくと次第に住宅が多くなってきた。


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再び線路沿いの道が途切れるところで、何やら興味深い空き地を発見!かつてあったという門倉駅の跡地だ。
跡地すぐ近くの踏切脇には跡地だということを示す案内看板があったが、無残なことに壊れている。
取り敢えず拾って内容を確認してみると、看板には以下の概要が記されていた。

「門倉停留場は竜ヶ崎線開業時に設置され、鹿島参宮鉄道時代の昭和32年(1957)に廃止されるまでの57年間、
門倉地域の生活拠点として利用されていた単式1面1線の無人駅でした。」


門倉駅が廃止されたのは既に半世紀以上も前のことであり、遺構たるものは正直何も残っていない。
"後発客"のため目に付く箇所へ看板を置いた後、私は再び道を東へ進んだ。



・門倉駅跡~竜ヶ崎駅(徒歩)
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竜ヶ崎が近づくと線路は住宅の中に入り、パチ屋のすぐ横をかすめるようにして続いている。
パチ屋の奥には地元のショッピングセンターがあり、線路向かいのところには駐車場がある。
このショッピングセンターと駐車場を結ぶ跨線橋では、竜ヶ崎線の車両基地を拝むことが可能だ。


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ショッピングセンター直結の跨線橋から拝める、竜ヶ崎線のこじんまりとした車両基地がこれだ。
実にいい味出してるのが、トタン屋根の車庫!昭和の時代そのまんまの建造物である。
ここでまた、竜ヶ崎線の列車が通過していく。本日三度目の撮り鉄。

車庫に居座る新型車を尻目に、旧型車が元気に走っているのは微笑ましいものだ。
平日は恐らく、あの錆びれきったトタン屋根の車庫で眠っているのだろう。
竜ヶ崎線の最古参車として、今後も末永く走り続けてほしいものである。


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再び線路沿いの道へ戻り、ノソノソ歩いていくと間もなく終点の竜ヶ崎駅が見えてきた。
どうやら、竜ヶ崎駅は駅のすぐそばに車両基地を併設しているようだ。



・竜ヶ崎駅
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竜ヶ崎、到達!!

入地から線路沿いの道をのんびり歩くこと約1時間、竜ヶ崎線の終着駅竜ヶ崎へ無事到達した。
竜ヶ崎駅のロータリーは広く、タクシーやバスの乗り場が併設する一大ターミナルとなっている。

実は当初の計画では、ここ竜ヶ崎から路線バスを乗り継いで佐原や潮来へ行ってやろうと考えていたのだが、
バスの本数と時刻が絶望的に噛み合わなかったため、今回は断念した。
折り返しの列車ですぐ佐貫へ戻り、今日は潔く探索を終了する!


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竜ヶ崎駅構内は昔ながらの私鉄駅の雰囲気を色濃く残しており、昭和の匂いがムンムンするぞ。
ほの暗い照明、有人改札、プラスチッキーな椅子、黄ばみきった白熱灯式時刻表看板。
ICの簡易改札機が無ければ、昭和ノスタルジー映画のセットのようである。

駅構内を観察した後、椅子に座って待っているとゾロゾロと待ち人が増えてきた。
さすが、伊達に黒字路線を誇っているだけあって、需要はなかなかのものだ。
IC対応してるのに普通切符を買う人が多いのも意外や意外。

「お待たせ致しました~!」

やがて列車到着時間が近づくと駅員から一声かかり、改札が始まる。
千葉県民のスマートさを見せ付けるべく、復路はICカードで行くことにしよう(笑)。



・関東鉄道竜ヶ崎線 [竜ヶ崎~佐貫]
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龍ヶ崎は古くから水運基盤の商業都市として栄えた所だが、この地に何故あの長大幹線常磐線が通らなかったのであろうか?
それは、常磐線が当時石炭の輸送に最大の主眼を置いてたからだ。東京~水戸間を出来る限り短距離で結ぶため、
ここ龍ヶ崎は常磐線の経路から無視されてしまった。しかしそれではマズイので、
龍ヶ崎市街~常磐線を結ぶ連絡路線として竜ヶ崎線は誕生したのだった。

(↑地元の反対による"鉄道忌避"が原因とする説も存在しますが、その説は誤りらしいです)

往路と同じく、乗客は老若男女多種多様だ。
発車時間になるとメロディが流れ、ドアが閉まり発車。佐貫までたった7分の道のりである。


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素朴としか言いようが無い田園風景の中を、単行気動車がひた走っていく。
龍ヶ崎の中心市街を離れると、車窓に広がるのは懐かしさ一直線の眺めだ。
唯一の途中駅入地では、やはりといっていいか誰も降りなかった。
この路線はあくまで、上述した通り龍ヶ崎市街と常磐線を結ぶ連絡路線として機能しているのだ。

「ご乗車ありがとうございました。間もなく終点佐貫へ到着です」

やがて住宅地へ入ると到着のアナウンスが入り、列車は終点の佐貫へ到着した。



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探索時間およそ3時間であったが、思った以上に発見が多く面白かったぞ、竜ヶ崎線!(流山線と同じ匂いがしたが)
竜ヶ崎線の旧型気動車に別れを告げ、早々に乗り場を出る。キハ532はなかなか可愛らしい顔しとるじゃないか!
佐貫到着後は特に寄り道をせず、常磐線の上り中電に乗ってさっさと帰路へ着いた。


・旅の総費用:運賃370円
・乗った乗物の数:鈍行2本
・旅の総距離/所要時間:約9km/約3時間



竜ヶ崎線は随所で昭和の雰囲気満載で、合理化の波がほとんど及んでない印象を受けた。
その理由は深く知り得ないが、恐らく路線の規模の小ささに対する費用対効果の問題だと思う。
規模の大きい常総線はすっかりスマートになってしまったが、対し竜ヶ崎線は昔のまんまって感じだ。

東京近郊ではなかなかお目にかかれない貴重な鉄道風景が、竜ヶ崎線には沢山残っている!
皆さんも週末にふと思い立ったら、限定運用の気動車で竜ヶ崎線を探索してみては如何だろうか。
(完結)
2015/06/14 | 私鉄

京急本線3色制覇の旅

「赤×青×黄の3コンボで終着浦賀を目指す!」

[2015/8/1]

「そういや、まだ京急をネタにしてなかったな・・・」

京急といえば"赤"だ。もはや赤以外考えられないのが京急なのだ。
しかし最近になって"青""黄"の電車も走り始めたらしいと、何処ぞの知り合いから情報を頂いた。
観光需要を見込んだのかは知らないが、一部の編成だけ特別の塗装に塗りたくり普通列車として運行しているというのだ。

この特別塗装車の運用情報は公式HPに堂々公開されていて、何時何処でやってくるのか容易に知ることが可能のようだ。
ということで今回は、京急の特別塗装車を乗り継いで京急本線の終着駅浦賀へ向かいたい。


・計画~導入


京浜急行電鉄。略して京急。品川から横浜・三浦半島の各地を結ぶ言わずと知れた大手私鉄だ。
"鉄"なら嫌いな者はいないと噂のこの京急の本線区間が、今回の鉄旅のメイン舞台である。

特別塗装車の運行時刻は日によって変わり本数も少ないようだが、その中でもスムーズに乗り継げるパターンがあった。
今回は北総線内から羽田空港まで走るイエローハッピートレインと、泉岳寺から三崎口までを走りきるブルースカイトレイン
さらに堀ノ内から浦賀へ行く鈍行を乗り継いで、片道で一気に京急の名物列車に乗り本線を攻略してしまおうという魂胆である。

「東松戸→イエローハッピートレイン→品川→ブルースカイトレイン→堀ノ内→鈍行→浦賀」

私は京急については横浜から先が未開地で、暇あれば乗ろう乗ろうと思っていたのだが、
優遇されがちな西東京の地にあまり面白味を見出せないのもあって(←寂びれきった千葉の住民の僻み)、
乗り鉄する気になれなかった。でも記事に起こすならそんなのもう関係ない。あくまでクールに乗り鉄を遂行しようではないか!

午前9時、私はまず武蔵野線に乗って東松戸へ向かった。
武蔵野線と北総線が接続する東松戸から、今回の京急3色制覇の旅は始まる。



・北総線/京成線/都営浅草線 [東松戸~品川]
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西武の電車そっくりじゃないか、コレ(汗)。

今日の9時39分発羽田空港行き直通列車は、京急のイエローハッピートレインだ。
2014年から運行を開始した特別塗装列車で、たった一編成しか存在しないレア車両である。
見ての通り色使いが西武の通勤電車とそっくりなため、後に西武とコラボ企画をするまでに発展したという。

イエローハッピートレインは子供の興味の的なのか、子供連れが先頭でかぶりつきをしている。
しかし業務の妨げになると判断した(地下区間の視認性の問題だと思う)のか、
運転士は先頭窓およそ3分の2のブラインドを下げてしまった。


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車内はボチボチの乗車率。歴史の新しい北総線は高架と地下区間が多く、車窓は意外と飽きない。
矢切でスカイライナー通過待ちのため数分停車。この列車は品川までは鈍行として進むが、
品川からは京急名物の快特として羽田空港へと向かうのだ。

地下区間を出て江戸川を渡ると列車は東京都の末端へ突入。
そして高砂で京成線と合流し何の変哲もない下町を駆け抜けていく。青砥で一気に乗客が増えた。




四つ木を出て荒川を渡り数駅進むと、列車は東京スカイツリー最寄の押上に到着する。
ここからは都営浅草線だ。浅草線は都営の第一号路線である。

押上から先、都営浅草線内はずっと地下の中を進む。浅草線の駅名は実に歴史深いものを感じさせるものが多い。
本所吾妻橋、人形町、日本橋、東銀座、大門。大昔の江戸東京風情を醸し出す駅名が連なっている。
京急の新型車の座席は外国からわざわざ発注している特注品で、座り心地は随一。
JR新型車の固く安っぽい座席とは比べものにならない。


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泉岳寺で乗客がドッと入れ替わった。泉岳寺を出ると列車は浅草線を脱し京急本線へ入り、間もなく品川へ到着。
イエローハッピートレインの役目はここ品川まで。品川からは後続のブルースカイトレインに乗車する。
品川駅では京急線内で使えるお得なフリー切符が売っているらしいので、私は一旦改札を出た。

今回、私が使う切符は「よこすかグルメきっぷ」だ。京急本線の汐入〜浦賀間が乗り降り自由であり、
さらに提携店で一回食事が出来るという徳用フリー切符である。これで2030円は安い!



・京急本線 (快特) [品川~堀ノ内]
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早朝発生した人身事故のせいで、京急のダイヤは少し乱れていた。
そうしてこうして数分遅れでやってきた三崎口行き快特は、8両編成のブルースカイトレインだ。
ブルースカイトレインは2100形と600形の二種類あるが、2100形は純然たる快特車両で京急の花形である。
そして京急の快特といえばズラッと並んだクロスシートだ。その様相は関西の私鉄を髣髴とさせる。

情報に疎い私は最近知ったばかりなのだが、ブルースカイトレインの運行が開始されたのは今から十年前の2005年。
運行開始当初から人気を獲得してきた名物列車で、その人気ぶりからプラレール化もされたらしい。
京急のトレードマーク色である赤とは正反対だが、これはこれでいいのではないだろうか。

「毎度、京急をご利用頂きましてありがとうございます。快特の三崎口行きです」

さすが京急だ。車掌もさらっと"京急"と言ってのける!
京浜急行でもなく京急電鉄でもなく、あくまで京急なのだ。大手私鉄の威厳を感じるぜ。


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品川を出ると列車はJR線と別れ、快特らしく一気にスピードを上げ住宅の脇をかすめるようにかっ飛ばしていく。
京急川崎を出、京急鶴見を過ぎると列車は京急名物のJR東海道並行区間に突入。
今回競争の対象となったのは、何と成田エクスプレスの特急だ。

結果的に、「京急快特 VS 成田エクスプレス」の競争はこちら側が圧勝。
笑っちゃうような爆走ぶりを見せつけ、JRの特急をあっという間に追い抜いてしまった。
さすがそこは、「ハマの赤いあんちくしょう」といわれるだけのことはあるな。


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横浜で乗客がドッと降りていったので、その合間にクロスシートを確保した。
横浜から先、京急はカーブが多くなりトンネルも潜るようだ。だが風景は典型的なベッドタウンである。
低い山々やこんもりした土地に家がへばりつくようにして建っているのが印象に残った。

金沢文庫を出るとすぐに金沢八景へ。ここで再び乗客が大きく入れ替わる。
横浜以南は思った以上に道のりが険しく、駅を過ぎてはトンネルを潜るというのを何回も繰り返して進む。
どうやら地元の人は金沢を省略して"ぶんこ""はっけー"というらしい。ごった煮駅名が多い私鉄ならではの味か。


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堀ノ内へ着いた。堀ノ内では京急本線の浦賀行き鈍行に乗り換える。
黄電→青電と乗り継いできたので、ここで赤電に乗り継げば京急の3色コンボは無事"完成"される。
どうせなら3色とも新型車で統一しようと思ったのだが、向かいに停まっていた浦賀行きは京急の最古参車であった。


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この京急800形は、その独特の顔つきから鉄の間で「ダルマ」と呼ばれている。
こいつに乗って浦賀へ向かってもいいのだが、せっかくの機会なのでもう少し粘って後続の列車を待ってみることに。
しかし、後にやってくる列車もずーっとダルマ。正直ダルマが4本連続でやってくるとは思わなかった。

……生粋の"鉄"っぽい少年が、めちゃくちゃ高そうな巨大一眼レフ両手にホーム端で列車の撮影をしている。
わからない。生粋の鉄道マニアは何故少年時代から一眼を当たり前のように使いこなしているのかがよくわからない。
線路脇で列車を眺めて喜ぶとか、そういう次元じゃないんだよね、彼らは。車両の運用とか当たり前のように知ってるし……。



・京急本線 [堀ノ内~浦賀]
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茹だる暑さの中堀ノ内駅で粘った結果、5本目でやってきたのは2000形。これ以上粘るのは正直萎えるのでコレで妥協だ。
82年導入の2000形は、往時の京急の伝統デザインを打ち破ったフラッグシップ車両として知られる。
かつて快特として走っていたこの車両は、現在は純粋な鈍行として余生を送っているようだ。

京急本線の末端(堀ノ内~浦賀間)は取り残されたような区間となっていて、本線なのに日中走っているのは鈍行のみである。
当初は浦賀から延伸させる計画があったそうだが、軍事的な理由で早期に久里浜まで敷設しなければならなくなったため、
浦賀手前の堀ノ内から線路を延ばして支線久里浜線を開業させた。現在は久里浜線が本線のような扱いとなっている。




堀ノ内からの京急本線の道のりは実にあっけない。終着へ至るまでたった3駅にして6分の道のりである。
この区間は海のそばも通るが、残念ながら海は遠くにチラチラと見えるだけだ。


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浦賀、到達!!

12時32分、京急本線の鈍行は終点の浦賀に到着した。
京急の終着は何処も味気ないと聞くが、ここ本線の終着はなかなか趣深い雰囲気。
ホームは高台の上にあり、バックの山の中腹にへばりつくようにして建てられている。


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かつて三崎方面へのターミナルであった浦賀は観音崎の最寄でもあり、駅前から路線バスが出ている。
3色コンボの行程は無事全うしたが、このままとんぼ返りしてしまうのは面白くないので、
今回は浦賀からさらにバスに乗って観音崎へ行ってみることにした。



・京浜急行バス (堀25系統) [浦賀駅~観音崎]
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京浜急行バスの堀25系統は、起点の堀ノ内から浦賀を経由して観音崎へ至る路線である。
このバス路線は「よこすかグルメきっぷ」のフリー区間に該当し、切符を見せればただで乗ることができる。

車両は典型的なノンステップバスで、昔ながらの風情は希薄。
観音崎行きバスは浦賀駅を出ると、間もなくして緑の多いローカル区間へと入る。
辺りはベッドタウンだか、低い山々がちらほら見られ千葉の方とはまた違う車窓が展開。


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しばらくすると、右手に海が現れた。鴨居港だ。
ここ一帯の海はかつて大昔に黒船来航に備えて要塞化していたというが、
現在は往時の片鱗はほとんど残っておらず、穏やかでノスタルジックな浜辺の風景が広がる。


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やがて浦賀から10分強で、京浜急行バスは終点の観音崎へ到着となった。
観音崎は三浦半島東端の地であり、海水浴場が隣接してるためかレジャー客で賑わっている。
バスから降りると、何やら懐かしいバーベキューの香ばしい匂いが漂ってきた。夏で海といえばバーベキューだ!



・観音崎/観音埼灯台
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バス停から少し進むと手堅く整備されたビーチがあって、そこを抜けて岬沿いに道を進んでいく。
すると岬上に現れたのは、観音埼灯台。日本最古の洋式灯台として知られる有名な灯台だ。
日本の灯台50選の一つでもあり、この灯台にちなんで指定された灯台記念日もあったりする。

観音埼灯台は内部観覧可能になっていて、参観料を払えば灯台からの景色を拝めるようだ。
灯台へ行くには、岬下から続く坂道を上っていけばすぐに辿り着けることができる。
「あともうちょっとで灯台ですよ、頑張って下さい!」
予想以上にキツイ坂道を上る最中声をかけてくれた作業員さんの温かい言葉が、汗だくの私に染みた。


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灯台にめちゃくちゃ興味があるわけでもないのに、土地の末端へ来ると何時も灯台の元へ向かってしまうのは何故なのか(汗)。
私の場合旅行の最終目的地が必然的に末端になるから、これまで訪れてきた灯台の数も結構なものになってきた。
鉄道の末端駅からさらにローカルバスに乗って、灯台巡りをしてみるのもいいかもしれない。

・旅の総費用:3050円(品川までの普通運賃+よこすかグルメきっぷ)
・乗った乗物の数:鈍行3本+快特2本+バス2本
・総距離/所要時間:約85km/約5時間強


観音崎周辺を観光した後は再び京浜急行のバスに乗って汐入へ。提携店で食事を取ろうと思ったが、
どこもかしこも激混み状態だったため、断念。フリー切符買った意味が全くない(苦笑)。
提携店での食事は諦め、汐入から上りの品川行き列車に乗ってそのまま帰路に着いた。
(完結)
2015/08/25 | 私鉄

流鉄100周年コラボ始動

[2015/9/19]

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「新坂川脇を行くななこ号(幸谷~馬橋間にて)」

地元の流鉄が来年3月に開業100周年を迎えるようです。かつて田んぼしかなかった流山を走り続けてきた流鉄の歴史は古く、
当初は流山名物のみりんを運ぶための鉄道として開業した町民鉄道でした。
現在、ベッドタウン化が急速に進んできた流山・松戸近辺は住宅がひしめく典型的な近郊街ですが、
流鉄は専ら地元輸送一徹で、ギリギリの経営状態ながら昔から最安運賃120円を保持しつつ走り続けてます。

そんな地元密着の流鉄が、今年9月になって早くも来年の開業100周年に備えたプロジェクトを発足することになったようです。
あの流鉄だからもっと素朴な企画になるのかと思いきや、100周年なだけに今回限りは結構頑張るらしい。


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今回の100周年コラボの対象となったのが、アニメ「普通の女子校生が【ろこどる】やってみた。」
萌えアニメに疎い私はタイトルで既に「どーゆーこっちゃ??」って感じなんですが(汗)、
まあ、巷では「ろこどる」と呼ばれているそのアニメと今回はコラボすることになったようです。
こんなアニオタ層を取り込むコラボやるの、流鉄にとっては初の試みなのではないでしょうか。

"流鉄100周年×ろこどる"のコラボプロジェクトは、今年2015年の9月19日から来年の3月下旬まで実施されます。
期間中は専用のヘッドマーク掲出の他、アニメの担当声優さんによる専用の自動アナウンスが流れ、
さらに各駅で専用の100周年記念フリー乗車券が発売されます。

当コラボプロジェクトの詳細は、流鉄公式HPろこどる公式HPに細かく記載されてます(←にリンク貼りました)。
9月23日に限ってはお祭り的な趣旨で、流山市文化会館で100周年の記念イベントや物販も実施されるようです。
なかなか豪華な体裁っぽいので、流鉄が気になる方は是非行ってみては如何でしょうか??

コラボ開始初日となる今日、私は自宅からチャリをシャコシャコ漕いで流鉄の元へ向かいました。


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チャリを漕いで裏道を辿り、お馴染みの流山駅に到達。この駅は関東の駅百選の一つです。
周りは典型的な近郊街なんだけどここだけ昭和のノスタルジーな雰囲気が漂っていて、昔から好きでした。
大正時代から使われている古い駅舎が相変わらずいい味出してる。プレート横に付いてる大きなベルも健在です。
列車発車時にはあの大きなベルが鳴り響き、駅員さんが乗り残しがないか確認してから列車が出発します。

昭和ノスタルジー一直線な駅舎の中に入ってみると………。


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「流鉄開業 100th Anniversary」

さっそくありました!100周年コラボの記念プレート。
駅構内の改札脇にデカデカと設置されたこの記念プレートには、今回のコラボ企画の主役となるキャラが描かれてます。
左側が宇佐美奈々子さんで、右側が小日向縁さんというそうです。中央のゆるキャラっぽいのが魚心くんというらしい。

何だかよくわからないけどww、これからよろしくお願いします!(←キャラの名前を今初めて知った)


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迸 る 流 鉄 愛 。

流山の駅構内はこじんまりとしてますが、100周年記念に伴った広告などが既に掲出されてました。
恐らく地元の子供達によるものと思われる、流鉄の応援画のオンパレード。あったけえなあ~。
硬券のことを"超レアな固い切っぷ"って表してるのが面白い(笑)。


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見慣れたノスタルジックなホームでしばらく列車を待ってると、やってきました。「ななこ号」(元なの花号)です。
今回のコラボの専用ヘッドマークが掲出されるのは、このななこ号と対向に停まってる「ゆかり号」(元流馬号)のみ。
他の列車は、何時もと同じ通常プレートをつけての運行となるようです。

ちなみに流鉄の運用はランダムのため、何日何処で専用ヘッドマークの列車が走るかは特定できません。
その日に行ってみないとわからないです。ただ、イベントをやる9月23日に限っては、
ななこ号とゆかり号、両列車が同時に運行されることが決まってます。


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コラボ発足初日となる今日、私の他に数人だけ"同業者"がいらっしゃいました(昼間はもっといたんだと思う)。
"アニオタ"なのかそれとも"鉄"なのか、判別できませんが。フリー切符も皆こぞって購入。
まあどっちにしても、金を入れるお客さんが集まってなんぼですからね。


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100周年記念フリー切符は3種類あって、流山駅・馬橋駅・流山~馬橋の間の途中駅にてそれぞれ違う種類が販売されます。
全部コンプしたいところですが、取り敢えず流山駅の記念フリー乗車券(画像左)を買って列車に乗車。
さらに終点馬橋到着後に、馬橋駅の記念フリー乗車券(画像右)も購入しました。

この100周年記念フリー乗車券は厚みのある厚紙で出来ており、思った以上に本格的です。



「流鉄流山線ななこ号 走行音 (流山~馬橋)」

せっかくなので、自前の高音質レコーダーで走行音も録ってみました。
昔ながらの抵抗制御音が唸る哀愁の流鉄の走りに、アニメ声がささやかに華を添える。
割かし良好な状態で録れたので、奈々子さんの声(笑)に興味ある方は上の自前動画で存分にご堪能あれ!

奈々子さん(CV:伊藤美来)の専用車内アナウンスなんですが、地元民としては違和感ありありで、
導入したばかりということもあってか、ソワソワしてる乗客がチラホラ見られました。
何の変哲もない普段のアナウンスがいきなりこんな萌え~な声になったら、そりゃソワソワするわ。


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流鉄の起点は、常磐緩行線と接続する馬橋です。
長大編成の快速や中電がひっきりなしに走る複線の脇に、流鉄の乗り場はこじんまりとあります。
東京から40分足らずで来れるところなのに、ここまでローカルな雰囲気を醸し出す鉄道も珍しいのでは??

今回は開業100周年ということで急遽記事を起こしましたが、皆さんもノスタルジックな流鉄に行かれてみては如何でしょうか。
ちなみに、馬橋駅にも萌えキャラがいたりします。東口前の何処かに潜んでるので興味ある方は見つけてみては??
何時撤去されるかわからないけど。左手に持ってる筒みたいなの、ロックバスターみたいでかっこいい。

2015/09/08 | 私鉄

堀切と大佐倉へ行ってみた

「東武と京成の秘境っぽい駅に行ってみただけの記録」

[2016/5/23-26]

昔から変なモノが好きだ。特に、都会にあるディープなローカル駅とか好きだ。
調べてみると、大手私鉄にも"そういう系の変な駅"があるというので、
行ってみることにした。あまり期待せずに、ね。


 

「秘境駅とは、山奥や原野など、人里から離れた箇所に所在する駅のことである」(by Wiki)
……なんてクソ堅い定義は置いといて、近場で秘境駅を見出してみようと思ったのが全ての始まり。
同じこと考える人は沢山いるようで、ググればそれらしい情報が幾らでも出てくる。
んでネットの情報をもとに、近場で秘境駅や面白そうな駅を選定して、行ってみる計画を立てたのだった。

今回のターゲットは東武と京成だ。とりあえず行ってみるかぁ……!幸い、どちらの駅も家から割と近い。
思い立ったら、行動だ。速攻でヒアウィLET'S GO!



・堀切へ行ってみる
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先ずは東武の堀切駅へ向かうため、常磐線に乗って北千住へ。東東京最大の鉄道要衝だ。
10年以上お世話になってるのに、この駅の構造が未だによくわからない。迷宮ですよ迷宮。
堀切は快速・急行が停まらない駅なので、3番線でノッソリと待つ浅草行き鈍行に乗り込んだ。

お目当ての駅は、北千住から二駅隣にある。先発の急行を通した後、浅草行きは北千住を発つ。
隣駅の牛田を出ると、左手に荒川の堤防が近づいてくる。

堀切駅は、荒川堤防のすぐ横に身を寄せるようにして建っていた。




列車を降りると、5月下旬にしては焼けるような日差しに喘いだ。
改札付近しか屋根が無い。この時点で既に東京23区の駅って感じがしない。
私含めて僅か三人だけを降ろし、発車ベルが鳴った後、列車は堀切を発っていく。

「なんなんだここは……!」

よくわからないけど、変な駅だ。東京とは思えない寂れっぷりにニヤニヤしてしまう。
23区内の伊勢崎線の中で、最も利用者の少ない駅として知られるこの駅は、金八先生の舞台でもあった。
駅ホームは、東京未来大学と荒川河川敷の挟まれたところにある。正直、駅を建てるには窮屈な立地条件である。

人気のない中、端の方へ歩いていくと、こじんまりとした改札へ。


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北千住から二駅隣でこの規模である。(しょぼい…)

改札は上りと下りで別々になっていて、それぞれ自動改札が二台設置してある。
無人駅のような雰囲気を醸し出しているが、さすがに駅員はいるようだ。

年々増えつつある、萌えキャラ広告に見守られながら改札を出た。味を占めたのかは知らないが、
最近、東武は萌えキャラを推しまくっている。東武って"そういう会社"だったっけ?
「旧体制、地味、質素、堅実、硬派」ってのが東武じゃなかったのか??


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堀切駅の駅舎は二つあって、東と西に分かれている。浅草方面が東口で、春日部方面が西口。
駅構内で上りと下りのホームが繋がってないので、改札と駅舎が別々になってるのだ。
東口の真ん前には堤防があって、堤防を上ると都道に出る。

都道を渡れば、そこはひたすらただっ広い河川敷。

空 が 広 い ぜ !




駅から徒歩30秒でこの景色、この開放感。なんもねえけど最高。
通学チャリを引く高校生カップルが出てきそうなロケーションだ。正に金八先生の世界。
荒川の向こうに見えるのは、悪名高き合流点といわれる堀切ジャンクション。
駅前は閑散としてるが、ここ一帯は、あらゆる路線が入り乱れる要衝なのだ。

河川敷をボヤーと眺めた後、今度は駅の西口へ移動。
東口横の都道に沿ったところに青い跨線橋があるので、そこを渡ればいい。


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この跨線橋は堀切駅の東口と西口を結ぶ唯一の手段であり、駅員も利用するという。
高速の巨大高架と、荒川・隅田川を繋ぐ水路の狭間を、東武線は貫いている。
やっぱりここ、変な駅だ。
つうか上りと下りのホームが改札外でしか行き来できない時点で変な駅だ。




跨線橋を渡り堀切駅の西口へ。下調べ通り、ノスタルジックな空間にニンマリ。
三角屋根の木造駅舎は、大正の開業時から使われているという。
23区とは思えないレトロチックな佇まい。

駅前はラーメン屋が一軒あるのみで、他は何も無い。色褪せた電話ボックスぐらいしか無い。
というか、駅前そのものが路地裏なのである。パッと見は田舎の駅にしか見えない。
ラーメン屋の名は「みゆき」。まさか金八先生の「世情」に便乗したとか??
おどろおどろしい、中島みゆきの恨み節が脳内再生される。ときの流れを止めてぇ変わらない夢をー




駅自体はローカル臭がムンムンしてるが、ここは伊勢崎線の中で最も過密な区間であり、
数分の間にありとあらゆる列車が行き交っていく。そしてその大半は堀切を通過する。
この駅に停まる列車は、区間準急と区間急行と各駅停車だけだ。

ただ、列車の本数は多く、利用客もそこそこいるので秘境感は希薄である。


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ときの流れの止まったような駅が、北千住から二駅隣にあるなんて思わなかった。東武恐るべし。
「世情」じゃないけど、近代化の匂いがせず、東京のざわざわした世情とは無縁の駅だ。
人と違って、駅は"変わらないこと自体が幸せ"なんだなぁー、と。

西口を適当にブラブラした後、反対方向の電車に乗って帰還。
北千住へ戻ると、何時もの喧騒と雑踏が待っていた―



・大佐倉へ行ってみる
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後日……時間の合間を縫って探索再開。
今日向かうのは、京成最強の秘境駅といわれる大佐倉駅だ。
大佐倉は、上野~成田を結ぶ京成本線の最もローカル色の濃い区間に、存在するという。

千葉北西に秘境なんてあるわけねーだろが (´・`)

……わかってるんだよ、最初から。そんな大した場所じゃないことぐらい。
でも、行ってみたい。一度そう思うと頭がウズウズしてきてしまう。
ウズウズを取り払うため、私は船橋から京成電車に乗り込んだ。


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京成本線。総武本線とともに、東京から東へ真っ直ぐ延びる通勤路線である。
日中の時間帯に大佐倉へ行くには、成田空港行きの特急に乗る必要がある。理由は後述。
ベッドタウンを駆け抜けて、臼井を出ると住宅が少なくなり、素朴な田園の中へ。
東に行けば行くほど寂れる。それは総武本線も京成本線も一緒か。

印旛沼の南端をかすめ佐倉を出ると、隣駅の大佐倉はすぐそこだ。
佐倉の住宅街が途切れると山林に囲まれた丘陵地帯へ入る。

「こんなとこに駅があるのか??」と思っているうちに、列車は山林の中で停まった。


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何事もなく着いた大佐倉。降りるとあっという間にドアが閉められ、列車は駅を発っていく。
降りたのは地元客一人と私だけ。列車が去ると、辺りは静寂に包まれる。
すると「谷渡り」と呼ばれる、ウグイスの鳴き声が聞こえてきた。

「ピールルルルルー!ケキョケキョケキョケキョケキョ……!」

……鳥のさえずりしか聞こえてこない。それが、京成の秘境駅のリアルだった。




確 か に 、 こ こ は 何 も な い 。

ホームの両側を見渡してみても、この駅はおおよそ目立ったものが存在しない。
あるのは、鬱蒼とした山林と、未開拓の丘と、数件の人家・商店だけ。
他は本当に何も無い。なーんもない。それが最高なんだけどさ。

「コンビニ何ソレオイシイノ??」が通用する立地だ。
ただ、秘境っぽいのはここだけらしく、隣駅へ行けば典型的な千葉の街並みが広がっている。




大佐倉駅の駅前風景。いやコレ駅前じゃないから、ただの路地裏だから。
駅舎も駅舎と呼べるものではなく、駅員の事務室に簡素な屋根をとってつけただけの代物。
事務室の脇に小さな駅の入口があり、券売機と自動改札が一台ずつ設置されている。

最低限の構成で成り立っている駅だが、ICカードは普通に使える模様。
そこは腐っても京成だった。


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時刻表を見ると…この駅、日中は特急しか停まらないようだ。佐倉から東、日中の京成本線は特急しか走らないので、
特急を嫌でも停車させないと駅として成り立たない現実がある。京成でもぶっちぎりのワースト駅なのに。
ホームの駅名標が他の駅と違う。昔から残ってる古いやつだ。これは東成田の廃駅でも見かけたな。

上の地理院地図を360度グリグリすると、この駅の周りに住宅が(割と)少ないことがわかる。
西の佐倉、東の酒々井との間に、取り残されたように存在している駅だ。




駅横の踏切を渡ると…恐らく数年前に整地されたのだろう、雑草まみれの丘が横たわっていた。
自然に還りつつある更地の前には、建物の建築を禁止する看板が立っている。
土地の一部が"家庭菜園"や"駐車場"に留まってるのは、つまりそういうことなんだな、と。

丘の上には、伐採を逃れた立派な木が、一本だけポツンと立っている。
15年前家族で行って「なんもない」と一蹴した美瑛の丘を思い出した。
うんうん、美瑛っぽい。すっげー激しくピンポイントだけど美瑛っぽい。


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更地の脇には砂利道がのびていて、そこを上っていくと頂上に行き着く。
丘の上から見下ろすと、眼下にこじんまりとした駅の姿があった。
「コレが空港連絡路線なのかよ」ってほどの侘しさ。

しばらくすると、8両編成の特急が駅へ入ってきた。


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この地の主役は鉄道ではなく、緑と自然。緑の中に駅が埋もれている印象だ。
停車するのはホントに一瞬だけで、僅か2~3人を降ろした後、そそくさと発車していく。

京成を利用する通勤客も、毎日毎日「なんでここに止まるんだ??」と首を傾げているに違いない。
しかも、8両編成の電車に対し、設けられている屋根の規模は電車の1両分にも満たない。
夏は熱気と虫が、冬は寒風がダイレクトに車内へ入ってくるんだろう。
そういうのもたまにはいいんじゃないか。たまには。




あながちまんざらでもなかったな (´・`)

正直期待しちゃいなかったが、実際来てみて逆に裏切られた呈だ。京成にこんな駅があったとは!
千葉北西にしては秘境っぽい雰囲気に満ちていて、下車すれば侘しい空間に取り残され、
ちょっとした旅気分が味わえる。そのトリップ感覚…思った以上に、想像以上だった。

取り残された感を存分に味わった後、上野行きの特急に乗って帰宅。
突っ込みどころ満載の、意外性と静寂に満ちた秘境駅たち。
普段駅巡りはあまりやらないので、新鮮でした。
(終わり)
2016/06/16 | 私鉄


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